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第七十二話 『神の悪意』


 列を乱さぬように順々に階段を上がり、人喰い迷宮の中に入ったらそこには古代ドワーフたちの技術の結晶が広がっていた。圧巻された。究極のシンメトリーの美しさとでも言えばいいのだろうか。例えるなら集団行動だ。あの一糸乱れぬメンバーの動きを直接目の前で披露されているかのような感動がある。


「……スゲェ……」


 思わず感嘆の声が漏れた。それどころじゃない状況なのを頭でわかっていても漏れ出してしまった。それほどまでにスゴイ光景だった。


 等間隔に並べられた石柱は永遠と続いているんじゃないのかと疑うほど終わりがない。終わりが見えないほどどこまでも続いている。

 

 迷うわけがないほど真っ直ぐな一本道で、床に敷き詰められた未知の鉱石は反射するほど磨かれていて、ガラスの上に立たされたかのような緊張感がある。靴裏が地面を噛まないと滑って、転んでしまいそうだ。少なくともこの遺跡が、人喰い迷宮が何十、何百年も放置されているとは思えない。


 ……あ、今気付いたころだが、迷宮の壁面には松明代わりに魔光石が設置されている。温かな光が迷宮内部をほのかに照らしているのだ。この魔光石のおかげで迷宮の内部は薄暗い程度で……いや、やっぱり暗いな。とにかく光量の絶対数が足りていない。どうせならもっと足元を照らして欲しい。お化け屋敷程度の光量だと余計な怖さが増すだけだ。まあ、わざわざ持って来たランプが無駄にならなくてよかったと考えることにしよう。ランプ係、続行だ。


「思ったよりも広いですね……」


 そんなことを考えているとアリアさんが声を掛けきた。曇った声に疑問を抱いて、視線だけで隣を見ると白銀の甲冑があるいていた。いつの間にかフルフェイスになっていた。完全装備みたいだ。


「はい。正直、外から見ていた時はもっと狭いかと思っていたんですけどね。……やっぱりアリアさんたちからみてもこの迷宮は巨大なんですか? 俺にはまだ古代ドワーフの遺跡の規模(サイズ)感を掴んでいないっていうか、自分の中での基準ができていないので……」


「そうですね。私たちは今まで何度も依頼を受けて、古代ドワーフの遺跡を調査してきましたが……これは規格外ですね。ここまで大きいのは初めてです」


 アリアさんはそこで言葉を区切って、ぐるりと首から上を動かして「ドワーフは人間とは異なり種族として”物の形を自由に変える”魔法を体系化し、各々が独自の技術にまで昇華しているとは聞いたことがありますが、ここまで立派なものをよく建てようと思いましたね。しかもこのような山の麓に……」と、どこか感心したようなセリフを口にして、遺跡の内部を興味深そうに観察していた。


 いや、実際にアリアさんの言う通りなのだろう。俺も彼女の動きを真似てみて、ゆっくりと天井にまで目を向けてみたが、人喰い迷宮の内部は閉塞感や窮屈感といったものを微塵も感じなかった。いや、閉塞感を感じるどころか入口以上に内部は広く、道幅にゆとりがあるせいでで五十人近くいるはずの救助隊の人数が少なかったのではないかと錯覚してしまいそうになるほどだ。とにかく広い。


 映画や本でみたことがある外国の城がまるでミニチュアのようだった。スケールが違う。まるで上京したての田舎者が都会の建物をジロジロと眺めるように歩いているとコツン、コッ、と俺の足音が静かに反響しているのがよく聞こえた。いや、違うな。俺の足音だけが特に反響していた。


 皆は周囲を警戒して息を殺している。俺も同じだ。違うのは足音を消すという謎技術を持っているという一点だけだ。傍目には普通に歩いているように見えるのに皆の足音が小さい。そのせいで俺が生み出した足音が余計にうるさく感じる。というかアリアさんは全身に鎧を着込んでいるはずなのに鎧同士が擦れる最小限の音しかしないってどうなってるんだよ!


 俺はアリアさんの方向をチラチラと盗み見ながらせめて彼女の、いや、彼らの足音を消して歩く技術を少しでも体得してやろうと慎重に歩を進めた瞬間――前方からの足音が完璧に聞こえなくなった。断続的に聞こえていたはずの大勢の小さな足音が聞こえなくなり、不安になった俺が正面に視線を戻すと答えはすぐにわかった。単純だった。彼らは歩を進めるのを止めて、立ち止まっていたのだ。


 どうしたんだろう、と爪先に力を込めて、背伸びをしてみたが海賊たちの大きな背中が邪魔で状況がよくわからない。そんなことをしていると、先頭にいたはずのハイレッディンさんがわざわざ引き返して、俺たちのすぐ目の前まで近づいてきていたのが見えた。彼は海賊の中でも図抜けて体格が良いので一目で分かった。


「おー! いたいた! ようやく見つけたぜぇ!」


 彼は人混みの中でアリアさんの姿を見つけると途端に上機嫌になり、ズカズカと近寄って来た。


「何かあったんですか?」


「いや、何もねぇな。何もなさすぎて逆に不安になってきたぐらいだ!」


 普段では考えられないほど真剣な口振りでアリアさんがそう質問したが、ハイレッディンさんは緊張感のない声色で中身のない答えを返してきた。


「…………」


「あー、いや。何もないことはないんだ。言葉の綾ってヤツだよ。三叉路……じゃなくて、十字路があってよ。分かれ道だ。それにこんな変わり映えのしない光景だろ? そりゃあ、アイツらも迷子になっちまうよなって……」


「あー、なるほど。だから、立ち止まってたんですね。第一陣の皆を助けるためには彼らがどの道を進んだか見極めないといけないですから」


「いや、それも少し違ってよ。それに、たぶんアイツらのことだからどれか一つじゃなくて、さらに三つに部隊を分けて、三つ全部の道を進むと思うぞ? 根っこからの欲張りだからな、アイツら」


「……え、何なんすか、なら?」


「まぁ、まあ、坊主。そんなに焦るなって。どっしりと落ち着いてないと、モテねぇぞ? ……実はよ、こんなのが落ちてたんだ」


 ハイレッディンさんはそう言うと呆れている俺たち二人の眼前にあるものを差し出してきた。見せつけるかのように突き出してきたのは刀だった。禍々しく、赤みががかった刀だ。とても見覚えがある。これはある男が脇差として常に自身の腰に佩いていた刀だったはずだ。


「これは――」


「ヒビキの刀ですね」


 ヒビキが佩いている脇差、確か彼が”血染め”という名称で呼んでいたはずだ。ヒュドラ討伐の際、活躍していた。ヒュドラの巨大な目玉に突き刺し、血が風化して固まったかのような真っ黒に変化した刀身でヒュドラを斬り、裂いていたはずだ。それがなんでこんなところにあるんだ?


 ハイレッディンさんは俺がそんな疑問を抱くことをあらかじめ予想していたんじゃないかと思うほど絶妙なタイミングで会話を再開した。


「ああ、そうだ。これはあのバカの刀だ。無造作に投げ捨ててあった。……同じ船に乗っているお前たちがオレと同じ答えを口にしたってことは、やっぱりこれは本物ってことだな。あまり自信はなかったが、そうか……」


「いや、それよりなんでヒビキの刀が、刀だけがあるんですか? ヒビキのヤツはどこに?」


「オレが知るかよ、そんなこと。ただ一つ分かることは死んでも刀を手放さないような刀バカ(あのヒビキ)が自ら刀を捨てるように手放す事態にまで追い詰められたかもしれねぇってことだ。……だけどよ、不思議なことに争ったような形跡が何一つなかったんだよな。血痕も、死体もいや、それどころかアイツらの形跡がなさすぎる。獣よりも血に飢えたヒビキがいるのにだぜ? 不自然だ。だから、オレはこいつをヒビキからのメッセージだと受け取った!」


「メッセージ?」


「……いや、それよりもこれからどうするかを説明していただけますか? ハイレッディンさんにも何か考えがあって話しているんでしょう?」


 無駄話は今すぐに止めて要点を端的に話せ、と言わんばかりにアリアさんは冷たく俺たちの会話を両断した。


「ああ、情けない話になるがよ……一度、引き返すことにした。引き返して兄貴の判断を仰ぐことに決めたんだ。……これはたぶん、ヒビキのバカが後続に続くはずだったオレたちに今すぐに引き返せって伝えたかったんだと思っちまったんだ。根性のない話に聞こえるかもしれねぇし、ただ単にオレが臆しちまっただけだろって言われたら返す言葉もねぇけどよ。……不満のあるヤツらも全員、今はオレの意見に従ってくれ。後で文句はいくらでも聞いてやるからよ!」


「……はい、そうですね。私も妙な胸騒ぎがするのは確かです。ここは恥も外聞もかなぐり捨てて、潔く引き返してしまいましょうか」


 この二人のやり取りを傍で聞いていて、素直に上手いと柏手を打ちそうになった。これは二人が副船長という立場になってから自然に身に付けていったスキルなのだろう。救助隊として人喰い迷宮に足を踏み入れた、この場の皆にもギリギリ聞こえる程度の声量だった。


 他人から楽をして手に入れた情報よりも自分で手に入れた情報は価値がある。そんな人間心理を利用しているのかもしれない。二人はそこまで考えていないかもしれないが、この場にいる皆が自らの頭で情報を整理し考えさせられたのは確かなことだった。


「ほら、戻るぞ。坊主。これを持っててくれ!」


「え、俺が?」


「当たり前だろ、オレが持ってたら片手が塞がっちまうじゃねぇか。それにアイツの呪具なんて持ってられっかよ。それにちょうどいいじゃねぇか、二本差しは男のロマンだろ? 坊主の持ってるそれと合わせると赤と黒、男は誰だって好きになる色合いじゃねぇか!」


 ハハハッ、とハイレッディンさんは高笑いしながらヒビキの脇差を俺に力尽くで押し付けてきた。若干、嫌な仕事だがどうせ誰かがやらないといけない仕事だ。それを戦力として期待できない俺に任せるのは実に理にかなっているとは思う。俺の心を無視すれば。そんなことを考えながら渋々と刀を受け取ると見兼ねたのかアリアさんが口を開いた。


「……ジン君、それも呪具ですので一応扱いには気を付けて下さいね?」


「あー、これも呪具なんですね。ちなみに呪具って、俺初めて持ったんですけどやっぱり危険なんですか?」


「えーっと、そうですね。呪具が危険というよりも、その刀が持っている能力の方が私は危険だと思います。……呪具とは簡単に言ってしまえばジン君の魔法のようなものです。リーネの炎やジン君の縄などがわかりやすい例として挙げれますが、愛着のある道具に超常的な力が宿ったものを呪具と呼称されています」


「あ、それは聞いたことがありますよ。安心してください。身体から漏れ出した魔力がどういう理屈かは不明だけど、道具に魔力が宿った結果、呪具になるみたいな話ですよね。あやふやで感覚的にしか理解していませんが……」


「はい、満点です。そこまで分かっているなら私の心配は不要でしたね。ジン君もしっかりとこちら側に染まっているみたいで安心しました!」


「いや、できれば染まりたくはなかったんですけどね。……ちなみにこの刀が持っている、いや、宿っている能力って何なんですか?」


「そうですねー、えーっと、正式な名称は覚えていませんがヒビキから勝手に”血染め”と名付けられています。私たちもそう呼ぶことが多いです。能力としてはですね、刀身に血が付着すると吸い上げて、刃毀れを直すというものです。抜群の切れ味を保てるので永遠に継戦ができると自慢げに言っていましたね。……もしジン君が少しでも指を切ってしまうとその刀に血を吸われて最悪の場合、失血死に至る可能性があるので本当に気を付けて下さい」


「そんな危険な物を押し付けないでください!」


「まあ、いいじゃねぇか。鞘から抜かない限りは絶対に大丈夫なんだからよ。ほら、足を動かせ!」


「いや、そうだけど、そうじゃないでしょ。……はぁ、まあ、もういいですよ」


 納得はできなかったがハイレッディンさんが歩き始めてしまったので、もう断ることもできなくなってしまった。ずっしりとした刀の重さを両手に感じたまま俺も彼の後を付いていくように歩を進める。


 それにしても呪具、呪具か。手に持っているのが刀ではなく呪具だと意識した瞬間、なんだか全身から力が抜けた気がする。心労のせいか突然、疲れてしまった。風邪を引いた時の倦怠感に近い。いや、ただのプラシーボ効果かもしれないが身体の中に確かに存在している何かを少量ずつ、常に吸われているような感じだ。それが血じゃないことを祈るしかない。


「……あのー、ハイレッディンさん。ちょっといいですか?」


 コツ、コツ、という足音だけが再び、迷宮内に響いていた。俺は押し付けられた脇差と正面を歩くハイレッディンさんを交互に、そして、恨みがましそうに見ていたがふと気になっていたことができた。いや、気になっていたことを思い出したと言った方が正しいかもしれない。無言の時間が気まずいし、せっかく忘れていたことを思い出せたのにまた忘れてしまったらモヤモヤとする。そう言った理由で周囲を警戒している彼に思い切って話し掛けてみることにした。


「あ、何だ? 何か異変にでも気付いたのか?」


「いや、そういうわけじゃなくてですね……こんな機会でもなければなかなか話す機会はないと思ってですね。個人的に気になっていたことがあるのでいくつか質問してもいいですか? あ、もちろん嫌なら断ってくれてもいいです」


「おい、坊主。お前、状況分かって言ってんのか? どこをどう見てもそんなことしてる暇はねぇだろうが?」


「そうですよね。こんなことしてる場合じゃないですよね。ただの興味本位だったんで気にしないでください……本当にすいませんでした」


「いや、だから気に入った。なんでも聞いて来い!」


 自分でも不注意なことをしているなとは思うのでハイレッディンさんに怒られても、断られても、本当にどちらでも良かったが俺の予想を裏切るかのように彼は結構ノリノリだった。いや、とても乗り気のようだ。


「あー、なら、ずっと気になってたんですけどハイレッディンさんとウルージさんってご兄弟なんですか? 血の繋がった」


「うん? オレと兄貴は兄弟だぜぇ! 兄弟杯を交わしたからな! ただ血の繋がりはねぇよ。オレと兄貴の間にはそんなもん些細な問題だ。オレたちは血じゃなくて、魂で繋がっちまってるからな!」


「……やっぱりそうなんですね。顔というより滲み出る雰囲気が似てないっていうか、血の繋がった兄弟とはどうしても思えなくて……それにハイレッディンさんの髪や髭はナチュラルな赤じゃないっていうか、三原色の赤に近いですし。というかやっぱり染めてますよね? 赤色に…」


「ああ、オレは心から尊敬してるからな。……ガキの頃から兄貴みたいになりたかったんだ。ほら、黄泉の国には形から入るって言葉があるだろ? それに倣ってみたんだ。オレはガキの頃から兄貴みたいな男になりたかった。兄弟杯を交わしてもらったのはブレねぇように覚悟を固めるためだ。……そして、その第一歩として、まずは兄貴の”赤髭”って名に恥じないようにオレも全身の毛を赤く染めてみたんだが……どうだ? なかなか似合ってるだろ?」


「まあ、それは……はい」


 兄弟愛が重いっていうか、ここまで突き抜けたら恐ろしい。理解できなくて本能が怖いと叫んでいる。葦原が漫画を読みながら「妹や姉がヒロインの作品も好きなんだけど、やっぱり実際にいたら拒絶反応がでるんだろうな……」と何かを噛み締めるような顔でしみじみとそんなことを言っていたが、アイツが言っていたのはこういう感覚のことなのかもしれないな。ハイレッディンさんと同じセリフを口にする自分を想像しただけで鳥肌が立ってきた。


「何だよ。せっかくこっちが親切心で答えてやってんのにそんなゴミを見るような目つきで見てきやがって、あんま舐めた態度を取ってると、前歯全部叩き折っちまうぞ?」


「ま、前歯って……いきなりっすね……」


 地雷を踏んだのだと身体ではなく、頭で理解できるのはいつも地雷を踏んだ後なのだ。ハイレッディンさんは適当な反応をした俺を気に入らなかったようで、スゴイ怖い目で睨んで来た。これはきっと犬を飼ったばかりの主人が懐かれていると勝手に思い込んでその犬を揶揄い過ぎると突然、牙と野性を剥いて噛み付かれたみたいな話だ。彼に気に入られたのだと勘違いして踏み込み過ぎたら怒られた。それが海賊相手だと命取りになる。俺の命はここまでになるのか、と思っていると――ハイレッディンさんが笑っているのに気が付いた。


「……フ、ハハハッ、冗談だよ。冗談だからあんまり怖がるなって。お前が質問してきたのに『こいつ、気持ち悪いな……』みてぇな面だったから癪に障ってよ。ちょこっとだけ驚かせてやろうとしただけだよ。まあ、だけど、あんまり気分のいい話じゃねぇよな。もしオレが相手じゃなかったら殴られるぐらいはしてたんじゃねぇか? この世にはこめかみに銃を突き付けてから話をするイカれ野郎もいるぐらいなんだぜぇ? てめぇをぶっ殺した後にお前の死体に質問すればいいみたいなセリフを口にされた時には『あ、オレたちは今日死ぬんだな』って思ったぐらいだ」


「……ずいぶんと怖い人ですね。誰ですか、それ? ……もしかしてそれってリーネのお父さんだったりしますか? 聞きづらいんですけど」


「あ? ……フ、ハハッ、ハハハハッ、なるほど、スゲェ。面白いこと言うなぁ、坊主? あー、クソ。久しぶりにここまで笑ったぞ。ジョンのバカがそんなこと言うわけねぇだろ? アイツはもっと間抜けっていうか甘い男だよ。坊主がいう怖い人っていうのはエドワードっていう男のことなんだけどよ、知らねぇか? 海賊なんて狭い業界だしよ、名前ぐらいは聞いたことがあるだろ?」


「エドワードさん⁉」


 さっきの発言がリーネのお父さんじゃなかったことに心のどこかで安心したのも束の間、知っている人物だったことでもっと驚いた。驚愕した。だって、俺が知っているエドワードさんという人は剃り残したかのような固そうな無精髭と外仕事をやっているんだと一目で分かるほど日に焼けた浅黒い肌が特徴的な、気安そうな親戚のおっちゃんという感じの人だったはずだ。そのような風貌の人物だったはずだ。全身に拳銃を巻き付けていたが、顔の前にいきなり虫が飛んで来たらにビビッて仰け反りそうなイメージの男だった。


「なんだ、坊主も騙されている口か? 雰囲気が多少丸くなっただけで、アイツの中身は全く変わってねぇから気を付けろよ? ド悪党だ。舐めた態度ばかり取ってると拳じゃすまねぇぞ。鉛玉がここ目掛けて飛んできちまうからな? ホントだぜぇ?」


「そんな怖い人なんですか? 俺のイメージとは違い過ぎて、ちょっと……」


「ああ、リーネの前だから猫でも被ってたんじゃねぇか? 基本、酒で頭がイカれちまってるんだよ。脳まで酒に侵されてる女好きの飲んだくれだ。その癖、銃の腕は百発百中なんだから質が(わり)い。いや、違うな。アイツは酔えば酔うほど銃精度も勘が冴えちまうからもっと質が(わり)いんだよ。……まあ、アイツがいなかったらオレも兄貴も海賊になってなかったかもしれねぇし。そこだけは感謝してるよ。別にしたいわけじゃねぇし、そんなもん犬にでも食わせちまいたいけどな!」


 照れ隠し……というわけではなさそうだ。ハイレッディンさんの本気で嫌がっている表情を見ているとすべて本心からの発言なのだと伝わってくる。どうやら俺の中にあるエドワードさんの認識を変えたほうがいいみたいだ。


「ほら、終わりだ。終わり。何も起こる気配はねぇけどよ。最後まで気を引き締めていかねぇとよ」


「あ、待ってください。なら、最後に一つだけ……」


「……やっぱり坊主は変に肝が据わってるんだよな。根性はあるが、どこかズレてるっていうかよ。……まあ、いい。散々、腹割って話してんだからここまできたらリップサービスってヤツだよな。だが、これで最後だぜぇ? 別にサービスはしねぇけどよ。怒らねぇから何でも聞いてみろや!」


 いや、もともとハイレッディンさんにしたいと思っていた質問は決まっているが、何でも聞けと言われるとそれはそれで困ってしまうものなんだな。というか本当に何を聞いても大丈夫なのか? これはただの社交辞令ってヤツで、踏み込み過ぎたらぶっ殺されるんじゃないのか?


 その違いが俺にはまだよく理解できていない。気を遣わないと人間関係は上手くいかないが、気を遣ってばかりでも人間関係は上手くいかない。それなら遠慮しない方がいい。むしろ一番聞いてみたいことを聞いてみる方が上手くいくはずだ。


 というかそもそもの話、俺はついさっきハイレッディンさんを怒らせてしまったばかりだ。あれは絶対に怒ったのを咄嗟に誤魔化しただけだ。なら、彼からは腹の底では俺のことを嫌われている可能性が高い。もう二度と話さないかもしれないのなら、どうせ嫌われたままになるのだとしたら、開き直って質問した方が方がまだ得るものがある。


 それに学年で一位になることを目標にした日から不特定多数のクラスメートに嫌われる覚悟を決めていたはずだ。それを応用すればいいだけだ。出る杭は打たれるってわけじゃないが、現世では我を出すと嫌われる。現世で普通の日々を過ごしていた俺は他人に遠慮して聞きたいことを聞かないようなヤツではなかったはずだ。


 他人に嫌われても構わないという覚悟はすでにできているはずだ、と自分を無理やり説得し、俺はハイレッディンさんの目を見ながら続く言葉を紡いだ。


「あー、俺の記憶が確かならハイレッディンさんはウルージさんに向かって『だけど、俺が憧れたのは――』って言ってましたよね? ということは今のウルージさんには憧れていない、いや、今のウルージさんにはどこか思う所があるってことでしょうか?」


「……チッ、相変わらず坊主はオレが本当に聞いて欲しくないことばかり聞いて来るな。そんなボンボンみてぇな面してるくせに躾はなってねぇのか? ……お前、ガキの頃は靴に付いた土を玄関先で落とさずに平気で顔して他人(ひと)の家に上がり込むタイプだっただろ? 典型的に空気が読めないタイプだ」  


「いや、分かりません。子供の頃は俺を家に呼んでくれるような友達は一人もいませんでした……」


「……そうかよ、それは気の毒だな……」


 皮肉を堂々と返されるとは思っていなかったのか、ハイレッディンさんが気を遣って俺から視線を逸らしてしまった。どうやって対応しようかと困っているようにも見える。だから、俺は彼の背中を押すみたいに、いや、彼に悩む隙すらも与えないように再び話を始めた。口をつぐむことだけはしない。


 今、黙ったとしたらもう印象は良くならない。ズケズケと踏み込んできた感じの悪いヤツで終わる。どうせ嫌われんだから、俺はやっぱり俺の言いたいことをすべて言い切ってから嫌われたい。だから――


「いや、もう気にしてませんよ。それと、相手が聞いて欲しくないところって周囲が一番気になっているところじゃないですか? 自分が聞いて欲しい話ほど相手はあんまり興味がないっていうか……まあ、性格の悪い話ですけど……」


 遠慮しない。頭でしっかりと考えながらモヤモヤを吐き出すことにする。すると、ハイレッディンさんはいよいよ勘弁したのか、それとも俺の声を聞くのも面倒になったのか、隠していた心の内側を少しだけ見せてくれた。不本意そうにだが彼も口を開いてくれたのだ。


「……まあ、一理あるわな。褒められた話じゃねぇけどよぉ。……オレは兄貴を本気で尊敬してるよ。兄貴の頼みだったら、いや、頼まなくても身代わりになって死んだっていい。だけど……だけど、坊主の言ったように最近の兄貴には失望している部分もある。いや、尊敬してんだけどな! 尊敬してんだけどよ……」


「……ハイレッディンさんはウルージさんにとって自慢の兄貴なんですね。だからこそ、変わってしまった部分を受け入れることができないってことですか?」


「ああ、そうだ! その変わっちまった部分のせいでな、昔の頼りになる兄貴からは随分と遠ざかっちまったんだよ。今の兄貴は根性なしみてぇにウジウジと悩んでばっかだ! たぶん、女に現を抜かしてるせいだな。あの女の女々しい部分が兄貴に移っちまったんだな! 根性がねぇ話だぜぇ!」


「女? 女って……もしかしてウルージさんには意中の女性がいるんですか? へぇー、意外ですね……」


「あ⁉ 意外って、もしかして坊主は兄貴をバカにしてんのか? 兄貴ほどのイイ男なら女の一人や二人、三人以上いてもおかしくねぇだろうが⁉」


「いや、さすがに二人はおかしいと思いますけど……でも、確かにそうですね。ウルージさんの奥さんになるかもしれない人って言われると正直興味はありますね。想像がつきません。……一体どんな人なんですか?」


 俺の言葉を聞き終えるとハイレッディンさんは虫の居所が悪くなったかのような表情を浮かべて、ボリボリと音を立てて真っ赤に染まった自分の髪の毛をを毟るように掻きむしった。頭皮から血が出そうなほどの強さで掻かれると心配になる。


「……チッ、ただの説教臭い女だよ。兄貴と二人でたまたま足を運んだ居酒屋で出会った女だ。顔は崩れてるわけでもないが、美人ともいえねぇ。特徴なんてないどこにでもいる田舎娘って感じだな。……あー、だが、目の下辺りにそばかすがあったな。それぐらいだな、特徴っていえば。アイツ、居酒屋で仕事をしているくせに『飲み過ぎだ!』と説教を垂れてくるんだぜぇ? 有り得ねぇだろ? それに酔った鬼同士の喧嘩にも、口を突っ込んでいくようなバカな女だ。……兄貴には悪いけど、あの女のどこに魅力を感じたのかオレにはまったく理解できねぇ!」


「ハイレッディンさんとも親交が深いんですね、その人。ということはもうお付き合いされてから長いんですか?」


「そこだよ! 兄貴の女々しくなったってところは! お互いのことが好きだって絶対(ぜってえ)に分ってるくせに告白すらしねぇんだよ。見てるとイライラしてくんだよ、クソったれ! 昔の兄貴だったらこんなことしなかったんだ。もっと男らしい人だったんだよ! そもそも男の告白なんていやぁ女の前に立って『抱いてやる』の一言で済む話だろうが⁉ な、そうだよな! 坊主⁉」 


「いや、それはちょっと野性的すぎますよ。……本気で言ってるとしたらドン引きしますよ?」

 

 声量は小さかったが聞こえないほどではないだろう。だけど、ハイレッディンさんはもう俺のそんな発言など眼中にないみたいだ。ヒートアップしている。ほとんどウルージさんの陰口を叩いているようなものなのに口が止まらない。こうしている間にも口と足が動き続けている。


 これは持論になるが嫌いな人の悪口なんてそんなにすぐには思いつかないものだ。パッと思いつくほどの関係性じゃないからだ。だけど、ハイレッディンさんは手を変え品を変え、バリエーションも変えて次々と矢継ぎ早に言葉を発している。逆張りってヤツかもしれないが彼のその姿からは、どこか隠し切れないウルージさんへの親愛が読み取れる。だから――


「……まあ、それでも、ハイレッディンさんはウルージさんのことを信じてるんですね……」


 無意識のうちにそんなセリフを口にしていた。すると、調子が良さそうにウルージさんについて語っていた彼の声がピタリと止まった。無言の時間が始まった。ヤバい。また怒らせてしまったのかもしれない、と思った俺はチラリとハイレッディンさんの顔を盗み見た。だけど、そこには虚を突かれたかのような表情を浮かべていたハイレッディンさんがいた。


「……ああ、自慢の兄貴だよ。やっぱりそこだけは変わらねぇよ。……兄貴はオレを、オレたちを、同じ釜の飯を食った仲間を見捨てことができない人だと思っている。どんなに変わっちまってもよ、それだけは信じたいんだ……」


 そう言うとハイレッディンさんは自嘲気味に笑った。彼の初めて見る表情だ。今までの活発な表情ではなく、どこか影がある暗い表情だ。さすがにこんな顔をするとは予想外だったので俺はなんて返せばいいか分からずにあたふたと手をバタつかせ、動揺することしかできなかったが――


「……あ、そうだ。坊主。頼みがあるんだけどよ、今度、兄貴にあの女のどこに惚れたのか聞いてくれよ。あ、頼みじゃねぇな、ここまで丁寧にお前の質問に答えてやったんだから借りを返せよ。返せるよな? 男と男の約束だぜぇ?」


 だが、俺の心配をよそにハイレッディンさんはさっきまでの陰りがある表情から打って変わって、ハキハキとした笑顔でそんなことを言ってきた。気を遣われたのだと理解するまでにそんなに時間はかからなかった。


「……いや、それはどちらかと言ったら男っていうより詐欺師のやり口だと思うんですけど……まあ、それぐらいなら別にいいですよ。どうやらハイレッディンさんから見た俺は空気が読めないヤツらしいですから……」


「あ、どこも間違ってないだろ? ……こういうセンシティブな質問は空気が読めないヤツの方が聞きやすいだろ? まあ、とにかく頼んだぜ?」


 と、期限の無い契約を勢いに任せて取り付けるとハイレッディンさんは俺の肩をバンッと叩き、先頭まで足早に駆けていってしまった。最後にギザギザの歯を剥き出しの笑顔を浮かべ、足早で出口まで行ってしまった。一人で取り残された俺は彼に押し付けられたヒビキの脇差を見る。


 このまま片手が塞がった状態だといざという時に邪魔になるなと判断した俺は、魔法で生み出した縄を活用してこの刀を固定してしまえばいいのだと考え付いた。


 自分の身体に縄を巻き付けて刀をリュックのように背負ってしまえばいいというアイディアが浮かんだ俺はさっそく作業に取り掛かってしまおうとした瞬間――半歩後ろで俺たちの会話を盗み聞きをしていたアリアさんの気配がないことに気が付いた。鎧同士が擦れる音がしないのだ。


 一抹の不安を感じた俺は急いで背後を確認するとそこにはアリアさんの姿があった。鎧の音がしなかったのは彼女が一歩も動いていなかったからだ。彼女の無事を目視すると同時に、安堵の気持ちが胸いっぱいに広がって――ふとした引っ掛かりを覚えた。頭に小さな違和感が滲んだ。


「……アリアさん? どうしたんですか?」


 だから、俺は声を投げ掛けた。アリアさんは足を止めていた。この状況で、急いで人喰い迷宮の外に向かわないといけないこの状況で彼女は足を止めているのだ。いや、それだけじゃなくて白銀の兜を脱いで、側頭部を押さえている。


「……こ、声が聞こえるんです。知らない声が。……ジン君には聞こえないんですか?」


「声? 声なんて聞こえませんけど……」


 彼女の様子が心配になって駆け寄ったのは俺だけじゃない。俺はアリアさんの元にまで駆け寄って来たもう一人の青年に向かって「聞こえますか?」と目で訴える。しかし、いや、やっぱり彼も聞こえないようで顔を左右に振って否定していた。どうやら声が聞こえているのは彼女だけらしい。


 もしかして偏頭痛の一種だろうか?


 俺のなけなしの現世の知識で判断するなら突然、知らない人の声が聞こえるなんて症状の病気は聞いたことがない。なら、魔素酔いみたいにこっちでの特有の病気かもしれないな。


 よくよく彼女のことを見てみると顔色は蒼白を超えて、土色に近い。体調はとても悪そうだ。アリアさんは真っ青な唇を動かして「なんで、今になって……」と繰り返し、小声で呟いている。いや、知識がないのに容態を考察しても意味がない。怪我がないようだからこのまま彼女を両脇から支えて、迷宮の外に運んでしまおう。


 俺と青年はまるで示し合わせたかのように彼女の左右の手を取ろうと――


「走れ!」


 した瞬間。突如として後方から男の叫び声が聞こえてきた。喉の奥から、いや、腹の奥底から絞り出したかのような叫び声だ。


「……な、何だ?」


 アリアさんを支えるために伸ばしてた右手をそのままにして、警戒しながら遥か後方に視線を送ると、そこには巨大な影があった。いや、巨大な影が光の壁に飲み込まれて消えた瞬間を俺は目撃してしまった。


「わぁ!」


 隣に立っていた青年が情けない声を上げて、俺たち二人を残して逃げてしまった。ヤバい。何かは分からないけどヤバそうだ。さっきまでなかった光の壁、いや、波? を目撃した瞬間、頭の裏が痛くなるほど警鐘を鳴らした。



 消えてしまった者たちの姿が見えない。影すらも残さない、眩い光に飲み込まれてしまった者たちからは声はおろか、悲鳴すらも聞こえてこない。あの光に飲み込まれてしまったら何かは分からないがヤバい気がする。なぜなら、本能が、脳が今も警鐘を鳴らしているんだから。それに、さっきのあの巨大な影はなんなんだ?


 俺がそんなことを考えていると――光がさらに膨張した。


「ッ、アリアさん!」


 頭を抱え込んでいるアリアさんに身体ごと覆い被さった。咄嗟の判断だった。まるで津波のように押し寄せてきた閃光は一瞬にして俺を含んだ、この場にいる全員を飲み込んでしまったみたいだ。視界が真っ白に埋め尽くされていた。いや、真っ白な光に包まれているはずなのに真っ暗な闇の中にいるかのようだった。


 何も見えない。痛みもない。守るために身体ごと覆い被さったはずのアリアさんに触れることができない。周囲には生き物の気配はない。周囲からは物音一つ聞こえてこない。失明するんじゃないかと思うほど眩しい光の中にいるせいで、少しも目を開けることができない。つまり、状況は何一つ分からないってことだ。


 視界が真っ白に埋め尽くされた。


 視界が真っ白に埋め尽くされた。

 

 視界が真っ白に埋め尽くされた。


 視界が真っ白に埋め尽くされた。


 視界が真っ白に埋め尽くされた。


 視界が真っ白に埋め尽くされて――

 

 ぴちゃん、という音が耳朶を打った。水の音だ。水の音が遠くの方から聞こえてきた。他にも微かな風と、洞窟にいるかのような肌寒さと、コンクリートが剥き出しの古い建物の中にいるかのような黴臭さを感じる。それにあの、真っ白な砂嵐に全身が襲われているかのような、フワフワと指先まで鳥肌が立つような、そんな感覚がない。身体に異常がない。外部の情報を正確に知覚できる。


 ということは……あの光が、ようやくひと段落したようだ。


「皆、大丈夫か? アリアさん、大丈夫ですか?」

 

 圧倒的な光を前にして、俺の目を焼かれたのかもしれない。だから、助けを求めるように声を上げて、周りにいたはずの仲間の、アリアさんの安否を確認してみたが、俺の声だけが迷宮内に虚しく響いただけだった。皆も俺と同じでそれどころじゃないのかもしれない。それかあの光のせいで目だけじゃなくて耳までも聞こえなくなったのかもしれない。少しだけ耳が遠くなった気がする。


 だけど、まあ、俺も自分一人で対処するしかないよな。全員、自分のことで手一杯みたいだ。できれば誰かの手を借りたかったが仕方がない。そこまで考えて、やっと俺は、慎重に、そして臆病に、ゆっくりと目を開けることに決めた。光が入らないようにギュッと閉ざしていた瞼を上げる。俺はゆっくりと、時間をかけて猫を風呂に慣らすようにゆっくりと、両目を開けた。


 最初はぼんやりとしか周囲が見えなかった。だけど、次第に色が見えるようになった。次に石柱など迷宮を装飾している形をなんとなく理解できるようになった。そして最後は迷宮にあるものの輪郭をすべて正確に捉えることができた。視力が回復した。ようやく状況が分かるようになった俺は両目を開けて、両目を開けて――


「……はぁ?」


 間の抜けた声がした。俺の声だ。受け入れがたい現実を前にすると思考することができなくなるんだな。おかげで俺の頭はあの光の中から抜け出せたはずなのに真っ白だよ。自分のことを浅慮で、鈍間だとは思っていたが、ここまで綺麗に間抜けと表現できるような声を出す日が来るなんてさすがに思わなかった。


 だって……誰もいなかったんだから。


 長い、長い光の中を抜けるとそこには誰もいなかったのだ。アリアさんも、ハイレッディンさんも、俺たちを見捨てて逃げようとした青年すらいなくなってしまった。俺以外の全員が光に飲み込まれたあの一瞬の間にして姿かたちすら残さず消えてしまったのだ。まるで神隠しにでもあったみたいだ。


 嫌な予感がした。俺たちが第一陣の皆の救出するためにこの迷宮へと足を踏み入れた段階では何も異常はなかった。罠らしい罠もなく、ハイレッディンさんたちと深く喋れるほど、周囲を警戒する必要がないほど、何も異常はなかったはずだ。問題はあの光だ。影が生まれる隙間すらないほど迷宮内部を真っ白に埋め尽くしたあの光だけが問題なのだ。


 そもそも、何で……いや、何となくなら理解できている。直感的な話になるがあの光に襲われたのは、そのきっかけは……俺たちが迷宮の外に出ようとしたからだ。恐らく、いや、確実に、俺たちが第一陣のヤツらの痕跡が落ちているのを発見し、用心のためにと引き返したからたからあの光に襲われたのだ。


 そして、連絡が取れなくなった、俺たちよりも先に人喰い迷宮に足を踏み入れた第一陣の皆もあの光に巻き込まれたってことだろう。巻き込まれて、巻き込まれて、そもそもあの光に巻き込まれたらどうなるんだ? ヤバい、自分自身が今、どういう状況なのかもよく理解できていないんだ。頭がパンクしそうだ。過呼吸になってしまいそうだ。


 いや、待て。待ってくれ。結果として話を戻すことになるかもしれないが、俺たちだけじゃなくリーネたちも襲われたということは……俺たちはこの人喰い迷宮から外に出られないってことなんじゃないのか?


 この迷宮には入口は一つだけしかない。窓も、戸も、非常口も、外からは確認できなかった。出入りできるのはあそこだけだということだ。そう聞いた。ということは持って来た少量の水や食料が尽きるまで、俺たちの命が尽きてミイラのように朽ち果てた死体になるまで、この人喰い迷宮から出られないってことだ。完璧に閉じ込められたってことだ。


 いや、これはまだ俺の考察の域を出ない、確定してもいない可能性の話だ。だけど、マイナスの可能性を少しでも考えただけで吐き気を催してきた。何者かに足首を掴まれている気がする。全身にまとわりつくような謎の寒気を覚えた。這い上がってくる。そのせいで身震いが止まらなかった。きっと一人ぼっちになったせいで心が弱ってしまっているんだ。


 考えたくないのに、考えることを止めることができなかった。


 古代ドワーフの遺跡、それは神に捧げる魔剣を打つという目的のために世代を超えて、己が培った技術の粋を後世へと伝えるために建築されたらしい。アストゥロにあった壁画もその一つだと聞いた。なら、これはなんだ?


 同族であっても弟子以外に己の技術を継承させないために、部外者に盗まれないためにと侵入者が死んでしまうほどの罠を仕掛ける病的なまでの職人気質も理解しよう。現世で生活していた俺のの価値観で測るならイカレているとしか言えないが、そもそもの時代が違うからな。理解は示そう。


 だけど、これはただ獲物を殺すためだけの罠だ。虫の手足を捥いで、いつ死ぬかを眺めている子供の無邪気な残虐さに近いものがある。いや、それを弟子が持つほどにまで精神が成熟していなければいけないはずの大人がしているのだというのだから目も当てられない。単純に性格が悪い。盗人を、俺たちを閉じ込めるために、騙し討ちするためだけにこんなデカい迷宮を用意したなんて――いや、まさか、本当にそうなのか?


 俺たちが光に飲み込まれる直前、背後に見えた巨大な黒い影。あの巨大な黒い影を、怪物を閉じ込めるためだけに人喰い迷宮を造ったのだとしたら、怪物を封じ込めるためだけに神が古代ドワーフへ迷宮を建てろと命じたのだとしたら……

 

 迷宮内でただ一人。俺は古代ドワーフたちへの疑心にも似た気持ち悪さを抱くのと同時に、底知れぬ神の悪意を感じていた。


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