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初夜



 唇を合わせながら、とさりとベッドに押し倒される。

 フィアナにとって口付けとは、どこか暗く淫らでおそろしいものだと感じられていた。


 けれど、もしかしたら違うのかもしれない。

 カトルの唇は強引だが、触れては離れていき、熱の籠った翡翠色の瞳で見つめられて再び触れられると、頭の芯が炎をともした蜜蝋のように蕩けていくようだった。


「フィアナ、痛いときや、怖いときは言え。途中で止める自信はないが、可能な限り優しくする」

「……は、い、陛下……」

「カトルでいい。名を呼べ」

「カトル、様……」


 おずおずと名前を口にすると、カトルは満足げな笑みを浮かべる。

 フィアナの華奢な体の上に覆い被さるカトルは──自信に満ちあふれていて、フィアナの瞳にはとても眩しく映った。


 再び唇が合わさり、舌が口腔内に押し入ってくる。

 フィアナは驚いて瞳を見開いた。くちゅりと舌がすりあわせられる。

 人には触れさせてはいけない場所を触れあわせている禁忌に、フィアナの体は震えた。

 

 口蓋の凹凸を舐られると、背筋がぞわりとする。それは、拒否感とは違う。悪寒とも違う何かだ。

 緊張していた体から、くたりと力が抜ける。

 カトルはそれに気づいたように、さらに大胆に、深く口付けを続けた。


「ん……ぁ……」

「可愛いな、フィア。そのまま力を抜いていろ。全て俺に任せておけばいい」

「カトル様……」


 ──本当は、怖い。

 カトルとは会ったばかりだ。彼のことは何も知らない。

 肌に触れられると、叩かれ蹴られた記憶ばかりが頭を支配して、逃げ出したくなってしまう。


 国王陛下であるカトルを拒絶することなど、フィアナにはできない。

 フィアナは目を閉じる。

 おそろしさから、目をそらすように。

 その愛情の籠る瞳や、強引だが優しい手のひらや、心の奥に深く響くような快活な声を。

 信じたい。


「フィアナ、愛している。俺の命を、君が繋いでくれた。今ここに俺がいるのは、全て君のおかげだ」

「……カトル様」


 息も絶え絶えになりながら、カトルの名前を呼ぶ。

 フィアナの体の形を確認でもするかのように、無骨な手がフィアナの白く滑らかな肌に余すところなく触れていく。

 自分でも知らない自分の体を、その熱を、一つ一つ教えられていくようだった。


 暴風の中で、カトルに抱きしめられながら立ちすくんでいるような、自分の中身をそっくりカトルに明け渡すような──切なさと、禁忌を伴う陶酔に、フィアナはただただ身を任せることしかできない。


「カトル様……っ、ごめん、なさい、はずかしい……です、わたし、こんな……」

「謝らなくていい。……あぁ、本当に可愛いな。どこに触れても、恥じらってくれる。大輪の花が開く前の、蕾のようだ。俺にだけ開いてくれ、フィア」

「カトル様……」

「愛している、フィア。君も俺を、愛してくれるか?」

「っ、……は、い、カトル様……あなた、を……」


 好きになりたい。好きになってもいいのだろうか。

 カトルを受け入れ、その背に腕を回してしがみつくと、互いの境界が曖昧になってくる。

 生理的な涙がぼろぼろこぼれた。

 泣くのはいつぶりだろう。母を亡くした幼い日から、フィアナは泣くことをやめた。


 涙を流しても、変わることなど何もないと気づいたからだ。

 だが今は、涙と共に、今まで感じていた真綿で首を絞められるような息苦しさが消えていくようだった。


 無念の中亡くなった母が、死者の国でゆっくりと眠れるように。

 ──幸せに、なりたい。

 

 フィアナにできることはカトルを信じることだけ。

 そして、彼のために努力をすることだけだ。


 こんなに優しくしてもらったのは、欲してもらったのは、人として扱ってもらったのは、母が亡くなって以来だった。

 戸惑いはあるものの、そこには確かな喜びがあった。


 カトルならば、怖くないと思うことができた。


「フィア……すまないな。夢中に、なってしまった。痛みはないか? どこか、辛いところは」

「……大丈夫です、カトル様」

「どうにも、君は我慢強いようだ。怖いときは怖いと、嫌な時は嫌だと言っていい」

「はい。……ありがとうございます、カトル様」

「俺を頼れ、フィア。……永遠に変わらない愛を、君に誓う。これからは俺が、君を守る」


 夜の帳が降りて、窓の外には星が散らばっている。

 服は全て脱がされて、とても人には見せられないような恥ずかしい姿をカトルに全て見られた。

 もう、指先一本も動くことができそうにない。

 気怠さの中で微睡みながら、フィアナは髪を撫でるカトルの優しい手の感触だけを追っていた。


「君に巻いてもらったスカーフを、大切にとっておいた。君のことを、忘れないように」

「あれ、は……お母様の、形見でした。お母様が巻いていた、もので……」


 母が亡くなったときも、母はそのスカーフを首に巻いていた。

 よほど大切なものだったのだろう。

 母の亡骸が連れていかれる前に、フィアナはそのスカーフを急いで外して服の中にしまいこんで隠していた。

 

 母のものは全て捨てられてしまったから、そのシルクの白い生地に青い薔薇が描かれたスカーフだけが唯一の形見だった。


「そうだったのか。……そんなに大切なものを、俺のために。俺の血で汚れてしまったから、君には新しいものを送ろう」

「カトル様。……もし残っているのなら、そのスカーフを、私にくださいませんか。あなたの血は、あなたの命。血がついていたとしたら、それは、あなたの命が繋がれた証拠です。ですから」

「……フィア。愛している。伯爵はどうやら思い違いをしているようだな。君のどこが……」


 カトルはフィアナの手を取ると、まるで宝物に触れるように手の甲に口付けた。



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