氷の民
フィアナは慎重に、ユリシアスの傷を温いお湯にひたして絞った布で拭った。
傷は塞がっているようだ。出血もない。鉱物のような肌にも傷が走っているが、そこは皮膚に傷がついたというよりも、石が割れたように裂け目が入っている。
「念のため、薬草にひたしたガーゼで覆って包帯を巻きますね。そうしておけば菌も入り込まないですし、傷が綺麗に治ります」
無事なほうの瞳を伏せたまま、ユリシアスは沈黙を保っていた。
その沈黙を肯定と受け取ったフィアナは、薬を染みこませたガーゼを斬られた目にあてて、丁寧に新しい包帯を巻いた。
ほどいたほうの包帯は、手洗いして乾かせばもう一度使用できる。
そちらをトレイに乗せて、フィアナはユリシアスの前から一歩さがった。
「終わりました、ユリシアス様。明日も傷のお加減を見ますね」
ユリシアスの前から立ち去ろうとすると、「フィアナ」と呼び止められる。
「はい。どうされましたか」
「あなたは、何も聞かないのか」
「なにも……とは」
「私の、顔について」
──知っている。それは、氷の民の特徴だ。
たとえば森の民が精霊のように美しい姿をしているように。
氷の民は、皮膚の一部が氷のような色合いをしている。皮膚の一部が青い鉱物のように、氷のようになっている。
実際、見たことはなかったが、ユリシアスの皮膚を見ればすぐに氷の民を連想することができる。
「ユリシアス様は、氷の民……なのでしょうか」
「……怖いか?」
「いえ。……私は、無知ですから。氷の民の方々が、どのような存在なのか知りません。ただ、肌の色が私とは少し違うなと、感じました。それ以外には、何も」
「……そうか」
ユリシアスは傷のある顔に包帯の上から手を置くと、深く息をついた。
「見せない、つもりだった。陛下はあなたに私の療養の世話を命じたが、傷は、ほとんど癒えている。今までは、片顔に仮面を被っていた」
「……顔を見られることは、いけないことだったのですか?」
「あなたは知らないだろうが……体に氷の民の血が流れていると、皆が恐れ、嫌がる」
「何故、でしょうか」
「王国の民と、氷の民は違う。それに、不気味だからだろう」
「皮膚の色が、違うだけで?」
「……違いは他にもある」
氷の民は、王国北にある氷の大地で暮らしている。彼らは寒さに強く、その硬化した皮膚は痛みや寒さを感じないのだという。
フィアナが知っているのはそれぐらいだ。
ユリシアスの皮膚の一部の色が自分とは違うというだけで、おそれも不安も感じない。
「私には、氷の民の血が半分流れている。私の母が、氷の民だった。……このことは、公爵家の者たちと陛下しか知らない。他言は無用だ、フィアナ」
「はい。……大丈夫です、誰にも言いません。伝える相手もいませんから」
フィアナはもう一度礼をすると、部屋から出る。
薬瓶や、包帯を片付けながら──心を病んでここで療養していたというユリシアスの母が、氷の民だったことについて考えていた。
ある程度の片付けを終えると、フィアナはユリシアスが寝室に向かうのを部屋の端に立って待っていた。
ユリシアスが本を読んでいるのを少し羨ましく思っていると、ちらりと視線を送られる。
「……何をしている?」
「おやすみになられるのを、待っております」
「何故だ?」
「就寝のお手伝いをさせていただこうかと」
「必要ない。先に休め、フィアナ。部屋は別で構わない。二階の寝室を適当に使っていい」
「ありがとうございます」
ユリシアスはまだ寝ないのだろうか。
形ばかりの夫婦だから、夜伽の必要はないのだろうか。
色々疑問を感じたが、フィアナは礼をして二階に向かう。
階段をあがっているときに、ふらつきを感じた。
もう休むことができるのだと思い安心したのだろう。背の痛みがぶり返してくるようだった。
一番小さな部屋を探して、一人用のベッドに入る。
背が布に触れるとひりひりと痛んだので、横向きになって膝を抱えて目を閉じた。
眠る間際、いつも髪を撫でてくれていたカトルの大きな手の優しい感触を思い出す。
──早く、忘れなくては。
「……カトル様」
小さな声で呟いた。城では名前も呼ばないように気をつけていた。
どこで誰かが聞いているかがわからなかったからだ。
ここにはユリシアスしかいない。ユリシアスは一階で本を読んでいる。
小さな呟きは、届いたりはしないだろう。
翌日、朝日とともにフィアナは目覚めた。
「いい朝ね。よく晴れている。きっと、いい一日になる」
呟くと、本当にそんな気がしてくる。
ベッドから抜け出した。部屋にはドレッサーがあったので、座って髪をとかした。
あまりぼろぼろの姿でいるのも、ユリシアスに申し訳ない気がしたからだ。
金の髪と青い瞳の、少し疲れた顔をした女が鏡には映っている。
口元を笑みの形にして、無理矢理に笑ってみる。
案外元気そうだと苦笑して、部屋から出ると馬屋に向かった。