聖騎士ユリシアス・ガルウェイン
栄養不足の体に火傷の負担が加わったせいで、フィアナは数日高熱を出した。
熱にうなされながら、数日夢と現実の間をさまよっていた。
夢の中でカトルに名を呼ばれ、頬を撫でられ、優しく口付けられたような気がした。
生命の林檎の木の下で抱き合い、一つの林檎を二人で食べた。
「……カトル様」
どうして恋心は、消えてくれないのだろう。
──どうして、出会ってしまったのだろう。
愛される喜びを知らなければ、喪失の悲しみも知らないままでいられたのに。
目覚めると、涙が頬を流れ落ちる。
数日して起きることができるようになっても、背は痛み続けていた。
自分では見ることができないために、傷の様子がわからない。
それでも命に別状はないのだから、よほど頑丈に体ができているのだろう。
動けるようになるとすぐに、フィアナはカトルからの呼び出しを受けた。
玉座の間に座るカトルの前に、まるで臣下のようにフィアナは膝をつく。
赤い絨毯の敷かれた玉座の間には、左右に鎧をつけた兵士たちが並んでいる。
カトルは足を組んで玉座に座っており、冷たい目でフィアナを見下ろしていた。
フィア、と名前を呼んでくれたカトルは、フィアナの願望が見せた夢だったのだろう。
カトルの瞳は、まるで──母を見る父と同じ。
興味をなくし、むしろ邪魔だと妻を蔑む、男の目だった。
フィアナが臣下の礼をしながら顔をあげろと言われるのを待っていると、もう一つの足音が玉座の間に響いてくる。
フィアナの他にも、誰か呼ばれたようだ。
その誰かは、フィアナの隣に膝をついて頭をさげた。
「揃ったな。二人とも、顔をあげろ」
カトルの声に、フィアナはようやく顔をあげる。
立ち上がると、スカートを摘んで礼をした。
動く度に服がすれて背中が痛んだ。──きっと、酷い姿をしているだろう。
かつてカトルと出会った時のフィアナも、目も当てられないぐらいにぼろぼろだっただろう。
あの時のフィアナをカトルは美しいと言ってくれた。
もう、フィアナを褒めてくれたカトルは、どこにもいない。
わかっているのに、その顔を見ると、その声を聞くと胸が震える。あなたが好き。どうか、捨てないで。一緒にいたい。
頭も胸も擦り切れるように痛む。悲しみに、四肢がばらばらにちぎれてしまいそうだった。
そのままちぎれて、粉々になって、消えてしまいたい。
フィアナの隣にいるのは、騎士の鎧を着た背の高い男だった。
知らない男だ。恐らくは聖騎士のうちの一人なのだろう。
カトルはフィアナに自分以外の男が近づくのを嫌っていたために、聖騎士たちとは未だ挨拶も交わしていなかった。
カトルと過ごした時間はたった一ヶ月。
次の一ヶ月はカトルは不在で、この数週間は、フィアナは城の中でさまよう幽霊のように暮らしていた。
知り合う機会もなければ、時間もなかった。
「フィアナ。そこにいるのは、ユリシアス・ガルウェイン。聖騎士団団長だ。だが、先の戦で怪我をしてしばらくの療養を必要としている。お前は今日から、ユリシアスの伴侶となる。療養の手助けをしてやるといい」
「……はい」
カトルはフィアナと離縁をし、ユリシアスに下賜をすると告げていた。
フィアナは静かに頷いた。
ユリシアスは怪我をしているようには見えない。その立ち振る舞いは、怪我人のものとはとても思えなかった。
だが確かに、彼の顔には包帯が巻かれている。その片目は、包帯によって塞がれていた。
艶やかな長い黒髪と、騎士団長というだけあって逞しい体躯の男だ。
不機嫌そうに口元は歪められて、同じように眉を寄せ、厳しい眼差しでカトルの背後を睨み付けるようにしていた。
「俺からは、以上だ」
それだけを告げると、カトルは立ち上がり去って行く。
あとに残されたフィアナは、ユリシアスの隣でただ立ちすくんでいた。
──捨てられた。
カトルに、捨てられた。
ただ虚しさだけが、空っぽの心の中に広がっていく。
「フィアナ様。不本意でしょうが、私と共に、いらしてください」
「……はい。……ユリシアス様。どうぞ、よろしくおねがいいたします」
不本意なのは、フィアナではない。
ユリシアスのほうがよほど不本意だろう。
彼は立派な身分にありながら、いや、立派な身分だからこそ、カトルにフィアナを押しつけられたのだ。
「ユリシアス様。私は、できる限り、あなたのお邪魔にならないようにいたします」
「……そうですか。では、いきましょう」
挨拶を交わすこともせずに、ユリシアスはフィアナを一瞥したあとに歩き出す。
フィアナはその背を、急ぎ足で追いかけた。
本当は苦しくて悲しくて、その場に座り込んで泣きじゃくりたかった。
でも。そんなことをすれば、ユリシアスに迷惑がかかってしまう。
大丈夫だと自分にいいきかせる。
カトルに愛されたのは、ひとときの夢のようなものだった。
夢はいつかさめる。フィアナはただ、夢から、さめただけだ。




