相手を知ること
しばらく、食事の音だけが静かな空間に響いていた。
先に食べ終えてしまったユリシアスにもっと食べるか尋ねると、「いただけますか」と答えるので、フィアナは立ち上がりスープをよそう。
ことりとユリシアスの前に置く。からのカップに茶をそそいだ。
「ありがとうございます」
「いえ……召し上がっていただけて、嬉しいです。これぐらいしか、役に立てることはありませんから」
「王妃様」
「フィアナと、呼んでくださいませんか? 私はもう、陛下に……離縁をされた身です」
先程は、夫であるとユリシアスは言った。
けれど彼は頑なに、フィアナを王妃と呼ぶ。それは彼が、王族を守る聖騎士団長の立場にいるからなのかもしれない。
「それは……」
「ユリシアス様、私たちは立場を忍んでの療養中なのではありませんか?」
「何故そう思われるのですか」
「ここは、長らく使用されていない場所です。ガルウェイン様というのは、歴代の聖騎士団長を務めていらっしゃる公爵家だったはず。間違っていたら、もうしわけありません」
「その、ガルウェイン家です」
よかった──と、フィアナは安堵する。
貴族の名については、王妃になってから習っていた。
だがその数は多く、実際顔を合わせて挨拶をすることもなかったために名前と爵位を覚えるのは難しかった。
火傷の痛みや、ユリシアスに下賜されるという状況に頭が回らなかったために思い出すことができなかったのだが、ようやく、聖騎士団長とガルウェイン家という名前が繋がった。
──空腹、だったのかもしれない。
人間なんて案外単純なもので、久々に食べたまともな食事のせいか、やっと頭が動き始めるのを感じた。
「ガルウェイン公爵家の別宅にしては、ずいぶんと……その、古びていて小さなものです。ですからここは、もしかしたら、人知れず療養をするための療養所だったのではないかしらと、思いまして」
「ご明察です。ここはもう使われていませんが、かつて心を病んだガルウェイン夫人が療養をしていた場所です」
「……それは」
「私の母です」
「……申し訳ありません……私、余計なことを……得意気に、あなたの心に土足で踏み込むようなことをしてしまいました。ごめんなさい、ユリシアス様」
フィアナはうつむいた。
本当に、そんなつもりではなかったのだ。
ただ、ユリシアスと会話がしたかっただけだ。これから共に暮らすのだから、彼のことが少しでも知りたいと思った。
カトルは自分からなんでも話をしてくれて、フィアナが尋ねるまでもなく、色々と教えてくれた。
けれど、ユリシアスはフィアナが尋ねない限り、きっと何も言わないのだろうと感じた。
たとえ短い間でも共に暮らすのならば、互いを嫌っているよりは、良好な関係でいたい。
ただ、それだけだったのに。
「気に病む必要はありません」
「ごめんなさい、ユリシアス様。私はあなたに、私の名前を呼んでいただきたかっただけなのです。密やかな療養ならば、あなたが私を王妃とよぶのはよくないのではと、あなたを……」
「脅すつもりでしたか?」
「脅す……脅す、わけではなくて。あぁ、でも、そうですね。そうなってしまいますね、ごめんなさい」
目を伏せるフィアナの耳に、ユリシアスの深い溜息が響いた。
「フィアナ。……これで、いいだろうか。口調も、変えたほうが?」
「は、はい……! そのように、呼んでくださると嬉しいです。そうして、話しかけてくださると嬉しく思います。ユリシアス様、私になんなりと、お命じくださいね」
「……命令はしない」
「言いかたを間違えました。用事があるときは、言ってくださいね。私、ユリシアス様のお役に立ちたく思っております」
何か言いたげにユリシアスはフィアナを見ていたが、結局何も言わなかった。
食事を終えて片付けをすると、フィアナは再び湯を沸かして、適度な温度にするとタライに入れた。
液を煮出した薬草を瓶詰にしたものと、それから館を探し回ってみつけてきた薬箱に入ったガーゼや包帯をもって、リビングルームに座って本を読んでいるユリシアスの元に向かう。
既に日が落ちている。ランプの橙色の灯りが、ユリシアスの精悍な顔を照らしていた。
「ユリシアス様、傷を見ます」
「……その必要は」
「見せてくださると約束しました。傷口が化膿したら、菌が入って熱が出ます。そうして、死んでしまう動物も多いのです。小さな怪我が原因で、歩けなくなってしまう」
「フィアナの、好きに」
ユリシアスは諦めたように、本を置いて腕をだらんと降ろした。
抵抗もせず何も言わないユリシアスの顔の包帯を、フィアナはほどいていく。
するするとほどくと、包帯の下に皮膚が現れる。
包帯の下の片目には、一文字に傷がついていた。だが、傷よりも目立ったのは──左目の周囲の皮膚だ。
ユリシアスの皮膚は、氷のような質感で鉱物のような硬さがある。そして、鱗のように凹凸のある、青色をしたものだった。