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一方的な思慕



 フィアナと暮らすようになり、ひと月過ぎた。

 このひと月は、夢のように幸せな日々だった。


 たとえばユリシアスのリリアンへの思慕や、リリアンのヨセフへの想いを──くだらない、とはいかないまでも自分には関係のない感情だと、カトルは考えていた。


 だが、フィアナと過ごしていると、毎日が華やいだ。

 彼女は、カトルの花だ。


 彼女がそこにいるだけで、遠慮がちな微笑を浮かべてくれるだけで、抱きしめるとおずおずと背に腕を回してくれるだけで、カトルの日々は艶やかに色づくのだ。


 愛情とは、これほどに──胸が躍るものだったのかと、カトルは驚きながらも自分の変化を受け入れていた。

 野山を駆けて獣を射るよりも、フィアナと過ごす時間のほうがよほど、楽しい。


 抱きしめて、小さな唇を奪って、潤む瞳を見つめる。

 深く体を繋げると、これほど幸せなことは他にあるだろうかと思えるほどに、カトルの心は満ち足りた。


 フィアナを離したくない。

 たとえ死が二人を分かとうとも、再び生まれかわり、また巡り会いたい。

 

 カトルはずっと、生など一度きりで十分だと思っていた。

 生まれ変わりなど信じておらず、生命の林檎での祈りも迷信だと思っていた。


 だが、フィアナとなら。

 再び、会いたい。

 そう願い、林檎を食べさせて、大樹の下で抱いた。

 戸惑い恥ずかしがるフィアナが、可愛くて仕方なかった。


「愛している、フィア。突然のことで戸惑うばかりだろう。君は、焦らないでいい。だが、いつか俺を好きだと言ってくれたら嬉しい」


 フィアナは従順だった。カトルは王だ。立場を考えれば、彼女には拒絶の選択肢など与えられていない。

 愛し合い忘我の彼方にいるとき、彼女は「カトル様、好き、です」と、たどたどしい声でこたえてくれた。

 だが、平時にはそれはない。

 何故カトルが自分を──と、悩んでいるようだった。

 

 伯爵家でひどい扱いを受けていたのだ。感情が育つまではおそらく、時間がかかる。

 それでもフィアナを求めてしまう自分に苦笑を禁じえなかったが、待つ時間さえ、惜しかった。


 陛下は娶った若い妃に夢中である。王妃の色香は国を傾けるのでは──などと噂されていることも知っていたが、カトルは気にしていなかった。


 政務を疎かにして、淫蕩にふけっているわけでもない。

 己の娘ではなくフィアナを娶ったことが、貴族の重鎮たちは気に入らないだけだ。

 カトルがどのようにすごしていようが、どのみち陰口を言われるのだろう。


 そんなある日、カトルに幸せに水を差すように、森の民の反乱が起こったという知らせが届いた。

 森の民はいままで大人しいばかりだったというのに。


 森の民を御する役目の侯爵家からも救援の手紙が届いたのだから、無視することなどできない。


 出立するカトルに「好き」とはじめて、フィアナは口にした。

 そして彼女にとって一番大切な、母の形見のスカーフを剣に巻いてくれた。


 ──今すぐ寝室に戻って、抱きつぶしたい。

 愛しくて、恋しくて、幸せで。


 生まれてきてよかった、生きていてよかったと、カトルははじめて自分を産んだ母や、カトルを呪うばかりだった父に感謝をした。

 お前が死ねばよかったと言った兄にも、悪いが俺は生きさせてもらうと、心の中で謝罪をした。


 もう、生きるも死ぬも天命次第などと思わない。どんなに生き意地汚くても、生きようと思えた。

 フィアナと、時間を過ごすために。


 雪道を行軍し、陣を敷く。森の中に進軍すると、一度目の襲撃を受けてカトルを庇ったユリシアスと兵士たちが数名怪我をした。

 怪我人たちを陣に戻して、カトルは聖騎士団の精兵たちを連れて森の奥へ進んでいく。


 何度か、兵がぶつかった。圧倒的な力でねじ伏せると、森の民から降伏を知らせる伝令が来た。


『和睦の宴を開きたい』


 そう、手紙には書かれていた。

 和睦を結べるならばそれに越したことはない。小部族との諍いは、カトルが抱えている負の遺産だ。

 戦など、なければないほうがいいに決まっている。


 さっさとすませて王都に帰還したい。それだけを考えて、カトルは護衛を連れて森の民の里に向かった。

 森の民の家は、大樹をくりぬき作られていたり、木を組んで作られていたりと様々だ。

 どの家も、大樹と一体化しているようなもので、森そのものが集落になっているというような、美しい風景が広がっていた。


 族長の家に招かれたカトルは『精霊の愛し子』と呼ばれている彼の娘、イルサナを紹介された。


「イルサナは、男勝りでな。兵に混じって、お主たちと戦った。弓も剣も、よく使う。そして何より、我らが神、黒き蛇(レイヴスラアル)の祝福を受けている」

「そうか。それはすごい。女でありながら、剣や弓を持つとはな」

「イルサナは、お主の強さや豪胆さを気に入ったそうだ。嫁に貰わないか、エスタニアの王よ。我らが森の者と、平野の民の友好の証として」


 森の民からすれば、エスタニア人とは、平野の民ということになる。

 悪い話ではなかった。イルサナを娶れば、森の民との間にしばらくの友好関係が結ばれる。


 だが、カトルにはフィアナがいる。


「残念だが、俺には愛する唯一無二の妻がいる。森の民との友好が結ばれるのはありがたいことだとは思うが、イルサナを迎えることはできない」

「王とは、何人も妻がいるものだ」

「あなたはそうかもしれないが、俺はそうではない。フィアナ以外を娶る気はない。この剣に巻いてあるスカーフは、フィアナのものだ。俺の無事を祈り巻いてくれた。彼女は俺の唯一だ。俺はフィアナを裏切ることなどしない」


 確かにイルサナは美しい娘だったが、美しい女などカトルは嫌というほど見てきている。

 リリアンも、そして貴族の娘たちも、美しい。


 だが、カトルにとって美しいと感じる相手は、フィアナただ一人だ。

 伯爵家で使用人として暮らしていた彼女の、ぼろぼろの姿でさえ、カトルは天の御使いのように美しいと感じたのだから。


 族長は残念そうに「そうか。では、酒を飲み今日は泊っていけ。それぐらいはいいだろう」と言った。


 ──油断を、していたつもりはない。

 酒を飲んだが、酔うということはなかった。

 しかし、泊まることなくさっさと森の民の里を去っていればよかったのだろう。


 和睦を結ばなくてはと考えていたために、一晩を過ごすことは拒絶できなかった。

 夜半過ぎ。カトルは、人の気配に目覚めた。

 護衛たちは眠ってしまっている。酒に何か混ぜられていたのかもしれない。


 カトルの部屋に訪れたのは、イルサナだった。

 カトルは懐から護身刀を取り出した。剣は、森の民にあずけていた。

 和睦を結ぶのならば、剣は一時預からせてもらいたいと言われていたのだ。


 イルサナは、カトルの剣を手にしていた。


「……寝首でも、とりに来たのか」

「違うわ。私、あなたが好き。戦っているあなた、すごく素敵だった。恋をしたのは、はじめてよ」

「もうその話は終わったはずだ。俺には唯一無二の妻がいる」

「忘れてしまえばいいわ。私のほうが優れているし、私の方が美しい、私の方があなたの役に立てる」


 カトルは舌打ちをした。こんな風に、貴族の娘から迫られたことも幾度もあった。

 ──皆、カトルが国王だから、優秀だから、見た目がいいからと。


 ランプにあつまる蛾のように、カトルの元へとやってくる。 

 カトルにはフィアナがいる。フィアナを愛しているといっても、誰も彼もがそれを理解しようとしないのだ。


「去れ、イルサナ。俺はお前に興味がない。男など星の数ほどいるだろう。俺以外にも」

「あなたがいいの。私、はじめて恋をしたのよ。それなのに、あなたは残酷だわ、カトル様」

「愛する妻がいる俺が、お前を拒否することが残酷か? お前の感情が、迷惑だと言っている。わからないのか」

「そう言っていられるは、今のうちだわ」


 イルサナは不敵に笑うと、カトルの剣を眼前に掲げた。


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