第15話 調査官と、取引の話
南大沢支部の前で待つこと十分。如月透は、ターゲットが姿を現すのを確認した。
神楽凪。五級探索者。登録から日が浅いにもかかわらず、実績の積み上げが異様に速い。先日の昇格審査も、坂崎受付員が上に問い合わせを入れるほどの内容だった。肩に黒猫を乗せて歩く姿は、一見すると普通の少年だ。外見年齢は十七歳前後。しかし歩き方が違う。周囲を常に測っている歩き方だ。
「神楽凪さん、少しよろしいですか」
少年が振り返った。
反応が早い。驚いた様子はない。如月が声をかける前から、気配を察していた可能性がある。
「どちら様ですか」
問い返し方が、普通の五級探索者のものではない、と如月は思った。警戒しているが、それを顔に出さない。
「如月透と申します。ダンジョン庁の者です」
「ダンジョン庁の方が、なんで俺みたいな5級探索者に声をかけるんですか。俺、何か問題でもありましたか」
問題があって声をかけるとは思っていない、と分かった上で聞いている。試している。
「問題はありません。少し話したいことがあって。時間をもらえますか。長くはかかりません」
「話の内容次第ですね」と少年は言った。「ざっくり教えてもらえますか。ざっくりでいいので」
如月は少し間を置いた。ここで曖昧にすると、この少年は動かない。直感がそう言った。
「新貴族の話です。それと——黒猫ちゃんねるについても」
少年の目が、一瞬だけ動いた。肩の上の黒猫を見て、それからまた如月に視線を戻した。
「分かりました。どこで話しますか」
*
喫茶店の向かいの席に座って、如月は改めて少年を観察した。
コーヒーを受け取って、自然に一口飲む。緊張していない。いや——緊張を制御している、の方が正確か。
如月は単刀直入に切り出した。
「黒猫ちゃんねるの仮面の配信者と、神楽凪さんが同一人物かどうか——現時点では確認できていません。ただ、可能性は排除していない」
「なるほど」と少年は言った。「で、どちらだと思っていますか」
「同一人物だと思っています。根拠は二つ。一つは、深淵の核石をはじめとする未登録素材の流通経路を調べると、一条グループに辿り着く。一条彰彦さんと神楽さんの接触も把握しています。もう一つは——先日の会合で、私の部下が尾行をかけましたが、翌日の時点で神楽さんの行動に変化があった。気づかれたと判断しています。下手な尾行で申し訳なかった」
少年が少し笑った。
「気づいてましたよ。まあ、お互い様なので気にしていませんが」
お互い様。その言葉の選び方が引っかかった。自分も何かを調べている、という含みがある。
「ただ、私がここで言いたいのはそういう話ではなくて」
「新貴族の話ですよね」
「はい」と如月は言って、少し前に身を乗り出した。「神楽さん、単刀直入に聞きます。エルマキシム大公が何を企んでいるか、情報を持っていますか」
「持っているかもしれない、という程度には持っています。ただ、それをどう使うかは、相手次第です」
「相手次第、というのは」
「信用できる相手には話す。信用できない相手には話さない、ということです」と少年は言った。「如月さん、あなたのことを俺はまだよく知らない。ダンジョン庁の調査官だということは知っている。新貴族の動きを独自に調べているということも、なんとなく知っている。でも、それだけです。あなたが証拠を持ったら本当に動けるのか、庁内で何人の味方がいるのか、大公の件がどこまで進んでいるのか——俺には分からない」
如月は黙って聞いた。
この少年は、こちらが何を調べているかを知っている。「なんとなく知っている」と言いながら、その目は確信を持っている目だ。どこからその情報を得たのか——今は問わない。問えば警戒される。
「正直な人ですね」
「正直じゃないと損することの方が多いと思っているので」と少年は言った。「それに、如月さんも俺に対して単刀直入だった。それは誠実だと思います。だから俺も誠実に返している、ということです」
如月は少し考えてから、腹を決めた。
「では私も正直に話します。庁内で動ける人間は、現時点で私を含めて四人です。少ない。新貴族による買収は三年前から続いていて、庁の上層部の半数近くが影響下にある。証拠は断片的に持っているが、動くには足りない。私のチームだけでは、どうにもならない」
「四人で何をしようとしているんですか」
「大公の計画の全体像を掴んで、外部に告発することです。庁内では動けない。だから、庁の外で動ける人間と繋がる必要がある」
「それで俺に来た」
「はい。神楽さんが深淵ダンジョンという未登録の特殊ダンジョンを持っていること、一条グループと繋がっていること、黒猫ちゃんねるという情報発信の手段を持っていること——私が動くために必要な要素が、あなたの周りに揃っている」
少年がしばらく黙った。
何かを考えている。計算しているのではなく、整理している顔だ。如月はその間、余計なことを言わなかった。
「一つ確認させてください」と少年は言った。「如月さんは、俺に何を具体的にやってほしいんですか」
「情報の共有です。大公の動きで、神楽さんが把握していることを教えてほしい。それと——もし大公側が動いてきたとき、一条グループと連携して証拠を固める場に協力してほしい。戦ってほしいとか、危険なことをしてほしいとか、そういうことではない」
「今のところは、ということですよね」
如月は少し目を細めた。鋭い。
「……正直ですね」
「お互い様でしょう」
「今のところは、そういうことです」と如月は言った。「状況が変わる可能性は否定しない」
「分かりました」と少年は言った。「如月さん、俺もはっきり言います。今すぐ全部を話すつもりはないです。ただ——動く方向は同じだと思っています。大公がこの国で何かをしようとしているなら、俺もそれを止めたい。悠々自適に生きたいと思っているので、この国が誰かに乗っ取られると困る」
如月は、思わず表情が緩むのを感じた。
悠々自適。この状況でその言葉が出てくるとは思わなかった。
「悠々自適、ですか」
「それが目標なので」
「……なるほど」
嘘ではない、と如月は思った。この少年は本当にそれを目標にしている。大仰な使命感でも、怒りでも、恐怖でもない。ただ、穏やかに生きたい。そのための障害を取り除きたい。
それが、今まで接触してきた誰とも違う動機だった。
「では、まず情報の共有から始めましょう。小さいことでいい。お互いが動けると確認できれば、次のステップに進める」
「それでいいです」と少年は言った。「ただ、一つだけ条件があります」
「なんですか」
「如月さんの四人の仲間の名前と立場を教えてください。俺の情報を渡す前に、相手を知りたい」
如月はしばらく少年を見た。
名前を渡すことのリスクは理解している。しかし——この少年はすでに相当の情報を持っている。名前を伏せることで得られる安全より、信頼を示すことで得られるものの方が大きい。
「……分かりました」と如月は言って、低い声で四人の名前と立場を告げた。
少年が聞きながら、一瞬だけ視線を虚空に向けた。何かを確認している。あるいは、誰かに確認させている。
その「誰か」が何者なのかは、如月にはまだ分からない。
「分かりました」と少年は言った。「では、小さいところから始めましょう」
*
喫茶店を出て、如月は一人、夕暮れの道を歩いた。
神楽凪。想定より、ずっと複雑な人間だった。
五級探索者の免許を持ちながら、実態はそれをはるかに超えている。一条グループと繋がり、未登録素材を扱い、数万人規模のチャンネルを運営している。そして——情報源が、如月には見えない。
庁内の非公式部門で十年近く働いてきた。人を読むことには自信がある。しかし神楽凪という人間の輪郭は、今日の会話が終わっても、まだぼんやりとしていた。
一つだけ確かなことがある。
あの少年は、嘘をつかなかった。全部を話したわけではない。しかし、話したことは全て本当のことだった。
それだけで、今日の接触は成功だと如月は判断した。
あとは——信頼を積み上げることだ。時間をかけて、少しずつ。
如月は歩きながら、次の動きを考えた。大公の計画が動き出す前に、証拠を揃えなければならない。時間は、おそらくそれほど多くない。
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