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激しい熱情



 ◇



 水の滴る肢体が、柔らかい日差しに照らされて輝いている。

 ここに来た時には貧相なばかりだったフィアナは、怪我も癒え肉付きもよくなっている。

 若々しい魅力的な体を両手で恥ずかしげに隠す姿が愛おしく、狂おしくユリシアスの心を震わせた。


 ユリシアスは、リリアンだけを愛していくのだと、考えていた。

 カトルとユリシアス、そしてリリアンが出会ったのは、王家の夜会でのこと。

 

 聖騎士団を務めるガルウェイン家は、王家と近しい存在である。

 ユリシアスは見習い騎士として、カトルの護衛を務めていた。

 

「はじめまして。私はリリアン。大神官家の娘よ。よろしくね、ユリシアス」

「はじめまして、リリアン様」

「リリアンでいいわ。様なんて呼ばれると、くすぐったくていけないわ」


 ユリシアスが挨拶をすると、リリアンは軽やかな笑みを浮かべた。

 カトルはリリアンのことを「妙に、態度が軽い。皆に愛想を撒き散らす、困った女だ」と言う。


 リリアンは次期聖女だ。聖女は恋愛をしてはいけない。 

 だからこそ誰にでも軽薄な態度をとるのだと、カトルは肩をすくめた。

 

 そんなことを本人の前で言うものだから、リリアンは「全く、カトル様は失礼ですね。私はお姉さんよ、少しは敬いなさいな」と頬を膨らませた。

 

 何か、劇的なことがあったわけではない。リリアンはよく城に遊びに来ていた。

 カトルに会いにくるたびに、ユリシアスも顔を合わせることになる。言葉を交わすうちに、共に過ごすうちに、次第に惹かれていった。


 もしかしたら──聖女とは結ばれることがないからこそ、ユリシアスは彼女に憧れと思慕を抱くことができたのかもしれない。

 ユリシアスは、自分の素顔を誰にも見せるつもりはなかった。

 だから、リリアンへの思慕に、身を焦がすことができたのだ。結ばれない前提での恋は、ユリシアスの心に安寧をもたらした。


 しかしリリアンは、恋人を作った。ある日、ユリシアスの部下であるヨセフと逢引をしているところを、偶然見てしまった。

 ユリシアスははじめて、嫉妬という気持ちを抱いた。

 まるで絵画の女神が、人に堕ちたような感覚だった。ならば自分が──彼女を手に入れてもいいのではないか、と。


 その情動に、ユリシアスは衝撃を受けた。これでは、母を攫った父と同じ。

 その血が、自分には流れている。それを眼前に突きつけられているかのようだった。


 ユリシアスは、惑った。人知れず苦悩し、周囲への警戒が疎かになり、気づけば炎の部族との戦いの最中に、敵陣に突出していた。その時、ユリシアスを追いかけ庇い、炎の矢で命を落としたのはヨセフだった。


 ヨセフの亡骸を連れて帰ると、リリアンは彼に縋って泣いた。

 いつも明るいリリアンの涙を見たのは、それがはじめてだった。


 彼女への思慕は、贖罪に代わった。贖罪と愛、二つの感情を抱えて生きて、そして死のう。


 ──そう思っていた。だからこそ、誰よりも前に出るカトルの前に、出るようにしていた。

 カトルを守って命を落とせたら、本望だと考えていた。


 役に立たない、命だ。愛した女性の愛した人を奪い、それでも捨てきれない愛を抱えて。

 

(あぁ、私は……カトル様から、彼女を任されてる。彼女を守るのが、私の義務。だというのに)


 フィアナは、カトルの最愛。カトルが守ろうとしている女性だ。

 カトルが彼女を愛している理由が、今のユリシアスにはよくわかる。


 澄んだ水のような人だ。目の前のものをありのままに受け止めてくれる器の広さがある。

 優しく聡明で健気で、強い。あれほどの怪我をしていても、辛さを顔にもださなかった。

 冷たい態度をとるユリシアスに、悲しい顔ひとつ見せなかった。


 シャルデアを大切にしてくれた。笑いながら、猫と話をしていた。

 なんの迷いもなく、海の民に手を差し伸べた。

 海ではしゃいで、無邪気に笑っていた。

 

 フィアナと過ごした時間に、ユリシアスははじめて安らぎを感じた。


「……フィアナ」


 口付けたい。その体に、触れたい。自分のものにしてしまいたい。

 フィアナが、ユリシアスに惹かれていると口にしてくれたことで、歓喜に心が震える。


 このまま、攫ってしまえばいい。主を裏切り、どこかに逃げてしまえばいい。


 父と同じように。衝動に身を任せて、欲しいものを手に入れてしまえばいい。


 それは罪ではない。フィアナはユリシアスを想ってくれている。


(だがそれは……カトル様の愛が自分にはないと、思い込んでいるからではないのか)


 カトルの元に、果たして彼女は帰るのだろうか。カトルのせいで傷つけられて、カトルのせいで、これほどひどい怪我を負ったというのに。


「……っ」

「フィアナ。……少しだけ。こうしていていいか」

「……はい。……ユリシアス様が、お嫌でなければ、どうか」

「それ以上は言ってはいけない。歯止めがきかなくなる」


 華奢な体をきつく抱きしめて、ユリシアスはフィアナの首筋に顔を埋めた。

 蝶の羽のような傷跡が残る背に慎重に触れる。


 奪い去ってしまいたい。

 何もかもを忘れて、知らないふりをして、フィアナに何も告げづに、抱いてしまえばいい。


「私は……なぜ、いつも」


 いつも、二番手なのだろう。

 恋しいと思う相手には、別の相手がいる。


 それでも、今なら。フィアナが何も知らない、今なら。

 

 ──彼女の心を得ることが、できるのではないか。




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