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第8話 新貴族の影と、如月透

 その夜、黒猫ちゃんねるの登録者数が五千人を超えた。


 一回の配信で二百十七人だったのが、翌日には口コミやSNSで広がって、気づいたら五千人になっていた。


「思ったより早いな」


《初回配信のアーカイブ再生数が現時点で八万回を超えています。特に二十五層以降の未踏映像への反応が強く、複数のダンジョン系まとめサイトで取り上げられています》


「まとめサイトにまで」


「にゃははっ」とイゾルデが笑った。「人気者にゃ、魔神様」


「その呼び方、定着させようとしてるだろ」


「してるにゃ」


 開き直りやがった。


 まあ、悪くはない。魔神様、という呼ばれ方は、正体を隠す上では都合がいい。本当に魔神だとは、誰も思わないだろうから。


 コメント欄を流し見すると、様々な憶測が飛び交っていた。


【コメント欄】

攻略ガチ勢:仮面の人、声が若くない?10代じゃないの

名無しさん:でも動きは完全にベテランだよな

攻略ガチ勢:腕輪外したときの動きがおかしい。レベル10じゃ絶対ない

鮭おにぎり:イゾルデさんの耳と尻尾、本物説が浮上してる

DD(誰でも大好き):コスプレにしてはリアルすぎる

魔神びいき:魔神様って本物の魔神なの?


「声が若いってバレてるな」と言った。


《仮面で外見は隠せていますが、声の若さは隠せていません。ただし、これは正体不明の要因として機能しています。視聴者の興味を引き続けているという意味では、むしろプラスかと》


「まあ、そう考えるか」


「謎が多い方が面白いにゃ」とイゾルデは言って、尻尾を揺らした。「視聴者はボクのことも本物か偽物か議論してるにゃ。楽しいにゃ」


 楽しんでいるのはお前だけだと思いながら、俺はスマホを置いた。


  *


 翌朝、彰彦さんから連絡が来た。


「昨日採取した素材の件ですが、確認が取れました」


「どうでしたか」


「地上未登録の素材が三種類。うち一種は、一条グループの研究部門が喉から手が出るほど欲しがっていた成分を含んでいます」と彰彦さんは言った。電話越しでも、わずかに声のトーンが変わったのが分かった。「率直に聞きますが、神楽さん。どこまで深く潜れますか」


「今のところ、二十五層までは確認済みです。上限はまだ分かりません」


 少しの間があった。


「……神楽さん、一条グループとの資源提供契約を検討していただけませんか。独占ではなく、優先供給という形で。対価は市場価格の三倍でお支払いします」


「アビスゲートも並行して使いたいんですが」


「構いません。競合は覚悟の上です」と彰彦さんは即答した。「それだけの価値がある素材です」


 俺は少し考えた。


 悪い話ではない。むしろかなりいい話だ。彰彦さんは信用できる。条件も明確だ。


「分かりました。お願いします」と言って、少し笑った。「……ブラック企業で三年、こき使われてたのに、深淵ダンジョンに潜ったら数日で億に届きそうな話になるんですね」


「神楽さんが特別なのだと思います」と彰彦さんは穏やかに言った。「ただ、ご自身の価値を正しく認識されている方は、意外と少ないので」


「ありがとうございます」と彰彦さんは言って、少し間を置いた。「それと——黒猫ちゃんねる、柚葉と一緒に見ました」


 俺は少し固まった。


「……感想は」


「イゾルデさんが思ったより饒舌で、驚きました」と彰彦さんは静かに笑った。「柚葉は最初の三分で登録していました」


「そうですか」


「魔神様、というあだ名は定着しそうですね」


「やめてください」


 電話が切れた。


 俺はスマホを見つめた。


《一条彰彦さんの笑いのツボは、思ったより庶民的なようですね》とエルが言った。


「お前まで言うな」


  *


 その日の夕方。


 新宿のとある喫茶店の奥まった席に、一人の男が座っていた。


 三十代後半、スーツ姿。コーヒーを前に、窓の外を眺めている。視線は通りに向いているが、目が動いていない。何かを考えているというより、何かを監視している目だ。


 如月透。


 ダンジョン庁探索者安全管理課主任調査官。表向きはそれだけだが、庁内の非公式情報収集部門に属している。


 如月はスマホを取り出して、配信アーカイブを開いた。


 黒猫ちゃんねる。


 二十五層を超える未踏映像。仮面の人物と獣人の女性。視聴者が沸き立つコメント欄。


 如月はそれを、音量をゼロにしたまま、一言も発せずに最後まで見た。


 見終わって、スマホを伏せた。


 コーヒーを一口飲んで、窓の外に視線を戻した。


 通りの向かいに、文化交流センターというプレートが掲げられたビルがある。表向きは日本とセントアーリア公国の文化交流を促進する施設だが、如月が三か月前から監視を続けている場所だ。


 あの建物に、何かがある。


 新貴族の数が急増し始めたのと、あの施設の設立時期が一致する。庁内の一部官僚が買収されている証拠が、間接的にあの建物に繋がっている。しかし直接的な証拠がない。組織として動けない。


 如月は手帳を開いた。


 走り書きのメモが並んでいる。日付、人名、金額、場所。三か月分の監視記録だ。


 その中に、新しく書き込んだ名前があった。


 神楽凪。


 南大沢支部に今週登録したばかりの、6級探索者。戸籍上は十七歳。しかし——あの配信を見る限り、6級でもなければ十七歳でもない。


 腕輪型の聖遺物か何かでレベルを偽装している可能性が高い。


 そして、あの二十五層以降の映像。二十五層は探索者が容易に踏み込める層ではない。それをあの二人は単独で撮ってきている。


 何者だ、という疑問と同時に、如月の頭の中で別の考えが動いていた。


 この人間は——使えるかもしれない。


 如月はスマホを開いて、配信アプリのアカウントにログインした。


 アカウント名は「tk_investigator」。


 黒猫ちゃんねるをフォローして、スマホを閉じた。


 コーヒーが、すっかり冷めていた。


  *


 同じ頃。


 都内の高級ホテルの一室で、三人の男が向かい合っていた。


 上座に座るのは、五十代の男だ。白髪交じりの髪を後ろに撫でつけて、仕立てのいいスーツを着ている。顔には感情がない。感情を消すことに慣れきった人間の顔だ。


 エルマキシム。セントアーリア公国大公。


「例の配信を見たか」と大公は言った。日本語が、妙に流暢だった。


「見ました」と答えたのは、向かって左の男だ。四十代、油の浮いた愛想笑い。村神康彦。「仮面の男と、獣人の女。正体は不明ですが、実力は本物かと」


「正体不明では話にならん」と大公は言った。「調べろ」


「すでに手を打っています」


「もう一つ」と大公は続けた。視線が、右の男に向いた。


 無表情の男。楠木壱成。


「南大沢に、6級の新参者が登録した。神楽凪という」


「把握しています」と楠木は言った。声に抑揚がない。「新宿の協会本部で目撃しました。腕輪を二つつけていた」


「その男と、配信の仮面の人物——同一の可能性はあるか」


 楠木が少し間を置いた。


「外見と年齢が一致しません。ただ——」


「ただ?」


「目が似ていました」と楠木は言った。「仮面越しでも分かる、ある種の目です。全てを見通すような」


 大公が静かに指を組んだ。


「面白い」と大公は言った。「急ぐな。まず泳がせろ。何者かを見極めてから動く」


「排除しますか」と村神が聞いた。


「排除は最後の手段だ」と大公は言って、わずかに目を細めた。「使えるなら使う。それがわたしの流儀だ」


 部屋に沈黙が落ちた。


「——一つ、進捗を報告します」と村神が続けた。「血脈の誓いが南大沢で動いています。平野の判断で、新規探索者への声がけを強化しました。断った数名に対して、制裁を与えています」


 楠木は表情を動かさなかった。


 平野翔太。村神の直属パーティー「血脈の誓い」のリーダー。子爵位。強さだけで成り上がってきた男で、村神への忠誠は本物だ——ただし、制御は難しい。楠木は以前から、平野の「制裁」のやり方を問題視していた。ただそれを口にする気はなかった。言っても変わらないことは、楠木にはよく分かっていた。


「結果は?」と大公が聞いた。


「二名が加入しました」と村神は答えた。「一名は……手が滑ったようです」


 大公が静かに頷いた。問題にしなかった。


 楠木は窓の外の夜景を見た。


 窓の外に、夜の東京が広がっていた。


  *


 その夜、楠木美紗は自室のベッドに寝転がって、スマホを見ていた。


 十六歳。楠木壱成の娘。


 画面には、黒猫ちゃんねるのアーカイブが映っている。もう三回見た。


 仮面の魔神様と、イゾルデさんが二十五層を超えていく映像。誰も踏み込んでいなかった区画の、蒼白く霧がたゆたう通路。


「すごいな」と美紗は小さく言った。


 探索者になりたい、とずっと思っていた。父親は反対している。危ないから、というのが表向きの理由だ。でも美紗には、それが本当の理由じゃない気がしていた。


 父が何をしているのか、美紗は薄々気づいていた。気づきたくなかった。でも、気づいてしまっていた。


 スマホの画面の中で、魔神様が言っていた。


 *「また来る。ここは逃げないから」*


 逃げない、か。


 美紗は画面を閉じて、天井を見た。


 自分は、何かから逃げているんだろうか。


 答えは出なかった。ただ、チャンネル登録ボタンを押した。


 次の配信を、待ってみようと思った。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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