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消えない思慕



 ◇


 記憶が、途中から途切れている。

 自分に何が起こったのかわからず、目覚めたフィアナは一瞬混乱した。


 カトルの姿を探してしまい、彼はもういないのだと気づいた。

 手に触れる人肌のぬくもりを感じて視線を向ける。

 ユリシアスが、フィアナの手を握り傍で眠っていた。


 ひりついていた背の痛みが、消えている。

 視線を落とすと、背から胸にかけて綺麗に包帯が巻かれていた。


「目覚めたか」

「……ユリシアス様」

「二日、眠っていた。あなたの薬は、よく効く。私の傷も癒えた。あなたの背も、腫れと熱がひいた。まだ、快癒にはしばらくかかるだろうが」

「申し訳ありません、ご迷惑を」

「迷惑とは、思っていない。……寝ていろ。なにか、食べることはできそうか?」


 ユリシアスの指が、フィアナの目尻に触れる。

 その瞳は、まるで在りし日のカトルのように優しい。


 目の前にいるのはユリシアスなのに、カトルを思い出してしまう自分に、内心辟易した。

 まだ、引きずっているのか、と。


「もう、動けます」

「寝ていろ、フィアナ」

「ですが、私は……」

「あなたの必死さは、理解できる。私の役に立ちたいと望んでいるのだろう」


 心の中を言い当てられて、フィアナは口をつぐんだ。

 ユリシアスの口調には、責めるような響きはない。事実を淡々と告げていた。


「私はあなたに、なにも求めていない。役に立てとも思っていない」

「ユリシアス様、私にできることはほんの少ししかありません。ですから」

「誰かの役にたたないと、特別な何かがないと、あなたは自分に価値がないと思うか? ただ生きているだけでは、人には、価値がないと」

「そんなことは……」

「ない、だろう。だから、あなたは休んでいろ。フィアナ、何も心配しなくていい」


 幼い子供にするように髪を撫でて、ユリシアスは立ちあがる。

 部屋から彼が出ていく音を、フィアナは聞いていた。

 優しくされると、泣きたくなってしまう。

 彼はフィアナの夫。

 それは形ばかりのものだ。そのはずなのに、心の柔らかい場所を優しく撫でられているようで、胸が震えてしまう。


「……私は」


 優しくしてもらったというだけで、カトルからユリシアスに心変わりをするのは、あまりにも軽薄だ。

 ユリシアスの怪我が癒えたら、ここを出て行こうと思っていた。


「優しくしてもらったら、誰でも、いいの……?」


 違う。そんなことはないと、思いたい。

 フィアナは両手で顔を覆った。どうして心は、思うようにならないのだろう。


 ユリシアスは包帯を外していた。

 もう傷は癒えたのだろう。包帯の代わりに片顔だけの仮面をつけている。


「スープを、作った。食べることはできそうか?」

「……はい。ユリシアス様は、料理をなさるのですね」

「従軍していれば、嫌でも覚える。それに、狩りや釣りをして一人で食べることも多い」


 ベッドの上で体を起こすと、ユリシアスはフィアナの口に親鳥が餌を運ぶように、スープをすくって食べさせた。

 どうしてここまで、と思いながらも、フィアナは大人しく口を開いた。

 細かく刻んだ野菜と共に、麦が入っている。ほのかな塩味が、渇いた喉を癒やしていく。

  

 ユリシアスはフィアナの口の端を濡らすスープを指先で撫でると、赤い舌でぺろりと舐めとる。

 フィアナは頬を染めてうつむいた。

 

「……気分は、悪くないか?」

「大丈夫です。ユリシアス様のおかげで、すっかり痛みも消えました」

「何があったか、尋ねてもいいか」

「それは……」

「ここには、私とあなたしかいない。この場所を知るものは、ガルウェイン家の者でもほんの一握りだ。陛下にも、伝えていない。だから、話せ」


 ここまでしてもらって黙っているのは不誠実だろう。

 食べ終わったスープ皿をテーブルに置いて、ユリシアスはフィアナの隣に座る。

 フィアナはしばらく逡巡していたが、彼になら話してもいいかもしれないと、話すべきだと思い、口を開いた。


「イルサナ様が、侍女に命じて……煮え湯を、私の背に。私が、一言も話さないことが、気に障ったのでしょう。カトル様の愛情を失って、私には居場所がありませんでした。まるで昔に戻ってしまったようで、何かを話す気力も、なくしていたのです」

「昔……とは、アルメリア家でのことか」

「はい。……母と私は、屋敷の片隅で身を寄せ合うようにして暮らしていました。父や、第二夫人は私たちを嫌っていましたから」


 こんな話も、していいのか。

 わからないが、尋ねられたからには答えるべきだろう。

 カトルにも、話したことはなかった。

 カトルはフィアナの傷に、極力触れないようにしてくれていた。

 力強く手を引いて、明るい陽射しの中を二人で歩くように。


「病で母が亡くなると、私は、使用人として働くことになりました。義母や、妹に叩かれないよう、蹴られないよう、できるかぎり言葉を話さないようにしていました」

「そんなことを……」

「私が、役に立たないから悪いのです。頭も、よくありませんから」

「それはまともに教育を受けてこなかったというだけだろう。あなたは薬草の知識があり、生活の知恵があり、何よりも知ろうとする、学ぼうとする意欲がある」

「お母様から、色々と教えてもらいました。城でも、文字を教えていただいて……本を読むことが、楽しくて。でも……理解、していたんです。私が王妃として相応しくないこと。カトル様は優しくしてくださいましたが、皆には、嫌われていたことを」


 顔がいいというのは得ですね──と、何度か侍女に言われた。

 あれは褒められていたわけではなく、小馬鹿にされていたのだ。


「あなたを嫌うのは、嫉妬だろう。陛下の隣にいたいと願う者は多かった。……イルサナも、その中の一人だな」

「イルサナ様は、美しい方です。カトル様が惹かれるのも、わかります。イルサナ様が私を、邪魔に思うのも、当然です。……ユリシアス様にとっては迷惑でしかないでしょうけれど、ここに、つれてきていただいて、よかった」


 はじめて、きちんと礼が言えた気がした。

 自分の心のうちをそっくり伝えてしまうと、両手に抱えていた荷物を降ろしたように、心が軽くなった。

 

 城ではつけていた窮屈なコルセットを、ようやくはずせたようだった。


「森が、好きです。海も、好きです。……静かな暮らしが、好きです。動物も、好き。ここには、好きなものが、沢山あります。ユリシアス様にとっては、あまりいい場所ではないのでしょうけれど」

「母のことは、もう、気にしていない」

「そう、でしょうか……でも、辛い思い出は消えないものですから。……もしユリシアス様が苦しければ、私を置いて王都に戻っていただいてもかまいません」

「……そんなことはしない。私も、この療養を……楽しんでいる。あなたを迷惑とは思わない。フィアナ、余計なことを考えずに、今は自分の体を大切にしろ」


 フィアナは頷いた。

 ごつごつしていて、少し体温の低いひやりとした手で頬を撫でられると──とくとくと、自分の心音が耳に響いた。


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