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第22話 三十億の借りと、カネゴンの午後

 明け方に目が覚めた。蛍光灯の夢だった。内容は覚えていない。ただ、田所の声だけが耳に残っていた。


 イゾルデが枕元で丸まっていた。金色の目が薄く開いて、俺を見た。


「……なんでもない」


「なぁ~」と小さく鳴いた。なんでもなくない、と言いたげだった。


 目を閉じた。次に起きたときには朝になっていて、インターフォンが鳴っていた。


 時刻は十時。配信の準備をしていた俺は、モニターを確認して少し固まった。


 エントランスの映像に、プラチナブロンドの人物が映っていた。


 白いコートを着て、まっすぐ前を向いている。背後に黒いSUVが一台。運転手が脇に立っている。


「……エル」


《北条院聖羅さんです。間違いありません》


「なんで住所を」


《一条グループが管理する物件です。彰彦さんを通じて調べた可能性が高いです。あるいは——》


「あるいは?」


《カネゴンのアカウントから、主の居住エリアを六本木と推測していた可能性もあります。こちらの物件は一条家所有として業界内では知られているので》


 イゾルデが窓から顔を上げた。「カネゴンにゃ?」


「たぶん」


「なぁ~」とイゾルデは嬉しそうに言って、耳をぴくぴくさせた。


 俺は解錠ボタンを押した。


  *


 ドアを開けると、聖羅が立っていた。昨日のアーマー姿とは違う。白いコートに、襟元が詰まった黒のワンピース。髪を高く結い上げている。財閥令嬢という言葉がそのまま形になったような格好だ。


「神楽凪」と聖羅は言った。昨日と変わらない、凛とした声だった。「上がらせてもらうわ」


「どうぞ」


 聖羅が部屋に入った。リビングを見回した。夜景が一面に広がる窓を見た。それからソファを見て、テーブルを見て、肩の上の黒猫を見た。


 黒猫——イゾルデが「にゃあ」と鳴いた。


 聖羅の表情が、一瞬だけ変わった。ほんのわずかに、目が和らいだ。


 ただしすぐに戻った。


「猫がいるのね」


「相棒です」


「……そう」と聖羅は言って、ソファに腰を下ろした。俺も向かいに座った。


「昨日のことで来ました」と聖羅は言った。「三十億の借りは返すと言った。約束は守る」


「返さなくていいと言いました」


「聞いていないわ」と聖羅は即答した。「私の流儀の話よ。あなたの意向は関係ない」


 俺は少し間を置いた。


「……では、何を返すつもりですか」


「それを決めに来たの」と聖羅は言って、俺をまっすぐに見た。「あなたが必要としているものを教えなさい。私にできることなら何でもする」


「何でも、というのは」


「文字通りよ」


 俺はしばらく考えた。


 聖羅が「何でも」と言っている。北条院財閥の令嬢が言う「何でも」は、相当な意味を持つ。法的な後ろ盾、業界内の情報、財閥のネットワーク——使いようによっては彰彦さん以上の価値がある場合もある。


 あと、さっきから「何でも」という言葉の温度がじわじわ上がっている気がするのだが、それについては考えないことにした。


「一つだけ、お願いできますか」


「言いなさい」


「新貴族の動きについて、北条院家が把握していることを教えてください。特に、一般の探索者や市民への被害事例があれば」


 聖羅が少し黙った。


「……なぜそれを」


「理由は聞かないでください。ただ、俺が必要としているのはそこです」


 聖羅はしばらく俺を見ていた。値踏みする目ではなかった。何かを考えている目だった。


「分かった」と聖羅は言った。「一週間以内に資料をまとめる。ただし——」


「ただし?」


「あなたも一つ答えなさい」と聖羅は言って、少し身を乗り出した。「昨日、あなたはヘクサドレイクを倒した。腕輪を外した後の動き、私は見ていた。5級探索者の動きではなかった。あなたの本当のレベルはいくつ?」


 俺は少しの間、聖羅を見た。


「答えられません」


「なぜ」


「答えると、あなたが困るかもしれないから」


 聖羅が眉を上げた。


「……どういう意味よ」


「そのうち分かります」と言った。「今は、これだけ言えます。敵ではありません」


 長い沈黙があった。


 聖羅がゆっくりと背もたれに体を預けた。


「一条と組んでいるの?」


「関係はあります。ただ一条グループの一員というわけではありません」


「……ますます分からないわね」と聖羅は言って、少し息を吐いた。「いいわ。今日のところはそれで納得する。ただし——」


 聖羅が俺をまた見た。


「次に新貴族と揉めるときは声をかけなさい。ヴァルキリーを動かせる」


「それは頼もしい」


「当然よ」と聖羅は言って、立ち上がった。


 イゾルデが「行くにゃ?」と声をかけた。


 聖羅がイゾルデを見た。また一瞬だけ表情が和らいだ。


「……猫、触っていい?」


「どうぞ」


 聖羅がイゾルデの頭に手を伸ばした。イゾルデが目を細めた。「んにゃ~」と低く鳴いた。


 聖羅の手が、耳のあたりを撫でた。


「……柔らかい」と聖羅は小さく言った。独り言のような声だった。


 それから我に返ったように手を引いた。


「では失礼するわ」


 聖羅が玄関に向かった。俺は見送りながら、イゾルデの耳が少し赤くなっているのを確認した——いや、猫の耳は赤くはならないか。


 ドアが閉まった。


《たいへん興味深い訪問でございました》とエルが言った。


「何が」


《カネゴンである可能性が高い人物が、配信の魔神様の自宅に来た。本人は気づいていない。構造的にたいへん面白い状況です》


「面白がるな」


《失礼いたしました。……ただ、一点ご報告があります》


「何だ」


《訪問中、聖羅さんのスマホに配信の通知が入りました。黒猫ちゃんねるの次回配信予告の通知です》


「それが」


《聖羅さんの口元が、ほんのわずかに動きました。笑顔に近い表情でした。直後に表情を消しておられましたが》


 イゾルデが「なぁ~」と満足そうに鳴いた。


 俺は何も言わなかった。


  *


 その夜、第五回配信を始めた。


 登録者数は五十万を超えていた。


「黒猫ちゃんねる、はじまるにゃ!」とイゾルデが宣言した。「今日はコメント欄も盛り上がってほしいにゃ!」


【コメント欄】

鮭おにぎり:きたああ

DD(誰でも大好き):イゾルデ姉さん今日も最高

魔神びいき:登録者50万おめでとう

攻略ガチ勢:今日はどこまで行くの

迷える剣士:待ってました


 配信が始まって十分後、スパチャの通知が入った。


 カネゴン、百万円。


 コメント:「イゾルデたんの猫耳がまた進化していた気がする。耳毛の密度が上がっていない? 専門家として言わせてもらうけど今日の毛並みは過去最高よ。後ろのモブは相変わらず邪魔だわ。退場させなさい」


 イゾルデが画面を見て、尻尾をぴんと立てた。


「カネゴンにゃ!!」とイゾルデが叫んだ。「ありがとうにゃ!! 耳毛は毎日手入れしてるにゃ!!」


【コメント欄】

鮭おにぎり:また100万!?

DD(誰でも大好き):カネゴンさん太っ腹すぎる

名無しさん:耳毛の密度って何

攻略ガチ勢:専門家って何の専門家

魔神びいき:後ろのモブはいつも通り無視されてて草

指摘警察:CGの耳毛を語る専門家って何


 俺は配信カメラの向こうで、静かに前を向いていた。


 耳毛の密度を語る専門家が、今日の午前中に自宅に来て「三十億の借りを返す」と言っていた。


 何も言えなかった。


《主、表情が少し崩れています》とエルが言った。《仮面をかぶっていて助かりましたね》


「……それも言わなくていい」


《失礼いたしました》


 イゾルデが「後ろのモブも感謝の言葉くらい言ったらどうにゃ」と配信に向かって言った。


「………」


「無視しなくていいにゃ」


「無視する」


【コメント欄】

鮭おにぎり:魔神様いつも通りで好き

魔神びいき:モブの貫禄

DD(誰でも大好き):カネゴンさんの言う通り退場してほしい

カネゴン:そうよ退場しなさい


 俺は前を向いたまま、深く息を吐いた。


 今日はいろいろありすぎる日が続いている。


★ここまで読んでいただき、ありがとうございます。★

少し重いシーンだったので、今夜から閑話として

「ティータイムストーリー(イゾルデ編)」を

三話連続でお届けします。イゾルデの可愛さが爆発します。


ここまでで、少しでも「面白そう!」「期待できる!」そう思っていただけましたら

ブックマークと高評価で声援していただけると嬉しいです。

皆さまからの応援が、なによりものモチベーションとなります。


なにとぞ、よろしくお願いいたします。

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