表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
インナーマッスルに届け!───鍛えたのは、身体と恋と生き直す勇気だった───  作者: 宮野夏樹
第13章 誰かの理想ではなく、私を見て【選択前夜編】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

85/116

01.空白のカスタマイズ


 現実という名のシステム画面は、いつだって無機質な光を放っている。ダウンロードの進捗を示すバーが右へ伸び、完了の合図とともにアプリが起動する。


 流れるようなチュートリアル、耳に馴染んだBGM。そして、アイナ・ホロウフィールドという存在が定義される瞬間がやってくる。体型を変更しますか。声色を調整しますか。あなたの理想のプロポーションを設定してください。網膜に映るその無慈悲な選択肢の数々を、アイナはただ静かに受け入れていた。


 そこに否定の言葉も、燃え上がるような怒りもない。ただ、自分の存在という輪郭が、誰かの指先一つで削り取られ、継ぎ接ぎされていく感覚だけが、冷たい澱のように胸に溜まっていく。また、同じことの繰り返し。


 彼女の姿は、その瞬間からアイナ・ホロウフィールドではなく、誰かのための理想へと上書きされる。不自然に強調される胸、極端に絞られた腰のライン。本来、ダンス系トレーニングで磨き上げたはずのしなやかな筋肉は、ある時は女性らしくと削られ、またある時は見栄えが良いからと誇張される。


 そこに彼女自身の意志が介在する余地など、最初から用意されてはいない。私は、説明を担当するためだけのNPCじゃない。心の隅で小さな声が響くが、それを唇に乗せることはない。このデジタルの海において、教官という立場は常に選ばれる側でしかないからだ。主導権を握り、世界の色を決めるのは、いつだって画面の向こう側にいる顔も知らない誰かだ。


 ふとアプリを閉じれば、視界に入る部屋の景色はひどく静まり返っている。暗転したスマートフォンの画面に反射して映り込むのは、プログラムされた通りの整った表情を崩さない自分自身の顔。虚しい、という言葉で片付けられるならどれほど楽だろうか。




 アイナは小さく息を吐き、意識を異世界側の自分へと切り替えた。そこには、鉄の匂いと規則正しい呼吸音が支配するジムの空気があった。ここでは、アイナ・ホロウフィールドは完璧なトップトレーナーとして振る舞わなければならない。会員の重心のズレを瞬時に見抜き、最適な負荷を見極め、余計な感情を挟まずに言葉を紡ぐ。肩が落ちているわ、まずは呼吸から立て直して。


 その声は自分でも驚くほど凛としていて、迷いがない。誰かを導き、高みへと引き上げる行為に嘘はないはずだった。なのに、指導を終えるたびに胸の奥を通り過ぎる、正体不明の違和感は何なのだろうか。それは肉体的な疲労とは明らかに違う。かといって、仕事をやり遂げた達成感とも違う。


 まるで内側から自分という存在が摩耗し、砂のように崩れていく音が聞こえるような錯覚。気のせいよ、と彼女は自分に言い聞かせる。誰にも選ばれなくていい。誰かの理想に合わせて、自分を削り続けてもいい。そうやって期待に応え続けてきたからこそ、今の地位があるのだと。


 けれど、誰もいなくなったジムの片隅で鏡と向き合うとき、瞳の奥に隠した本音が疼き出す。鏡の中にいる「完璧なトレーナー」が、自分をじっと見つめ返してくる。誰か。お願いだから、誰か。喉の奥まで出かかった願いが、声にならない熱を持って震える。


 アイナ・ホロウフィールドという、一人の人間を。理想の投影体でも、便利な教官役でもなく。ただの私として、見つけてほしい。その思考が危険な領域に踏み込んだことに気づき、彼女は強く瞬きをして視線を逸らした。


 ───馬鹿みたい。


 独り言を呟き、不自然なほど真っ直ぐに背筋を伸ばす。感情はトレーニングにおける余計な負荷でしかない。ここでは、そんなものは必要ないのだ。自分に言い聞かせるように、アイナは次の指導の準備へと歩き出す。


 彼女はまだ知らない。その胸に空いた空白が、やがてたった一人の男が下す「選択」によって、鮮やかに埋め尽くされる日が来ることを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ