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第14話 一条アリスと、百二十一年の話

 彰彦さんに指定された場所は、代々木上原にある一条家の別邸だった。


 表札もなく、外から見ると普通の洋館だが、門をくぐった瞬間に空気が変わった。魔力の膜が張られている。結界だ。精度が高い。ナイトウォーカーの本拠地の一つだと、エルが静かに教えてくれた。


 玄関で彰彦さんが出迎えた。


「来てくれてありがとうございます。アリスは中にいます。少し緊張しているようなので、驚かせないようにしてもらえると助かります」


「緊張、か」「百二十一歳が緊張するのか」


「見た目が十六歳なので、そちらで考えてもらえると」


「それはそれで俺が気を遣う立場になるな」


「お願いします」と彰彦さんは苦笑した。


 案内されたのは、奥の応接室だった。


 落ち着いた木目の部屋で、窓から庭が見える。ソファに、一人の少女が座っていた。


 外見年齢は十六歳。長い銀髪。整った顔立ち。耳が、人間のものより少し長く、先が尖っている。エルフの耳だ。


 少女——アリスが、俺を見た。


 深い青の瞳だった。年齢不詳の目だ、と思った。外見は十六歳でも、その目の奥には百年を超えた時間が積み重なっている。


 俺が部屋に入ったとき、アリスの視線が一瞬、俺の肩の上に向いた。イゾルデを見た、ということだ。


 イゾルデが俺の肩の上でぴんと背筋を伸ばした。


「……イゾルデ」とアリスが言った。声は小さかったが、そこに何年分もの感情が詰まっているような声だった。


「にゃ」とイゾルデが答えた。いつもの軽い返事ではなかった。静かな、確かめるような「にゃ」だった。


 俺はとりあえず向かいのソファに座った。


「初めまして。神楽凪です」


 アリスが俺に視線を戻した。少し間があって、「……一条アリスです」と言った。


「配信、見てくれてたんですよね。コメント、ありがとうございました」


 アリスがわずかに目を見開いた。


「気づいていたのですか」


「途中からは。腕輪を外した瞬間にコメントが来て、エルが教えてくれました。魔力を感知できる人間だって」


「エル」とアリスは繰り返した。「ヴァルナ様の配下の精霊ですね」


「そうです。俺に宿ってます」


 アリスがしばらく俺を見た。値踏みしているわけではなく、何かを確かめるような目だ。


「あなたの魔力に、ヴァルナ様の気配があります。初めて配信を見たとき、まさかと思いました。神界戦争から千年以上が経って、まさかこんな形で——」とアリスは言って、少し言葉を止めた。「失礼しました。取り乱しました」


「取り乱してないですよ、全然」と言った。「俺の方が聞きたいことだらけなので、むしろ話してもらえると助かります。エーリスでヴァルナさんと会ったことがあると、彰彦さんから聞きました」


 アリスが少し姿勢を正した。


「エーリスにいた頃——今から七十年ほど前に、ヴァルナ様と話したことがあります。神界戦争の後、ヴァルナ様はエーリスに渡り、しばらく留まっていました。私はまだ五十歳で、エルフとしてはまだ若かった。ヴァルナ様は私に、スサノオのことを話してくれました」


「スサノオの、何を?」


「偉大な存在だったと。そして——自分が守れなかったと」とアリスは言った。「ヴァルナ様は、スサノオのことを話すとき、いつも同じ顔をしていました。悲しいのに、それを悲しいと言わない顔です」


 俺は少し黙った。


 第二話でヴァルナと話したとき、謝罪から始まったことを思い出した。「あなたに申し訳ないことをした」と言っていた。千年以上、その感情を抱えて生きてきた存在の顔を、アリスは七十年前に見ていた。


「その後、ヴァルナ様はエーリスから姿を消しました。どこへ行ったのか、誰にも分からなかった」とアリスは続けた。「私はずっと探していました。百二十一年生きてきた中で、一番長く探し続けたものが、ヴァルナ様の消息です」


「ヴァルナさんは、今は深淵ダンジョンにいます」と言った。


 アリスが静止した。


「……深淵ダンジョン、というのは」


「俺の実家の蔵に出現したダンジョンです。ヴァルナさんが作った——というより、ヴァルナさんがいる場所に繋がっているダンジョンだと思っています。俺が覚醒したとき、そこでヴァルナさんと話しました」


 アリスの青い目が、じっと俺を見た。


「今も、話せるのですか」


「潜ればヴァルナさんの空間に繋がります。ただ、ヴァルナさんから声をかけてくることはほとんどなくて、俺が行ったときに話す、という感じで」


「そうですか」とアリスは言った。声が、わずかに震えていた。百二十一年分の感情が、そこに出ていた。


 俺はしばらく考えてから、口を開いた。


「アリスさん、一つ聞いていいですか」


「はい」


「ヴァルナさんに会いたいですか」


 アリスが一瞬、息を止めた。


「……会いたいです」と、静かに言った。「ずっと、会いたかった」


「分かりました」「ただ、俺の一存で連れていくわけにはいかないので、一度ヴァルナさんに確認します。ヴァルナさんがいいと言えば、一緒に行きましょう」


 アリスが小さく頭を下げた。


「ありがとうございます」


 そのとき、イゾルデが俺の肩から降りて、ソファの上をアリスの方に歩いていった。アリスの膝の前で止まって、じっとアリスを見上げた。


「イゾルデ……?」とアリスが言った。


「アリスは、ヴァルナの大事な人にゃ」とイゾルデは言った。「だからボクも、アリスのことは大事にするにゃ」


 アリスが目を細めた。泣いているわけではないが、泣く手前の顔だった。


「……ありがとう、イゾルデ」


 俺は視線を窓の外に向けた。庭に風が吹いて、木の葉が揺れていた。


 百二十一年、探し続けた相手の消息がようやく分かった。その感情は、俺には完全には分からない。ただ、そこに確かなものがあることは分かった。


  *


 帰り際、玄関で彰彦さんに「どうでしたか」と聞かれた。


「いい人ですね」「真剣な人だ」


「アリスは嘘をつかない人間です」と彰彦さんは言った。「感情を出すのが苦手なので、取っつきにくいと思われることが多いですが」


「そうは感じませんでした。ちゃんと全部、顔に出てましたよ」


 彰彦さんが少し驚いた顔をした。


「アリスが顔に出ていると言われたのは、初めて聞きました」


「百二十一年分の感情があれば、さすがに出るんじゃないですかね」


 彰彦さんが「そうかもしれません」と静かに笑った。


 別邸を出て、夜道を歩いた。


「アリス、いい子にゃ」とイゾルデが言った。


「お前、珍しくちゃんと話しかけてたな」


「ヴァルナの大事な人にゃ。ちゃんとしないといけないにゃ」


「そういう基準があるのか」


「なぁ~」


《アリスさんの魔力は安定しています》とエルが言った。《エーリス出身のエルフとして、質の高い魔力です。……ヴァルナ様とアリスさんが再会できると良いですね》


「エル、珍しく感想を言うな」


《たまには》とエルは言った。それ以上は続けなかった。


 俺は歩きながら、次にヴァルナに会うときのことを考えた。


 アリスを連れていくことを、ヴァルナはどう思うだろうか。七十年以上前に別れた、エーリスの若いエルフが、百二十一歳になって会いに来る。


 おそらく、ヴァルナは驚かない気がした。あの人は、驚く前に何かを感じ取ってしまうような存在だから。


 ただ——喜ぶとは思う。


 それだけで、連れていく理由としては十分だった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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