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リリアン・ペルティエ


 ◇


 聖レストラールを崇める神殿の中心であるレストラール大神殿で、リリアンは聖人レストラールの神像の前に跪いて祈りを捧げていた。


 跪くリリアンの足元には、リリアンのものにしては大きすぎる剣が置いてある。

 その剣は、リリアンの恋人だったヨセフの遺品だ。


 恋人だった──ではない。ヨセフは、亡くなった今でもリリアンの唯一の恋人だ。


 リリアンが我儘を言って、ヨセフが彼女の護衛だったときに、二人でこっそり王都の生命の林檎の大樹の元に忍び込んだ。

 そして、二人で林檎を齧った。生まれ変わっても巡り合うと、約束をした。

 だから、リリアンの恋人は昔も今も、そして死して尚、ヨセフただ一人。


 林檎をヨセフの口に強引に押し込んだ時、ヨセフは困り果てた顔をしていたが、リリアンは平気だった。

 

 ヨセフが好きだった。困り顔で、リリアンの我儘を聞いてくれる優しい人だった。

 そして、誰かのために自分の命を簡単に捨てることができてしまう、正義感の強い困った人だった。


「まさか、こんなことになるなんて。弟のように可愛かったカトルと、刃を交えることになるなんて、思わなかったわね」


 自嘲気味に、リリアンは呟く。

 リリアンは大神官家の長女。今は聖女と呼ばれている、聖レストラールの教主である。

 大神殿には、皆の信仰をまとめて人を導く役割の他に、もう一つの役割がある。

 それは、王が道を違えた時に、諫める役割だ。


 だから、王に侍る騎士団には聖騎士団という名がついている。聖騎士団とは、聖レストラールの騎士団という意味である。有事の際は、大神殿に従う騎士団だ。

 つまり王が暴君になってしまったとき、教主は聖騎士団をひきいて、王を討たなくてはならない。


「覚悟はできている。ヨセフ、あなたを失った時から、いつでも。約束をしたわ。生まれ変わったらもう一度、あなたに会える。だから、怖くはない」


 ──カトルは暗君だと、皆が言う。

 リリアンはそうは思わなかった。カトルは、寂しい境遇に生まれながらも暗さを感じさせない快活な少年で、何の気負いもなく王太子という立場にいることをリリアンは好ましく思っていた。

 優秀で、勇敢で、少し無謀なところがあった。その無謀で危なっかしいところは、ヨセフに似ていた。


『陛下は、どこの馬の骨ともしれない女を娶った。文字も書けないような、頭の悪い女だという。伯爵家の娘だというが、社交会にも顔を出したことがない。聞けば、頭が弱いために伯爵家の下働きをしていたらしい』

『顔と体がいいのだろう。婚礼の儀式の時に見ただけだが、確かに美しくはあった』

『それだけで気に入って寵愛するとは。全く、だから妾腹は。陛下の母は娼婦だった。母と同じで、褥が好きなのだな』


 そんな噂ばかりが、リリアンの耳に入ってくる。

 ひどいものだと、思っていた。リリアンは立場上笑顔で相手をしていたが、貴族というのはどうしようもない。

 カトルは今までよく国を守っていた。兵を引き連れ各地を転戦していた。ヨセフは『殿下は前に出過ぎる。王太子殿下になにかあれば、国の大事だ。それなのに、兵卒よりも前に出て敵陣を切り裂くのだから困ったものだ』と言っていた。


 兵に守られることをよしとせず、自分の力で誰かを守ろうとする王が──暗君とは思わない。

 リリアンはカトルの妻フィアナに一度だけ会った。


 カトルが大神殿に祈りに来た時、フィアナを連れていたのだ。

 挨拶をすると、フィアナは恥ずかしそうに遠慮がちに微笑んで、口数少なく「はじめまして」と言っていた。


 淑女の礼も、挨拶も、そしてマナーも、リリアンの目から見てフィアナは完璧だった。

 伯爵家の下働きをさせられていたというのが本当ならば、カトルの元に来てから必死にそれを身につけたのだろう。


 フィアナは緊張した面持ちで神像に祈りを捧げたあと、聖ヨセフの神像の横にある石碑に書かれた教典の文字を、じっと見つめていた。

 それからカトルに微笑んで「よき人に、なれと。他者を愛せ、と。罪人を、許せ、と。よい言葉です」と言っていた。


 文字も、読めるようになったのだろう。その姿を見て、リリアンは泣きそうになった。

 彼女の背後に、彼女の歩んできた辛い人生が見えた気がしたからだ。


 カトルはそんなフィアナを愛し気に見つめて「君は、俺だけを愛していればいい」と冗談めかして言っていた。きっとフィアナが、可愛くて仕方ないのだろうなと感じた。

 そこには純粋な愛があった。


 貴族たちのいうように、肉欲だけに溺れているとはとても思えなかった。

 リリアンは二人を祝福した。リリアンの恋人は早逝してしまった。

 だからせめて、愛し合う二人には幸せになってもらいたい。それだけがリリアンの望みだ。


 だが──それからほどなくして、カトルはイルサナという女を城に迎え入れた。


「カトルを、討たなくては」


 イルサナは森の民。それ自体は、リリアンは問題とは思わなかった。

 王が妃を何人も迎えるのは、よくあることだ。

 異民族との友好の証に、異民族の女を側妃にするというのは、理にかなっている。


 今までの王はそうしたことをしなかった。異民族はあくまでも異民族。

 それは排除するべきものだというのが、王国民の考え方だ。海の民などは──土地を奪われ、流浪の民になっている。働く場所もなく、苦しいばかりの生活を送っている。


 カトルはそれをどうにかしたいと言っていた。だから、森の民と和睦をしたのだろう。

   

 ──だがその後だ。

 イルサナの暴虐は目に余るようになっていった。


 城に森の民を連れてきて、城で働いていた者を追い出して重職につかせた。

 自分に阿る貴族たちを集めて、酒を飲み、ゲームに興じてばかりいる。


 国費を賭けては遊び、民のことなど顧みない。まるで、遊びを覚えたばかりの子供のようなありさまだという。

 

 苦言を呈した者たちを、カトルは城から追い出した。

 フィアナは、いつの間にか城から消えていたそうだ。カトルが斬り殺したという噂まで流れてきた。


 リリアンの元には、心ある者たちが助けをもとめて集まってきていた。


『陛下は、どうかしてしまった』

『フィアナ様を妻に迎えた時には、まともだった』

『フィアナ様も勉強熱心な方だった。たったひと月で文字を覚えて、図書室の本を読み漁っていた。偉ぶらず、謙虚で、どんな立場の者にも声をかけて礼を言う、心の綺麗な方だった』

『侍女たちは、フィアナ様を貶めました。それに意見をした者は、私を含めて孤立させられて、城から逃げることしかできませんでした』

『イルサナ様が、フィアナ様の背に熱湯を……フィアナ様の背は、焼け爛れて……』

『イルサナ様はおそろしい人です。カトル様はどうして、イルサナ様を選んだのか』


 全てが手遅れになってから声を上げたところで──と、リリアンは思った。

 だが、きちんとフィアナを見ていた者たちも城にいたことに、同時に安堵した。


 そうでなければ、この国に守るべきものなどないと、思ってしまいそうになるからだ。


「善き隣人もいれば、悪しき隣人もいる。聖レストラール様。カトルは悪しき者になってしまったのでしょう」


 いよいよリリアンが決断をしなければいけなくなったのは、イルサナが大神殿に彼らの神の神像を建てると言い出したからだ。


 各地にある聖レストラールの神像を打ち壊し、そこに黒き蛇の神像を建てるのだと。

 カトルはそれを許したのだという。


 ──それは、冒涜だ。

 長く続く王国史の中で、そこまでの冒涜をする王を、リリアンは知らない。


「行ってまいります」


 今、大神殿にはカトルに反旗を翻した者たちが集まっている。

 リリアンは大神殿の扉を閉じて、城からの使者を追い払っていた。


 大神殿はカトルの兵たちに囲まれている。イルサナが、言うことをきかない者は処断をしろとでも言ったのだろう。


 きっと噂は本当だ。カトルはフィアナさえ、その手にかけたに違いない。


 戦う準備はできた。

 暗君と成り果てたカトルを、討たなくてはいけない。


「リリアン様、お待ちください……!」


 ヨセフの剣をもって立ちあがるリリアンの元に、駆け寄ってくる小柄な影がある。

 それは海の民と、そしてユリシアスを連れた、もうとっくに死んだとリリアンは思い込んでいた、フィアナの姿だった。



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