マタイ受難曲
十一時に、宅配業者が一週間分の食材を運んできてくれた。
メディアフォンであらかじめ頼んでおいたものだ。
クリスは朝と昼は簡単な自炊をするので、それに使うパンや野菜と少しの肉をいつも頼む。
「マイドアリガトウゴザイマス」
伝票の端末に指紋認証で受け取りのサインをすると、配達係のAIが言った。
機械音声だがおだやかなその声は親切そうであたたかにクリスは聞こえる。
「こちらこそいつもありがとう。またよろしくお願いします」
「ハイ、コチラコソ。マタノゴリヨウヲオマチシテイマス」
クリスがほほ笑むと、AIもぎこちなく笑みを返した。
AIはいまの社会にとってなくてはならない存在だ。
単純作業はもちろんのこと、サービス業の大半にも従事し、特に少子高齢化の現代、介護業に特化したAIが最も発達しており、介護現場の全般の役割を彼らが担っていた。
クリスは宅配ボックスを開けると野菜など冷蔵が必要なものを冷蔵庫にしまい、少量のアスパラとコーンとベーコンを取り出し、生クリームとショートパスタを使ってお昼にクリームスープスパゲティを作った。
食後、いつになく赤い色がほしくなって、クリスはローズヒップティを入れて飲んだ。
透明でかわいらしいローズ色は、少しだけクリスを元気づけてくれたような気がした。
薬を飲んでからメディアフォンをチェックすると、今日の配信曲リストのなかにバッハの「マタイ受難曲」があったので、クリスはダウンロードした。
それをオーディオプレイヤーに送信し、キャンバスに向かいながらかけて聴いた。
神に捧げるために作曲されたその曲は荘厳で人間の精神性を超えた次元を思わせる。
しかしこの曲をジェニーが演奏したなら、人間の全霊の悲哀や苦悩が込められた、人間が演奏し得る至上の演奏になるだろう……