異民族の知恵
知恵を貸して欲しいと、フィアナはナギサとハギリに伝えた。
「知恵ですか」
「はい。森の民の、黒き蛇について知りたいのです」
「それなら、お母さんが知っているよ」
「本当ですか?」
ハギリは頷いた。
それから、フィアナを難民施設の中に案内した。
何人かの海の民たちがやってくる。彼らはハギリに恭しく礼をした。
「お母さん、海の民の王様の娘なんだって。私たち、しばらく森の民の集落で、助けてもらっていたの。でも、ある日、追い出された。森の民の王様が、お母さんのことを好きになって」
「……そうですか」
「ナギサ、向こうに。フィアナ様、こちらに」
ハギリに言われて、ナギサは子供たちが遊んでいる庭へと降りていった。
ハギリはソファセットの置いてある部屋にフィアナを案内して、共に座った。
「……うまく、はなせ……くて、ごめんなさい」
「いいえ、大丈夫です。無理に話をしなくて大丈夫です。ただ、私は黒き蛇と、呪いについて教えていただきたいのです」
フィアナは、自身の呪いについてと、イルサナのことを説明した。
ハギリは神妙な顔でフィアナの話を聞いて、頷く。
「……ゆっくり、なら、話せます。聞いていて、ください」
ハギリは海の民の王族の娘だった。海の民は土地を奪われてから、細々と暮らしていた。
各地に散らばった海の民たちが集まって暮らす小さな集落があり、ハギリはそこで海の民の男と愛し合い、ナギサを産んだ。
だが、そこに王国の兵がせめてきた。その土地の領主が、海の民の集落の存在に気付き、勝手に住んでいることに腹を立てたのである。
ハギリの夫や父王は、ハギリと幼いナギサを何とか逃がした。
そして、異民族の中でも比較的穏健と言われている森の民を頼れと言ったのだ。
ハギリはナギサを連れて、森の民に助けを求めた。
森の民の族長の元に身を寄せてしばらく暮らしていたが、父ほどの年齢の族長は、やがてハギリに懸想をするようになった。
もちろんハギリは拒否をした。ナギサもいる。亡くした夫を忘れたことは一度もない。
ハギリが抵抗をすると、族長はハギリの喉を潰した。
娘も同じようにすると言われて、ハギリは抵抗することができなくなってしまった。
それからしばらく、ハギリは耐えていた。
逃げ出すことも考えたが、逃げ出したところでどうやって生きていけばいいのかわからない。
大人しくしていれば、家も服も食べものも与えられたのだ。
ナギサの為と思い、我慢をし続けていた。
「森の民は、私を、毒婦と蔑みました。……族長の娘、イルサナは、私たちを恨みました。あの時、あの子は……まだ、少女でした。ですが、とても、残酷でした」
「何か、されたのですか」
「……呪いを、かけたのです。ここから、出ていかなければ殺すと、脅されました。黒き蛇は、その者の、持ち物を媒介にして、相手を呪います」
たとえば、森の民の集落に責めてきた軍の落とした剣や、切り取った髪や、爪などの体の一部、ハンカチや、装飾品。
物を喰らい、者を呪う。
それが、長らく森の民を守ってきた神の力なのだという。
「呪われると、体に、印が現れます。私の印は、ここに。そして、ナギサにも。ナギサはこのことを知りません。私はずっと、怯えながら生きています。いつ、命を奪われるのか。ナギサの命を奪われることがおそろしく、生きた心地が、しません。それはなによりも辛いことです」
ハギリはそう言うと、服の前合わせを開いた。
胸の上に、黒い印がある。
それは、茨に心臓を絡めとられたような、不吉な印だ。
フィアナは目を伏せる。そして、唇に手を当てて思案した。
「その印、私にはありません」
「印がないのなら、フィアナ様は、呪われていません」
「そうなのでしょうね。ですが、カトル様はそれを信じた。……あの時、カトル様の剣には、確か」
フィアナが巻いたスカーフがなかった。
あの時は気づかなかったが、あの剣は──。
「カトル様の剣……飾りの色が、違っていました。イルサナは、カトル様の剣を黒き蛇に飲ませた。私を呪うため。私のスカーフを……ですが、あれは、私のものではないのです」
フィアナは立ちあがると、ハギリに駆け寄る。
そしてその手を感謝を込めて握りしめた。
「ハギリさん、感謝します。教えてくださって、ありがとうございました。辛い記憶を、思い出させてしまい、申し訳ありません」
「いいのです。……イルサナが、何かをしているのですか? あの子は、神の威を借る、狐。他者を自分の思うままにできると、信じています。そしてあの子と同じように、私の喉を潰した、男も……」
「あなたの仇をとり、ナギサさんの呪いをときます。できるかどうかはわかりません。ですが、私は……あなたたちや、カトル様を救います。必ず」
呪われたのは、カトルだ。カトルはその呪いの力を味わい、フィアナに危害が加えられることを恐れた。
けれどフィアナは呪われていない。
何故ならばあのスカーフは、フィアナのものではなく、母のものだったからだ。
(お母様。私を守ってくださっているのですね)
魂が、体に宿っているのだとしたら。
母の魂はきっと、フィアナを見守ってくれている。
そして、フィアナを守ってくれている。そう、強く思った。