第1話(2)メイド少女アテナ
西暦2381年。
この時代、地球と月、そして宇宙コロニーを結ぶ交易航路は発達し、
宇宙は冒険の場であると同時に、
誰もが暮らす「生活圏」となっていた。
これは、月面都市を舞台に繰り広げられる、
少し先の未来を夢見るファンタジー。
家路を急ぐショーンは、すっかり黒暗くなった裏通りを急ぐ。
少し遠くに、ほんのりと誘導灯が灯す先、
灯した先にあるジャンク屋、その裏庭――
と言っても、裏庭と呼ぶには広すぎる敷地の一角。
そこに一隻の宇宙船が停泊している。
ショーンは裏庭に回ると、宇宙船の正面に顔を上げて手を振った。
それは全長100メートルの
流線型のフォルム。
黒と赤の渋い輝きを放つ、
多目的中型宇宙船【ドレッドレッダー号】
幼い頃からお祖父ちゃんと一緒に、
ほとんどの時間をこの宇宙船で暮らしてきたショーンにとって、
ここは大切な帰るべき場所。
そのお祖父ちゃんが2年前に亡くなったとき、
この家をしっかり守ろう、とショーンは固く決意していた。
◇ ◇ ◇
「おかえりなさいませ、坊ちゃま!」
ハッチが自動的に開くと、薄紫のポニーテールがふわりと揺れ
濃い緑の瞳の少女が元気いっぱいに飛びついた。
メイド・アテナ――
ショーンが4才の頃からずっと身の回りの世話をしている、
可愛らしいメイド・ヒューマノイドだ。
「ただいま、アテナ」
ショーンより少し背が低い、155センチの小柄な体。
ショーンが身長を追い越した時など、
『あの小さかった坊ちゃまがこんなに成長して……
アテナ、とっても嬉しいです』と、
素直に喜んでくれる、優しくてちょっと大人びて見える娘。
柔らかく包み込むような出迎えに、
今日もここを守れたんだ――ショーンはほっとするのだった。
軽く頭を撫でると、アテナは嬉しそうに
髪色と同じ“獣耳”をピクピク揺らし、
スラスターパンプスをフィーンと噴射、
ショーンの周りを器用にくるくると周る。
「本日のお仕事、お怪我ございませんでしたか?」
「うん、大丈夫だよ」
「どれどれ?バイタルスキャン……
うん、異常無し、良かったです!」
ショーンの健康状態をチェックし終えたアテナは
ホッと胸を撫でおろした。
「明日はようやくお誕生日、そして成人ですね!
坊ちゃまが宇宙探索者に……
アテナ、とっても誇らしいです!」
アテナはまるで年下の仲良し妹のように、
ショーンへ懐いている。
「さっそくご飯にいたしますね♪」
準備しようとキッチンに向かいかけたアテナだったが、
それじゃ先にシャワー浴びてくるよ、
と、ショーンの一言を聞くや否や、
スラスターの逆噴射で滑るようにバックダッシュで戻ってきた。
「そ、それではお背中を………」
「え、いやいや………シャワーだから。
………そうそう、
シャワー浴びたら、すぐにご飯食べたいなぁ」
アテナは少し残念な素振りを見せつつも、
それでは何かあればお呼びくださいね?
と、再びバックウォークでキッチンに戻っていった。
◇ ◇ ◇
アテナの背中を見送ってから、
ショーンは脱いだジャケットをリビングのラックに掛け、
ドレッドレッダー号中央区画の
生活ブロックにあるシャワールームに入った。
祖父のこだわりのお風呂でも良かったが、
こっそり入ると『一緒に入りたかったのに坊ちゃま酷いです!』
と詰め寄られるので、近頃はずっとシャワー生活だ。
壁際に備えた配管が静かに振動し、
低重力に合わせた水圧調整装置がかすかに唸りを上げる。
扉をスライドさせると、湿度管理のライトがぱっと明るく灯る。
ショーンはスラスターブーツのロックを外すと、
スーツを脱いで軽く伸びをした。
肩の筋肉がきしむ。
今日が最終日だったとはいえ、点検作業に加えて
広範囲デブリ回収と、いつもより体力を使っていた。
シャワーを起動させると、
低重力仕様の水流が霧のように広がった。
水は壁に当たっても跳ねず、スッと吸収されるように流れ落ちる。
ショーンは目を閉じ、髪を濡らしながら深呼吸した。
温度はちょうどよく、体の芯にゆっくり広がっていく。
――今日で終わったんだ。
昼間の出来事が順番に浮かんできた。
リーダーのジャック……
正直お前が抜けるのは痛いよ……
おっちゃん達……
エースが居なくなると、俺の負担がさぁ……
心の底から言ってくれて温かかったな。
けれど、サンドガス――
“よう、しょんべん君”
シャワーの水音の向こうに、あの嫌な声が響く。
普段なら聞き流すだけで済むのに、今日は何か違った。
妙にじっとりしていて、にやけ顔の奥に変な陰があった。
ショーンはシャワーの温かさで気持ちを洗い流すように目を閉じた。
――サンドガスのことは、何かあるなら対処すればいい。
切り替えると、シャワーを止め、
タオルで体を拭きながら髪を軽く整えた。
鏡には、少しだけ光線焼けした顔と、
少年から大人へ変わっていく途中の自分が映っていた。
◇ ◇ ◇
廊下へ出ると、シチューのいい匂いが鼻をくすぐった。
アテナの手料理。
マクスヴェイン家に伝わる古いレシピを忠実に守りながら、
アテナなりの工夫が加えられている“家庭の味”だ。
キッチンへ向かうと、アテナが忙しそうに動いていた。
白い清潔感あるエプロンを身にまとい、
丁寧にシチュー鍋を混ぜている。
「あっ、坊ちゃま。シャワー早かったですね!」
「うん。腹減ったからね」
「ふふっ、ご期待に応えますっ」
その明るい声だけで、胸の奥のざわつきが薄れていく気がした。
食卓には、今日のメニューがずらりと並べられていた。
・農業コロニー産 放し飼いチキンのシチュー
・アテナの手作り焼きたてパン
・月面農場で採れたフレッシュサラダ
・レモン果汁水
パンは湯気が立っていて、
シチューの匂いが優しく食欲を誘う。
アテナは胸を張り、誇らしげだ。
「今日は坊ちゃまの“前夜祭”ですから!」
「そんな大層なもんじゃないよ。でも……ありがとう」
席に着くと、アテナはすぐ隣の席にちょこんと腰掛けた。
家族の食卓……そんな気がして、胸が温かくなる。
「どうぞ、お召し上がりください」
「いただきます」
スプーンをすくうと、チキンがほろほろ崩れ、
口に含むと深い旨味が広がった。
「うま……」
「えへへっ、よかったぁ!」
パンは外がさっくり、中がふわふわ。
サラダはシャキシャキ感と月面野菜の甘味が、
シチューにすごく合う。
「今日ね、ジャックさんが……」
ショーンはシフトの話をしながら、シチューを頬張った。
アテナは頷いたり、驚いたり、
僕の話を本当に楽しそうに聞いてくれる。
彼女が微笑むと、ショーンの心も自然に軽くなるのだった。
◇ ◇ ◇
食事を終え、皿を片付けながらアテナが嬉しそうに言った。
「家事終わったら……“妹モード”で♪」
その言葉だけで、顔が熱くなる。
アテナはスラスターを軽く噴かして、
ショーンの周りをくるっと回る。
その仕草に思わず吹き出しそうになる。
どこか楽しくて、可愛すぎて。
ソファでショーンが一息ついていると、
アテナが胸にクッションを抱えながら、
ゆっくりとショーンに近寄ってくる。
「おにいちゃん〜♪」
その甘い声に胸が跳ねた。
ショーンは苦笑しながら自分の横をポンポンと叩いた。
アテナは分かり易くショーンに近寄ると、
よいしょっとショーンの横に座りぴったりとくっついて来る。
アテナの“おにいちゃん”呼びはいつもの通り、
いたずらっぽく、ショーンに甘えたい時だけ。
「今日もいっぱい働いたんですね!
えへへ、肩揉みますね?」
「いや、いいよ……大丈夫」
「いいえ、こってます。隠しても無駄です!」
有無を言わさず細やかなタッチで肩を揉みだすアテナ。
「もうすぐ日付が変わるな……何か少し、ドキドキするよ」
「私も……おにいちゃんが正式に船長になれば、本来の役割――『アストロノイド』としてのシステムも全て開放されます」
アテナはそう言って、ほんのすこしだけ頬を染めたように見えた。
「本来の宇宙船操縦機能……早くおにいちゃんの役に立ちたいです!」
そう言って笑うアテナの目は、心の底から嬉しそうだった。
「おにいちゃん……今夜、お誕生日の瞬間、一緒に居ちゃダメですか?」
「うん……そうだね」
アテナは満面の笑みで僕の手を握り、軽く跳ねた。
◇ ◇ ◇
ショーンとアテナはソファにもたれたまま、
静かな時間を過ごしている。
リビングの時計は、いよいよ23時58分を示している。
あと2分。
アテナが僕の肩に頭を預けながら、小さく呟いた。
「……もうすぐですね」
その声音は、どこか寂しげで、
どこか嬉しそうで、複雑に揺れている。
僕はアテナの頭を優しく撫でた。
「うん。アテナが祝ってくれると、なんか実感湧くよ」
「もちろんです。アテナは……いつだって」
アテナの獣耳がふわり揺れた。
その柔らかい温度に包まれながら、僕は静かに時を待つ。
……あと1分。
秒針が静かに進む。
鼓動が少し早くなる。
そして――
午前0時
その瞬間、部屋の照明がふわり揺らいだ。
ドレッドレッダー号の中枢AIから、通知音が控えめに鳴る。
――ピンポーン。
「坊ちゃま、メッセージを受信しました……!」
アテナの声が少し震える。
前のめりになってモニタを表示した瞬間、僕の息が止まった。
メッセージが2通。
――【送信元:市民局】
――【送信元:アレックス・マクスヴェイン(予約送信)】
シょーンの祖父の名前。
心臓が大きく跳ねた。
「お祖父ちゃん……?」
僕が呟くと、アテナが静かに僕の手を握った。
手のひらがあたたかくて、涙が出そうになる。
市民局からの文書が先に開く。
======== 次回更新へつづく ========
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません




