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第23話 代理人と、雨の南大沢

 アビスゲートからメッセージが届いたのは、配信の翌朝だった。


 送信者は「エージェント・K」。プラットフォームの匿名メッセージ機能を経由している。内容は短かった。


「命泉の出品者とお話がしたい。価格は問わない。急いでいる。」


 俺はメッセージを三回読んだ。


「エル」


《把握しています》とエルが言った。《送信元を追いました。中継を五層経由していますが、最終的な発信地はシンガポールです。エージェント・Kは複数の富豪の代理業務を行うブローカーです。過去にアビスゲートで複数の高額取引を成立させた実績があります》


「急いでいる、か」


《命泉を必要とする状況が発生している、ということかと。末期の患者がいるか、あるいは時間的な制約がある依頼人がいるか》


 イゾルデが「売るにゃ?」と聞いた。


「考える」と俺は答えた。


 命泉の手持ちは、昨日聖羅に使った分で残り一個になった。


 売れば数十億になる。ただ——今の手元に一個しかない状態で手放すのが正しいかどうか。次に採取できる保証はない。緊急で必要な人間がいるなら、価値は金だけで測れない。


《ご参考までに》とエルが言った。《エージェント・Kは交渉の余地があるタイプのブローカーです。即決を求めているわけではなく、まず話がしたいという打診です。返答を保留しても問題はないかと》


「一週間待ってもらう。それで動けるかどうか判断する」と俺は言って、返信を入力した。


 送信して、スマホを置いた。


 窓の外は雨だった。


  *


 午後、雨の中を南大沢に向かった。


 今日は配信なしの素材採取だ。アビスゲートに出品する候補を増やしておきたい。命泉の採取も、できれば今日試みたい。深層でしか取れない素材なので、五十層以降に踏み込む必要がある。


《南大沢ダンジョン、本日の潜入者数は通常より少ないです。雨天のためかと》とエルが言った。


 受付で計画書を提出すると、坂崎さんが窓口にいた。


「雨の日に来るんですね、神楽さん」と坂崎さんが言った。


「空いてる方が動きやすいので」


「確かに」坂崎さんはスタンプを押した。「昨日の配信、見ました。カネゴンさんまた豪快でしたね」


「……知ってるんですか、カネゴンを」


「登録者五十万のチャンネルですよ。支部の中でも話題になってます」坂崎さんは少しだけ笑った。「後ろのモブ、いつ退場するんでしょうね」


「しません」


「ですよね」


 坂崎さんが楽しそうに笑っていた。


  *


 十八層まで降りたところで、前方に人の気配があった。


 通路の奥、広めの空間に出たところで、状況が見えた。


 ソフィアが一人で立っている。


 向かいに、三人組がいた。探索者の装備を着ているが、戦闘姿勢ではない。ただ、立ち位置が通路を塞ぐように広がっている。


「クラン未所属の外国人探索者さんよねえ」と三人のうち一人が言った。馴れ馴れしい口調だった。「この層、うちのクランの縄張りなんですよ。使用料、払ってもらわないと」


「ダンジョンに縄張りはない」日本語は堅いが、声は静かだった。「不当な要求には応じない」


「外国の方は事情が分からないんですよねえ。これが日本のやり方でして」


《三人のバッジを確認しました》とエルが言った。《全員4級。所属マークは「高貴なる執行官」——ブルーブラッド傘下のパーティーで、楠木壱成がリーダーを務めています》


 楠木の部下か。


 俺は少し考えた。楠木本人ではなく、末端の構成員が縄張り荒らしをやっている。楠木がこれを把握しているかどうかは分からない。ただ、この三人がここにいること自体は偶然ではないかもしれない。


「すみません」と俺は前に出た。「通してください」


 三人が振り返った。俺のバッジを見た。一人が鼻で笑った。


「5級か。関係ないだろ、あんた」


「関係あります」「この人、俺の連れです」


 ソフィアが俺を見た。一瞬、目が細くなった。


「……また来たのか、あなた」


「また来ました」


 三人組が顔を見合わせた。5級と外国人の組み合わせを、どう処理するか計算している顔だ。


「二人まとめて払ってもらえれば」


「払いません」「この層に縄張りを設定する権限が、どのクランにもないことは協会規則の第十二条に明記されています。それでも続けるなら、今日の配信で話題にします」


 三人が固まった。


「……配信?」


「俺は配信者です」「登録者が五十万人いる。今日の出来事を配信で話すことになりますが、構いませんか」


 三人が顔色を変えた。


 一人が「今日のところは」と言いかけた。


「結構です」と俺は遮った。「今すぐ退いてくれれば、それで終わりです」


 三人は無言で通路を空けた。足早に立ち去っていく。


 ソフィアが俺を見た。


「……また助けた」


「そうなりました」


「私は頼んでいない」


「知ってます」「ただ、面倒な場面を通り過ぎたかっただけです」


 ソフィアが少しの間、俺を見ていた。


「嘘だ」と短く言った。


「……どこが」


「面倒を避けたいなら、最初から前に出ない。あなたはいつも、先に動く」


 俺は何も言わなかった。


 ソフィアが前を向いた。


「一緒に行く」と唐突に言った。


「え」


「今日、私は二十層まで降りる予定だった」ソフィアはこちらを振り向かずに歩き始めた。「さっきの三人がまだこの層にいるかもしれない。一人より二人の方が効率がいい。それだけだ」


「それだけ、か」


「それだけよ」


 イゾルデが肩の上で「なぁ~」と静かに鳴いた。


 俺はソフィアの後ろについて歩き始めた。


  *


 二十層まで降りる間に、いくつかのモンスターと遭遇した。


 ソフィアの戦い方を初めて近くで見た。


 片手剣と魔力の組み合わせ。近接と魔法の切り替えが速い。無駄がない。新宿でブルーブラッドに割り込んだ時には分からなかったが、実際に動いているのを見ると水準がよく分かる。本物の1級だ。


「強いな」


「知っている」とソフィアは即答した。


 俺は少し笑った。


「謙遜しないのか」


「事実を言っただけだ」ソフィアは剣を鞘に戻した。「あなたも強い。さっきのデバフ、声に出さずにかけていた。聞こえなかった」


 俺は少しだけ固まった。


「気づいたのか」


「動きが変わった。モンスターの。あなたが何かした後で」


《ソフィアさんの観察眼、侮れません》とエルが言った。


 俺はソフィアを見た。ソフィアも俺を見ていた。


「聞かないのか? どうやったかを」


「聞かない」とソフィアは言った。「人には事情がある。私もある。そういうものだ」


 しばらく沈黙があった。


「……一つだけ聞いていいか」


「何だ」


「日本に来て三か月、クラン未所属で動いている。理由は」


 ソフィアが少し間を置いた。


「合うところがなかった」と短く言った。「強いところは方針が合わない。方針が合うところは弱い」


「それは」


「分かっている」ソフィアは前を向いた。「難しい条件だと。……ロシアにいた頃は、パーティーがあった。仲間がいた。それを失ってから、一人で動く方が楽だと思っていた」


 少し間があった。


「思っていた、か」


「過去形だ」とソフィアは短く言った。それ以上は続けなかった。


 イゾルデが肩の上で「うちに来るにゃ」と小声で言った。


 俺はイゾルデを見た。


「……勝手なことを言うな」


「事実にゃ」イゾルデはソフィアを見た。「ねえ、ソフィア。うちのパーティー、方針は合いそうにゃ?」


 ソフィアがイゾルデを見た。


 長い沈黙があった。


「……猫に勧誘されるとは思わなかった」かすかに、口元が動いた。笑いをこらえているような表情だった。


「検討する」


 それだけ言って、ソフィアは二十層への階段を降りていった。


  *


 夜、ペントハウスに戻ってエルからの報告を聞いた。


《一点、ご報告があります》とエルが言った。《田所慎二さんの動向について》


 俺は少し姿勢を正した。


「何だ」


《以前、彰彦さんが法的に決着をつけた後、田所さんは一時おとなしくしていました。しかし今週から、村神康彦(むらかみやすひこ)の周辺人物と接触が始まっています。具体的には、村神クランが経営に関与している飲食店に、週三回のペースで通っています》


「村神に取り込まれ始めた、か」


《まだ確定ではありません。ただ、接触の頻度と相手の素性を考えると、何らかの関係が始まっている可能性が高いです》


 俺は窓の外を見た。雨はまだ続いていた。


「如月さんに伝えた方がいいか」


《タイミングとしては、まだ早いかもしれません。証拠にならない段階で動くと、如月さんの調査の邪魔になる可能性があります。もう少し泳がせてから、情報をまとめて渡す方が有効かと》


「分かった。引き続き見ておいてくれ」


《承知しました》


 イゾルデが窓枠に座って、雨粒が流れるガラスを眺めていた。


「ソフィア、来るかにゃ」と独り言のように言った。


「どうだろうな」と俺は答えた。


「来るにゃ」とイゾルデは断言した。「確信があるにゃ」


「根拠は」


「ボクの勘にゃ」


《精霊の勘は、人間の勘より精度が高い傾向にあります》とエルが言った。《参考までに》


 俺は何も言わなかった。


 ただ、悪い予感ではなかった。


★ここまで読んでいただき、ありがとうございます。★

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