第19話 南大沢の午後と、黄金の戦乙女
南大沢ダンジョンの十二層は、午後になると混む。
午前中に上層で経験値を稼いだパーティーが昼休みを挟んで潜り直すのと、昼から活動する探索者が重なるからだ。通路ですれ違う人数が増えて、モンスターの再出現サイクルも崩れてくる。俺はそういう時間帯を計算して、十二層の奥まった区画を選んで動いていた。
イゾルデは今日は黒猫の姿で肩の上にいる。配信なしの通常潜入だ。
「静かだにゃ」とイゾルデが言った。
「そっちの方がいい」
「つまらないにゃ」
「仕事だ」
素材の採取と、十五層までの地形確認が今日の目的だ。次の配信に向けて、ルートを頭に入れておきたい。
十二層の奥の分岐を曲がったところで、前方に人の気配があった。
五人組だ。
先頭に立つのは、遠目からでも目を引く人物だった。腰まで届くプラチナブロンドの髪。白銀のフルプレートアーマー。背中に青いマントを靡かせ、手には長い聖杖を持っている。歩き方に一切の無駄がない。
《前方の人物を識別しました》とエルが言った。《北条院聖羅。18歳。北条院財閥令嬢。探索者免許1級。「聖なる戦乙女」リーダー。光・雷属性の魔法剣士。現時点での推定レベル——》
「分かった。十分だ」
俺は足を緩めた。
北条院聖羅。新宿の協会本部で何度か遠目に見た顔だ。財閥令嬢で1級探索者という経歴はギルドの掲示板にも名前が出るくらい有名で、「黄金の戦乙女」の異名もそれなりに知られている。
直接話したことはない。
向こうがこちらに気づいた。
「——そこの」と聖羅が言った。凛と通る声だった。「6級バッジ」
俺のバッジを見ている。今月から5級に昇格しているが、今日は旧バッジのままだった。うっかりしていた。
「はい」
「十二層に単独で来ているのか」と聖羅は言って、俺を頭のてっぺんから足先まで一瞥した。「腕輪を二つ。魔道具か何かか知らないが、それで強くなった気になっているなら危険よ。この層は初心者が来ていい場所ではないわ」
丁寧な物言いではないが、悪意があるわけでもない。本気で危ないと思って言っている目だ。
「ご忠告ありがとうございます」と俺は答えた。「気をつけます」
「気をつける、ではなく引き返しなさい」と聖羅は言って、少し目を細めた。「あなた……どこかで見た顔ね」
「そうですか」
「一条彰彦の関係者かしら」
俺は少し間を置いた。
「なぜそう思うんですか」
「彰彦が最近、得体の知れない人間を囲っているという話を聞いたから」と聖羅は言って、興味なさそうに視線を通路の奥に戻した。「まあいいわ。引き返せないなら、せめて後方に下がっていなさい。前に出て来ないこと。巻き込まれても知らないわよ」
それだけ言って、聖羅はパーティーを連れて通路の先へ歩き始めた。
俺はその背中を見送りながら、内心で少し考えた。
彰彦さんの関係者、か。一条家と北条院家の間に何か因縁があるのは薄々知っていたが、聖羅の側から見るとそういう文脈で俺が映るらしい。
「面白い人間にゃ」とイゾルデが耳元で小さく言った。
「どのへんが」
「自信があるにゃ。ただ——」とイゾルデは少し考えるように間を置いた。「嫌な自信じゃないにゃ」
俺も同じ感触だった。
*
十五分ほど後、俺は同じ区画の別ルートを歩いていた。
前方から、魔法の着弾音が聞こえた。
聖羅たちがモンスターと交戦中だ。通路の構造上、音は反響して遠くまで届く。
《ご参考までに》とエルが言った。《前方でヴァルキリーが交戦中のモンスターはバジリスク二体。通常の12層のモンスターより強い個体です。ヴァルキリーにとって問題のある相手ではありませんが——》
「なんだ」
《一体の魔力値が、通常の個体より約三割低下しています。自然低下ではありません》
俺は足を止めた。
心当たりがあった。
三十分前、俺はこの区画で別のバジリスクに魔力錯乱をかけてから、仕留めずに逃がした。素材が目当てではなく、地形を確認しながら移動していたので、わざわざ仕留める必要がなかった。
つまり——あの個体だ。
《そうです。主が魔力錯乱をかけた個体と同一の可能性が高いです》
前方で、どんという重い着弾音がした。
次の瞬間、聖羅の声が聞こえた。
「——っ! 今の、私の魔法が出力を超えた?」
仲間の声が続く。「聖羅様、一撃でした!」
「……そうね」と聖羅の声。少し間があった。「私の魔力制御が、また一段階上がったということかしら。当然ね」
俺は通路の曲がり角で、声を殺して壁に背をもたせかけた。
「……」
《事実を申し上げますと、主が事前に魔力錯乱で弱体化させた個体を、北条院聖羅さんが一撃で仕留めた形になります》とエルが、しれっとした声で言った。《彼女が自分の成長と判断されたのは、ある意味で自然な帰結かと》
「言うな」
《失礼いたしました。ただ——今後も同様のことが起きる可能性はございますが、いかがいたしますか》
「意図してやったわけじゃない。今回は偶然だ」
《承知しました》
イゾルデが肩の上で、しっぽをゆらゆらと揺らしていた。何かを言いたそうな顔をしている。
「言うなよ」と俺は先手を打った。
「何も言ってないにゃ」とイゾルデは言って、そっぽを向いた。尻尾の動きが少し速くなった。
*
その頃、十二層の入口近くの通路に、一人の男が立っていた。
楠木壱成。
壁に背をつけて、腕を組んでいる。目は通路の奥を向いていた。
今日は単独で来た。大公には「南大沢の情報収集」と伝えてある。嘘ではない。ただ、何の情報を収集するかは言っていない。
十分ほど前、楠木は通路の奥で仮面の人物を見ていた。
マスクと黒赤の軽装。肩の上の黒猫。腕輪が二つ。
間違いない。あの人物だ。配信で見た仮面の魔神と、南大沢で何度か目撃している若い男——神楽凪。楠木の中で、その二つの像が今日ほど重なって見えたことはなかった。
動きが違う。
6級——今は5級か——の探索者が、この層をこの動きで歩く理由がない。重心の低さ、索敵の精度、通路を選ぶ判断の速さ。どれもベテランの域を超えている。
そして、腕輪だ。
先ほど、聖羅のパーティーがバジリスクを仕留めた場面を楠木は遠目に確認していた。一撃。聖羅の実力からすれば不可能ではないが、あの個体は動きが鈍かった。あの鈍さは——デバフをかけられた個体の動きだ。
神楽凪は、あの区画を先に通っていた。
楠木は手帳を取り出した。短いメモを書いた。
*デバフは声に出さずに発動可能。配信時との使い分けあり。腕輪との関係は不明。*
手帳を閉じながら、楠木は思った。
この情報を大公に上げるべきか。
答えは出なかった。手帳をしまって、楠木は通路を歩き始めた。今日はここまでにしよう。これ以上見ていると、自分がどちらの側にいるのか分からなくなる気がした。
*
帰りがけ、俺は南大沢支部に立ち寄った。
帰還報告を済ませると、窓口に坂崎さんがいた。
「お帰りなさい。今日は長かったですね」
「地形確認に時間をかけてしまって」
「北条院聖羅さんのパーティーと同じ区画にいませんでしたか」と坂崎さんは端末を見ながら言った。「入出記録に重なりがあって」
「すれ違いました」「一言言われました。引き返せと」
坂崎さんが少し笑った。
「聖羅さんらしいですね」と坂崎さんは言って、スタンプを押した。「あの方、口は悪いですが、弱い探索者に怪我をさせたくないという気持ちは本物ですよ。昔、見ていたので」
「昔、ですか」
「私がまだ探索者だったころの話です」と坂崎さんは言って、それ以上は続けなかった。「お疲れ様でした、神楽さん」
「ありがとうございます」
窓口を離れながら、俺は坂崎さんの言葉を少し反芻した。
聖羅と坂崎さんに接点があった。坂崎さんが現役の探索者だったころ。
《転身理由は非公開ですが》とエルが言った。《坂崎里奈さんが探索者を辞めた時期と、過去に南大沢ダンジョンで発生した中層での事故の時期が一致しています。詳細は確認できていません》
「それ以上は調べなくていい」
《承知しました》
蔵に帰るわけではない。ただの人間の過去だ。俺が踏み込む話ではない。
夕暮れの南大沢を歩きながら、俺は今日一日のことを頭の中で整理した。
聖羅との初接触。楠木がこの付近にいた気配——エルが察知していた。坂崎さんと聖羅の過去の接点。
何かが、少しずつ動き始めている。
《ご参考までに》とエルが言った。《楠木壱成さんの手帳に、本日の観察記録が追加されました。内容は——「デバフは声に出さずに発動可能」です》
俺は少し足を止めた。
気づかれていた。
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