二人暮らし
リビングルームに向かうと、ユリシアスはいなかった。
動かないで欲しいと伝えたのにと思ったが、ユリシアスは大人の男性なので、その行動を制限することなどできないのだろうと考えなおした。
夕暮れが、近づいてきている。
外から、コン、コンと、心地いい音が聞こえて、フィアナは茶器の乗ったトレイを持ちながら外に出た。
音は裏庭から聞こえてくる。誘われるように近づいていくと、ユリシアスが斧を振りあげていた。
風を切る音と共に振り下ろすと、薪が真っ二つに割れる。
ユリシアスの傍には、すでに割られた薪が山のように積まれていた。
「ユリシアス様! 動いてはいけません、お怪我をなさっているのに……!」
「……王妃様。私の怪我などたいしたことはありません」
「ですが……。わかりました。余計なことは言いません。ですからあとで、怪我を見せてください」
「必要ありません」
「お願いです、ユリシアス様」
ユリシアスはしばらく返事をしなかった。
コン、コンと、薪が割れる音が響く。ユリシアスをじっと見つめるフィアナの視線に折れたのか「わかりました」と小さな声で答えた。
「ユリシアス様、お茶をこちらに置いておきますね。今、ウサギ肉のスープを作ってます。できあがったら、お召しあがりになりますか?」
「……ありがたく、いただきます」
ユリシアスの声に、はじめて苛立ち以外の感情がこもったような気がした。
フィアナはトレイを裏庭にあるテーブルの上に置いて、ユリシアスに礼をした。
それから、いそいそと館に戻る。スープの煮え具合を、確認しなくてはいけない。
館に戻ろうとしたところで、フィアナは足を止めた。
確認しておかなくてはいけないことがあったことを、思い出したからだ。
「ユリシアス様。お洋服を、お借りしてしまいました。エプロンも。申し訳ありません」
「……ここにあるものは、すべてあなたのものです。あなたは稼いで返すとおっしゃっていましたが、その必要はありません。私は、あなたの夫。夫の財は、妻であるあなたのものです」
「あ……ありがとう、ございます。でしたら、ありがたく使わせていただきますね」
そんなふうに言われるとは思わずに、フィアナは少々面食らった。
夫か──と、心の中で反芻する。戸惑いは感じたが、ユリシアスがはっきりとそれを口にしてくれたことが、少し嬉しかった。
少なくとも、自分は夫であると言った彼の言葉には、少しの棘も含まれていなかったからだ。
ウサギ肉のスープは、よく煮えていた。
少し水分が飛んで、野菜がくたりとなっている。ブラッドベリーが溶けて、スープは深みのある赤茶色に変化していた。
味見をしてみる。肉の甘味と香草の爽やかさがよくスープに溶け出していた。
塩と胡椒で味を整えて、スープ皿によそう。
二人分を用意して、鍋を火からおろした。かまどの薪はまだくすぶっている。
火が消えてしまわないように新しい薪を足して、フィアナはスープ皿をテーブルに置いた。
ユリシアスが買い出しをしてくれた物品の中には、太い蝋燭がいくつもあった。
燭台に蝋燭を刺して、かまどから貰い火をして蝋燭に火をつける。
ややあって、ユリシアスが茶器の乗ったトレイを持って戻ってきた。
すっかり綺麗に整えられたダイニングのテーブルと、ほかほかと湯気のたつスープ皿を見て、俄に目を見開いた。
「王妃様が、料理を……」
「お口に合うかはわかりませんが」
「……ソリア茶も、感謝します。よく、ご存知で」
「ソリアの葉は、食べられますでしょう? 私は、好きなのです。ミントに似ていて」
フィアナはトレイを受け取ると、新しく茶を淹れなおした。
「ユリシアス様、お座りになってください」
「……あなたも、ともに」
「ですが、私は」
「王妃様」
「……わかりました」
ユリシアスが食べ終わるのを待っていようと思っていたが、促されたのでユリシアスの正面に座る。
さほど大きくない部屋と、蝋燭と、料理。揺れる炎に、妙に安堵するのを感じた。
食事の前の祈りを捧げて、スプーンを手にする。スプーンでつつくと、ウサギ肉はほろほろとくずれる。
一口、口に含む。ウサギ肉は、きちんと柔らかく煮えていた。
「……美味しいです」
「そうですか、よかった。明日は、パンも焼きますね。ユリシアス様が食べたいものがありましたら、なんでもおっしゃってください」
「……城でのあなたとは、まるで別人ですね」
「それは……そうかもしれません。読み書きは、不得手でした。ものも、あまり知りません。ですが、こうしたことは得意なのです。得意と、言っていいのかわかりませんが。慣れています」
「そのようですね」
料理を褒められたことが嬉しく、自然と口元が綻んだ。
アルメリア家では、何をどれほど努力しようと、褒められたことなど一度もなかった。
美味しいと言ってもらったこともない。
ただ一言、美味しいと言ってもらえるのが、嬉しい。
カトルも──と、ふと考えてしまい、フィアナはその思考を頭の中から追い払った。