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キリングシークにて

カイ・ラジル・リューネスは、一段低い床にひざまずき、頭を擦りつけんばかりに平伏する男を見下ろしていた。

カイは、決して激昂する性質の男ではない。しかし、『漆黒の軍神』として名を馳せ、まして、実際に戦において、無慈悲に兵士を斬る姿を知っているこの男にしてみれば、今この時はまさに死を目前にしている思いに違いない。

「…では、この密告書にある通り、アオイ様は行方不明なのですな?」

問うたのは、カイではなく、重臣の一人だった。ハクという最年長の宰相は、日頃の議事において、自ら進んで話すことは滅多にない。凛とした姿で座り、議事の行方を見守っているのが常だ。

しかし、この場において、彼は話さぬ訳にはいかない立場にあった。

「申し訳ございません!」

男は、これ以上は下がらないと思われた頭を、更に下げるように身を低くした。

過去に、この男がどれほど尊大な態度で同じ場所に立っていたかを思い出しつつ、ハクはそっと玉座を見やった。

そこには先頃、戴冠式を経て名実共に皇帝となったガイが、静かな視線をハクと男に注ぎながら座っている。その弟であるカイもまた、感情に流される気配など微塵もない悠然たる姿で、玉座の横に立っている。

キリングシークの双璧の姿に、満足と安堵を抱きながら、ハクは「して?」と男を促した。

「全力を挙げて捜索中でございます」

ただし、内密に、か。

男が言わなかった言葉を心の中で付け加えたのは、ハクだけではない筈だ。

アオイ・オードルが行方不明だと知れたのは、つい先ほどのこと。しかしながら、天使と呼ばれるほどの美しさを備えた娘が姿を消してから、既に時は10日を経ているというではないか。

「…今回の謁見については、そちらが強く所望されたものでしたな?」

ハクの言葉に、男はその少々太った体を震わせた。

「警備には万全を期しておりました」

弱々しい声で言うこの男は、同盟国イルドナスの大使だった。

イルドナスは、同盟国の中でも有数の大国だ。過去には、キリングシークを脅かした国の一つでもある。

争いに終止符を打ち、前王はキリングシークへの忠誠を誓ったが、少し前に跡を継いだ現王は、その若さゆえか、少々血気盛んなところが見受けられる。ことあれば、キリングシークに取って替わろうという目論見が垣間見え、両国の間には嫌な緊張感が漂い始めていた。

そんな状況の中で、イルドナスから思いがけない申し入れがあったのだ。

アオイ・オードルを王妃として迎えたい。

天使の異名を持つ伯爵令嬢の噂は、国内に留まらず各国に広まっている。しかも、今や彼女にはその美しさだけではなく、『漆黒の軍神の寵妃の妹』という付加価値まで付いてくる。となれば、彼女の身上は既にオードル家の手を離れ、キリングシークという国そのものに委ねられていると言って良い。

そして、この申し入れが国益になりえると判断し、イルドナスとの話を進めていたのがハクだった。

「厳重な警備をかい潜っての失踪。恐れながら、万が一にはアオイ様自らが…」

大使が言いかけた言葉を、ハクの穏やかな、だが決して譲らない声が遮る。

「アオイ様に限ってはそのようなこと決してございませぬぞ」

老いても、さすがは大国を支える宰相だ。

恫喝された訳でもないのに、大使は慌てて平伏した。

「こうして無駄な時間を過ごすのは本意ではない」カイは静かな声で、大使を威した。怒りも苛立ちもない、だが、底冷えするような静かな低い声。

大使は体をギクリと強張らせ、震えるか細い声で「…一人…衛兵が消えております」ようやくのように語った。

「その者が…アオイ様を連れ去ったと思われます」

皇帝は傍らに立つ弟を見上げた。

「動かせるか?」

皇帝の問いかけに、何をと返すことなくカイは頷いた。

「表立って動くことは両国にとって決して得策ではありますまい」

ハクの言葉を聞いた大使の顔に、一抹の希望が見えた。

しかし、それも冷たく見下ろす3人の視線で、一瞬にして消え去る。

「アオイは俺の方で捜そう…秘密裡に、な」

カイは兄からの問いに、大使にも分かるよう声に出して答えた。

それを聞いて、ハクの背後でずっと沈黙を守っていたカイの側近が謁見室をそっと出て行く。扉の閉まる小さな音を聞き流して、ハクは続けた。

「この失態…いかような償いをされるおつもりか。本国とじっくりお話されるが良いでしょう」

男はもう一度深く頭を下げた。

そして、真っ青な顔とフラフラする足元で部屋を退出していった。



この男が辞したのと入れ替わるようにして、二人の若者が部屋へと入ってきた。

一人は先ほど部屋を出て行ったカイの側近であるタキ。もう一人は、そのタキとまったく同じ貌をしたシキという同じくカイの側近だ。二人は、玉座の皇帝と己の主、そしてハクにも一礼した。

それに頷きで答えつつ、ハクは呟いた。

「しかし、見つからないとは」

ため息を一つ落とし「…アオイ様ならば、連れて歩けばさぞかし目立ちましょうに」と続けた。

「攫った衛兵というのは…正確には騎士、しかも出は侯爵。かなり優秀な者です。名をお聞きになれば、ハク様もご存じかと思います」

タキの言葉はあまりに予想外で、ハクはしばし返す言葉が思い浮かばなかった。

「私も幾度かまみえたことがありますよ。もっとも、もう2度と会うことはないようです」

シキが手の平を開いて、その内にあるものをハクに見せた。

ハクはそれを手に取り、少しだけ目を見張る。

「残っていたのはこれと剣ぐらいで、あとは性別も分からないほどズタズタだったそうです」

それは紋章の入った勲章だった。

イルドナスの国印と、騎士の証である剣が象られている。裏返してみると、そこにはハクも知るイルドナスの騎士の名の刻印があった。

そして、本来は銀や金で細工された鮮やかなものである筈だろうに、それは全体がどす黒い汚れに塗れている。

幾度と戦に出向いている老臣は、それが血であることに気がつき騎士の末路を知った。

「…一体、これは…?」

ハクはタキとシキを見た。

銀髪と碧眼の公爵家の双子は、そっくりの顔に、随分と質の違う笑顔を乗せてハクに応えた。

「アオイ様を攫った者がただの衛兵と貴族出の近衛兵では、国の権威につく傷の大きさが違いましょう。あちらとしては、衛兵で通したいところでしょうね…往生際の悪いことです」

ハクは、玉座の背もたれに寄りかかるカイへと目を向けた。漆黒の衣装に身を包んだ皇子を、白と紫の衣装を身に付けた皇帝も眺めている。

「探す必要はない」

カイはいともあっさりと言った。

「アオイはイトが拾った」

ハクは今までさほど表情のなかった面に、初めて大きな驚きを表した。

「…イトと言うと…あの隻眼の狩人のでございますか?」

魔獣狩を生業とする、優秀な狩人。カイ以外の命令を一切受け入れない無頼の男だ。

「しかし、イトがアオイ様を拾ったとは?」

カイの言葉はいつも端的だ。

それですべて悟ることができるのは、兄皇帝と双子の側近ぐらいだろう。

「今朝方、イトの遣い魔がカイ様の元に参りました。こちらの紋章と共に耳飾りが届けられ、それについては先ほど、オードル卿にアオイ様のものと確認致しました…イトの書いてきた特徴から見ても、彼の保護した女性はアオイ様に間違いないでしょう」

タキの説明に「あのイトが『天使』だと書いてきてるんだ。間違いないだろ」と、イトを良く知るシキが付け加える。

ハクは、何が起きているのか、大体を察した。

そして、「この密告書は?」

手に持った書面を、ひらひらとタキに見せた。

既にそれは重要文書ではなく、小道具の一つに過ぎない。

「あ、はい。私が書きました」

子供が答えるように、手を上げたのはシキだった。

「私の筆跡はよくご存じと思いましたので」

しらっと答えるタキをちらりと見やり、その横のシキを眺め「…確かにお前の書いた書類なんぞ、とんと見たことないな」

戦では頼りになるが、日頃筆を持っているところなんぞ見たことないシキの筆跡など、確かに知らぬ。

しかし、随分手の込んだことをするではないか。

「あの国に貸しが与えたくはございませんか?」

タキの笑顔に、ハクは眉を上げた。

「イルドナスが二人を捜しているのは事実でしょう。ただ、見つけた後は…そうですね、あちらが考えそうなことは…駆け落ちの挙げ句に心中…でしょうか」

事実を知る者がいなければ。

そうすれば、アオイが自らの意思で姿をくらましたとの言い分も通るのか。

そして、イルドナスは僅かばかりの体面を保てるのだろう。

「それを、こちらから提案する訳か?」

「…そこはあちらとの探り合いです…もちろんアオイ様は確実に保護致しますが…」

そこでタキは視線を落とした。

「いずれにしても、アオイ様には辛い状況です」

男に攫われた娘。

穢された天使の行く末は、老臣の胸にも重いものをもたらした。

できるだけのことをしてやらねばなるまい。

イルドナスの失態とはいえ、これは自身が進めていた話なのだから。

ハクは、そう心を決めつつ「…ガイ様はご存じだったのですか?」

玉座にゆったりと座り、老臣と若者の会話を聞いている皇帝に尋ねる。

皇帝は「今、知ったところだ」と、カイと良く似た、しかし、より柔らかい声で静かに答えた。

この鷹揚な態度が、他の国王を威徳するのだ。

ガイは、隣の弟に告げた。

「確かに、あの国は…少々目障りだな」

カイは頷き、タキとシキを見る。

「アオイ様はイトに預けます。こちらに向かわせてはおりますが、万が一イルドナスに気づかれると厄介なことになりかねませんので、しばらく接触は避けます」

ハクは頷いた。

「それから…少し兵を動かします」

タキの視線がシキに動く。シキは「了解」と答えた。

「秘密裡に。イルドナスの気を引く程度に…ね」

貴公子然とした端正な顔に、悪童のような笑みを乗せて続けた。

着々と進める若者達に、老臣はなんとも複雑な思いを抱いた。

軍神の側近の優秀さは重々承知しているつもりだった。しかし、それは予想をはるかに超えるものらしい。この国は、確実に世代交代を迎えているのだ。

「…私の引退も近そうですな」

それにシキがプッと笑いを零す。哀愁を振り払い、それに睨みをきかせば、タキが「…御冗談でしょう?」と微笑んだ。

「お前がゆっくりできるのは、もう少し先だ」

皇帝が言って、玉座から立った。

「この国には、まだお前が必要だ」

皇帝の言葉に、ハクは年甲斐もなく感激し、深く深く頭を下げた。

カイは台座を降りて、ハクの肩をポンと一度叩くと、そのまま扉に向かった。二人の側近がその後に続く。

「カイ」

ガイの呼び掛けに、カイは振り向いた。

「お前の妃殿に、私が心から詫びていると伝えてもらえるか?」

カイは無表情のまま、小さく頷いた。

「アオイが無事に戻れば、できる限りのことをしよう」

先ほどハクが心の内で思ったことを、皇帝が口にする。

「それは…アオイが無事に戻ってからだ」

告げて出ていくカイを、ガイとハクは黙って見送った。

そう、皇帝も宰相も、今は何もできないのだ。できるのは、天使が無事にキリングシークに戻ってから。

それまでは、無頼の狩人を頼り、無事を祈るしかない。

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