第3話 インチキ学者、ニヒリズムを語る
ツァツァリアが紹介すると言っていた男性、通称「インチキ学者さん」は、ユニア地区に移り住んで間もなかった。彼はここ下町に<虚無主義者 ニヒリスト>が増え始めたのを知って、引っ越して来たそうだ。
初めて会った時、学者さん……いや、インチキ学者さんは、女性に<エネルギーを溜めておける装置>とかいう、怪しげな物品を手渡していた。そして交換に、黒っぽい金色をしたキレイなメダルを受け取っていた。事情を知らないバルバダは問い掛ける。
「何をしていらっしゃるのでしょうか?」
インチキ学者さんは五十代ぐらいに見える。身長は人並み、痩せているように見えて、お腹は出ている。パーマネントヘアーにグレーの帽子をかぶり、分厚いメガネをかけている。服装は白いワイシャツに紺色のジャケット。そして周囲に、子供からお年寄りまで七、八名の男女が集まっていた。どうやら人気者らしい。皆から「インチキ学者さん」と呼ばれている。
「こんにちは、バルバダさん。どうぞよろしく。ちょっとこれを持ってみてください」
インチキ学者さんはそう言い、先ほどの黒っぽい金のメダルを賢者へ渡した。するととたんに、バルバダの心中にある「人間社会についての虚しさ」が大幅に増えて胸苦しく成って来た!
「苦しいでしょう?それは<ダークゴールドのメダル>です。あなたの中にあるニヒルな情緒が増幅されました。世の中を<虚しい>と感じるでしょう?」
賢者バルバダは、こんな思いをしたのは初めてだった。人の世が虚しい!努力も、人生も、勇気も希望という言葉も、全て無意味に感じられる。正直に言って、生きること自体がツラく成って来た!
「バルバダさん……バルバダさん!!メダルをこちらに渡してください」
<ダークゴールドのメダル>をインチキ学者さんへ返した。その瞬間、生きる気力を取り戻す賢者バルバダ。
「そ、それは何なのですか!?」
「説明はまたにしましょう。僕はいつもここの近くで活動しています。もう夕方だ。<混沌>の動きが活発化します」
これが「インチキ学者さん」との出会いだった。込み入った話は次に会った時にしよう。ツァツァリアの屋敷へ帰らなくては。空を見上げると、とっくに夕日の色に染まっていた。こちらを見る<不審者>たちの視線が、さっきから感じられない。なぜ!?かえって不気味に思いながら角を曲がった、その時……!
幅5mほどの道の上で立ちはだかる、全身が青銅の色をした大男。頭の上までの高さが3mもあり、右手に長槍を、左手に剣を持って怒りをあらわにした戦士がこちらへ迫って来る。あれは<混沌>の主力の兵士<アシュラ>だわ!
アシュラは強い。並の人間では、とうてい敵いっこない相手!しかも足が速いので、ここからでは逃げ切れそうにない。右腰のバッグから「理由の書」を取り出したバルバダ。ダークブラウンのハードカバーで、500ページほどに<秩序>の教えが記されている。真ん中の一枚を破って右手に取り、アシュラへ向けて投げつけた。
紙のページはバタバタと羽ばたくように空中を飛ぶ。「マレイム・ツォード」とバルバダは命じた。すると宙を舞うページはアシュラの前でかき消え、見えない壁と成って行く手を遮った。<秩序>の魔法だ。どのくらいの時間、もちこたえられるのか分からない。今の内に距離を取るのだ。
<不審者>たちに、バッザ神に、死霊術師にゾンビにアシュラ……「敵」だらけね!やっぱり彼らの親玉であるバッザ神を何らかの方法で打ち破るしか手は無さそう。賢者バルバダは聖騎士ツァツァリアの屋敷へ戻った。ユニア地区へ来て3日が過ぎたことに成る。
* * *
次の日、バルバダは一人でインチキ学者さんと合流した。一緒にユニア地区のメインストリートへ出る。そこでカフェテラスに入った。町を見ながらお茶を飲み、話をすることに成った。
「質問してもいいですか?なぜ学者さんはインチキと言われているのでしょう」
「そうですね。僕が<インチキな品物>を人に渡しているからですよ」
インチキ学者さんは、目くばせする。周りに<不審者>たちの影が。「訳あり」ということらしい。
「<ダークゴールド>について、お伺いしてもいいかしら」
「いいでしょう」
インチキ学者さんはメガネの位置を直してから、お茶を飲んだ。湯気でメガネが曇る。
「あれはそもそも<不審者>たちがユニア地区の人たちへばら撒いているものです。出どころは分かりませんが、人の心の弱さ、特にニヒルな面を強める力を持っているのです」
「何のためにそんなことをするのでしょう。人を惑わすようなこと……やっぱりバッザ神の指示で?」
「神さまのことは、僕にはよく分かりません。ただ、ダークゴールドによって社会不信が加速されているのも確かなようです」
「つまり<混沌>に傾いて来ていると?」
「そのようですね」
インチキ学者さんは脚を組んで話を続けた。
「ニヒリズム自体は、良くも悪くもありません。世界は虚しいというのも一つの考え方です。しかし『人生は虚しいから他人の権利を踏みにじっても構わない』という考えにつながってしまうので、そう成ると大変なことに」
「それは困りますね」
「そうでしょう?それに、ニヒリズムは人の<生きる気力>も奪ってしまうのでやっかいです」
「それで町の人たちから<ダークゴールド>を回収していたのですね?」
「ええ!形はメダルの他にも色々あるようでして、コインとかボールとか、中には手の込んだオルゴールのダークゴールドも存在するようですよ」
バルバダは推察する。今回、<混沌>の勢力は、先ず町の人たちをニヒリストにして力を奪い、その上でバッザ神が中心と成って、力づくでユニア地区を混沌の支配下に収めようとしているのでは、と。
だとすると、混沌はユニア地区の次にメントーゼ市全体を自分たちの勢力圏にしようとするはず……!そんなことはさせない!バルバダは<人間性の剣>を少し引き抜いた。ブレードは淡い桃色をしている。それは<神性>でも<魔性>でもないことを示していた。インチキ学者さんが問いかける。
「その剣は?変わった光を放つ品ですね……!」
ここへ来る数日前、賢者バルバダは十二賢者評議会の建物の中で、グランディア賢者の長セザンに会って一振りの剣を渡された。
「これは?素晴らしい造りの剣ですこと」
「<人間性の剣>と言ってな。持ち主の内面がブレードに反映される。<神性>や<魔性>として」
「私の中の神性や魔性が……!?」
ひとたび<神性>がブレードに出れば持ち主の精神は冴え渡り、<魔性>が出れば相手を強く魅了して行動を阻むという力を持つ。それが<人間性の剣>だ。
<秩序>と<混沌>にも神性と魔性が有って、例えば<秩序>の神性は「正義」「理性」「慈悲」などを表す。地上の人々から良き人間性が失われつつある。<秩序と混沌の神々>が人々のそれを目覚めさせ、自覚を持たせようとしているのが、世界<アーマフィールド>の<現代>である。<人間性の剣>は、人々が自らの内面を把握しやすいようにと、「学び」の道具として神が人間へ与えた品だと伝えられているのであった。しかしこれをもってバッザ神に対抗し得るのか、定かでない。
* * *
「化け猫の騒動については、何かご存じありませんか、インチキ学者さん?」
「知っています」
「本当に!?話を聞かせてください!」
「うむ。ネコの名前はニーコ、メスで6歳ぐらいの薄茶色をした人懐こいネコです。飼い主さんは若い女性……そう、アレーナさんという名で、つい最近、病気で惜しくも息を引き取られました」
「そう……お気の毒に。あれっ?確か、ツァツァリアが一人で慰霊を続けている、亡くなった女性もアレーナさんだったわ!同一人物かしら」
「ツァツァリア?その人はガンコな聖騎士さんですね。聞いています。恐らく、その聖騎士さんが一人で慰霊している方こそ、生前にニーコの飼い主だった人物でしょう」
「ありがとう、事情が少し見えて来ました。それにしてもニーコはどうして化け猫なんて呼ばれているのでしょう?」
「さあ、そこまでは僕も知りません」
二人はカフェテラスを出て町を歩く。<不審者>たちの視線を感じながら。
「ところで、敵であるバッザ神をどうやって倒すのかだけど、何かお知恵はありませんか、インチキ学者さん?」
「<敵>ですか?バルバダさん、敵は外部に求めてはなりません。自分の内に見るべきものです。もし誰かがあなたの<敵>に成ったとしても、あなたの方からは誰に対しても敵対してはならないのです」
「それはどういう意味ですか?あのバッザ神が<敵>ではないとでも!?そんなバカな!!」
「ならばお話しましょう、バルバダさん。なぜ<現代>に生きる私たちが<人間性>や<自覚>を問われているのかを。そして、そもそも本来であれば、私たちはどうあるべきなのかを」
「社会の悪を捕らえて更生させたり罰を与えることも必要でしょう。しかしそれだけでは社会から<不条理>や<理不尽>を減らすことは出来ません。不正や悪を予防したり、<共同体ネットワーク>を広げ深めることではじめて、根本からクリーンな社会づくりに貢献できると考えます。社会から<虚無主義 ニヒリズム>も駆逐できる」
「共同体ネットワークって、何でしょう?」
「<直接に対面してコミュニケーションを取る>ということを、お互いの接し方の基本として、社会から<脱落者>が一人も出ないように、人的なネットワークを作るのです。そうすることで社会からドロップアウトする人を出なくして、社会の風通しを良くし、人間関係も健全に保てる。そもそも、私たち人間が集まって社会を形成するのは、集団から<脱落者>が出ないようにするためだとも言えます」
「そうね……分かります。あなたはちっとも<インチキ>なんかではありませんわ……!」
「バルバダさん、忘れないでください。まことに申し上げにくいのですが、現状、社会の闇が濃いのだとしたら、これは私たちの至らなさが招いた<人災>なのです。決して偶然や天罰などといったものではありません。私たちの社会は私たち自身がつくっているのですから。耳が痛いかも知れませんけれども。だから敵だの味方だのと言わずに、お互いに顔の見えるコミュニケーションで、人間的な関わりを増やして欲しいのです。そうすれば<社会の闇>は自然と力を失って行くことでしょう。ひとことで簡単に言って、私たちはもっと、お互いを知るための話し合いの場を設けるべきだと思います。現状を変えたいと望むのであれば、なおさらです」
賢者は「インチキ学者さん」にお礼を言って別れた。そして彼の話を聞く内に、ニヒリズムに対して、ある程度の「耐性」が出来たと感じた。その夕方、公園のベンチに一人腰かけてオルゴールを寂し気に聴いている女性と出会う。
「あれは……<ダークゴールドのオルゴール>だわ!」
女性からそれを回収したバルバダ。早くツァツァリアの家へ帰ろうと急ぐ。しかしその途中で……。
キャァァーーーッ!!!
若者の悲鳴と、「バケネコだ!!」と叫ぶ声を耳にする。瞬時に判断して、バルバダはそちらへ行ってみることにした。その間にも、確実に日は沈んで行く。