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キリングシークにて

いつだったか、イルドナスの大使が真っ青な顔をして跪いていた場所に、今は、その王が膝をついてかしずいている。背後に控える二人の騎士も同じように頭を垂れている。

その顔は誰も青ざめてはいない。

しかし、常にまとう尊大さは、さすがになりを潜めている。

「この度のこと、我が国の失態にて、誠に申し訳ございません」

王自ら口にする言葉。

どれほどの真意が込められているかは別にして、この若き王の自尊心を大いに傷つけていることは間違いないだろう。

だが、キリングシークが求めるのは、そんなものではない。

一王の心の傷など、些細なことに過ぎない。

キリングシークが求めるのは、無益な争いを引き起こさんとする者の排除。

それのみ。

「既にご報告いたしましたとおり、アオイ・オードルは我々が保護致しました」

ハクが告げた。

イルドナスの王は、深く頭を垂れる。

「幸いなことにとある寺院に保護されておりました」

老人の深い声が、まことしやかに語る経緯。

これが、偽りであることは、王も承知だろう。

だが、それを指摘することなどない。

指摘することは、即ちアオイの居場所を知っていたことに繋がる。

「ただ、今回のことはよほどショックだったのでしょう…少々錯乱されており、未だ詳細が語られることはございません」

続けるそれは蜜。

イルドナスへの、甘い餌だ。

アオイから事の真実が語られることはない。

故に、イルドナスが最も隠したいと願っていることは、世に出ることは妨げられるだろう。

そんな、餌を目の前に差し出した。

「我々としても、これ以上アオイ殿を苦しめるのは本意ではございません」

王は頷いた。

ハクは玉座に座る皇帝と、その横の軍神を見た。

いつかと同じように、悠然とそこにある二人の姿に気持ちを落ちつけると、教えられた名を口にする。

「ところで…ラファロ・ゴートン、という名をご存じでしょうか?」

先ほどちらつかせたのは餌。

ならば、これは。

剣だろうか。

毒薬だろうか。

若き王殿に、手中にあるそれを見せて。

威す。

「…存じませんが」

イルドナスの王は、顔色一つ変えずに答えた。

本当に知らぬのかもしれない。

下っ端なの衛兵の名など。

だが、控える騎士の一人が僅かに肩を揺らしたのを、そこにいる男達は見逃さない。

「さようですか…イルドナスの衛兵です。アオイ・オードルを保護した際、側におりました」

イルドナスの王は少し肩を揺らし。

「…その者が、アオイ殿を攫ったのしょうか」

しらじらしいと思える問いを口にする。

だが、それはこちらも同様。

「さて、どうでしょうか…この男も、さほど多くは語りません」

ハクは答えながら、その男を思い出していた。

シキに請われて訪れた場末の宿は、過去に戻ったかのような幻影を抱かせる地獄だった。

転がる遺体と充満する血の匂い。

その中に、件の男がいた。

恐怖に引き攣った顔と震える体で。

愛国心も忠誠心も粉々に砕け散った惨めな体で、全てを洗いざらい白状した。

天使のような娘を殺せ、と命じられた。

もしも、誰かが共にあれば、その者も消し去れ、と。

だから、町のゴロツキを雇った。

男と女の二人連れ。

難しい任務ではないと、そう思っていたのに。

あれは何だ?

あの男。

あれは人か?

一瞬の迷いもなく、首を刎ねた。

逃げようとする者さえ、容赦なく。

すべて、一太刀。

成す術など、あろう筈もない。

あれは、悪魔か?

人を象った魔獣か?

一つ目の…あの男。

あんなものが…この世に、いるのか?この世は、まだ戦乱の真っただ中なのか?

錯乱したように告げられるそれが、隻眼の狩人のことを言っているのだと気がついた。

イトヨウ。

その男がどんな人物かは、ハクも知っている。

かつては戦の象徴のような一族を束ねていた男だ。

恐ろしいほどに腕の立つ狩人。

だが、知らなかった。

暗闇の中、剣を振るいながら、生かすべき人物を見定める男なのだ。

荒くれのような顔をして。

恐ろしいほどに冷徹に。

「…既に語れる状況にもありません…自ら命を絶っております故」

本当は違う。

絶え絶えな息の中、語るべきを語り男は絶えた。

イトの与えた傷は…一時を生かすだけのものだった。

僅かな言葉を語る時間を与えただけ。

確かに、恐ろしい男だ。

悪魔のように冷酷に。

魔物のような残忍さで。

平穏な時をあっけないほどに簡単に打ち崩す。

その男が、軍神に忠誠を誓っていることに、ハクは心の底から安堵していた。

「イルドナスの王よ」

静かな、物音一つしない空間。

それに若々しくも、深淵な声が響き渡った。

皆の視線が一斉に皇帝へと注がれる。

「貴殿としても…真相は知りたいところではあろうが…」

皇帝は静かに立ち上がった。

背丈は隣に立つ軍神とさほど違わない。

キリングシークの双璧の頑強さに畏怖を覚えるかのように、イルドナスの王は身を慄かせ再び頭を垂れた。

「どうか、そっとしておいてやって欲しい」

柔らかな言葉。

荒れることのない声。

だが、それは全てを決定する。

「承知してございます」

イルドナスの王は答えた。

これは、若き王の望むとおりの展開だろうか。

「さて…イルドナス王殿」

皇帝は再び玉座にゆったりと座ると、跪く同盟国の王に声をかけた。

「せっかくおいで頂いたのだ…今日は、ゆっくりとしていかれるが良い」

心中、早く国に帰りたいと願っているだろう王は、それでも深く頭を下げて礼を言い立ち上がった。

二人の騎士を従えて、頭を下げる老臣の前を軽く会釈をしながら通り過ぎ、その横に控える端正な容姿の双子の前を通るその時。

「そういえば、何時だったか王のお側に控えていらっしゃった騎士殿は御達者ですか?」

一人が不意に問い掛けた。

イルドナスの王は一瞬にして身を強張らせる。

騎士然とした身なりの男は、まるで剣の振るい方など知らぬとでも言うような、穏やかな笑みで続ける。

「確か…名は、レオン・バロス…殿でしたか」

その名は。

王の側近中の側近だった男の名。

高貴な家に生まれおち、王の信頼を得て。

何一つ欠けるところのないような男だった。

そして、信心深い男だった。戦の最中でも、祈りを欠かさぬような。

死に致しめた敵に弔いの言葉を呟くような。

そんな男だった。

「…彼は少々体調を崩しており…自宅で療養しております」

王は、己の声が震えているようにも聞こえた。

騎士は、ことさら心配げに眉を潜めてみせた。

「それはそれは…残念です。何度か戦場でもまみえましたが、素晴らしい騎士ですね…今ならば、ゆっくりと酒でも酌み交わしたいと思ったのですが」

国間が友好であれば。

そう含んで言うキリングシークの騎士の横で、同じ顔のもう一人が柔らかな物腰で語る。

「確か、侯爵家のご子息でいらっしゃいましたね。将来はイルドナスの重臣になろうかというお方…さぞかしご心配でしょう」

この双子は。

キリングシークは。

全てを知っているのか。

その信心深さ故に、道を誤った男の存在を。

天使に魅入られ、全てを失った男を。

知っていて。

片手に餌をぶら下げて、片手に剣を掲げるのか。

「…失礼します」

双子の言葉に、王はもはや平常心を保つことは難しいと感じていた。

逃げるように謁見室を出ながら、王は敗北を認めた。

この世の頂点はまだキリングシークに定まった訳ではない。

この強大な帝国に取って変わることは、夢想ではない。

だが、イルドナスとて、完全に復興を成し遂げた訳ではないのだ。

信頼する重臣の裏切り。国の威信につく傷は小さくとも。

小さな綻びが国を滅ぼしかねない。

他国に、例えどんなに小さくとも、イルドナスの傷痕を晒す訳にはいかないのだ。

今は、敗北を認めて、キリングシークに膝まづくべきだろう。


「…御苦労だったな」

予定どおりの牽制をイルドナスに与えた重臣達に、皇帝が労いの言葉をかけた。

「これで少しの間は大人しくして下さるでしょうな」

ハクの言葉にガイは微笑む。

「そうだと良いがな」

そうして、傍らに立つ弟を見上げたが、カイは軽く頷いただけだった。

相変わらず言葉の少ないことを気にするでもなく、ガイは続けた。

「…で、天使殿は今どこにいる?」

尋ねると、カイは「…さあな」と答えた。

それに驚いて言葉を発したのは、ハクだった。

「カイ様!?さ、さあな…とは」

もっともな反応の筈だった。

だが、この部屋でうろたえているのはハクだけだ。

ハクは、近くにいたシキに詰め寄った。

「どういうことだ!?保護しておるのではないのか!?」

シキは「…翔んで行ってしまったというか…堕ちていったというか…」と、訳の分からない答えを寄越した。

らちが明かないと、タキを見れば。

「どこにいるのかは存じませんが、お元気の筈ですよ」

きっぱりと、だが、何の答えにもならない答えが返ってきた。

この双子が、のらりくらりとすり抜けていくのが得意なことは分かっていたことだ。

「ガイ様!」

ハクは、少しの焦燥感も感じられない皇帝に縋った。

「私はその天使殿に何をしてやれる?」

ガイは傍らの弟に尋ねた。

翔んでいったという天使。

堕ちたという天使。

その天使に、少なくとも今現世でもっとも力を持つであろう皇帝は、何をしてやれるだろうか。

「何も」

カイは短く答えた。

「何も?」

どんな力を持った者でも。

あの天使には、何もしてやれることはない。

天使が望むのはたった一つだから。

「何もしないことが唯一できることだ」

悪魔と呼ばれる男の傍らにあること。

一人の男の側に。

一人の女として寄り添うこと。

天使と呼ばれた女が望むのはそれだけだ。

皇帝が何をしてやれるというのか。

「分かった」

頷く皇帝は、老臣にも納得するように視線を投げた。

老臣は、少しの間何か言いたげにしてはいたが、やがて諦めて頷いた。

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