ティータイム・ストーリー(ソフィア編) 第2話:コメント欄の「白猫(ベラヤ・コシュカ)」
深夜二時。ソフィアは自室の壁一面を覆う巨大なマルチモニターの前で、一人、戦場に立っていた。
モニターに映し出されているのは、『黒猫ちゃんねる』の最新アーカイブ動画。 画面の中では、黒いマスクをつけた魔神(凪)が、三体のオーガを相手に舞うように立ち回っている。
一般の視聴者たちは「魔神様かっけえ!」「人間じゃない!」と熱狂的なコメントを流しているが、ソフィアの目はそれらを一切無視し、凪の足首の角度、肩の入り方、魔力の残渣、そのすべてをフレーム単位で解剖していた。
「……今のところ、回避のタイミングがコンマ一秒遅い。重心の移動が不安定。あそこで氷属性を選択したのは、左翼の逃げ道を塞ぐため? いえ、単なる判断ミスね」
彼女は無表情のまま、キーボードを叩く。 ハンドルネーム、Белая кошка(ベラヤ・コシュカ)。 ロシア語で「白猫」を意味するその名は、いまや『黒猫ちゃんねる』のコメント欄において、もっとも厄介で、もっとも正確な「理論派クレーマー」として恐れられていた。
『 Белая кошка:15分20秒の回避。左足の重心移動が0.5センチ右に寄っている。技術的に言えば、新貴族の精鋭なら今の隙を突いて首を落としていた。基礎から修行し直しなさい。』
一秒と経たずに、激しい反論がポップアップする。
『 カネゴン:ちょっと、そこの生意気な白猫さん! 女神の側にいるからこそ、魔神様の回避は成立しているんですのよ! あなたのような重箱の隅をつつくモブ素人は、その節穴な目を持ってログアウトなさい! 百万スパチャしますわ! 』
ソフィアの眉が、ピクリと動く。
『 Белая кошка:黙りなさい成金。あの回避技術は一種の芸術。それを理解できないあなたが、一番の素人。女神への執着で目が曇っているのではないかしら? 』
『 カネゴン:なんですってぇぇ!? 明日の配信、震えて待っていなさいな! 私がどれだけ女神を愛しているか、金額で示してあげますわ! 』
スマホを閉じると、自室には再び静寂が戻る。
ソフィアは熱くなった頬を、冷たい手のひらで押さえた。
なぜこんな、顔も知らない金持ちの娘とレスバを繰り広げているのか。自分でも分からない。ただ、あの「魔神」の戦い方を正しく理解できるのは自分だけだという、奇妙な独占欲のようなものが、彼女の胸を焼いていた。
ふと、先日協会近くのベンチで、凪が肩の上の黒猫をそっと撫でながら「よう」と声をかけてきた時のことを思い出した。
ソフィアは無意識に、自分の頭を自分の手で撫でてみた。冷たい。あの黒猫が目を細めたような、体温を感じる温かさはない。
「…………」
虚しさがこみ上げ、彼女は顔を真っ赤にしてベッドの枕に顔を埋めた。 明日は、直接文句を言いに行こう。そう、あの「右に寄った剣筋」と、昨日届いた「安物のティーバッグ」の正しい淹れ方について。
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