表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
インナーマッスルに届け!───鍛えたのは、身体と恋と生き直す勇気だった───  作者: 宮野夏樹
第17章 筋肉は、次の人生へ引き継がれる【円環の物語】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

116/116

06.またひとり…


「はぁ……」


 重苦しい溜息が、夜の静かなリビングに落ちた。テーブルの上に放り出されたのは、先日届いたばかりの健康診断の結果表だ。昼白色のライトの下、いくつかの項目に刻まれた「要再検査」の赤い文字が、やけに鋭く目に刺さる。


「……わかってるんだけどなぁ」


 誰に言い訳するでもなく呟き、ソファに深く身体を沈める。最近は階段を上るだけで動悸がし、デスクワークの後は石のように肩が重い。運動不足なのは百も承知だ。けれど、これまでの経験上、高額なジムも、ストイックなランニングも、一週間と続いた試しがない。「頑張れ」と言われれば言われるほど、心が先に悲鳴を上げて折れてしまうのだ。


「運動……無理しない……続かない人向け……」


 半ば自嘲気味に、スマートフォンの検索欄へ投げやりに文字を打ち込む。スクロールする指が、ふと見慣れないアイコンの前で止まった。


 ───整えるだけ。

 ───整えば、結果は勝手についてくる。


「……嘘くさい。そんなに甘いわけないだろ」


 鼻で笑いながらも、なぜかその柔らかな色彩のアイコンから目が離せない。怪しいと思いながらも、何かに導かれるように、指が画面をタップしていた。画面が切り替わり、淡い、心地よい光が広がる。


『インナーマッスルに届け!

 ───あなたの身体を、無理なく、等身大に整えます』


 次の瞬間、確認のダイアログが浮かび上がる。


『「インナーマッスルに届け!」をインストールしますか?』


 【はい】 【いいえ】


 一瞬の逡巡。どうせまた、すぐに放り出すかもしれない。けれど、今この瞬間、何かが変わる予感がした。


「……ええい、ままよ」


 指が【はい】を選び、画面上のインジケーターが静かに進み始める。




 別の場所。無数の世界を映し出すモニターが並ぶ、あの静かな部屋。ひとつの画面が、水面に石を投じたときのような柔らかな波紋を描き、輝きを増した。古びた椅子に座る老トレーナーが、それを見て深く、満足げに頷く。


「……またひとり、じゃな」

 背後に立つ老婦人も、慈しみに満ちた微笑みを浮かべた。

「ええ。必要な人の元へ、ちゃんと届いたわ」


 モニターの中では、新しい利用者が、戸惑いながらもスマートフォンの画面をじっと見つめている。その画面の向こう側では、まだ名前も知らない教官たちが、それぞれのやり方で彼を迎える準備を整えていた。呼吸を整えること。


 自分を否定せず、ただ続けること。そして、自分の身体を愛せるようになること。それを共に歩んでくれる誰かが、またひとり、新たな縁によって選ばれたのだ。老トレーナーは、祝福を送るように目を細める。


「よい……実によい流れじゃ。筋肉は、決して人を裏切らん」


 老婦人が、そっと彼の肩に寄り添った。


「物語は、終わらないのよ。人がいる限り。身体があり、健やかでありたいと願う想いがある限り……ね」


 画面の向こうで、誰かの新しい人生の一歩が、静かに、けれど確かな重みを持って踏み出される。


 ───またひとり、必要な人の元へ。


『インナーマッスルに届け!』は、今日も静かに、世界へと届いていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ