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必要なもの



 先を歩くユリシアスをフィアナは追いかけていく。

 言葉は丁寧だが、彼は苛立っているのだろう。


 その背からは、無言の怒りがにじみ出ているように感じられた。


「……ユリシアス様。私は、本当に大丈夫です。ですから、私のことはお気になさらず」

「……王妃様、カゴを」

「え……あぁ、これは、自分で持てます。これぐらい」

「渡してください」


 その背に話しかけると、ユリシアスは足を止める。

 フィアナが持っている葉や果実の入ったカゴを、彼はやや強引に奪い取った。


「……ありがとうございます」

「いえ」


 むっつりと閉じられた口元も、冷たい光をたたえた片目も不機嫌そうに見える。

 だが、館から離れたフィアナを心配して探してくれたのだ。

 フィアナを気遣い、荷物も持ってくれる。


 もしかしたら──優しい人なのかもしれない。

 彼のことは何も知らない。だが、フィアナを頑なに『王妃様』と呼んでくれる。


 そこには、嘲りの響きはなかった。

 城の者たちがフィアナをそう呼ぶときは、形ばかりの王妃、役立たずの王妃、頭の足りない王妃──と、小馬鹿にした響きをいつだって帯びていたのに。


 フィアナは胸に手を当てた。

 ──この先どうなるのかはわからない。だが、今はユリシアスを支えよう。

 それが自分の、与えられた新しい役割だ。


 部屋に戻ると、テーブルの上にどさりと、生活に必要なものが置かれていた。

 食料やら、調味料、洗剤やらと様々だ。


「ユリシアス様、買い出しに行ってくださったのですか?」

「……当面は、ここで過ごします。あなたを下賜されたことは、ガルウェイン家にまだ伝えていません。ですから、不自由かとは思いますがしばらく二人きりです。あなたの生活の面倒は、私が」

「わぁ、ありがとうございます! こんなに沢山、色々買ってきてくださって。助かります。ユリシアス様、代金は必ずどこかで働いてお返ししますね。あとは、休んでいてください。お茶を淹れますから」

「……王妃様、私の話を聞いていましたか」

「聞いていましたよ。……私もお伝えしました。私はあなたの使用人です。あなたに不自由はさせません。あなたは、私の新しい居場所をつくってくださった方ですから」

 

 務めて明るく、フィアナは言った。

 暗い顔をして泣いてばかりいては、フィアナを受け入れてくれたユリシアスに失礼だろう。

 王命だ。彼も、断れなかった。

 だが、さして立派な家でもない伯爵家の出で、しかも文字も書けなかった上にたった数か月王妃という立場にいただけのフィアナを下賜されるなど、ユリシアスにとっては疵にしかならない。


 そういったことを──フィアナは数か月の勉強の中で理解するようになっていた。


「どうか、休んでいてください。あとのことは私に任せてください。私は王妃なんて分不相応な立場よりもこちらのほうが、性にあっているのです」


 フィアナは恭しく頭をさげた。

 にこやかに使用人だと口にする自分と、未だ心が悲しみの中にいる自分。

 相反する自分が、心の中に住んでいるようだった。


 簡単に、割り切れることではない。

 だが傷はいつか塞がるだろう。それが心の傷であっても。

 月日が感覚を摩耗させる。徐々に、鈍感になっていく。

 痛みを伴う日常も、それが当たり前になれば、何も感じなくなる。


 フィアナはそれをよく知っていた。

 そして、ユリシアスはアルメリア家の者たちのような理不尽な暴力をふるわない。

 フィアナの背に熱湯を浴びせたイルセナのような、無邪気で不気味な残酷さもない。


 状況はずっと、いい。

 ──ユリシアスの怪我が癒えたら、ここを出ていこう。


(私は、一人で生きるべきだ。王にも、貴族にもかかわらずに。どこか、遠くで)


 ユリシアスを見あげて微笑みながら、フィアナは静かに決意した。


「……私が、行います。王妃様こそ、休んでいてください」

「そういうわけにはいきません。私は王から命じられました。私の役目は、あなたの療養の世話をさせていただくことです」

「二人きりだと言いました。監視の目はありません。私の怪我など、たいしたものでは」

「ユリシアス様、私はもう王妃ではありません。……どうか、座っていてください。大丈夫ですから」


 フィアナはユリシアスの背を押して、リビングルームのソファに連れていく。

 暖炉に火を入れるべきだろうかと悩んだが、もうさほど寒くはない。

 季節は春。初夏に向かっている。


「部屋の掃除はすんでいます。座って……あぁ、でも、横になっていたほうがいいでしょうか。二階にベッドが……」

「……ここで構いません」

「わかりました。ユリシアス様、できる限り動かないでくださいね」


 包帯の下に隠された顔の半分はどうなっているのだろうか。

 気になったが、いきなり見せてくれというのも不躾すぎるだろう。

 ソファに座り長い足と腕を組んで目を閉じたユリシアスを確認して、フィアナは買い出しの必要物品がおかれたテーブルのある、ダイニングへと戻った。


 かまどに薪を入れて、火打石で火をつける。

 食材は保存庫の中に、整理をして入れた。生のウサギ肉があったので、それはよく洗って、摘んできたソリアの葉を間に挟む。

 こうすると、肉の臭みが消えるのだ。

 塩をまぶしてすり込んで、下味をつける。それから、鍋に水を入れると火にかけて、そこにウサギ肉を入れた。

 

 人参や玉ねぎなどの香味野菜を小さく刻み、ジャムにしようと思い摘んできたブラッドベリ―も、少し考えてから半分ほどその鍋の中に入れる。

 ブラッドベリ―を入れるとほどよい甘酸っぱさが、ウサギ肉の旨味を引き出してくれる。


 ウサギ肉のスープを作りながら、もう一口の火口にケトルを置いた。

 湯が沸くのを待ちながら、フィアナはサイラールの葉をすり鉢でごりごりとすりつぶす。


 これは、かつてカトルの怪我の治療に使用した薬だ。

 フィアナが知る限りでは、この葉が一番傷に効く。発熱などにもよく効いた。


 すりつぶした葉に、湧いた湯を混ぜる。こぽこぽと泡がたち、次第におさまり、緑色のとろりとした液体になった。

 これをガーゼに湿して患部にはりつけたり、薬として飲んだりするのだ。


 フィアナの背には油のような薬が塗られていた。朦朧としながらも、それを塗られるたびに酷く傷が痛んだことを覚えている。


 湯が沸くと、フィアナはソリアの葉で、ソリア茶を淹れた。

 小麦粉や砂糖もあるので、菓子も焼きたいなと考えながら、フィアナはゆっくり煮えている鍋の中身を確認すると、茶をもってユリシアスの元に向かった。 



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