6.裏切り
高等部の校舎を空中から見下ろすと、「凹」の形状に見える。
秋津洲学園の場合は、東が普通科、西が異能科、そして底部にあたる横向きの校舎が本館だ。
職員室や来客用の受付などがある、高等部の玄関口だ。
それゆえ本館は、普通科と異能科の生徒が入り混じる場でもある。
しかし今は世界大戦の真っただ中。
戦闘に巻き込まれ命を落としても、本人の自己責任となる。
――ようこそ、このイカれた世界へ。
廊下を全力疾走する。
コンピューター室や視聴覚室などが集中する四階廊下は、俺の見込み通りガラガラだった。親衛隊という予想外の強敵が待ち構えていたとはいえ、作戦は順調に進行しているといえた。
渡り廊下まで残り数十メートル。
おかしい。この違和感はなんだ――?
真冬ののんびりとした日差しが、うなじをチリチリと焼き付けてくる。
親衛隊が、大鳥居ひよりと親しい前田健介を潰すためわざわざ乗り込んできた。
異能者が普通科に、だ。
まあ理解できないわけでもない。
出る杭や目立つ者、特に「モテる輩」に至っては大嫌いな奴と組んででも真っ先に潰すに限る。それはここ秋津洲で散々学ばされたことだし、その逆もやった。
だが。
彼らもひより先輩に心酔し、女神として崇拝しているというのなら。
(なぜ、あいつらは『先輩のおっぱいを捨てられる』――?)
天使のおっぱいを諦めてまで、前田健介は潰すべきだったとでもいうのか?
それほど俺は危険因子であり、重大案件だったとでもいうのか?
甘いな。甘すぎる。
そんなんだからあいつらはダメなんだ。
俺ならおっぱいもいただくし、ついでに嫌いな奴も抹殺する。
そんなことを考えていたら普通科棟の最南端に到達。
本館へと繋がる、オーラロードの入り口が見えてきた。
「よし、ここを超えれば本館だ……!」
胸躍る心地で、ちょうど南階段に差し掛かった瞬間。
階段に潜んでいた強い「殺気」に触れる。
そこで俺は、やっと重大な見落としに気づくのだった。
弾丸が、俺の頭を狙ってきた。
「!!!」
すかさず、走っている不安定な体勢ながらも身をひねり――、
しかし直撃避けられず、右肩に命中!
「ぐわぁああああああ!?」
全力で走っていたので、体勢を大きく崩し派手に転倒。
廊下をゴロゴロ転がり……、
備え付けの消火器に頭から激突!
大量の白粉が噴出した。
「――そういうことか。もう少し考えるべきだった! 『協力者』がいたんだ……!」
せき込みながら言う。
額に濡れた感覚。
触れてみると、指先が真っ赤に染まった。
そして、もくもくと遮られた視界の向こうで。
ついに黒幕が口を開く――
「マエケンはほんっとう成長しねえ奴だな? いまだに後先考えず『先輩』『おっぱい』と」
「っ……、その声は……!」
信じられないあまり声を震わせた。
白煙の向こうに揺らめく、謎の男。
……馬鹿な。
なぜ……あの男が……?
どうして…………お前が…………この場所に!!
「慎ォ!?」
「いえす・あい・あむ♡」
モテたいがために髪を染めた童貞メガネが、「チッチッチッ♪」と指を振る。
あああ、と情けない声が出た。
大失態だ。思考や推理をおろそかにしなければ、コイツが黒幕だということぐらい簡単に気づけた。極秘作戦の中身を知っていて、外部に明かすことのできたのは、この親友しかいない!
しかし、コイツひより先輩には何の興味もないはずじゃ……?
「どうしてお前がプリンを!」
「お前に高値で売りつけるためさ?」
「げっ、外道~~~~~~!!!」
歯を食いしばり、どっと涙を流す。
甘かった。
考えてみれば英語の時間に俺を見殺しにして、アレックスに差し出したようなロクデナシだ。その時点で俺は敗北を喫していた。
慎なんぞを信用し、作戦概要を一から十まで語り倒した俺の完敗である。
身近で親しい人間がいつまでも味方でいてくれるとは、限らないのだ。
「んじゃ、そろそろ行ってくるわー。買っといてやっからさー、お前のぶんと親衛隊どものぶん。あはっ、今日でいったい何百回、十連ガチャまわせっかなー♡ 楽しみだわーーー」
そこまで俺たちから搾り取る気か!? 戦慄する。鬼め……!
でも慎がプリンを買ってきてくれたとして、俺は「くっ、殺せ!」なんて言いながら、貯金を崩して持ってきたリアルマネーを泣く泣く差し出すんだろうな。
勝てなかった――おっぱいには勝てなかったよ――って。
慎は渡り廊下の戸を開けると、手を振りながら本館へ向かった。
俺はというと、うつぶせのまま嗚咽を漏らすことしかできない。無様極まれり。
そんな俺の目の前に、何かが転がってきた。
ソフトテニスのボール。
慎が俺に投げつけたやつだ。
肌色に塗られた球体に、茶色マッキーで乳首をポチッと描いたものだ。
「ああ…………おっぱい………………」
ふにふに。
その感触を確かめながら、感激とも屈辱ともいえない黒々した涙を流す。
「おっぱい……! ううっ……! おっぱい、おっぱい、おっぱい……! あああああ」
泣きながら、力なく床をぺちんぺちん数回叩いた。
思えば俺みたいなシケメン普通科生徒が彼女なんてできるわけもなく、絶望に打ちひしがれていた時。このボールがすさんだ心を癒してくれた。
『マエケン!! 俺すっっっげえこと思いついた! このボールにさ、チョチョイとこうしてみろよ!?』
『オアーーー!? めっちゃおっぱいやん! すげーよ慎もう一個作ろうぜ!? 両手で揉みしだくからよお!!』
『明日グラビア持ってこい! モデルの上に乗っけてグニュグニュ揉もうぜ!』
『お前天才だろ!??』
――前田健介。高校一年生の春。
俺にとって奴はいくつもの修羅場を乗り越えてきた戦友で、熱い絆で結ばれていたはずだったのに……。
嗚呼。
ひより先輩のおっぱいはこんなまがい物よりもずっと大きくて。
柔らかくて、温かいんだろうな。
ふにふに。
所詮俺は一般人なのか。
こんなにもモテなくて、無力なのか。
低レベルすぎる自慰がお似合いの、無力な子ザルに過ぎないのか。
ふ ざ け る な。
ドクン。
未だ経験したことのない、尋常でない怒りが俺のハートを真っ赤に燃やす。
「……ヌゥ!?」
さすがは慎だ。
ユラリ立ち上がった俺の気配を察知し、即座に振り向く。
しかし、勝負は決していた。
俺はボール片手にホップ、ステップとしなやかに弾みをつけ、
「夢を………………諦めねぇえええええええええええええええ!」
全身が倒れこむぐらい、無我夢中でボールをブン投げる。
ボールはグングン伸びて渡り廊下を突き進んだ。
砲弾が通過した直後、窓ガラスがパリパリパリンと次々ド派手に割れていく。
それは外道の眉間を確実に捉え、
ズドン!! と撃ち抜きメガネを粉々に砕いた――。
「ぐあああああ!!!」
ズギャギャギャとボールはドライブ回転を利かせ、慎の顔面にめり込んでいく。
刹那、大爆発。
ボールがコロコロと転がる。
そんな一瞬の静寂のあと。
廣瀬慎は、バターンと仰向けに倒れた。
裏切り者は成敗した。
「けっ」と胸糞の悪さを胸に、俺は死体の脇を通過し、
――やっぱり戻ってきて。
慎のベルトを緩め、スラックスとトランクスを脱がし、窓から捨ててやった。
諸君。前田健介を本気で怒らせるとこういうことになる。
覚えておくように。
【続く】
※「ボーイズラブ」の表記は、一部分ですが、今後そのような描写が入ることが見込まれるため付けております。