第4話 新宿の協会本部と、見知らぬ金髪
探索者協会の関東本部は、新宿にある。
南口から歩いて十分。かつては大型商業施設だった建物を丸ごと改修して、ダンジョン庁の出先機関として使っている。外壁に「探索者協会 関東本部」と刻まれたプレートが嵌め込まれていて、入口には制服姿の警備員が二人立っていた。
建物を見上げて、俺は少し息を吐いた。
三日前に戸籍が「十七歳」に書き換えられた。腕輪を両手首に嵌めて、表向きのレベルは10。
「イゾルデ」
「なぁ~」
「元ブラック企業の三十五歳が、高校生の顔で探索者免許を取りに来た。どう思う」
「別に変じゃないにゃ」とイゾルデは即答した。「見た目が若いだけにゃ。中身は立派なオジサンにゃ」
「オジサンって言うな」
「事実にゃ」
「行くにゃ」と肩のイゾルデが言った。
俺は入口に向かった。
*
一階のロビーは広かった。
天井が高く、中央に大きな案内板が設置されている。免許申請、試験申込、資源売買、クラン登録——それぞれの窓口が色分けされていて、どこへ行けばいいかは一目で分かりやすい。免許申請は左奥の窓口だ。
ロビーには探索者らしき人間が何人もいた。装備を持ったまま受付に並んでいる者、仲間と何かを話し合っている者、壁際でスマホを見ている者。年齢層は幅広いが、共通しているのは全員どこか「場慣れしている」雰囲気を纏っていることだ。
その中で、一人だけ異質な存在が目に入った。
白銀に近い金髪。長身。凛とした横顔。二十代前半と思われる女性が、壁際で腕を組んで立っている。装備は軽装だが質が高い。片手剣を腰に提げている。外国人だろうか。日本の探索者協会のロビーで、周囲と一切馴染もうとせずに佇んでいる。
「強い人間にゃ」と肩の上でイゾルデが小さく言った。
「分かるのか」
「なぁ~」
視線が合った。
青灰色の目が、俺を一瞥して、すぐに外れた。値踏みするでも敵視するでもなく、ただ「関係ない」という目だった。
まあ、そうだろうな。
俺は視線を外して、免許申請の窓口に向かおうとした。
その時だった。
「だから言ってんだろ。この辺はうちのクランの縄張りなんだよ」
声が上がった。
振り向くと、窓口の脇の開けたスペースに人が集まっていた。いや、正確には——集まらされていた。
中心にいるのは三十代くらいの男だ。がっしりした体格で、胸元に見慣れないエンブレムをつけている。青い盾に金の縁取り。その周りに、同じエンブレムの男が二人。
取り囲まれているのは——さっきの金髪の女性だった。
腕を組んだまま、表情一つ変えていない。ただ、目が完全に冷えている。
「縄張りというのが、ここが協会の施設内ということを理解した上での発言か」と女性が言った。日本語は流暢だが、発音に外国語のなまりが混じっている。「だとすれば、あなたたちはかなり馬鹿だ」
男の顔色が変わった。
「……なんだと」
「事実を言った。気に入らないなら証明してみせろ」
周りの探索者が横目で見ているが、誰も動かない。女性は明らかに劣勢な状況なのに、一歩も引いていなかった。それどころか、むしろ煽っている。
俺は少し考えてから、動いた。
「すみません、連れが失礼しました」
男たちの間に割り込んで、女性の隣に立った。
「……は?」と女性が俺を見た。明らかに心外そうな顔だ。「あなた、私の連れではない」
「今からそういうことにしてください」と俺は小声で言った。「三対一より三対二の方がいいでしょう」
女性が一瞬だけ黙った。
「……続けろ」と女性は短く言った。連れという前提を、渋々受け入れたらしい。
俺は男たちを見た。
「縄張りというのは理解できるんですが、協会の施設内でやる話じゃないですよね。揉め事になったら双方の免許に関わる。それはお互い困るんじゃないですか」
男が俺を見下ろした。十七歳の外見の俺を、品定めする目で。
「ガキが口出してんじゃない」
「俺、今日免許取りに来たんですよ。こんなところで揉め事に巻き込まれたくないのは本音で」
拍子抜けしたような顔になった。喧嘩を売っているのではなく、単純に面倒ごとを避けようとしている、と判断したのだろう。
*
ロビーの少し奥、柱の陰に二人の男が立っていた。
エンブレムはつけていない。しかしただそこに立っているだけで、周囲の空気が微妙に変わる。一人は四十代くらいの、油の浮いた愛想笑いを張り付けたような男。もう一人は三十代、無表情で、視線だけが妙に鋭い。
二人は揉め事を眺めながら、介入しようとしていなかった。我関せず、というより——値踏みするように眺めている。
何かある、と思った。あの二人と、絡んでいる連中は繋がっている。
無表情の男と、一瞬だけ目が合った。男は表情を変えなかったが、俺を上から下まで一度だけ見た。それだけだった。
*
「おいおい、みんな仲良くしようよ」
軽い声が割り込んできた。
人垣の外から歩いてきたのは、二十代後半くらいの男だ。背が高く、軽装の探索者ウェアをラフに着こなしている。笑顔が軽薄そうで、しかしどこか掴みどころがない。胸元には青い盾のエンブレム——同じクランだ。
「ここダンジョンの外だよ? モンスターより怖いのが探索者同士ってのは、さすがに格好悪くない?」
「塚田さん」と絡んでいた男が、声のトーンを変えた。「これはこちらの話で——」
「俺も同じクランだから、こちらの話でしょ」と塚田と呼ばれた男は笑いながら言った。笑顔のまま、しかし目が笑っていない。「まあいいじゃないですか、今日のところは。ね?」
男が口を開きかけて、閉じた。
塚田が女性の方を向いた。
「ごめんね、うちの連中が失礼しました。ここ、普通に使っていいから」
「最初からそうするつもりだった」と女性は言った。一切愛想がない。
塚田が少し笑った。本物の笑みかどうか、判断がつかなかった。
人垣が散り始めた。
「君、さっき割り込んできたよね」
声が飛んできた。振り向くと、塚田が俺を見ていた。にやにやした顔で。
「連れが迷惑をかけたと思って」
「ふうん」と塚田は言って、俺の両手首を一度だけ視線で撫でた。「その腕輪、面白いね。両方つけてるの珍しい」
「魔道具ですよ。それだけ」
「そっか」と塚田は言って、それ以上は聞かなかった。「まあ、探索者生活、頑張ってね」
背を向けて歩いていった。
掴みどころがない、と思った。善意で動いているのか、計算で動いているのか、判断がつかない。ああいう人間は、少し苦手だ。
*
人垣が完全に散ると、金髪の女性が俺を見た。
「助かったとは言わない」と女性は言った。「あの程度、自分で何とかできた」
「そうでしょうね。ただ、三対一は消耗する。三対二の方が効率的だと判断しました」
「……合理的な言い方だ」
女性がわずかに目を細めた。敵意ではなく、値踏みでもなく——少し意外そうな目だった。
「ソフィア」と女性は言った。苗字は言わなかった。「あなたは」
「神楽凪。今日、免許を取りに来た」
「新人か」
「まあ、そういうことになります」
「忠告しておく」とソフィアは言った。「今の連中、ブルーブラッドという。新貴族が作ったクランだ。関わらない方がいい。あなたには」
あなたには、という最後の一言に、俺の力量を低く見ているニュアンスがあった。まあ、外見上は十七歳の新人だから無理もない。
「忠告、ありがとうございます」
「お礼を言われるようなことは言っていない」
ソフィアはそれだけ言って、踵を返した。迷いのない足取りで、ロビーの出口に向かっていく。
イゾルデが俺の肩の上で、ソフィアの背中を目で追っていた。
「なぁ~」と小さく鳴いた。
「知り合いか?」と俺は小声で聞いた。
イゾルデは答えなかった。ただ尻尾を一度だけ揺らして、ソフィアが出口を抜けるまで視線を外さなかった。
*
免許申請の窓口は、思ったより空いていた。
番号札を取って五分ほど待つと呼ばれた。
「お待たせしました、神楽凪さん」
受付の女性が書類を確認しながら言った。年齢確認の視線が、俺の顔と書類の間を往復している。若い、と思われているのが分かった。まあ、若いんだが。
適性検査は別室で行われた。
聖遺物の測定器に手を当てて、魔力と身体能力を計測するやつだ。腕輪を両方つけたまま測定に臨んだ。
結果は、レベル10。身体能力は人間の基準値より少し上。魔力反応あり。
「6級探索者として登録します」と検査員が言った。「問題ありませんか」
「はい」
「免許証を発行しますので、少々お待ちください」
しばらくして、免許証が出てきた。
神楽凪、6級探索者。
写真付きの、正式な探索者免許証だ。
こんなものを手にする日が来るとは、数か月前は思っていなかった。田所に責任を押しつけられて追い出されて、先が見えなかったあの頃には、想像すらしていなかった。
「南大沢ダンジョンに潜られる予定ですか」と検査員が言った。
「そのつもりです」
「南大沢は特別区内の探索者協会支部で管理しています。潜る際は事前に計画書の提出が必要になりますので、支部の受付窓口へどうぞ」
お役所らしい手続きだな、と思いながら、俺は免許証を受け取った。
*
俺はロビーを出た。
新宿の空気が、ひんやりとしていた。
新貴族。ブルーブラッド。柱の陰の二人。塚田という名の掴みどころのない男。そしてソフィアという名前の金髪の女性。
探索者になって最初の日に、早速いろいろなものを目撃した。
「あの二人、感じ悪かったにゃ」と肩のイゾルデが言った。
「だろ。名前、調べといた方がいいかもな」
少し間があった。
「ソフィアのことが気になるにゃ?」とイゾルデが聞いた。
「そういう意味じゃない」と俺は答えた。「ただ——あいつ、強そうだったろ」
「なぁ~」
イゾルデの尻尾が、一度だけゆっくりと揺れた。肯定なのか否定なのか、この場合は判断がつかなかった。
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