第5話 化け猫騒動で転がるミカン
メントーゼ市へ来て5日目は、なぜ<鬼神>に勝てたのかと考えるだけで、何ごともなく過ぎた。次の日、6日目にバルバダがカフェテラスでお茶を飲んでいると、若い男性が話しかけて来た。
「お客さま、プレッツェルなどはいかがですか?食べやすくて美味しいものをお持ち致します」
ウェイターさんだった。コーヒー色のシャツに黒いネクタイを締め、エプロンを着けている。しばらく見つめてしまった。するとその若いウェイターさんが、また話しかけて来る。
「かわいいですね!」
グランディンの<女神>は、やや丸顔で目鼻といったパーツが少し離れている。メイクはしっかりしている。美人とも、かわいらしいとも言えるのだ。口元とアゴに幾つかのホクロが見えるのもチャームポイントである。声のトーンは高く、キリッとしていて「甘辛」な第一印象を与えた。
恋愛をするチャンスと時間が無くて、そうした対象として男性を見ることはあまりない。今の言葉を、バルバダは本気で受け取った。ウェイターさんは微笑んでこちらを見ている。
「あ……あのう、プレッツェルをください」
「かしこまりました。お待ちください!あっボク、ネドルって言います」
こういう風に恋って始まるのかしら、とバルバダはその気に成っている。しかしまだ職務が終わっていない。食べ物を持って戻って来たウェイターさん、ネドルへ質問することにした。
「ちょっと伺いたいことが……私、化け猫騒動について調べているんだけど、何かご存じありませんか?」
「化け猫かあ……もしかしてニーコちゃんのことかなあ?」
「そう、それです!お話を聞かせてください!」
ネドルの話によると、最近まで知り合いだった女性が病気で亡くなってから、彼女の飼い猫だったニーコが突然、バケネコ化したのだという。そして食事もせずに空き家に住み着き、夜に成ると「猫の怨霊」のような姿で人前に出て来るのだそうだ。ネドルは言う。
「かわいそうに、飼い主さんを失ったショックで、そんな風に成ってしまったのですかねえ」
「ネドルさん、お願いです。今日の夜に私をその空き家へ案内してください。ニーコちゃんの力に成りたいの!」
こうして夜を待ち、バルバダはネドルの協力を得て空き家へ行くことにした。カフェテラスを出ようとするバルバダに、別のウェイトレスさんが話しかけてくれた。その女性が言うには、ネドルは有名な「スケコマシ」だから、声を掛けられても気にしないようにとのことだ。そうなのかな?そうは見えなかったけど……。とにかくその夜、二人はニーコが潜む空き家へ向かった。
夜の8時を過ぎて、ネドルに空き家へ案内された賢者バルバダ。先に人が二、三名居て騒いでいる。
「バケネコだ!!やっつけてしまおうぜ!」
バルバダが慌てて止めに入る。
「待ってください!助けられるかもしれないから!!」
フーーーーーーッ!!!ギャーーーッ!!
化け猫と成ったニーコは、半ば朽ちた家の中でこちらを威嚇している。体は普通のネコの数倍に見え、怒り狂ったような顔で牙をむき出しにして、こちらを睨みつけて来る。全身の毛が逆立っていて、二つの後ろ足で立ち上がり、何かを抱えているようだ。何とも痛ましい姿。バルバダはあることに気づく。
「あれは、ダークゴールドだわ!ダークゴールドのボールを抱えている!」
ネドルが思い出したように言った。
「そういえば、飼い主さんが元気だった頃、ニーコちゃんはミカン手でコロがすのが、好きな遊びだったみたいですよ」
「そうなんだ。どこかでミカンを手に入れられないかしら!?」
「探して来ます!」
ミカンをダークゴールドのボールを交換しようというのである。
ネドルはミカンを探しに行ったけど、この夏の終わりに見つかるのかしら?彼はなかなか早くに戻って来てくれた。そして「これを」と言い、丸ごとのスイカをバルバダに見せる。
「それ、スイカですよね!?でも、ニーコちゃんは喜んでくれるかしら」
バルバダはニーコへ向けてスイカを転がした。
フニャーーーッ!!ニーコは興奮している。両手でそれをコロがしているようす。そしてビクッ!としていた。
「やっぱりスイカでは大きすぎるのね」
そこへネドルの彼女さんが駆けつけてくれた。何だ、やっぱり彼女居たのね!とバルバダは思った。けれどここはぐっとこらえる。彼女さんは「冷凍ですけど!」と言って、氷で冷やされたミカンをひとつ持って来てくれたのだ。どうする!?
「そうだわ!オトリを使って……!」
「理由の書」を取り出し、ページを一枚破った。それを怒っているニーコの横へ投げつけて命ずる。
「ギーダン・ランテュム」すると紙のページは一体の、傀儡の小鬼と化した。それを操ってニーコの注意を引き付ける。ニーコが小鬼へ襲い掛かったその時、抱えていたダークゴールドのボールを離して落とした。
素早く動き、バルバダはボールを回収して替わりにミカンを置いた。それに気づいたニーコが駆け戻って来る!けれど、もう「化け猫」ではなくなっていた。元の大きさの優しいニーコに成って、うれしそうにミカンをコロがして遊んでいるのだった。
人間に対してでさえ強烈な悪影響を与えるダークゴールドの力が、飼い主さんを失ったニーコの悲しみを肥大化させ、化け猫の騒ぎに発展していたようである。<大都会の化け猫騒動>を調査し解決。これによって多くの学びを得た。そういうことだったのかも知れない。
良かった。だけどニーコの引き取り手を探さなくては。またボールを見つけて、ということもあり得る。
「ニーコちゃんは人懐っこくて、以前はユニア地区のアイドル的なネコちゃんだったんですよ」
ネドルはミカンを転がしているニーコと遊びながら、そう話した。彼女さんが言う。
「ニーコちゃんなら、私たちが引き取りましょうか?どんなネコなのかも分かったし!」
「ボクもそれでいいよ。動物は好きだから」
カップルがニーコの新しい親代わりに成ってくれそうだ。これで本当に安心できる!
「ありがとう、お二人とも。これで<騒動>は収まったわね」
ツァツァリア宅へ帰ると、彼女はバルバダを待っていたそうだ。先ほどアレーナさんの魂が、あの世へ旅立ったことを伝えるために。アレーナさんはニーコちゃんのことが心配だったのかも知れない。これでこの町に来た目的は大体、果たしたようである。それにしても、スケコマシのネドルさんは許せない!……と言いたいところだけど、ニーコを助けるのに協力してくれたし優しいから許してあげる。私、あの時の言葉を本気にしちゃったけど。バルバダは、ひとりごとで済ませることにした。
「コーヒー色のシャツのネドルさん、さようなら……!」
* * *
間借りしている部屋で<事件報告書>をまとめるバルバダ。今回のことで多くを学んだ。知り合いも幾人か出来たし、あとは王都レムニアへ帰って賢者セザンに報告書を渡せば、任務完了といったところだ。明日の朝、メントーゼ市を発つのでツァツァリアへお礼を言いたい。メイドさんたちは彼女が、アレーナさんの追悼をするするため聖堂へ出かけたと言っている。
そこで賢者バルバダは、自分もそれに同席させてもらいたいと思って外出した。ユニア地区の聖堂の位置ならば以前に見て知っている。その途中、公園を一人で歩いていると、バルバダは疲れを感じたのでベンチで休むことにした。夕日が落ちて行く。早くしなくては。でも疲れちゃって……眠い……。
賢者バルバダが目を閉じてウトウトしていると、どこからか女性の声で誰かを呼んでいるような気がした。耳を澄ますとその声は、自分の背後から聞こえて来ると分かった。
「…………ちゃ~ん。…………ちゃ~ん。帰っておいで~」
母親が自分の子を呼んでいるのだろうか?もっと良く聞きたいが、眠気が勝っていて声に集中できない。
「…………ちゃ~ん、帰っておいで~。バルバダ……」
えっ!?今、バルバダって聞こえたけど。自分以外の人のこと?それにしても、おかしい。声が届く。
「…………アンレイ…………。バルバダはどこ?」
自分のことだ!あの声は誰!?眠気は飛んでしまった。ベンチから後ろを振り返るが誰も居ない。バルバダはゾッとした。不可解な呼び声だった。
「帰らなくちゃ」
立ち上がりツァツァリアのところへ戻ろうとすると、周囲を<不審者>たちに囲まれているのを知った。その包囲網が少しずつ小さく成って行く。私のことを、捕まえようとしている!?
バルバダは逃げた!しかし<敵>は追いかけて来る。いつの間にか、自分を追う者の中に死霊術師やアシュラも混じっていることに気づく!彼女はユニア地区を出て少し道幅のある通りへ来た。どうしよう。とにかく剣を抜き放つ。役に立つかは分からないけれど……!逃げなくては。もう追いつかれそう!!