首狩りうさぎのぬいぐるみ
「おい、まだ開かないのか?」
「そう急かさないでよ」
二人組の男女が、小声で囁き合う。
腰に長剣を下げて背嚢を背負った男は辺りを気忙しげに見回し、それより幾らか身軽な格好の女は石造りの廊下に膝をついて、扉の鍵穴を手鏡越しに覗き込みながら、数本の針金を突っ込んでいた。
「大体なんで鏡越しになんて見てるんだよ、面倒くさい。直接見ちゃ駄目なのか?」
男が尋ねた瞬間、扉のノブがカチリと音を立てる。
同時に小さな矢が鍵穴から射出されて、金属製の手鏡を女の手から弾き飛ばした。
「次はあなたがやってくれるってんなら、直接覗いてくれてもいいけど、ロバート?」
「わかったわかった、俺が悪かった、アン」
ロバートと呼ばれた男は降参と言いたげに両手を上げる。
「じゃあ、次はそっちのお仕事よ」
アンと呼ばれた女はドアノブに手をかけて、一気に開いた。
それと同時、ロバートは剣を抜き放って部屋の中に飛び込む。
部屋の中にいた妖魔たちが、一斉にこちらを振り向いた。
先手を取らせてなるものかと、ロバートは妖魔たちが体勢を立て直す前に切り込む。
「待って、戻ってッ!」
アンの制止の声が届く頃には、彼の剣は妖魔たちを纏めて両断していた。
「なんだ? まるで手応えが……」
何の抵抗もなく切り裂かれる妖魔に、ロバートは目を見張る。
彼の目の前で、怪物たちはまるで煙のように消え失せてしまった。
「戻ってって言ったじゃないの」
呆れ声に振り向けば、アンが閉じた扉の前でがっくりと肩を落としていた。
「罠よ、これ」
彼女の言葉に答えるかのように、轟音が上から聞こえてくる。
反射的に頭上を仰げば、天井が僅かずつではあるものの下がってきていた。
「なるほど、そういう仕組みか」
えげつない罠を考えるもんだ、とロバートはうんざりしてため息をついた。
「落ち着いてる場合じゃないわ。こういう類の罠には緊急停止の為のスイッチが有るはず。探して!」
言うが早いか、アンは壁に取り付くようにして丹念に一つ一つレンガを調べ始める。
「何もお前まで入ってくることはなかっただろうに」
ロバートも地面を調べながら、そうぼやいた。入り口にいたアンなら、罠を回避できたはずだ。
「あなた一人で行かせたら確実に死ぬでしょ」
余計な口を叩くより仕事しろ、と言わんばかりにアンはそっけなく答える。
「ま、そりゃそうだ」
コンコンと地面を踵で叩きながら、ロバートは頷いた。
そろそろ彼の頭がつきそうなほど、天井は下がってきている。
「あった!」
偽装されたレンガの奥のレバーを見つけ、アンは快哉を叫ぶ。
「そりゃ良かった。ところで俺もスイッチを見つけたんだが」
しかしその笑顔は、ロバートの言葉にすぐさま消えた。
「どうする?」
「どうするもこうするも……」
おそらく、どちらかのスイッチはダミーだ。
押す方を間違えればすぐさま天井が落ちてくるに違いない。
壁か。床か。どっちのスイッチを押すべきか、アンは悩みに悩んだ。
「……決めたわ」
壁の方のスイッチは、もっと天井が落ちてくれば押せなくなってしまう。
ならば、最後の最後、ギリギリまで押せるスイッチの方が正解の可能性が高い。
「床よ」
二人の生死をかけた大博打。
だがアンはそんな状況でも冷静に判断を下し、
「三つあるんだが、どれだ?」
「この迷宮作ったやつ爆死すればいいのに」
心の底から吐き捨てた。
結局、二人で何とか扉を破壊して吊り天井から逃げ出し、その後も様々な罠や怪物たちとの戦闘で死にかけること、五回。
「あんたが、魔王か」
「いかにも。……よくぞここまで辿り着いた。まずは褒めてやろう」
とうとう二人は、地下迷宮の最下層。
ダンジョンを支配する魔王の下まで辿り着いていた。
「だが貴様らの旅もここまでだ。最後は我が手によって終わらせてくれよう」
「望むところ」
アンは腰の短剣を引き抜き、構える。
「ただし、死ぬのはあなたの方よ!」
「殺してどうする」
かなり本気で言っているらしいアンの後頭部を軽く叩き、ロバートは背嚢から小さな箱と書類を取り出した。
「毎度お世話になってます。ここにサインお願いします。お子さんにはご自身でお渡し頂けるということで問題ありませんね」
「うむ。くくく……この手で枕元に置かれしプレゼントによって、我が孫娘の心を喜びで覆い尽くしてくれよう……!」
「はーい、どうもありがとうございます、今後共ご贔屓によろしく」
「待て……!」
さっさと仕事を終えてその場を立ち去ろうとするロバートたちを、魔王は呼び止める。
「見るが良い」
その節くれだった指先が指し示す方には、小さな木があった。
鉢に植えられた立派な樅の木。所謂クリスマスツリーだ。
「貴様らへのせめてもの褒美だ。受け取るがいい」
その根本には、ミルクとクッキーの乗った皿が置かれていた。
「……こんなもので絆されると思ったら大間違いですからね」
そう言いつつも、甘いものに目がないアンはいそいそとクッキーを手に取る。
瞬間、その姿が掻き消えた。
「おーい、大丈夫か?」
ここへの配達は二度と引き受けるものか。
上から降ってくるロバートの声を聞きながら、落とし穴の底でアンはそう決意した。