第12話 一条彰彦との会合
待ち合わせ場所は、新宿の小さな喫茶店だった。
駅から少し歩いた路地の奥にある店で、外から見ると何の変哲もない。しかし彰彦さんが指定してきた、ということは、それなりの意味があるはずだ。
扉を開けると、奥の席に彰彦さんがいた。
二十七歳。落ち着いた紺のジャケット。スマホを見ていたが、俺が入ってくるのに気づいて顔を上げた。
「来てくれてありがとうございます」
「こちらこそ」と俺は言って、向かいに座った。
肩の上のイゾルデが、黒猫の姿のまま静かにしている。彰彦さんはイゾルデをちらりと見て、「イゾルデさんも」と小さく会釈した。イゾルデが「なぁ~」と鳴いた。
コーヒーを注文してから、彰彦さんが話し始めた。
「アリスのことから話します」
「お願いします」
「アリスは——一条アリス《いちじょうアリス》は、エーリス出身のエルフです。百二十一歳。我々の一族が十年ほど前に保護して、以来義妹として一緒にいます」
「それは知っています。凪について、魔力で何かを感じ取ったとも」
「そうです」と彰彦さんは言って、少し間を置いた。「アリスは、あなたの魔力からスサノオの血脈を感じたと言いました。それと同時に——もう一人、感じたことがある存在と同じ質の魔力だとも」
「もう一人」
「大精霊ヴァルナです」
俺は黙っていた。
「アリスはエーリスにいた頃、ヴァルナと面識があります。神界戦争の時代から生きている存在ですので、エーリスの歴史の中でヴァルナと交わった記録がある」と彰彦さんは言った。「アリスはずっと、ヴァルナの消息を探していました。神界戦争の後、ヴァルナがどこへ行ったのか分からなくなっていたので」
「それで、俺の魔力からヴァルナの気配を感じ取った」
「はい。配信で腕輪を外した瞬間に感知したと言っていました。それが「蒼」のコメントです」
俺はコーヒーを一口飲んだ。
アリスがヴァルナを探していた。ヴァルナが深淵ダンジョンにいる。その二つが繋がれば、アリスがどうしたいかは明白だ。
「アリスに、ヴァルナさんのことを話してもいいですか」
彰彦さんが少し目を細めた。意外だったのかもしれない。
「……神楽さんの判断に委ねます」と彰彦さんは言った。「ただ、一つだけお願いがあります」
「なんですか」
「アリスに直接会ってもらえますか。話すかどうかはその後で決めてほしい」
俺は少し考えた。
断る理由はない。アリスが何者で、何を望んでいるか、直接会った方が分かる。
「構いません」
「ありがとうございます」
*
「如月の話をします」と彰彦さんは続けた。
「はい」
「如月透は、ダンジョン庁の調査官です。表の肩書きはご存知の通りですが——庁内の非公式部門で、新貴族の動きを独自に調査しています」
「エルから聞いています」
彰彦さんが少し眉を上げた。
「エルというのは」
「俺に宿っている精霊です。情報収集が専門で」
「……なるほど」と彰彦さんは言って、少し考えてから続けた。「如月は現在、二つの問題を抱えています。一つは証拠不足。新貴族による官僚買収の証拠を掴んでいるが、庁内で動ける人間がいない。もう一つは——大公がこの国で何をしようとしているか、まだ全体像が見えていない」
「それで俺に接触しようとしている」
「おそらく。あなたが黒猫ちゃんねるの仮面の配信者と同一人物かどうかは、如月にはまだ分かっていないはずです。ただ、6級の探索者としての神楽凪には目をつけています」
俺は窓の外を見た。路地を人が通り過ぎていく。
「如月を、信用できますか」
「完全には分かりません」と彰彦さんは即答した。「ただ——一条グループが独自に調べた限りでは、筋の通った人間です。買収には応じていない。証拠があれば動ける人間だと思います」
「証拠があれば、か」
「はい」
俺はしばらく黙っていた。
如月が証拠を求めているなら、俺が深淵ダンジョンで集めた情報——エルが精霊ネットワーク経由で把握している大公の動きは、その証拠になり得るかもしれない。
ただ、それは切り札でもある。軽々しく渡すものじゃない。
「分かりました」「如月が接触してきたら、一度話は聞きます。ただ、何かを渡すかどうかはその時に判断します」
「それで十分です」と彰彦さんは言って、少し表情が緩んだ。「神楽さん、一つ聞いていいですか」
「なんですか」
「怖くないですか。大公の件も、如月の件も——正直に言えば、相当な話です」
俺は少し考えた。
「怖いですよ」と答えた。「ただ、もう動き始めてますから。昔、上司に理不尽に怒鳴られ続けても会社を辞めなかった人間なので、根性だけはあります」
彰彦さんが静かに笑った。今度は、少し違う笑い方だった。
「柚葉が言っていました。お兄ちゃんは昔からそういう人だって」
「どういう人ですか」
「怖がりながらも、止まらない人、だそうです」
止まらない、か。坂崎さんの言葉と、少し重なった。
「褒め言葉として受け取っておきます」と言った。
*
コーヒーを飲みながら、俺は少し黙って考えた。
アリス——百二十一歳のエルフがヴァルナを探して七十年。如月透——ダンジョン庁の調査官が証拠不足で動けずにいる。大公——グリウムと繋がっているかもしれない人物が日本にいる。
「イゾルデ」と小声で言った。
「なぁ~」
「悠々自適には、まだ遠いな」
「なぁ~」とイゾルデは鳴いた。同情なのか呆れなのか、判断がつかない鳴き方だった。
喫茶店を出て、路地を歩いた。
イゾルデが肩の上で「彰彦、いい人間にゃ」と言った。
「そうだな」
「柚葉が選んだだけあるにゃ」
「それは柚葉に言ってやれ」
《ご報告があります》とエルが言った。《本日の会合中、店の外に一名、尾行と思われる人物がいました。如月透の部下と推測されます。神楽凪と一条彰彦の接触を確認した可能性があります》
俺は歩きながら、顔には出さなかった。
「もう動いてるか」
《如月は迅速な人物のようです。……なお、尾行の精度は低く、わたくし程度でも容易に察知できるレベルでした》
「お前の自己評価が基準になるのは困るんだが」
《失礼いたしました。客観的に申し上げると、坂崎さんでも気づいたかもしれません》
「それは如月の部下が下手なのか、坂崎さんが鋭いのか、どっちの話だ」
《両方かと存じます》
イゾルデがくつくつと笑っていた。
新宿の夕方の人混みに混じりながら、俺は次のことを考えた。
アリスに会う。如月が接触してくる。その前後で、柚葉から腕輪の改良版を受け取る約束もある。
やることが増えた。しかし、向かっている方向は変わらない。
悠々自適の生活まで、もう少し片付けることがある。それだけだ。
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