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再生

作者: 如月おと

 意識を取り戻したら、世界から光がなくなっていた。


 突然、身体全体に突き刺すような寒さを感じて、僕は目覚めた。

 全身に流れている血液が凍ってしまったかのような、隅々まで通っていた神経が無くなってしまったかのような――そんな強烈な感覚に襲われたのだ。

 どうやらここは住み慣れたアパートの中。

 薄く頼りない布団を敷いたベッドの上に、仰向けに寝ているようだ。

 そもそも自分が何故気を失っていたのか――そんなことも思い出せない。


 瞳は、何も映してはくれない。

 当たり前のように僕を暖かく包んでくれていた光がないからだ。

 太陽が、月が、遠くに見えていた星々までもが、綺麗に消え去っていた。


 先ほど感じた強烈な感覚はすでに失われていた。

 今は暑さも寒さも感じない。

 太陽を失った今も、気温自体は僕が快適に過ごせるくらいに保たれているのだろうか。

 科学技術が進んでいるから、誰かが地球の温度や湿度を保てているのかもしれない。

 しかし――それなら未だに明かりがつかないのは何故だろう。

 太陽に頼らずとも、これまで普及していた発電方法で十分にまかなえるだろうに。

 僕は頭の中で様々なことを考えながら、窓の存在する方を向いてしばらく寝転がっていた。


 どれくらい時間が経ったのかはわからないが、徐々に暗闇に目が慣れ、薄らとものの輪郭を確認できるようになってきた。

 目が進化したのかもしれない。

 光に頼らず水晶体に何かを映し出すなんてこと、今まではできなかったのだから。

 僕は窓を開けて、光のない世界を覗いてみた。

「何だ、これは……」

 思わずそう呟いてしまった。

 自分以外の全てのものが、存在していないのだ。

 そういえば、物音がしない。

 見えないことにばかり意識を奪われていたけれど、横になっている間、何の音も耳に入ってこなかった。

 明るく笑い合う子供の声も、騒音で迷惑に思っていた車の音も。

 耳を澄ましてみても、全くの無音なのだ。

「誰か……誰か、いないのか!」

 静寂を打ち破るかのように、僕は大声で叫んだ。

 しかし、久し振りに発する声は、かすれた音となって虚しく空気中を伝わっていくだけだった。

 普段はこのアパートで、一人きりでも平気だったのに。

 それどころか、自分以外の存在を疎ましく思っていたくらいだった。

 それなのに――。

 今感じているこの恐怖は何なのだろう。

 この孤独感は、この閉塞感は……。

 僕は押し寄せてくる焦燥から逃げるように、勢い良くアパートの部屋を飛び出した。


 進化したらしい瞳でも、ものの形を把握するのがやっとだった。

 無機質なもの――例えば、建物などは普段通りの様子だった。

 光と、命あるものだけが綺麗に消えてしまった世界。

 そこから受ける恐怖は、ただ静かに僕を包み込むだけだった。

「実家へ……家へ帰ってみよう」

 恐ろしいこの現実が、実家へ帰ることで打ち消されるような気がした。

 いつ帰っても、何も変わらず僕を出迎えてくれるあの場所なら……。


 久し振りに歩く道の景色は、何とも寂しいものだった。

 まるでモノクロ写真の中に、自分一人が取り込まれてしまったかのような――そんな感覚を味わいながら僕は歩いた。

 季節は春だったはずなのに、木々は葉を落とし、草花は水分も含まず横たわっている。

 実家までは徒歩二十分ほどだが、今日の道のりはとても長く感じた。


「ここも、か……」

 ようやく到着した安らぎの場所は、他と変わらない無機質な灰白色であった。

 家族はもちろん、幼い頃より可愛がっていた犬の姿もない。

 僕は途方に暮れた。

 ここへ帰ってくれば、あらゆる困難、悲劇でさえもリセットさせると思い込んでいたのだ。

 僕は絶望に震え、瞼を閉じた。

 思い浮かぶのは期待する父の眼差し……。

 頭の中に響くのは力強い母の言葉……。


『良かったわね。もう病が原因で、あなたの存在が無くなることはないわ。安心して新しい生活を始めなさい』


 ふと、母の言葉が耳によみがえった。

 そうだ。

 僕は体がとても弱かった。

 先天性の疾患があり、運動は健常人の半分以下を強いられていたのだ。

 何故、こんなに重要な記憶が欠落しているのだろうか。

 あんなに苦しめられていた発作も思い出せず、今は母の言葉の意味も理解できない。

 自分の病気は完治したのだろうか。

 僕は無くしたパズルのピースを探すように、家の中を見回り始めた。


 家族で過ごすことの多かった居間。

 その真ん中にあるこたつには、まだ布団が掛かっていた。

 その上に父が愛用していた湯のみが横たわり、母がいつも頭につけていた髪どめが転がっている。

「二人ともここにいたのか……?」

 まるで数分前まで、二人はそこに座っていたかのようだ。

 普段見ていた二人の姿と、想像する最後の姿が重なった。

「そうだ、日記帳……」

 母は毎日欠かさず日記をつけていた。

 この現実について、自分の病気について、何か記してあるかもしれない。

 僕は母がよく開け閉めしていた棚の引き出しを開けると、そこには手帳くらいの大きさの日記帳があった。

 早速手に取り、書き込まれている最後のページを捲る。

 次の瞬間、僕は飛び込んできた文字に驚いた。

『会いたい』

 たった一言、そう記されていた。

 堪らない気持ちで、前へ、前へと遡っていく……。

 すると、その度に現れるのは、僕へ宛てる一言綴りのメッセージばかりだった。

 涙も、出てこなかった。

 どうして僕は、こんなにも愛してくれた母の元に帰らなかったのだろう。

 後悔も混ざるその謎は、日記をしばらく捲ると解明されたのだった。

 そうか、僕は――。


 僕は、ようやく全てを思い出した。

 僕は病を理由に、心まで荒んでいた。

 父や母はそんな僕の様子に長い間悩み続け、ついにある行動に出たのだった。

「僕の体は、機械になってしまったんだ……」

 自分の心臓に手を当てると、心臓が打つ鼓動の代わりに、モーターが回転するような細かい振動が伝わってくる。

 僕は今日、誕生したのだ。

 人としての生涯を終え、機械として生まれ変わった。

 目覚めた時に感じた強烈な寒さが、おそらく人間としての最後の感覚。

 あの時、あの瞬間に、僕を長い間苦しめ続けた心臓が止まり、そこに埋め込まれていたモーターか何かが動き出したのだろう。


 父や母の処置は間違っていなかったのだと思う。

 一人暮らしにも憧れていたし、快活に動く自分を想像すると楽しかった。

 けれども僕は――やはり、死ぬのが怖かった……。

 だから、何かが埋め込まれた心臓に発作が起こる度、安静にしていた。

 処置済みの自分の心臓は、もはや医者に診せる必要がなかったから――ただ一人、あのアパートで眠っていたのだ。

 涙は流れないのに、心の中が締め付けられた。

 僕の心臓はとっくに死んでしまったはずなのに――現れるはずのないはずの痛みが、機械仕掛けの自分を固まらせていた。


「生存反応あり」

 ぼうっとその場に立っていると、機械音と共にロボットが現れた。

「ご無事でしたか。只今、施設にご案内致します」

 無機質なものから発されているとは思えない、流暢な人間の言葉。

 僕は思わず、自分の未来を生まれつき機械である彼に尋ねた。

「僕はこれからどうしたらいい?」

 何故太陽が無くなったのか、何故生きものがいなくなったのか……。

 今の僕にはどうでもいいことだった。

 死を恐れ生き延びたかった自分が、ただ孤独を恐れていただけだったのだと――そうわかった今、父も母も消えたこの世界に何の疑問も抱けないでいた。

 気になるのは、自分の今後――。

「あなたのような方は他にも何人か発見されております。これからはその方達と共に、死んでしまった地球の再生のため、知識を提供していただきます」

 僕は力無く頷くと、ロボットに誘導されるがままに、車に乗り込んだのだった。

 まるで宇宙船のような車に……。




(完)

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