紗奈
事はラブレターから数日後。
私達は何事もなく毎日を過ごしていた。私は夜の練習を終え、今日も何事もなく終わる予定だった。
もう寮の就寝時刻は過ぎている。私は足音を立てないようにゆっくりと階段を登った。
しかし、三階に着きそうな所で私は踊り場に人影を見た。男子と女子の分かれ目である階段の前にはちょっとしたスペースがある。
人影は二つ。誰? でも、もう就寝時刻は過ぎてるはず。
私は招待を確かめようと身をかがめて階段を一段登る。すると、二つの人影が話をしている様で声が聞こえた。……この声は紗奈?
「……蒼、ごめんね」
「いいよ、紗奈最近よく眠れてないんだろ?」
蒼? 紗奈と蒼……それに、今の会話。
「えっ、どうして?」
「はぁ……、そんなの俺が分からないと思うか? 一応、生まれてからの付き合いなんだが」
蒼はそう言い紗奈の頭にぽんっと手を置いた。……そういえば、あの二人幼なじみなんだっけ。
「私、帰りたい……のかもしれない」
私は紗奈のその言葉を聞いた瞬間まるで金縛りになってしまったかのようにその場から少しも動く事が出来なくなった。
「うん。紗奈は、そうなんじゃないかと思ってた」
「私、この前試してみたの。木に向かって向こうの世界に返してください、って。でも、無理だった。……私には耐えられないの。死ぬまでずっと、ずっとここで過ごすことになったらどうしよう……ずっと帰れなかったら…………お母さんに……会いたいっ」
紗奈は顔を俯かせ、両手で両腕を強く握り締め床にしゃがみこんだ。床には何滴かの涙の粒がぽつぽつと落ちていた。
「日鏡には話したのか?」
紗奈はそれに首を振り、震える声を蒼に向けた。
「は……話せないよ。だってここは蛍が待ち望んでた、やっとこれた場所。知ってる? 蛍最近凄い楽しそうに笑うの」
「だけど、紗奈と日鏡は違う。紗奈の考えを日鏡に話せば少し状況は変わるんじゃないか?」
「ううん、蛍には話さないよ。私、蛍のあの笑顔ずっと見たいって思っちゃったんだもん」
紗奈は涙を目に溢れさせがら優しい笑みをこぼした。
私は、それ以上会話を聞いている事が出来なかった。心臓の鼓動が早くなる。手で口を抑え泣き出しそうにになるのを必死に抑えた。
私は泣いちゃだめだーー。
私は階段を急いで降り、寮の外へ出た。どこかへ、遠いどこかで一人になりたかった。