表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/50

それはどこまでもひろがる



 港の前の市場から海辺をしばらく歩いて行くと、砂浜に出る。

 中天にのぼった太陽から降り注ぐ柔らかい陽射しをうけて、白い砂浜が光って見えた。


 砂浜には誰も居ない。子供たちが遊んでいそうなものだが、昼時のこの時間は家に帰っているのかもしれない。


 さくさくと砂を踏み、フィアナは海に向かう。

 荷物を持ったユリシアスが、後ろをゆっくりついてきている。

 半分持とうかと申し出たが、断られてしまった。あまり食いさがるのもよくないのだろう。


 湖には果てがあったが、海には果てがない。

 どこまで広がっているのだろう。どれほど深いのだろう。

 もしフィアナが海に沈んでしまったら。海はフィアナ一人を簡単に飲み込んで、なにごともないようにただ白波を立てるのだろう。


 触れてみたいと思った。靴を脱ぐと、足を海水にひたしてみる。

 春先の海はまだ冷たい。白い足に海水が白い泡をたてながら触れては、引いていく。

 

 足が砂を抉る。こちらにおいでと誘われている気がして、フィアナは足を一歩踏み出した。


 冷たい。くすぐったい。気持ちがいい。

 波の音と、日の光。風と、それから。

 たくさんの生き物の気配がする。


 フィアナは空をみあげた。たくしあげていたスカートが、いつの間にか濡れていた。

 

『大丈夫よ。必ず、お母様があなたを守る。ずっと一緒にいるわ、フィアナ』

『フィア。俺が君を守る。たとえ死が訪れても、永遠に君を愛している。フィア』


 母の声が、そしてカトルの声が頭に響いた。

 それは、波の音と共に消えていく。


「フィアナ!」


 焦ったように名を呼ばれて振り向くと、ユリシアスがざばざばと海の中に入ってくるところだった。

 靴も服もそのままで、濡れてしまいますと言おうとしたが、腕を掴まれ抱き寄せられる。

 

 きつく抱きしめられて、背に腕が触れる。痛みに顔をしかめた。

 しばらく忘れていたが、背の傷はまだ痛む。


「……っ、ユリシアス様……?」


 突然どうしたのだろうと、彼の胸に手を当てて、その顔を見あげた。

 怒ったような、それでいて悲しそうな、深刻な色をたたえた瞳と目が合った。


「あ、あの、どうされましたか……?」

「あなたは、死ぬべきではない」

「……え、あ……」

「……フィアナ!」


 高波が押し寄せて、足がとられる。ユリシアスに強引に抱き寄せられたせいで、足が浮いた。

 そのまま海の中に倒れ込みそうになるフィアナを、ユリシアスの腕が更に強く抱き寄せる。

 ユリシアスの体が傾いて、彼を押し倒すようにしてざばりと二人で海の中に倒れ込んだ。

 

「……わ」

「……っ、無事、か」

「ユリシアス様、大丈夫ですか!?」

「私は、問題ない。フィアナ。死のうなどと、考えるべきではない。あなたは、生きなくては」


 海水の中に座り込んで、ユリシアスは片手で体を支えながら、フィアナの頬を撫でた。

 濡れた手の冷たい感触に、フィアナは目を細める。

 それから──こらえきれなくなって、肩をふるわせて笑った。


「ふふ……」

「フィアナ?」

「ごめんなさい。……あぁ、でも、ふふ……ユリシアス様、ずぶ濡れ、ですね」

「……勘違い、だったか?」

「はい。そんな度胸は、私にはありません」


 申し訳ないと思ったが、隙がひとつもなさそうなユリシアスのそのような姿に、フィアナはこみ上げてくる衝動を抑えきれなかった。

 

「……そうか。……私は、何をしているのか」

「暗い顔をしてばかりいましたから、そう思われても仕方ありませんね。海に来たのははじめてで、つい、触れてみたくなったのです。川や湖に入ったことは多くありますが、海はすごく、広くて」

「ならば、いい。あなたが、海の中に沈んでいくような気がした。……あなたは、案外強い人なのだな」

「そうかもしれません」


 強いのだろうか。そう言ってもらえるのは、なんだか嬉しかった。

 くすくす笑っているフィアナたちに、飛沫をあげながら波がかかる。ユリシアスはフィアナの体を抱き寄せた。


「わ……っ、ふふ、すごい。海とは、気が抜けないものなのですね」

「……ふ、そうだな」


 ずぶ濡れになりながら笑っているフィアナを腕に抱いて、ユリシアスは吐息のような笑い声を漏らした。


「ユリシアス様が笑ってくださるのは、はじめてです」

「……そうだったか」

「はい。……濡れても、美しい方は美しいのですね」


 長い黒髪をかきあげるユリシアスの顔を覗き込んで、フィアナは微笑む。


「……美しい。私が?」

「ええ。そう、思います」

「……あなたのほうが、よほど」

「私、ですか? ありがとうございます。私のお母様は美しい人でした。姿形ではなくて、心が。私の憧れです。私も……そうありたいと、願ってはいます」

「あなたは、噂とは、別人だな」

「悪い噂ですね。ええ。知っています。……ユリシアス様、あの、子供たちが」


 昼食を終えたのだろうか。子供たちが、砂浜に駆けてきている。

 海の中で戯れているように見えるのだろう。フィアナたちの元に来て、「大人なのに、びしょ濡れ!」「一緒に遊ぼう!」と言って、海水をかけてくる。

 

 フィアナは立ち上がると、海水をかけてくる子供たちにやり返した。

 浅瀬で追いかけっこをして、小さな体を捕まえると、大きな声で笑った。


 黙って見ているユリシアスにも、海水をかける。彼は俄に目を開いて、フィアナの腕を掴むと抱き寄せた。


「……フィアナ。あなたは悪戯が、好きなようだ」

「ええ。そのようです。はじめて知りました。自分のことなのに、なんだか新鮮です」


 腕の中に閉じ込められて、フィアナは笑い続ける。

 悲しいことがあっても、愛する人を失っても──笑っていていいのだと、思うことができた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ