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序章 運命の出会い



 それはよく晴れた春の日。陽射しが川面に照りつけて、水流にあわせて刻一刻と形を変える水面を宝石のように輝かせていた。


 ブーツをはいた足が、さくさくと草むらを踏む。

 フィアナは蔓性の植物で編んだ籠を持ち、川辺を歩いている。

 川辺には、ブラッドベリーが群生していた。血のベリーと呼ばれるその果実は、小さく赤く甘い実だ。

 

 血のベリーと呼ばれる所以は、その蔓には鋭い棘があり、摘もうとするとどうしても手や腕が傷だらけになり流血をしてしまうからだった。

 カゴにはいっぱいのブラッドベリーの果実が入っている。

 フィアナの剥き出しの腕や両手は細い擦過傷だらけで、白い肌が赤く盛り上がった蚯蚓腫れになったり、薄く出血したりもしていた。


 数刻かけてブラッドベリーを摘み終わったフィアナが、清廉な水をたたえる川に向かったのは傷口を洗うためだっだ。


 ブラッドベリーの棘には弱い毒がある。

 洗わないでおくと、時間が経つにつれてもっと腫れて、痒みもひどくなるのだ。


 水辺にしゃがみこみ、腕を凍えるほどに冷たい水の中にひたした。

 ブラッドベリーは寒さに強い。雪解けの時期と、夏の手前、それから秋に三回実をつける。

 それを摘むのは、フィアナの仕事だった。


 川面に、古びてほつれた、着古した服を着て、髪をぼさぼさに乱したフィアナの姿が映っている。

 青い瞳に、金色の髪。かつて母が愛らしいと褒めてくれた少女の姿はそこにはない。

 

「……痛い」


 呟いた声に、答える者はいない。

 母が死んだのは、今から三年前。フィアナが十歳の時だった。

 アルメリア伯爵の妻として、母は父よりも家格が上のファヴィウス侯爵家から嫁いできた。

 

 フィアナの母は侯爵家の令嬢として育てられた真面目な女性だった。

 読み書きも計算も得意で、よく頭が回った。

 はじめのころはそれを快く思っていたアルメリア伯爵は、次第にそれを煙たく感じるようになっていった。


 フィアナを身籠もると、母の体調はすぐれなくなった。ひどい悪阻に悩まされる母から逃げるように、父は夜遊びをするようになったらしい。

 その夜遊びは次第に激しさを増し、果ては侍女にまで手を出すようになった。

 そして、母が悪阻に苦しんでいる間に、もう一人の女を孕ませた。

 

 それは長く、伯爵家に仕えていた使用人である。

 恐らくはずっと父に横恋慕をしていたのだろう。


 父は堅苦しい母よりも、奔放な使用人を好むようになった。

 堂々と彼女を第二夫人にむかえて、寵愛をするようになったのだ。


 母と──生まれたばかりのフィアナは、捨て置かれた。

 母は侯爵家に帰ろうとも考えていたようだが、何通手紙を送っても


『離縁など恥さらしなことをするな』

『お前の不徳だ』

『お前が第一夫人であることは変わらない。そのうち伯爵の熱も冷める。耐えよ』


 という、厳しい返事しかこなかった。古い気風の侯爵家では、女性から離縁を求めることなど恥知らずな行為とされていた。生涯、決められた男性に尽くすのが美徳だとされていたのだ。


 母はフィアナを抱きしめながら「必ずお母様が守ってあげます」と繰り返し言った。

 けれど──ろくに食事も与えられないほどに捨て置かれていたせいなのだろう、母の体調はどんどん悪くなり、やがてベッドから起きられなくなって、ある朝、呼吸を止めてしまった。


 十歳だったフィアナは、人の死を知らなかった。

 死者など、一度も見たことがなかったからだ。

 だから、ただ眠っているだけだと思った。

 母はどうして動かないのだろう、どうして冷たいのだろう、どうして起きないのだろうと不思議に思いながら、母にしがみついていた。

 あまりにも母が目覚めないものだから、部屋の外に出て使用人の一人に尋ねた。


「お母様、お返事をしないの。冷たくて、動かない」


 使用人たちは大騒ぎをした。母はベッドからどこかに連れて行かれて、フィアナは気づけば一人になっていた。 

  

 母は──死んだ。あまりにも静かな死だった。

 心にぽっかりと穴が空いたような、喪失感だけが幼いフィアナを苛んだ。

 

 一人になったフィアナの状況は、けしていいものとは言えなかった。

 義理の母もその娘も、フィアナを表立って虐めるようになっていた。

 今までは、母がフィアナの傘になってくれていたのだろう。ずっと守ってくれていたのだと思うと、ようやく悲しみがこみあげてきて、物置小屋の中にうずくまってひとりきりで泣いた。


 悲しみも喪失感も常に心を締めあげたが、フィアナは泣いてばかりはいられなかった。

 義母に命じられて、使用人として働かなくてはならなくなったからだ。


 ブラッドベリー摘みも、フィアナの仕事の一つ。

 腹違いの妹のイシュタニスが、ブラッドベリーのジャムを好んだ。

 フィアナは、ブラッドベリーの実が生る度に摘んできてジャムを作れと命じられていた。


 フィアナは痛む両腕を洗い終えると、川縁で立ちあがった。

 伯爵家からそう遠くない、森の中の川だ。ブラッドベリー摘みは辛い仕事だが、こうして伯爵家から外に出ることができるのは、むしろありがたかった。


 あの家の中にいると、胸が苦しくなる。

 いつでも誰かが、フィアナを貶めようと、廊下の影からフィアナを見つめているようだった。


「……誰?」

 

 ふと視線をあげると、川の中に片足を突っ込むようにして、誰かが倒れていることに気づいた。

 若い青年だ。まだ少年かもしれない。見たこともないような、美しく質のいい服を着ている。

 彼の傍には白馬が佇んでおり、心配そうにその体を鼻先でつついていた。


「大丈夫ですか、生きていますか?」


 フィアナは青年の体をひっぱって、水の中から出した。

 ずるずると川縁の平たい丸い石が敷き詰められた河原まで引きずってくる。

 どうやら怪我をしているようだ。片足から血を流している。フィアナはいつも大切に持ち歩いている母の形見のスカーフを取り出すと、青年の足をぐるぐると縛り付けた。

 出血が激しいと、死んでしまう可能性がある。

 ひとまずは、止血が必要だと判断をした。


 それから、川辺にはえている薬草を摘んでくると、それを水に濡らして、平たい石の上で拾った石を使ってごりごりと擦った。

 ブラッドベリー摘みのあと、フィアナは薬草を傷口に塗っている。

 塗っておくと、傷口が綺麗に塞がることをフィアナは知っていた。


 母は物知りな人で、フィアナにたくさんの知識を話して聞かせてくれたのだ。

 おそらくは、自分が亡き後もフィアナが自分の力で生きられるようにと、考えていてくれたのだろう。


 スカーフを外して、傷口に薬草を塗り込んだ。それから再びスカーフで傷口をしっかりと縛る。


「他に怪我は……大丈夫ですか? 体が冷たい……」


 どれぐらい水の中に体をひたしていたのかはわからない。

 フィアナは青年の体を抱きしめた。火を起こす道具は持っていない。青年を運べるほどの力もない。

 だから体温で温めようと考えたのだ。


「……っ、君は」


 しばらく抱きしめ続けていると、青年の瞼がぴくりと動き、ゆっくりと目を開いた。


「よかった、目が覚めましたか? あなたは倒れていました。怪我を、して」

「……あぁ、野鳥を狩っていたら、シャドウファングの群れに襲われた。川に飛び込み逃げ切ったのだが、途中で力尽きて、ここまで流されたようだ」

「大丈夫ですか、我が家に案内しましょう。きっと、傷を癒やせます」

「……君は誰だ?」

「私は、フィアナ・アルメリアと申します。アルメリア伯爵家の娘です。すぐそこに、家が……」

「そうか。それには及ばない。従者たちが、俺を探しているだろうから、もう行かなくては。世話になったな、フィアナ。君がいなければ、冬の川の中で凍え死んでいるところだった」


 怪我をして倒れていたとは思えないほどに、青年は身軽に馬に飛び乗った。

 

「また会おう、フィアナ」

「……はい。どうか、お気をつけて」

 

 無事でよかったと安堵して、フィアナは慌てて立ちあがる。

 ブラッドベリー摘みの途中だった。あまり遅いと──義母にひどく叱られてしまう。



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