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第6話 初配信——南大沢、初陣

 翌朝、俺は南大沢ダンジョンの入口に立っていた。


 石造りの門構えは昨日と変わらない。入口の両脇に特殊魔導大隊の隊員が立っていて、探索者の出入りを管理している。計画書の控えを提示して、入口を通過した。


 違うのは、俺の格好だ。


 黒猫の面に赤い縁取り。黒基調に赤の縁取りが入った軽装。アームズラボで揃えた装備を身につけて、収納ポーチを腰に下げている。


 そして隣には、獣人形態のイゾルデが立っていた。


 黒髪、金色の瞳、頭の上のサーバルキャット耳、腰の後ろで揺れる長い尻尾。探索者の軽装を着こなして、見た目は完全に「人間の女性」だ。ただし耳と尻尾がある。


 普段、イゾルデには認識阻害がかかっていて、一定レベル以下の人間には黒猫にしか見えない。ただしダンジョン内では解除される。つまり今日の配信中、視聴者の画面にはこの姿がそのまま映る。


「準備はいいにゃ?」


「ああ——こっちは、いつでも」


 仮面越しに息を一つ整えて、スマホを取り出した。

 配信アプリのアイコンの上で、親指が一瞬だけ止まる。

 ここを押した瞬間から、「神楽凪」は表舞台に片足を踏み入れることになる。

 正体は伏せる。顔も声質も変える。それでも——世界のどこかで、誰かが、俺の戦いを見始める。


「——配信、始めるぞ」


 親指を落とした。


 配信アプリを起動して、ライブ配信の開始ボタンを押した。


 黒猫ちゃんねる、初配信。


 視聴者数、ゼロ。


「黒猫ちゃんねる、はじまるにゃ!」


 イゾルデが両手を広げて宣言した。誰も聞いていない。視聴者ゼロの画面に向かって、全力の笑顔だった。


 まあ、そんなもんだ。

 アーカイブには残る。いつか誰かがこれを発掘したとき、この一言が最初の一ページになる。


「——それじゃあ、行こうか。イゾルデ、先導してくれ」


「なぁ~」


 俺たちは入口をくぐった。


  *


 一層は、昨日と変わらなかった。


 スライムとゴブリンが出てきて、イゾルデが鮮やかに蹴散らした。俺はそれを横目で見ながら、配信カメラのアングルを確認した。後方から追従している八軸ドローンが、俺とイゾルデの両方を映している。


「イゾルデ、今の動き、視聴者向けに解説してくれるか?」


「さっきのにゃ? ゴブリンは足が遅いから、懐に入ればこっちのもんにゃ。首の後ろを狙うと一撃にゃ」


 視聴者数が、ぽつぽつと増え始めた。


 五人、十人、二十人。


 コメントが流れ始めた。


【コメント欄】

名無しさん:なんだこのチャンネル

DD(誰でも大好き):獣人コスすごいリアルだな

匿名1号:猫耳ほんとに動いてる?

魔神びいき:綺麗なお姉さん


「コスプレじゃないにゃ」とイゾルデが言って、耳をぴくりと動かした。「これがボクの本来の姿にゃ」


鮭おにぎり:え、マジ?

指摘警察:CGじゃないの?

名無しさん:尻尾も動いてる……

匿名2号:男は中二病?


「全部本物にゃ」とイゾルデは胸を張った。「ボクはイゾルデ。この仮面の魔神様の相棒にゃ」


 魔神様、か。

 その呼び方には少し引っかかりを覚えたが、まあいいか、と流すことにした。


 五層まで降りて、ゴブリンの群れを片付けたところで、視聴者数は百人を超えていた。


 そして、俺たちは六層への扉の前に立った。


 通常、6級探索者が入れるのは五層まで。

 この扉の向こうは、俺たちにとって「無許可」の領域だ。


「行くにゃ?」とイゾルデが聞いた。


「ああ、行こう。——『計画書の想定範囲内』で収まる程度には、ね」


 小さく笑った。仮面の下で。

 計画書には「五層まで」と書いてある。厳密に言えば、この先は書類上の逸脱だ。

 ただし、6級探索者の単独潜入可能深度は十層まで。——つまり法的には問題ない。

 ここらへんの線引きは、昨日のうちに調べ尽くしてある。社畜三年間で鍛えた「規約の読み込み」が、こんなところで役に立つとは思わなかった。


【コメント欄】

匿名2号:この人たちなん級よ?

名無しさん:ウケ狙いの低級じゃないのか?

攻略ガチ勢:冗談で6層以降に入るのはやめたほうがいいぞ

鮭おにぎり:規則違反じゃないの

DD(誰でも大好き):いや待って仮面の人強すぎない?

魔神びいき:魔神様だろwww


 コメントが騒ぎ始めたのを横目に、扉を押した。


  *


 六層の空気は、五層までとは明らかに違った。


 魔力の濃度が上がっている。壁の発光苔が青ではなく紫に変わっていて、通路が広くなっている。モンスターの気配も、質が違う。


 その瞬間だった。


 頭の中に、声が響いた。


《主よ、ご報告申し上げます。現在地は南大沢ダンジョン六層。起動条件が整いました。魔力濃度、通常値の約一・四倍。以降、戦況分析を開始します》


 思わず足が止まった。


「……誰だ。頭の中で喋っているのは」


《遅ればせながら、ご挨拶申し上げます》


 声は頭の中で響いている。外には聞こえていないらしく、イゾルデも配信のカメラも反応していない。


《わたくしはエル。大精霊ヴァルナ様の配下の精霊にして、現在は主の内に宿る情報解析担当でございます。以後、お見知りおきを》


「……なるほど、ヴァルナさんの部下というわけか」


《さようでございます。主が一定の深層に踏み込んだことで、起動条件が整いました。遅くなり、申し訳ございません》


「イゾルデ。——ヴァルナさんの部下の精霊が、頭の中で喋り始めたんだが」


「ああ、エルにゃ」とイゾルデはあっさり言った。「ヴァルナ様が宿らせた情報精霊にゃ。役に立つにゃよ、たぶん」


「……その『たぶん』、というのが、正直一番不安なんだが」


《たぶん、ではなく確実に役立ちます。……ただし、主が聞く耳を持てば、の話でございますが》


 しれっとした一言だった。


「分かった、聞く耳は持とう。——ただし、余計なことは言わないでくれ」


《善処いたします》


 善処、か。柚葉と同じ言葉を使いやがった。


  *


 十層を超えたあたりから、視聴者数が急増し始めた。


 モンスターの強さが桁違いになっていて、イゾルデが獣人形態の本領を発揮し始めていた。俺も腕輪を一つ外して、半分ほど力を解放している。


【コメント欄】

鮭おにぎり:これ本当に10層……?

指摘警察:AIが作ったCGだろ

名無しさん:最近特に多いよな

攻略ガチ勢:モンスターのサイズがおかしくないか

匿名1号:仮面の人、腕輪外したら動き変わった

DD(誰でも大好き):イゾルデさんの戦い方がえぐい

魔神びいき:イゾルデ姉さん速すぎwww


「凪、あれにゃ」とイゾルデが前方を指した。


 通路の奥に、巨大な影があった。


《警告。前方より高エネルギー反応を検知。個体識別――『ストーンゴーレム』。推定レベル47。物理攻撃への耐性が高く、魔力攻撃が有効です。弱点部位は胸部中央の魔晶核》


「——ストーンゴーレム、か」


「凪、どうするにゃ?」とイゾルデが聞いた。


「ここは俺がやる。——イゾルデは下がって、配信カメラと視聴者の目を頼むぞ」


【コメント欄】

鮭おにぎり:え、一人で行くの?

攻略ガチ勢:ゴーレムだよ?レベル40以上じゃないの

名無しさん:仮面の人正気か

指摘警察:だからCGだってwww

匿名2号:そう見えないんだが


 魔導ブレードを抜いた。

 腕輪は一つ外した状態だ。レベル百程度あれば、こいつには十分足りる。


 魔力を刃に乗せた。青白い光が刀身を包む。


《追記でございます。胸部の魔晶核、直径約二十センチ。正確に狙えば一撃で機能停止します。……主の腕前を、信じておりますよ》


「……信じてくれるのはありがたいが、初陣の相棒に、そうプレッシャーをかけないでくれ」


《これは失礼いたしました》


 ゴーレムが動いた。地面を揺らす重い足音。石造りの巨体が、こちらに向かってくる。


 地を蹴った。


 ゴーレムの腕が薙ぎ払ってくる。体を低くして潜り抜け、胸部に向かって一直線に跳躍した。

 魔力を込めた刃が、魔晶核に突き刺さる。


 ゴーレムが、轟音と共に崩れ落ちた。


 石くずが舞い上がって、通路に静寂が戻った。


【コメント欄】

鮭おにぎり:は????

名無しさん:一撃!?

攻略ガチ勢:どういうレベルなの仮面の人

指摘警察:だからCG……じゃない?

匿名1号:腕輪外したら化け物になった

魔神びいき:イゾルデさんも動いてないし本人が強すぎる

DD(誰でも大好き):イゾルデ姉さんの勇姿が見たい

攻略ガチ勢:想定レベル50くらいだな

名無しさん:そんなレベル探索者、日本にいないってwww


「……おい、イゾルデ。腕輪のことを、視聴者に勘繰られ始めたぞ」


「言ってたにゃ。柚葉が」とイゾルデが笑った。「それより凪、ゴーレムのドロップ品にゃ」


 崩れ落ちたゴーレムの残骸に、光るものがあった。


 魔晶核の欠片と、見慣れない鉱石だ。


《ゴーレムの残骸より、上質な魔晶石と深層特産の重力鉱石を確認。重力鉱石は地上では未登録の素材です。市場価値は算定不能ですが、相当な高額が見込まれます》


「虚空格納」


 念じると、残骸が光の粒子となって消えた。全て、収納完了だ。


【コメント欄】

匿名2号:今なんかした?

鮭おにぎり:消えた?素材が?

名無しさん:スキル持ちか

攻略ガチ勢:どんな装備してるんだこの人


「虚空格納スキルにゃ」とイゾルデが視聴者向けに説明した。「生き物以外は何でも収納できるにゃ。魔神様の便利スキルにゃよ」


匿名1号:そんなスキルあるのか?

魔神びいき:魔神様www

鮭おにぎり:そのあだ名定着しそう

DD(誰でも大好き):イゾルデさんが可愛すぎて配信見続けてしまう


「魔神様、ね——」


 仮面の下で苦笑した。


「……まあ、嫌いじゃない響きだ」


  *


 二十五層まで降りたところで、俺たちは一度立ち止まった。


 5級探索者の単独潜入可能上限は十層まで。

 今の俺の免許では、この先は完全に「無許可」の領域だ。


《現在地、南大沢ダンジョン二十五層。周辺の魔力反応、安定しています。この層は未開拓区画が多く残っています》


「助かる。——これからも頼りにしているぞ、エル」


《……ありがとうございます。主に頼りにされると、少々、照れますね》


「情報精霊というのは、照れたりもするのか」


《わたくしにも感情はございます。……念のため申し上げますが、これは情報提供の範囲外です》


 なんとも言えないやつだ、と思いながら、通路の奥を見た。


 通路の空気が変わっていた。発光苔の色が深い青から蒼白に変わっていて、足元に魔力の靄が漂っている。誰も踏み込んでいない証拠だ。


「きれいにゃ」イゾルデが珍しく静かな声で言った。


「——ああ、本当に。こういう景色を、きれいだと思える時間が戻ってくるとはな」


 ぽろりと、そんな言葉がこぼれた。

 三年間、田所の下で朝から終電まで働いて、景色なんてものを見る余裕は一秒もなかった。

 あの頃の俺が、今の俺を見たら、信じないだろう。


【コメント欄】

名無しさん:これ……本物?

鮭おにぎり:CGじゃないよな

指摘警察:だからAIだってwww

攻略ガチ勢:誰も見たことない景色だ

匿名2号:25層以降ってこんなになってるの

Белая кошка:здесь никто не был... 誰も来たことがない場所だ


 視聴者数が、三百人を超えていた。


 配信を始めたときはゼロだったのが、ここまで来た。


「イゾルデ、——今日はこの辺で、一区切りにしておこう」


「なぁ~」とイゾルデが鳴いた。ちょっと残念そうだった。


「また来る。ここは逃げないから」


《賢明なご判断かと存じます。本日の採取素材は七種類、うち三種が地上未登録。収納済みです。お疲れ様でした、主よ》


「ご苦労、エル。——お前も、お疲れさま」


《……ありがとうございます。そのお言葉、素直に嬉しゅうございます》


 配信に向き直って、静かに告げた。


「——今日はここまでです。続きは、また次回、潜るときに」


 イゾルデが配信カメラの前に立った。


「お疲れ様にゃ! 今日も見てくれてありがとうにゃ! チャンネル登録と高評価をお願いしますにゃ!」


 三百四十一人に向かって言った。初めの一人から最後の一人まで、全員に聞こえるような声だった。


【コメント欄】

鮭おにぎり:絶対また見る

魔神びいき:魔神様wwwまた来てくれ

DD(誰でも大好き):イゾルデさんのファンになりました

迷える剣士:このチャンネルやばい


 配信を終了した。


 最終視聴者数、三百四十一人。登録者数、二百十七人。


 ゼロから始まって、一回の配信でここまで来た。


「——悪くない。いや、正直に言えば、想定よりずっと上出来だ」


 仮面の下で、久しぶりに、自分の声が少しだけ弾んでいた。


「なぁ~」とイゾルデが鳴いた。得意げに、尻尾を大きく揺らしながら。


《初回配信の成績としては、上位一パーセント以内かと存じます。……主の計画、なかなかどうして、見事でございます》


「お世辞はいらない」


《事実を申し上げているだけです。……ただ、欲を言えば、もう少し早く計画を立てていただければ、わたくしの出番も増えましたのに》


「——それは、文句か?」


《滅相もございません。感想でございます》


 南大沢ダンジョンの出口をくぐりながら、仮面の下で、小さく笑った。


 エルというのは、なかなか面白い精霊だ。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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