5.お姉さんと夜
魔王城の一室。お風呂上がりの湯気がほのかに漂うなか、バスタオル姿の天音さんがじっと俺を見つめてくる。
「陽斗くん……お風呂上がりのこの時間、どう過ごすつもり?」
「そ、それは……リラックス、ですけど……。」
目を泳がせた俺を見た天音さんはニヤリと笑いながら、じわじわと距離を詰めて いく。
「ねえ、マッサージ、してあげましょうか?」
「えっ、ええっ……」
「何、想像しているのかしら?どこ触られるって思ったの?」
「え、えっと、その……肩とか……」
天音さんは、肩に手をそっと置いてきた。
やばい。これはやばい。いや、これは肩のマッサージだ。
「ふふ、そうよね。でも、肩のマッサージが終わったら、次はどこをほぐしてほしいか、言ってね?」
「ま、待ってください!まだそっちには行かないでください!」
「どうして?遠慮しなくていいのよ?」
天音さんの指先が、肩から腕へと滑りながら、俺の顔をじっと見つめる。
「……そ、そういうのは……やっぱり……その……」
「そういうのって?何?」
天音さんの指先が、俺の太ももを滑らせる。
「陽斗くんて…童貞?」
この魔王、とんでもないこと聞いてきた。
「はあ!?!?な、何言ってるんですか!怒りますよ!」
「ふふっ…。私が卒業、させてあげようか?」
「そ、そんなの無理です!まだそんな準備も、覚悟もできてないんですから!」
天音さんはいたずらっぽく笑う。
「んー?じゃあ、まずはマッサージのつもりで……ゆっくり、焦らしてあげるのもいいわね。」
「ちょっ、ちょっと待ってください!焦らすのはやめてください!絶対やめてください!」
天音さんニヤリと笑った。魔王にふさわしい微笑みだった。
「なーんてね!……こんなことで動揺しているようじゃ、私を倒すことができるのかしら?」
天音さんがくすりと笑いながら、俺の額にそっと指をつく。
「……な、なんでそんな意地悪ばっかりするんですか!」
「意地悪?私はただ、勇者としての覚悟を問うてるだけよ?」
「マッサージで覚悟を問う魔王って、どうなんですかそれ!」
「うふふ、だって可愛いんだもの。陽斗くんが、あたふたしてるの見るの、昔から好きだったでしょ?」
「ぐっ……!」
天音さんの言葉に俺は目を伏せる。小さいころの思い出が、嫌でも蘇ってくる。
「……あの頃から、俺のこと……からかうの、好きでしたよね」
「うん、だって反応が素直なんだもの。いじりがいがあるのよ?」
天音さんはどこか楽しそうに微笑むと、ふわりと立ち上がり、背伸びをひとつ。
「さて、今日はこのくらいにしておいてあげる。でも――」
その目が、また魔王らしい妖しさを帯びた笑みで輝いた。
「次こそは、もうちょっと覚悟してもらうわよ?本気の魔王モード、見せてあげるから」
「ほ、ほどほどにしてくださいよ…」
魔王になっても、天音さんは天音さんだった。
「さあ、夜も遅いし、そろそろ寝ましょうか?昔みたいに一緒に寝ましょう?」
部屋にはキングサイズのベッド。
2人で寝るには充分な広さだ。広さは全く問題ないのだけれどーー。
「い、一緒に……って、そ、それは、あの、どういう意味で……?」
「どういう意味もなにも、そのままの意味よ? 広さは十分あるんだし――あら、もしかして……意識しちゃってるの?」
「い、意識なんて……するに決まってるじゃないですか!!」
「ふふっ……素直でよろしい。」
天音さんはゆったりとした足取りでベッドに近づくと、ふわりとその上に腰掛けた。
「こっち、来なさい。逃げ場なんて、最初からないのよ?」
「お、俺、床で寝ますから!!」
「そんなところで寝たら、風邪をひいちゃうよ。魔王命令よ、こっちに来なさい?」
「天音さんと一緒なんて……その、心臓がもたないです!」
「ほら、そんなに怖がらないで。今日は、何もしないわ。……たぶん。」
「たぶんって言いましたよね今!? “たぶん”ってなんですか!」
「陽斗くんが可愛い反応をするから、つい……ね?」
「こっち、来て。……寂しいのよ、私だって。」
その一言に、陽斗の心臓が跳ねた。
寂しい。
天音さんは、昔からどこか読めない人だった。
俺をからかうのが好きな、でも優しくて頼りになる、大好きなお姉ちゃん。
そんな天音さんが、寂しいなんて。初めて聞いた。
「……ちゃんと離れて寝ますからね」
「おやすみ、陽斗くん。」
「……おやすみなさい、天音さん。」
魔王と勇者――
敵同士であるはずの関係のなかで、少しずつ近づく心の距離。
その夜、俺はなかなか寝つけなかった。
それでも――どこか、悪くない気がしていた。