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カトルとの結婚



 家族と──離れた。

 その事実を、フィアナは驚きながら受けとめていた。

 

 父のねばりつくような視線も、義母の苛立も、妹の嘲笑も──靴音と共に、遠のいていく。


「フィアナ。驚いただろうが、許せ」

「い、いえ……」

「ずっと君が忘れられなかった。婚約者候補は多くいたが、誰とも結婚をする気になれなくてな。君ともう一度会いたいと望んでいる自分に気づいた。フィアナ、迷惑だったか?」

「……私は、その、あなたには相応しくありません」

「相応しいかどうかなど、俺が決める。俺は、フィアナがいい。やはり美しいな、フィアナ。一目見たときから君ほど美しい人はいないと思っていた」


 カトルに会うために、今のフィアナは身綺麗にされている。

 四年前はとても、綺麗とはいえない姿だっただろう。

 カトルはフィアナの手を引いて、城の奥に連れていく。慣れないヒールで、足の裏が痛んだ。

 それに気づいたように、カトルはフィアナを抱きあげた。


「すまんな、気づかなくて。君に会えたことで、浮かれているようだ。フィアナ、君はなにも心配しなくていい。俺の傍にいればいい」

「……はい」


 本当に、それでいいのか。

 ──ただ、偶然彼を助けただけなのに。

 

 高い天井と、太い柱と、自分の姿がうつるほどに磨かれた床。目眩がするほどに広い城が、寒々しく感じた。

 カトルの琴線に──あの短い邂逅の中に触れるものがあったのだろうか。


「カトル様。……けれど、私は本当に、あなたに相応しくありません。読み書きも、ほとんどできず、ドレスも着たことがなくて」

「君の母は、侯爵家の令嬢だっただろう。賢女だと評判のアナスタシア。侯爵家の話では、何年も前に病死したそうだが」

「はい。母は、私が十歳の時に」

「……侯爵の話では、アナスタシアは物覚えが悪い君を生んだから、伯爵からの愛を失ったと聞いた。残酷なことだ」


 吐き捨てるように、カトルは言う。

 そのように父は侯爵家に伝えたのかと、フィアナは思う。


「人には得意なことと不得意なことがある。読み書きができなくても、君がしてくれた俺の傷の治療は完璧だった。傷跡も残っていない」

「ご無事で、よかったです」

「フィアナ、俺も狩りは得意だが、政務や座学は苦手だ。君と同じ」

「私は……森が、好きです」

「そうか、それはいい。では時折森に行こうか、共に。城の中は息が詰まるからな」


 フィアナを抱きあげて歩きながら、カトルは優しい声音で言った。

 はじめて、胸にふわりとした何かが広がっていくのを、フィアナは感じていた。


 カトルの希望で、すぐに婚礼の儀式が行われた。

 多くの貴族たちが見守る中、巨大な動物の腹の中にいるような礼拝堂でフィアナはカトルと婚礼の儀式をあげた。


 カトルの隣に並ぶフィアナに、皆があれは誰だというような、訝しげな視線を向けていた。

 だが、表立って文句を言うものはいない。

 カトルは国王になって四年。齢二十二歳の若き王だが、隣国との防衛戦や部族討伐にて功績を残し、その地位は盤石なものになっていた。

 光輝の武王──と、呼ばれているのだと、フィアナは侍女たちから教えてもらった。


「フィアナ様は、カトル様に見初められて幸せですね」

「多くの女性たちが、カトル様に憧れていましたから」


 儀式のあと、初夜のために体の準備をしてもらいながら、フィアナは侍女たちの言葉に頷いていた。

 丁寧に体や髪を洗い、香油を塗り込められる。

 十七歳のフィアナの体は、本来の瑞々しさをすぐに取り戻した。


 母が──よく、髪をとかしてくれていたころと同じ、艶やかな金の髪。

 金の睫に縁取られた、空色の瞳。ふっくらとした唇に、白い肌。

 白いレースの下着と薄手のネグリジェを着ると、今まで屋根裏でうずくまっていたのが嘘のように美しくなった。


 今のフィアナを見て、毎日埃にまみれて働き、冷たい水を浴びて野草を口にしていたと思う者はいないだろう。


「フィアナ様のことを陛下は、誰よりも美しい人だとおっしゃっていました」

「美しさとは、得ですね」

「もって生まれたものですから。私たちにはありませんものね」


 そうなのだろうか。たとえ美しくても、幸せになれるとは限らない。

 たとえ美しくても、皆が穏やかで優しいとは限らない。


 カトルが美しいという理由でフィアナを選んだとしたら。

 この国には、フィアナよりも美しい者は多くいるだろう。

 フィアナの代わりは、いくらでもいる。美しさはいつか損なわれる。

 だからこそ父は、若い女と浮気を繰り返している。


 そう思ったが、フィアナは黙っていた。初夜の日に、口にするようなことではない。

 それに、フィアナは萎縮していた。

 長く誰とも話をしてこなかったせいで、頭の中で言葉は浮かぶのに、それを唇から出すことはとても難しく感じた。


 驚くほどに柔らかいベッドに座って、カトルの訪れを待つ。

 しばらくしてやってきたカトルは、祝いの酒を飲んだのだろう。

 その目尻は酒気を帯び、やや赤みを帯びていた。


「フィアナ、待たせたな。友人たちが、中々離してくれなくてな。どこで出会った、金色に輝く妖精のようだと皆が君を褒める。……君が、他の者の目に触れなくてよかった。まるで、俺の迎えを待っていてくれたようだ」

「カトル様……」

「伯爵は、君が……その、物覚えがよくないからと、使用人として扱っていたのだろう。俺はそんなことはしない。君は俺の傍で微笑んでいてくれればいい。それだけで十分だ」

「……はい」

「もう、辛いことはない。俺は君を愛している。永遠に、変わらない愛を誓おう」

「……っ、はい」


 本当に、そうなのだろうか。

 辛いことはもう、起こらないのだろうか。


 変わらない愛情があるのだとしたら──信じてみたいと思う。

 カトルははじめてフィアナを欲してくれた人だ。


 フィアナは未だに戸惑いの中にあるが、愛していると言われれば、胸が震えた。

 頬に触れられると、じんわりと暖かさが染みこんでくる。


 視界が陰る。カトルの髪が、頬に触れる。

 唇が触れたのだと気づいた。フィアナはこの行為を知っている。

 父が侍女に触れているのを、見たことがあった。廊下の影で。扉を開け放ったままの部屋で。

 ──父の行為は、イシュタニスとアルサンディアが王都のタウンハウスで暮すようになってから、人目を気にしないものになっていた。


「震えている。怖いか、フィアナ」

「……大丈夫です」

「怖いなら、怖いと言っていい」

「だいじょう、ぶ……っ」


 言葉の途中で、呼吸を奪うように口付けられる。

 フィアナは眉を寄せた。

 

 カトルを、信じたい。


 ──私は、幸せを望んでも、いいのだろうか。



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