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第21話 深層の異変と、カネゴンの正体

 アビスゲートのオークションが終了したのは、出品から五日後だった。


 最終落札額:二億八千四百万円。


 俺はその数字をスマホで確認して、ペントハウスのソファに深く沈み込んだ。


「……エル」


《はい》


「二億八千万、って今俺の口座に入ったのか」


《正確には、匿名の中間口座を経由してから法人口座に入金されます。手続きに三日ほどかかります。なお、落札者はスイスを拠点とする資産管理会社です。最終的なオーナーは非公開ですが、中東系の富豪の代理人である可能性が高いです》


「中東」


《命泉に匹敵する希少素材は、医療インフラに課題を抱える富裕層にとって特に価値があります。深層核石の成分分析が進めば、医療応用の可能性もあるため、研究目的も兼ねているかもしれません》


 イゾルデが窓際で東京タワーを眺めながら、「魔神様、お金持ちにゃ」と言った。


「お前も関係者だろ」


「ボクはお金に興味ないにゃ」とイゾルデは言って、こちらを振り向いた。「スパチャの方が嬉しいにゃ」


 俺はしばらく、スマホの画面を見ていた。


 一条グループへの売却分が八千四百万。アビスゲートの落札が二億八千四百万。合計すると、三億六千万を超える。


 ブラック企業で三年間こき使われた男の、数か月後の話だ。


 笑えるような、笑えないような気分だった。


《追加の報告があります》とエルが言った。《アビスゲートのフォーラムと、国内の探索者コミュニティに興味深い動きがあります》


「どんな」


《「南大沢産と思われる未登録素材が、アビスゲートで三億近い値をつけた」という情報が流れています。出品者の特定には至っていませんが、一部で「黒猫ちゃんねるの配信者が持ち込んだのでは」という推測が出ています》


「……配信の腕輪外しシーンから繋げたか」


《はい。第三回配信で虚空格納を使った場面と、腕輪を外した場面が根拠として挙げられています。現時点では推測の域を出ていませんが》


 イゾルデが俺の隣に来て、ソファの背に前脚を乗せた。「コメント欄、沸いてるにゃ」


「アーカイブにか」


「なぁ~」


 スマホを開くと、第三回配信のアーカイブコメントが新着で積み上がっていた。


【コメントアーカイブ

攻略ガチ勢:アビスゲートで南大沢産未登録素材が3億近くで落札されたらしい

名無しさん:それ魔神様が持ってた深層核石じゃないの

検証班A:第三回配信の虚空格納で消えた石と一致する可能性がある

鮭おにぎり:え、魔神様もしかして億万長者?

DD(誰でも大好き):イゾルデさんの給料が心配

南多摩ダイバー:いやそれより次の出品はいつなんだ

迷える剣士:待って、深層に他にも未登録素材あるなら次は何が出るの

検証班A:命泉とか霊鉄核も持ってたら百億行くぞ普通に


 最後の一行を見て、俺は少し止まった。


「エル、命泉の相場は」


《アビスゲートでの過去の取引記録から推測すると、状態のいい個体で五十億から百億の間と思われます。ただし市場に出回ること自体が極めて稀なため、競売になれば青天井になりえます》


「……青天井」


《はい。今回の深層核石も、競り上がり方次第では五億を超えた可能性があります。二億八千万は、ある意味では抑えられた落札額です》


 俺はスマホをテーブルに置いた。


 イゾルデが「百億にゃ」と言って、尻尾をゆったりと揺らした。


「まだそうなってないぞ」


「なるにゃ」とイゾルデは確信に満ちた声で言った。「なぁ~」


 根拠は不明だが、この猫が「なるにゃ」と言ったことは大抵なった。


 俺はソファの背にもたれて、窓の外の東京タワーを見た。


 悠々自適の資金として、悪くない手応えだった。


  *


 俺はスマホを置いた。カネゴンからの入金通知が今日も来ていた。アーカイブへの投げ銭、三十万円。コメントには「次の配信はいつ? イゾルデたんに会いたい」と書いてあった。


《ご参考までに》とエルが言った。《カネゴンのアカウントをさらに調べました。使用している配信端末の購入履歴と、投げ銭の時間帯から、居住エリアが六本木周辺である可能性が高いです。また——》


「また?」


《北条院財閥の関連施設が六本木に複数あります。令嬢の居住先として最も可能性が高いのは、六本木ヒルズ近くの北条院家所有の邸宅です》


 俺は少しの間、天井を見た。


《念のため申し上げますが、断定はできません。ただ、状況証拠は揃っています》


「……聖羅が、カネゴン」


「なぁ~」とイゾルデが相槌を打った。何かを知っているような顔をしている。


「お前、知ってたか」


「うーん」とイゾルデは言って、しっぽを揺らした。「なんとなくにゃ。カネゴンのコメントの感じが、南大沢で会った人間に似てるにゃ」


「なぜ言わなかった」


「面白いから」とイゾルデは即答した。


 俺はしばらくイゾルデを見た。


「……配信で絶対に言うなよ」


「言わないにゃ。ボクも楽しんでるにゃ」


《わたくしも黙っておりました。申し訳ございません》とエルが言った。《ただ、確定情報ではないので……》


「お前まで」


 俺は頭を抱えた。


 南大沢で「後ろのモブをどかせ」と言われ続けている相手が、現実では「引き返せ」と言ってくる相手と同一人物かもしれない。


 何とも言えない状況だった。


  *


 翌日、俺は五回目の配信に向けて南大沢ダンジョンに入った。


 今日は四十層まで降りて、地形の確認と素材採取が目的だ。五十層の扉はまだ開けていない。次の配信の目玉として残してある。


 三十層を超えたあたりで、エルが言った。


《主、少し気になる反応があります》


「何だ」


《三十五層付近で、通常より強い魔力反応を検知しています。モンスターのものではありません。ダンジョン内の構造的な変動に近い波形です》


「イレギュラーか」


《断定はできませんが、可能性はあります。イレギュラーとは、ダンジョンの深層で稀に発生する規格外の個体です。通常のボスとは別の出現ルールを持ち、予告なく現れます。強さは不定ですが、一般的な探索者では対処不能なケースがほとんどです》


 俺は足を止めた。


「今日、他に何パーティーが入ってるか分かるか」


《南大沢ダンジョン三十層以降に現在潜入しているのは、記録上三パーティーです。うち一パーティーが——》


 エルが少し間を置いた。


《北条院聖羅率いるヴァルキリーです。現在推定三十四層付近》


 俺は少しの間、通路の壁を見た。


 三十五層の異変。三十四層のヴァルキリー。


「急ぐ」


《承知しました。最速ルートを案内します》


 イゾルデが肩から飛び降りて、獣人形態に変わった。黒い猫耳が立ち、金色の目が細くなる。


「走るにゃ?」


「走る」


 二人で通路を駆け始めた。


  *


 三十五層の手前で、音が聞こえた。


 魔法の着弾音ではない。


 岩盤が割れる音だ。


 曲がり角を抜けると、広い空間に出た。


 ヴァルキリーの五人が、通路の奥に追い詰められていた。


 その前に立っているのは——見たことのない形をしていた。


 四メートルを超える体躯。全身が黒い鱗で覆われていて、六本の腕を持っている。頭部は二つ。それぞれに眼球が四つずつ。空気を振動させるような低い唸り声を発している。


「でかいにゃ」とイゾルデが言った。声が低かった。「六本腕、初めて見るにゃ」


「嬉しそうだな」


「嬉しいにゃ」と即答した。「強い相手と戦うの、好きにゃ」


《識別完了》とエルが即座に言った。《個体名称「六腕黒鱗竜ヘクサドレイク」。イレギュラー個体。推定レベル78。物理・魔法両方への耐性を持ちます。弱点は——》


「後で聞く」


 ヴァルキリーの状況を見た。


 五人のうち、四人が戦闘不能に近い状態だ。床に倒れているか、壁際に追い詰められて動けない。


 聖羅だけが前に出ていた。


 アーマーの肩部が砕けている。左腕が垂れている。それでも聖杖を右手で構えて、立っていた。


「——退がりなさい」と聖羅がパーティーに向かって言った。「私が時間を稼ぐ。今すぐ上層に——」


 ヘクサドレイクが腕を振った。


 六本の腕が同時に動いた。


 俺は一瞬で判断した。


束縛鎖鳴(そくばくさめい)


 聖羅に向かっていた腕が、見えない力に引っ張られて軌道がずれた。完全には止められない——六本全部は無理だ。


 三本を逸らした。残りの三本が聖羅を捉えた。


 聖羅が吹き飛んだ。壁に叩きつけられた。


「聖羅様!」とパーティーの一人が叫んだ。


「退がれ!」「上層まで走れ。全員!」


 ヘクサドレイクが俺を向いた。


 八つの眼が、こちらを見た。


「なぁ~」とイゾルデが俺の隣で言った。低い声だった。「凪、腕輪外す?」


「外す」


 俺は腕輪を両方外した。


 体に、力が戻ってくる。普段は感じない圧力が、皮膚の下から押し出してくる。


「エル、弱点」


《胸部中央の黒鱗の継ぎ目です。そこだけ鱗が薄い。魔力を集中させた一撃が有効です》


「了解」


 ヘクサドレイクが動いた。六本の腕が一斉に伸びてくる。


「魔力錯乱——重圧崩落(じゅうあつほうらく)——」


 二つのデバフを同時に叩き込んだ。六本の腕の動きが乱れた。完全には止まらないが、一瞬の隙ができた。


「イゾルデ」


「なぁ~」


 イゾルデが跳んだ。


 六本の腕の間を縫うように動いて、胸部に肉薄した。黒い刀身に魔力が乗って金色に輝く。


 風刃乱舞。


 連撃が鱗の継ぎ目に叩き込まれた。甲高い音がした。


 ヘクサドレイクが怯んだ。


 俺は魔導ブレードに全力で魔力を乗せて、跳んだ。


 胸部の継ぎ目——深く——


 刃が、貫通した。


 ヘクサドレイクが、崩れ落ちた。


  *


 静寂が戻った。


 イゾルデが着地した。俺も床に降りた。


 ヴァルキリーの四人は、奥の通路の入口付近で固まっていた。逃げ切れていなかったらしい。


 壁際に、聖羅が倒れていた。


 俺は駆け寄った。


 状況が悪い。左腕が完全に動いていない。アーマーの胸部が陥没している。呼吸が浅い。


「聖羅さん」


 聖羅が目を開けた。焦点が合うまで少し時間がかかった。


「……あなたは」と聖羅は言った。かすれた声だった。「レベル10の——」


「今は関係ない」


 俺は虚空格納から、小さな瓶を取り出した。


 透明な液体が入っている。わずかに発光している。


「これを飲んでください」


「何……」


「飲んでください」と俺は繰り返した。「飲めば治ります」


 聖羅がしばらく俺を見ていた。


 それから、受け取った。


 瓶を傾けた。


 数秒後——聖羅の呼吸が変わった。胸の陥没が、目に見えて戻っていく。左腕が動き始めた。砕けたアーマーの下から、傷が塞がっていく。


「……っ」と聖羅が息を吐いた。「何、これ」


「命泉です。ダンジョンの深層で取れる聖遺物です」


 聖羅がゆっくりと上体を起こした。自分の左腕を見た。動かした。また俺を見た。


「……いくらするの、これ」


「高いです」


「いくら」と聖羅は言って、目を細めた。「正直に言いなさい」


「市場に出せば、三十億は下りません」


 聖羅が黙った。


 長い沈黙があった。


「……なぜ使ったの」と聖羅は言った。「私に」


「倒れていたからです」と言った。「それだけです」


 聖羅がまた黙った。


 ヴァルキリーの四人が、遠巻きに様子を見ていた。


「あなた」と聖羅は言った。「名前は」


「神楽凪」


「神楽凪」と聖羅は繰り返した。何かを確かめるような口調だった。「レベル10じゃないわね、どう見ても」


「5級です」と俺は答えた。嘘ではない。


 聖羅がしばらく俺を見た。それから、ゆっくりと立ち上がった。


「借りを作ったわ」と聖羅は言った。プライドの高い声のまま、ただ静かに。「三十億の借りを」


「返さなくていいです」


「返す」と聖羅は言って、俺をまっすぐに見た。「私はそういう人間なの。覚えておきなさい」


 それだけ言って、聖羅はパーティーに向かった。


「帰るわ。全員、動ける?」


 俺はその背中を見ながら、腕輪を二つ、手首に嵌め直した。


「凪」とイゾルデが小声で言った。「命泉、惜しくなかったにゃ?」


「なかった」と俺は即答した。


《わたくしも同感です》とエルが静かに言った。《ただ、念のため申し上げますと——本日の命泉の使用により、手持ちの命泉は残り一個となりました》


「分かってる」


 遠ざかる聖羅たちの足音を聞きながら、俺はイレギュラーのドロップ品を虚空格納に収めた。


 この深さのイレギュラーが落とすものだ。相当な価値があるはずだ。


 ただ今は、それより先に確認したいことがあった。


《お察しの通りです》とエルが言った。《ヘクサドレイクのドロップ品の中に、技倣晶が一個含まれています。封入技能は——上位魔法制御です》


 俺は少しの間、通路の天井を見上げた。


 今日は、いろいろありすぎた。


★ここまで読んでいただき、ありがとうございます。★

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