01.空白のカスタマイズ
現実という名のシステム画面は、いつだって無機質な光を放っている。ダウンロードの進捗を示すバーが右へ伸び、完了の合図とともにアプリが起動する。
流れるようなチュートリアル、耳に馴染んだBGM。そして、アイナ・ホロウフィールドという存在が定義される瞬間がやってくる。体型を変更しますか。声色を調整しますか。あなたの理想のプロポーションを設定してください。網膜に映るその無慈悲な選択肢の数々を、アイナはただ静かに受け入れていた。
そこに否定の言葉も、燃え上がるような怒りもない。ただ、自分の存在という輪郭が、誰かの指先一つで削り取られ、継ぎ接ぎされていく感覚だけが、冷たい澱のように胸に溜まっていく。また、同じことの繰り返し。
彼女の姿は、その瞬間からアイナ・ホロウフィールドではなく、誰かのための理想へと上書きされる。不自然に強調される胸、極端に絞られた腰のライン。本来、ダンス系トレーニングで磨き上げたはずのしなやかな筋肉は、ある時は女性らしくと削られ、またある時は見栄えが良いからと誇張される。
そこに彼女自身の意志が介在する余地など、最初から用意されてはいない。私は、説明を担当するためだけのNPCじゃない。心の隅で小さな声が響くが、それを唇に乗せることはない。このデジタルの海において、教官という立場は常に選ばれる側でしかないからだ。主導権を握り、世界の色を決めるのは、いつだって画面の向こう側にいる顔も知らない誰かだ。
ふとアプリを閉じれば、視界に入る部屋の景色はひどく静まり返っている。暗転したスマートフォンの画面に反射して映り込むのは、プログラムされた通りの整った表情を崩さない自分自身の顔。虚しい、という言葉で片付けられるならどれほど楽だろうか。
アイナは小さく息を吐き、意識を異世界側の自分へと切り替えた。そこには、鉄の匂いと規則正しい呼吸音が支配するジムの空気があった。ここでは、アイナ・ホロウフィールドは完璧なトップトレーナーとして振る舞わなければならない。会員の重心のズレを瞬時に見抜き、最適な負荷を見極め、余計な感情を挟まずに言葉を紡ぐ。肩が落ちているわ、まずは呼吸から立て直して。
その声は自分でも驚くほど凛としていて、迷いがない。誰かを導き、高みへと引き上げる行為に嘘はないはずだった。なのに、指導を終えるたびに胸の奥を通り過ぎる、正体不明の違和感は何なのだろうか。それは肉体的な疲労とは明らかに違う。かといって、仕事をやり遂げた達成感とも違う。
まるで内側から自分という存在が摩耗し、砂のように崩れていく音が聞こえるような錯覚。気のせいよ、と彼女は自分に言い聞かせる。誰にも選ばれなくていい。誰かの理想に合わせて、自分を削り続けてもいい。そうやって期待に応え続けてきたからこそ、今の地位があるのだと。
けれど、誰もいなくなったジムの片隅で鏡と向き合うとき、瞳の奥に隠した本音が疼き出す。鏡の中にいる「完璧なトレーナー」が、自分をじっと見つめ返してくる。誰か。お願いだから、誰か。喉の奥まで出かかった願いが、声にならない熱を持って震える。
アイナ・ホロウフィールドという、一人の人間を。理想の投影体でも、便利な教官役でもなく。ただの私として、見つけてほしい。その思考が危険な領域に踏み込んだことに気づき、彼女は強く瞬きをして視線を逸らした。
───馬鹿みたい。
独り言を呟き、不自然なほど真っ直ぐに背筋を伸ばす。感情はトレーニングにおける余計な負荷でしかない。ここでは、そんなものは必要ないのだ。自分に言い聞かせるように、アイナは次の指導の準備へと歩き出す。
彼女はまだ知らない。その胸に空いた空白が、やがてたった一人の男が下す「選択」によって、鮮やかに埋め尽くされる日が来ることを。




