5日目と6日目の境目
夕暮れ時になって森を抜けた。
さすがに疲れ切った様子を見せるアオイを、森の中で休ませるのは限界だろう。
温かい食べ物。柔らかなベッド。
彼女に必要なのは、そういった極々当たり前の日常的なものだ。
町に入り、場末の宿を目指す。
アオイには、深く深くフードを被せたが、それでも間近に近づけば並外れた美貌は隠しおおせるものではない。
薄暗い中でも、すれ違う者達の視線は驚きに見開かれ、確認するかのように振り返る。
もし、探している者がいるならば。
それがどちら側の人間であろうとも。
イト自身の目立つ姿とあわせて考えれば、見つかるのは時間の問題だ。
今、この時にも、人の口から口へと伝わっているに違いない。
隻眼のグレンダが、天使を連れている、と。
だが、明後日にはキリングシークに到着できる。
そうすれば。
この娘さえ、軍神に届ければ。
イトの何もかもが、元に戻る筈だ。
ただ、魔獣を狩るだけの日々。戦士であることでしか生きられない…何よりもグレンダを引きずっているイトヨウの日々が戻ってくる。
この娘もそうだろう。
ようやくのように宿で一瞬の休息が許されたアオイは、椅子に座り、果てたように宙を見つめている。
今は僅かにも笑みのないこの娘も、天使のように微笑む日々に戻るのだろう。
「水鏡というのは何?」
ポツリと言葉が落ちた。
人形のように座る姿に変わりはない。
背筋を伸ばし前を見据える姿は、可憐で凛としていて。
上等ではない衣を身につけているにも関わらず、紛れもなく誇り高い令嬢。
イトとは無縁の筈の人種だった。
「忘れろ」
イトは昼間と同じ答えを口にする。
それ以外の答えはない。
アオイはイトへと視線を向けた。
「忘れた方が良いの?」
尋ねてくる。
少し前、言葉を見失って何も問うことのなかったのはこの娘の筈。
今は、迷わず問いかけてくる。
そして、イトは答える。
「忘れた方が良い。この何日かは、あんたにとってロクなもんじゃなかっただろう。全部、忘れてしまえ」
アオイは立ち上がった。
イトの真正面に立ち、見上げてくる。
「無理だわ」
きっぱりと言い切った。
少し意外に思う。
この娘は、こんな風に自らの言葉を語る者だったか?
「じゃあ、忘れた振りをしろ」
イトは疑問を押しやり、そう告げた。
「皆があんたにそう望むさ…望みに応えるのは得意だろう?」
アオイは首を振る。
「…それが例え貴方の望みでも…無理」
白い指がイトの衣を握る。
既に湯浴みし、衣も着替えた。
今朝方、3人の血を浴びた痕跡はない。
それでも、血の生温かさの残骸が、イトを駆り立てるようだった。
今は、アオイに触れられたくなかった。
「忘れることなんて…できない」
そう言いながら、寄せられるアオイの体もまた湯浴みを終えている。
伝わる体温。
くすぐる香り。
これは誘惑なのか?
浮かぶ考えに、あり得ないと打ち消しながら。
本当にありえないかと問い掛ける。
天使ではない。
これは女。
寄り添う体の腰を抱く。
手のひらに、柔らかな肉感。
ぐっと引き寄せて、初めて、イトからの接近を試みる。
逆らう意志は、微塵も見られなかった。
抱き寄せて、抱き上げて、安いベッドへと横たえる。
体を重ねれば、求めるように首へと腕が回された。
アオイの様子に気がつけたのは、まだ、イトの方にも迷いがあったからだろうか。
触れる指先に震える肌。
唇から漏れる声を、戸惑うように噛み締め。
イトを抱く腕は、ただただ縋るばかり。
どれも、これも。
まるで、物慣れない少女の様だった。
まさか?
やはり?
「…あの男は…あんたに何もしなかったのか?」
その意味さえ良く分からないというように。
アオイは揺れるだけの瞳で、イトを見つめた。
それが、疑いを確信へと変えた。
「そうなんだな」
ウスラヒ。
イトはここにいない女の名を、声なく呼んだ。
罵るために。
ウスラヒ、あんたはやはり悪魔かもしれない。
「イト?」
イトはアオイから、離れようと身を起こしかけ。
「いや」
それを、拙い腕が止める。
この腕は、庇護を求めるだけのもの。
ならば、イトがすべきことは。
この何日かで覚えた欲望と無縁な抱擁でアオイを受け止めた。
「…寝てしまえ」
これも、もう言いなれた言葉。
アオイは、イトの胸に身を寄せた。
男の情事を途中で止めたということに、何ら不安も不満も感じさせない無防備な動作だった。
「貴方がそう言うなら…眠ることはできるの」
そう言って、瞳を伏せる。
長いまつげに僅かな震え。
目尻に僅かな滴を見つける。
イトは、それから目を逸らした。
天使。
悪魔。
神。
この世には、いない。
だが、そう呼ばれるに相応しい存在はいるのかもしれない。
「でも…忘れるのは無理だわ」
イトはそれに応えなかった。
寝てしまいたいのはイトの方だった。
忘れてしまいたいのも。
だから、応えないまま隻眼を閉じた。
この娘を拾った時は厄介事を抱え込んだと、そう思っただけだった。
今は、それとはまったく違うものが、息苦しさを感じる程の重さでのしかかっている。
思い出すのは、昨夜のウスラヒとのやりとり。
子供を連れて戻ったイトは、ツバクロとセキランがいる部屋のソファに眠るアオイを見て、嫌な胸騒ぎを覚えた。
子供の無事を喜ぶかつての仲間を送り出す間際、「ツバクロ、あの娘は…」言いかけた言葉は「分かっている」の一言で遮られた。
あの二人が、イトの不利益になりかねないことを、軽々しく口にしないだろうことは承知している。むしろ、イトが恐れいているのは彼らを巻き込むことこそだ。
もう、同胞ではないのだ。
小さな子供が剣を振るう真似をしたという些細なことにさえ気をはらい、必死にその地の者になろうとしている彼らにとって、イトとの関わりは何一つ良いことなどないだろう。
「ウスラヒ…何故、あいつらに娘を見せた?」
言わずとも分かっている筈だ。
イトに森を行けと予言した女は、イトが知ろうとしない事の全てをも知っていると思ったのは間違いだったのだろうか。
ウスラヒは、それについては何も言わなかった。
理由も言い訳も、いくらでもありそうなのに。
「イトヨウ」
ウスラヒが口にしたのは、イトの真の名だった。
それは、この女がグレンダの残党としての、イトヨウに話しをしようとしている証に違いない。
イトはそれを拒否するように背を向け、アオイに近付いた。
「その娘、あたしにちょうだいな」
いきなりの申し出に、イトは思わず振り返ってウスラヒを見た。
ウスラヒは、ちらりとも笑みのない真剣な貌で「…アオイ・オードルを知っていたのはね、水鏡が求めたからだよ」
それが切り札であるかのように口にした。
水鏡。
イトは、ウスラヒの足元にあるグレンダの神器から、あえて視線を逸らし続けた。
「水鏡に跡目を尋ねるとね…必ずその娘を映し出す」
イトは感情を一切消し去った声でそれに答えた。
「操り手の跡目はいない」
水鏡は、グレンダが一族として保有する唯一の形あるものだった。
水鏡を護り、水鏡によって護られ、グレンダは存在を証明してきたのだ。
だが、水鏡の存在は同時にグレンダを陰の集団となすものでもあった。
人は見えないものを見る者を、知らない筈のことを知る者を畏怖せずにはいられない。人々は水鏡とその操り手を崇め奉り、時に縋りつきながらも忌み嫌う。
それを核として存在するグレンダも、また同じとみなされた。
「操り手はあんたが最後だ」
グレンダがなくなったその時に、水鏡も失われるべきだったのかもしれない。
グレンダの一族を解放という名の滅びに導いたイトヨウは、その場で水鏡も破壊すべきだったのかもしれない。
だが、イトヨウは水鏡を見逃したのだ。
「新たな操り手はいない。そうだったな?」
ウスラヒがそう告げたから。
最後の操り手が消えれば、水鏡は何も映し出さなくなる、と。
だから。
それまでは。
ひっそりと。
存在は神話に限りなく近くなりながら、それでも事実としてそこにあったのだ。
イトの言葉にウスラヒは頷かなかった。
「…第一、この娘は軍神の義妹だ…そんなことは、あんただって知ってるだろう?」
ウスラヒはイトから目を逸らした。
イトはウスラヒを見つめ続けた。
何故、今になって…跡目を欲しがるのだ?
かつて、残酷なまでの潔さで、一族の終焉を告げた女が何故?
「帝国に帰ってどうするんだい?」
ウスラヒは呟いた。
「堕ちた天使の行く末なんざ、たかが知れているだろう」
『堕ちた天使』というその響きにイトは眉を寄せる。
「今更、イルドナス王の元に輿入れする訳にもいかないだろう…男に攫われて…幾夜も越した娘だよ」
イトの知らないことを…知らなくても良いことをウスラヒが告げる。
だが、イトはそれを聞き流した。
イトには関係のない話だ。
「ウスラヒ…俺は命じられたとおり、キリングシークにこの娘を連れていく。それだけだ」
告げるとウスラヒは大きなため息をついた。
「あんたが…その娘を拾うとは…ついてなかったね」
その言葉が、引っかかった。
天使を手に入れたかったのは、攫った男には違いない。
だが。
「ウスラヒ」
名を呼べば、ウスラヒはいつもの謎めいた笑みを浮かべた。
「あんたか?」
水鏡はグレンダを護るもの。そして、グレンダは水鏡を護り、継ぐ者。
水鏡の求める操り手を手に入れるのも、グレンダの役割の一つだった。
そして、水鏡の求める操り手は、グレンダの一族とは限らなかった。グレンダは、過去に幾人もの操り手を他部族から受け入れてきたのだ。
それは、ある時は政略であり…そして、ある時は
「あんたが、この娘を…」
攫わせたのか。
過去には奪略してでも、手に入れた操り手。
それは昔話ではなかったのか。
「…あたしはちょっと囁いただけだよ」
肯定とも取れる言葉に、イトは声を荒げずにはいられなかった。
「ウスラヒ!」
もう、グレンダは必要ない。
時がそう告げている。
戦でのみ生きることを許される、兵の一族は滅びの時を迎えている。
そして、水鏡もいずれなくなる。
この世は、予言者ではなく…現人神を求めるのだ。
未来を見る者ではなく、未来を見せる者が、この世を統べる。
そう予言したのは、この女ではないか。
なのに。
何故。
「…イトヨウ…流れが変わったんだよ」
ウスラヒが言う。
予言者の不吉な言葉は、もう聞き慣れている。
だから、心に響かない。
「何かが起ころうとしているんだ」
イトはウスラヒを睨む視線を緩めない。
例え、そうだとしても。
死ななくて良い男が一人死んだ。
何不自由なく過ごし、大国の妃として華やかに生きていく筈の娘がその未来を奪われた。
「水鏡が必要な時が来るかもしれない…だけど、あたしは…そう長くはない」
感情露わに縋るウスラヒから目を逸らし、イトはアオイを見下ろした。
『堕ちた天使』と呼ばれた娘は、それでも穢れ一つない姿で穏やかな眠りに就いている。
「あたしは…水鏡の操り手が欲しい!…あたしの跡目が欲しいんだよ」
天使ではない、と言ったのはイト自身。
だが、誰もが天使と呼ぶ娘を貶めたのは…グレンダの亡霊なのか。
「その娘…水鏡を操ったよ。だから、あたしにおくれ」
「諦めろ」
イトは無情に告げた。
「…イトヨウ」
ウスラヒの声に落胆が込められる。
「この娘はキリングシークの貴族だ…明るい場所でかしづかれて生きてく人種だ」
こんな日の当らぬ場所で、女神だ悪魔だと囁かれるのは似合わない。
華やかな場所で、天使と崇められているのが相応しい。
「運命だとあんたが言った」
運命なんて言葉は嫌いだ。
だが、この女はそう言った。
「水鏡が消えるなら、それも仕方ない…そうだろう?」
未来など見えなくても良い。過去など知らなくても良い。
それでも現在は動いて行くのだ。
「そうだね…そうなんだろうね」
ウスラヒは足元にある水鏡に目を向ける。
ウスラヒの視線に応えるように、水鏡の表面がユラユラと揺れ始め、やがてそれはバシャンと激しく跳ねて、床に水を広げた。
「だけど、足掻かずにはいられなかったんだよ…」
イトは剣を抜いた。
ウスラヒに刃先を向ける。
「この娘に害をなす者があれば、排除しろと命じられている」
ウスラヒは怯むことなく、それを見つめた。
そして、微笑んだ。
「…イトヨウ…その娘をあんたが拾った時から、あたしはもう何もする気はないよ」
イトはしばらくウスラヒを眺め、やがて剣を納めた。
ぐっすりと眠るアオイを見下ろして…厄介事が、自らの罪にすり替わった瞬間を味わう。
「…あんたは…あたしが仕えるグレンダの頭領だ。あんたの命に…あたしは従うよ」
グレンダの頭領などという地位は既に過去のもの。
だが、今はそれを口にはしなかった。
それを口にすることは、罪から逃げる言い訳にしか思えなかった。
イトの思考を途切れさせる気配が動く。
ゆっくりと身を起こし、枕元の剣を手に取った。
ここは、かなりキリングシークに近い。だから、いくらかはマシかと思ったが、甘かったらしい。
イトの動きに、アオイが身じろぐ。イトは、目覚めかけた娘の口を手で押さえた。
「静かに…シーツに隠れてろ」
囁きで命じると、闇の中で娘はコクりと頷いた。
イトはベッドから降りる。
何人だ?
探る。
一人、二人…五人まで、数えて止める。何人でも同じだ。
今日はいったい何人の命を奪うのだろう。
まるで、過去に戻ったようではないか。
一つ、違うのは。
あの頃、殺すのは生きる糧だった。
今は、護るために。
剣を振るう。
そこに、どれほどの違いがあるかなんて、分からないけれど。
どれくらいの時間が経ったのか。
激しい物音。悲鳴。呻き。
アオイは、言われた通り、頭までシーツに隠し、ただ待った。
息を潜めて、身を縮めて。
その間、願っていたのは、イトの無事だけだった。
やがて、静けさが戻る。
さらにいくらか待って、アオイはそっとシーツから顔を出した。
「…っ」
悲鳴は声にならなかった。
目の前は、悪夢。
屍、死体、骸。
血、肉、骨。
そして、そこに立つ男。
それだけが、アオイにとっての救い。
「…ト」
声が出ない。
イト。
イト!
声にはならないけど。
何度も心でそれを呼ぶ。
それだけが、今この狂気の世界の、確かなものだから。
呼ばれた気がする。
視線を向ければ、真っ青な顔の娘がイトを見ている。
震える手がそれでもイトを求めて伸ばされる。
歩きかけて。
現れた気配に、問答無用と剣を振り上げる。
相手はそれを、抜かない剣の鞘で受けとめた。
「イト!」
聞き覚えのある声だ。
イトは、すっと剣を引いた。
「お前…相変わらず容赦がないなあ」
感心したような、呆れたような声。
外したフードからは貴公子然とした、端正な顔が現れる。
「…あんたが来たってことは…俺はお役御免か?」
天使の引き取り手としては、十分な存在だった。
漆黒の軍神の側近シキ・スタートン。
幾度と共に魔獣を狩った男を、貴族という毛嫌いしがちな身分を超えて、イトは信頼している。
この男ならば、何の疑いもなくイトはアオイを手渡すだろう。
だが、シキは首を振った。
「いや、確認に来ただけなんだが」
のんびり答えながら、周りを見回す。
遺体の中に立っているとは思えない、呑気な動作だった。
「見事だな」
相変わらず緊張感のない男だ。
シキは、イトとは対を成すかのような傷一つない面に、女子供に受けの良さそうな柔らかな笑みを浮かべながら「とりあえず、行った方が良いんじゃないか?」
そう言って、ベッドの上の娘を指し示す。
アオイは血の気のない顔で、シーツにくるまるようにしてイトを見つめている。
イトは遺体を無造作に避けて、アオイに歩み寄った。
声をかけるまでもなく、届く位置に辿りつくと同時にアオイの体はイトの胸へと崩れ落ちた。
ちらりと背後の男を見やれば、アオイの行動に驚いた風でもなく、そこが庭の一角でもあるかのような穏やかさでのんびりと近付いてきた。
シキはイトの横に立ち、イトの胸元で震えるアオイを見下ろし、そして、視線をイトに戻した。
「森で、グレンダの残党らしき遺体が3つ転がってた。あれ、お前だろう?」
いきなりの問いかけだった。
アオイはイトの腕の中でピクリとも反応しなかった。
「知らねえよ」
答える。
シキの穏やかな視線は変わらない。
だが、この男が見た目そのままの呑気な貴公子でないことを、イトは熟知している。
「…傷跡は、お互いの剣のものだった。お前のその馬鹿でかい剣の痕じゃない。一見、仲間割れの同志討ち…けど、お前だろ?」
イトは屈んでいるために見下ろされている。
それが、気に入らなくて、アオイを抱きあげた。
「なぜ、そうなる?」
ほぼ真正面から、尋ねる男の視線を受け入れた。
「俺は…お前の腕を知ってる」
ありがたくない確信の得方だ。
黙っていると、シキはここに来た理由を告げた。
「…何が起きてる?その天使絡み以外で何かもめてるのか?」
イトの腕にいる娘をこの男も天使と呼ぶ。
腕にある温もりと重さを実感しながら、だが、今はその呼び名を否定しない。
代わりに告げたのは。
「もし、ここでこの娘を引き取ってくれるなら、その方が良い」
初めて腕の中でアオイが反応した。
ピクリと体が揺れて、イトの衣を握る手のひらに力がこもる。
「それじゃ返事になってないんだが」
シキの視線がアオイの手に注がれているのを知りながら、それを男がどう思ったかは考えない。
そして、シキの問いへの明確な答えを口にした。
偽りと知れるだろうと思いながら。
「…グレンダの遺体のことは知らねえ…そいつらは、あんたの方が知ってるんだろ」
シキは足元に転がる遺体に目を向けた。
そこには何の感傷もない。
この男もまた戦場で生きてきた者だから。
これも日常の一つに過ぎない。
「お前みたいな裏道を知り尽くしたのが連れていても、数日でかぎつけらるほど目立つ天使を、いくら優秀とはいえ一騎士がどうやって10日も連れて歩けたんだろうな?」
こんなことを口にする時でも、この騎士はのんびりとした口調を変えないのだ。
探り合う会話は得意ではない。
「…何が言いたい?」
イトは先を促した。
「誰かが手引きした、とか。敵の先を先を読んで…どこかに天使を呼び寄せようとしていた、とか?」
シキの目が天井を見上げる。
「そんなことをできる人間に心当たりはあるんだが…理由がなあ…」
視線がイトに戻ってくる。
「と、うちの片割れが」
にやりと笑う。
シキの片割れ。
あの優秀な策士か。
「…あんたの片割れは…相変わらず穿ったものの見方が得意だな」
つい、苦笑いが零れた。
どんなにイトが黙秘しようと、知れる時には、知れる者には、やはり知れるのだ。
「イト?」
それでも、全てを話すことはできない。
いずれ、知れたとしても。
今は、アオイには何も知らさないまま、キリングシークに戻したい。
「何もねえよ」
だから、答える。
「明日、キリングシークに到着する。それで終わりだ」
そう、それで全て元に戻ったような振りをすれば良い。
「まあ、いいか」
シキが納得した訳ではないのは、分かっている。
だが、それ以上尋ねてこないのが、この男だ。
「今日ここに来たのは俺の独断だし…森の遺体はタキには内緒にしてあるし」
視線でその方が良いだろう?と尋ねてくる。
何も答えないことを答えと受け取ったらしい男は、視線をイトの胸元に移した。
「私を覚えてますか?」
女子供に極めて受けが良いだろう笑みでの問いかけ。
アオイは、小さく頷いた。
怯えるように…顔見知りの騎士の何に怯えるのか、イトの胸元になお身を寄せる。
そして、僅かにも笑わなかった。
シキは気分を害した風もなく、「…もう少し、この男とご一緒頂きますよ」
優しい口調で語る。
アオイは、もう一度頷いた。
イトはアオイを抱いたまま、シキに背を向けかけて。
「ここの後始末は頼んだ」
一言言い捨てる。
シキはあたりを見回して、眉を寄せた。
「軽く、面倒を押し付けてくれるなあ…」
そうは言いつつ、行けとばかりに手を振ってみせた。
「まあ…了解。気をつけてな」
どこまで、気がついたのか。
何を、気がついたのか。
にっこりと笑う男の心中は分からない。