雪のようなスノルジア
◇
白馬は、フィアナとユリシアスの前で足を止めた。
フィアナはユリシアスの腕の中からもがき逃げると、白馬に駆けよる。
そして、その首にぎゅっと抱きついた。
「あなたは、カトル様の……」
まるで、カトルが目の前に現れたようだった。
でも、白馬は一頭きり。それも、裸馬だ。王の愛馬がどうして──。
「スノルジア」
「この子の名前ですか」
「あぁ。カトル様が、白雪という意味で名付けた」
「……私は、そんなことも尋ねることができませんでした。スノルジア、あなたの名前」
フィアナはスノルジアの頬を撫でる。白い毛並みの美しい馬は、フィアナの胸をなにか言いたげに鼻先で押した。
「カトル様に、何かあったのでしょうか」
「どうしてここがわかった、スノルジア。あぁ、そうか。シャルデアの気配を追ってきたのか。お前たちは兄弟馬だから、わかるのだろう」
ユリシアスがフィアナの隣に来て言う。
スノルジアは苛立たし気に地面を蹴って、責めるような瞳をユリシアスに向ける。
「……そう、怒るな。裏切り者と言いたいのか。それは、私が一番よくわかっている」
「ユリシアス様、カトル様に何かが起こったのかもしれません。だから、スノルジアは私とあなたの元に。私、行かなくては」
「……フィアナ」
ユリシアスはフィアナの腕を掴んで引き寄せる。
背後から抱きしめられて、フィアナは身を竦めた。
うまれたばかりの儚い恋は、たしかに心にある。けれど今は、恋に溺れている時ではない。
誰かに頼るのではなく、自分の足で立たないといけない。自分の頭で考えないといけない。
立場に委縮してスノルジアの名前さえ聞けなかった自分のままでは、永遠に役立たずのままだ。
たとえ傷ついたとしても、ブラッドベリ―の茨に手を突っ込んで、その中にある真実を探し当てたい。
──ユリシアスは何かを、隠している。
「フィアナ。私がここで、君を……カトル様に近づけないように攫ったら、君は私を愛してくれるのか?」
「……ユリシアス様。私は確かに、あなたに恋をしました。ですが、私は……きっとあなたから逃れて、カトル様の元に行くでしょう。スノルジアがここに来たことには意味があります」
スノルジアは人語を離せない。だが馬は聡明だ。
きっと、フィアナやユリシアスに助けを求めに来たのだろう。
カトルに何が起こっているのかはわからない。だが、王都にいかなくては。
「私はカトル様に救っていただきました。たとえ嫌われていも、そこになにがあるとしても、私は、カトル様を助けたい」
「……フィアナ。私は、カトル様を裏切った。一度裏切ったのだから、裏切り続けることに、痛みはない」
「ユリシアス様。……お願いです。あなたはカトル様の友人。カトル様はあなたを信頼なさっています。……王都に行かせてください。カトル様のご無事がわかれば、私はあなたと共に。あなたの傍に」
ユリシアスの腕に力が籠る。彼は、スノルジアを見捨てて、そしてカトルを見捨てて、フィアナを連れてどこかに身を隠す気だ。
その怜悧な美貌の奥にある激しい熱は、いっそ恐ろしいほど。
主君を裏切ることも厭わない、苦悩の先の冷酷な判断力がある。
その熱は、フィアナの肌を焼くようだった。
何もなければ、喜んで受け入れていただろう。でも、今はカトルのこと以外は考えられない。
それは、愛や恋とは違う。恩人を救いたいという、人としての、正しさだ。
「すまない。……あなたを、脅した。私は自分が、おそろしい。愛は、私を変えてしまう」
「ユリシアス様。……嬉しく思います。そこまで想っていただけるような価値は、私にはないのに」
「あなたは、どんな宝石よりも美しい。あなたがそれを知らないだけだ」
「……ありがとうございます」
「……フィアナ。着替えよう。話はその後に」
「はい」
ユリシアスの腕が解かれる。安堵して見上げると、そこには感情を心に押し込めたような、いつもの冷静な表情をしたユリシアスの姿があった。
スノルジアを待たせて、フィアナは家の中に戻ると着替えをした。
これから王都に向かう。そのため、動きやすい服を選び、ローブを羽織った。
ユリシアスも着替えを終えている。彼は久々に、腰に剣をさしていた。
ここでは帯剣をする必要はあまりないといって、剣を外していることが多かった。
きっちりと軍服を着てマントを羽織っている、片面をつけた聖騎士団長の姿だ。
「……ユリシアス様のそのお姿、久々に見ました」
「あぁ。ここ数週間、ずいぶん休んだ。……あなたのおかげで、瞳も癒えた。立場も身分も忘れてしまいそうになるほどに、穏やかな毎日だった」
「私も……悲しみに沈んでばかりいましたが、笑うことができるようになりました。役に立たなくても、生きていていいのだとあなたがおっしゃってくださったから、救われたような、気持ちです」
カトルのために、フィアナは手紙を書いていた。
言葉だけでは伝わらない。伝えることができないからと、文字に書き綴っていた。
カトルの役に立ちたい。城の中では、なんの役にも立たないと。
フィアナは、そんなことを書いたように思う。
そうではないのだと、今は感じる。
フィアナは、カトルを救いたい。大人しくなんてしていられない。たとえ迷惑でも、拒絶をされたとしても。彼が苦境の中にいるのならば、強引に、手を差し伸べたい。
役に立ちたいわけではない。自分がそうしたいから、そうする。ただ、それだけだ。
「──フィアナ。ずっと、隠していた」
「はい」
「言うなと、言われた。あなたの身に何が起こるかわからないと。だが、あなたには伝えるべきだろう。……あなたには、呪いがかかっている」
「呪い……?」
「あぁ。森の民の呪いだ」
だから王都には行けないと、ユリシアスは言った。