第25話 文献の行方と、動き出す盤面
ヴァルナのもとから戻った翌々日、アリスから連絡が来た。
「お話があります。彰彦の家に来ていただけますか。急ぎです」
急ぎ、という言葉をアリスが使ったのは初めてだった。
その夜、代々木上原の別邸に向かうと、彰彦さんとアリスが揃って待っていた。アリスの顔がいつもより張り詰めていた。
「座ってください」と彰彦さんが言った。
俺とイゾルデがソファに腰を下ろすと、アリスが口を開いた。
「エーリス関連の文献が狙われています」
俺は少し身を乗り出した。
「どこから」
「大公です」とアリスは言った。「エルマキシム大公。彼はエーリスの古文書を長年収集しています。その中に、スサノオに関する記述が含まれる文献があります。一条家が保管しているものです」
彰彦さんが続けた。「一条家の文書管理システムに、先週から不審なアクセスが複数回ありました。外部からの探索です。プロが使う手法で、痕跡を消しながら特定の文献データを探している形跡があります」
「スサノオの記述が狙いだとすると。大公は俺のことを調べている」
「可能性が高いです」アリスは俺をまっすぐに見た。「凪さん、正直に教えてください。大公は、あなたの正体にどこまで近づいていると思いますか」
俺はエルに問いかけた。
《大公が把握している情報を推測します》とエルが静かに言った。《仮面の配信者が規格外の実力を持つことは、配信を通じて広く知れ渡っています。ただし、神楽凪という個人との紐付けは現時点では確認できていません。ただ——》
「ただし?」
《楠木壱成が一定の情報を持っています。彼が大公に報告していれば、話が変わります》
俺は彰彦さんを見た。
「楠木の動向は掴めていますか」
「断片的には……ただ、彼は大公への報告を意図的に遅らせているようです。何かを迷っている。そう見ています」
少しの間、沈黙があった。
「文献の方はどうしますか」と俺は聞いた。
「物理的に移動させます。デジタルデータのアクセスを遮断して、原本を別の場所に移す。ただ、それだけでは根本的な解決にはなりません。大公が動いているということは、次の手がある」
「次の手というのは」
「文献が手に入らないなら、直接情報源を狙う。つまり——凪さん本人か、あるいは凪さんの周囲の人間です」
イゾルデの尻尾がゆっくりと揺れた。
「柚葉のことですか」声が少し低くなったのが分かった。
「その可能性があります」とアリスは言った。静かに、しかしはっきりと。「凪さんが表向き何者かを大公が調べているなら、戸籍上の家族は最初に洗われます」
《現時点で、柚葉さんへの直接的な監視は確認していません》とエルが言った。《ただし、彰彦さんの婚約者という立場は公知情報です。一条グループを通じた間接的な接触は考えられます》
「柚葉には話した方がいいですか」と俺は彰彦さんに聞いた。
「今すぐは必要ないと思います。ただ、行動に気をつけるよう、遠回しに伝えておくことはできます。私から柚葉に言っておきます」
「頼みます」
俺は少し息を吐いた。
動いてきた。じわじわとではなく、具体的に。文献へのアクセス、周囲への監視の可能性。盤面が動き始めている。
「如月さんに連絡します。情報共有のタイミングだと思います」
「同意します」と彰彦さんは言って、少し目を細めた。「ただし、如月さんに渡す情報の範囲は慎重に。彼は正義感の強い人間ですが、ダンジョン庁の人間でもある」
「分かっています」
*
別邸を出て、夜の代々木上原を歩いた。
イゾルデが肩の上で「難しくなってきたにゃ」
「そうだな」
「凪は怖くないにゃ?」
俺は少し考えた。
「怖くないといえば嘘だ。ただ——怖いのと、動けないのは別の話だ」
「なぁ~」とイゾルデは低く鳴いた。
《よろしければ》とエルが言った。《如月さんへの連絡文を一緒に考えましょうか。渡す情報と伏せる情報の仕分けが必要です》
「頼む」
*
翌日の午前中、如月透からメッセージが来た。俺が連絡する前に、向こうから動いてきた形だ。
「お話があります。場所はどこでも。今週中に時間を作れますか」
《タイミングが重なりましたね》
「向こうも動いた理由があるはずだ」と俺は返した。「会ってみないと分からない」
南大沢支部の近くの喫茶店を指定して、翌日の昼に設定した。
*
如月は一人で来た。
いつものスーツ。眼鏡の奥の目は落ち着いていたが、少し疲れた色があった。
「先に話してもいいですか」と如月が言った。席に座るなり、だった。
「どうぞ」
「田所慎二という人物を知っていますか」
俺は表情を変えなかった。
「知っています」「元の職場の上司です」
「そうですか」と如月は言って、少し目を細めた。「先週から、田所が村神康彦の周辺で動いています。具体的には——ダンジョン庁の内部システムへの不正アクセスを試みた形跡があります。田所はシステムエンジニアです。村神側に使われているとみています」
《エルの観測と一致します》と頭の中でエルが言った。
「不正アクセスの目的は何だと見ていますか」と俺は如月に聞いた。
「探索者の個人情報です。住所、家族構成、収入、レベル。スカウト——あるいは脅しに使える情報を集めている可能性が高い」
俺は少し間を置いた。
「田所が俺の元上司だということは、俺のことも調べているかもしれませんね」
「その可能性はあります」如月は俺を見た。「それを踏まえた上で聞きますが——神楽さん、あなたは田所に心当たりがありますか。接触してきたとか、動きが変だとか」
「今のところはありません」と俺は答えた。「ただ、教えていただいたことで用心できます。ありがとうございます」
「お礼を言うのはこちらです」如月はコーヒーカップを手に取った。「第四回の配信で、新貴族の行動を記録として残してくれた。あれが、庁内で動けない人間たちの背中を押しました。表には出ませんが、如月の部下も二人が動き方を変えた」
「役に立てたなら」
「役に立った」如月は少し間を置いた。「配信の影響力は、思った以上に使えます。これからも——続けてください」
《補足情報があります》とエルが静かに言った。《本日のアーカイブコメント欄に、これまでと質の異なるコメントが散見されています。いわゆる荒らしに近い書き込みが、新しいアカウントから複数投稿されています。特定のパターンが見られるため、組織的な可能性があります》
「新貴族側か」
《確認中ですが、可能性は高いと思われます》
如月がそれを横で聞いていた。少し表情が変わった。
「……配信に圧力をかけようとしているなら、むしろ動いている証拠です。続けることに意味がある」
俺はテーブルの上で、指を組んだ。
渡す情報と伏せる情報。エルと昨夜整理したことを、頭の中で確認した。
「一条家の文書管理システムへの不審なアクセスが先週複数回あった。特定の文献を探している形跡がある。大公の動きと見ています」
如月の目が、わずかに鋭くなった。
「一条グループが把握しているんですか」
「はい。情報源の詳細は言えませんが、信頼できる筋です」
「文献の内容は」
「歴史的な文書です。それ以上は言えない」
如月がしばらく俺を見た。
「……あなたは、何を守ろうとしているんですか」責めている口調ではなかった。ただ、純粋に聞いている声だった。
「それで——神楽さんの方の話を聞かせてください」
「この国が誰かに乗っ取られると困る」と言った。「それだけです」
「それだけ、か」と如月は繰り返した。
コーヒーカップを置いて、如月は少し笑った。
「一度目に会ったとき、同じことを言っていましたね」
「本当のことなので」
「本当のことだから何度言っても同じ言葉になる、か」如月はノートを開いた。「分かりました。田所の動向と、一条グループへのアクセス、両方を結んで調べます。何か動きがあれば連絡します」
「こちらも同様に」
*
喫茶店を出ると、空が曇っていた。
《田所の動きと大公の動きが、如月さんの調査の中で繋がり始めます》とエルが言った。《思ったより早い展開です》
「そうだな」
イゾルデが肩の上で「田所、そろそろにゃ?」
「そろそろだ」と俺は答えた。
その声が、少しだけ低かったことに、自分でも気がついた。
★ここまで読んでいただき、ありがとうございます。★
ティータイム・ストーリー(ソフィア編)も好評だったので(?)
今夜も閑話として「ティータイムストーリー(聖羅編)」を
三話連続でお届けします。聖羅の可愛さが爆発します。
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