第七十話 『迷宮攻略開始』
リーネとヒビキ。二人と別れてから俺は一人で階段に腰掛けて迷宮内部に持っていく荷物の点検をしていた。念の為に行う最終確認ってヤツだ。
「えーっと、迷宮探索には何が必要なんだ? 取り敢えずナイフとランプだけは鞄に詰め込んでみたけど……他には……」
レインちゃんから貰ったポーチの中身を階段に広げて、迷宮探索の準備を整えていた。第一陣に配属されたメンバーの人たちもまだ迷宮に足を踏み入れてないので少しだけ気が早い話だけど何もしないよりはいい。これは俺の経験則だ。心を冷静にさせるためには頭と口を動かした方がいい。
迷宮内で自分の役割をイメージしながら手元の荷物を整理していこう。必要か必要じゃないのかは忙しくなくなってから人に聞けばいい。どうせ後で先輩たちに聞くからと自分の頭で考えないのは怠慢なだけだ。
それに事前に考えて質問するのと考えずに質問するのでは結果が同じことでも相手に与える印象がだいぶ違う……はずだ。いや、これは俺がただ他人の顔色を気にし過ぎているだけかもしれないけど。でも、体育会系の部活に所属していたら少なくても一回はそんな経験があるだろ?
海賊もどちらかと言えば体育会系だ。俺が知らないことを丁寧に教えてくれる優しい人たちばかりだが根っこの部分は部活の先輩と同じだ。眼鏡をかける音が聞こえてきそうなインテリイメージの海賊は……ヘンリーさんぐらいだな。
まあ、話が逸れてしまったが。結局、俺が何を言いたいかというと無駄になってもいいからやれということだ。
「まず、縄は俺が魔法で作り出せるからな。必要ない。次に……あー、こういうのって動きやすくするために荷物は最低限にした方がいいんだよな? それにあんまりポーチに物を入れすぎるとズボンがずり下がってしまうし。えーっとよく考えろ。ナイフ一本あれば他に刃物はいらなし、時計は……よし、奪衣婆さんの闇市で買った俺の鞄に腕時計が入っていたから大丈夫だ。あ、ランプに火をつけるためのマッチと蝋燭が必要だよな! ……いや、待て。というかこのランプってどうやって使えばいいんだ?」
こういう状況になって初めて現世の懐中電灯って偉大な発明だったんだと骨身に染みる。ボタン一つで暗闇を照らしてくれる便利な道具だったな。それと虫除けスプレーも欲しいな。さっきから小さな蚊が視界を横切るたびに腹が立つ。羽音がうるさい。だから俺は森が嫌いなんだ。旅行にいくなら断然海派だ。
「……チッ、あー、もう。蚊もウザいな。鬱陶しい。もしヘンリーさんに頼んだら虫除けスプレーぐらい作ってくれるかな? いや、無理だよな。技術的に。……でも、蚊取り線香ぐらいならこっちにもあるんじゃないか? 今度、禊木町で探してみようかな……」
「ジン君、準備はもうできていますか?」
森の中から俺の身体に流れている新鮮な血液を求めて寄ってくる蚊どもを手で払っていると正面から女性に声を掛けられた。
聞き覚えがない声だった。それ以前に女性の声は曇っていて誰に話し掛けられたのか判断ができない。というかそもそも女性なのかも分かっていない。声が平均よりも高いだけの男の可能性だって十分ある。そして人混みからわざわざ離れて荷物を点検している俺なんかに話し掛けてくれたんだからたぶん話したことのある人物なのだろう。
何とか記憶を辿って思い出したいという気持ちがある。だけど、声を掛けてもらっておいて返事を返さないのは失礼だろう。無視をするのは感じが悪い。まだ自力で問題を解いていないのに解答用紙を盗み見るかのようで気が引けるがしかたない。そうやって自分を正当化して声を掛けてくれた人物を確認することにした。
声がした方向を、真っ正面を覗き込むように地面から目を離す。ゆっくりと、ゆっくりと相手に悟られないようにゆっくりと顔を上げる。すると、見覚えのない白銀の甲冑が俺のことを見詰めていた。
「あー、はい。準備はできていますけど……」
「それは良かったです。ジン君はこういった状況にまだ不慣れだと思ったので声を掛けたのですが……心配いらなかったみたいですね」
「あ、いや、嘘吐きました。教えて欲しいことだらけです」
「フフ、素直なことは美徳ですよ。では早速――」
「あ、い、いや! ちょっとだけ待って下さい!」
「うん? どうしましたか、ジン君?」
「あのー、すいません。誰ですか?」
一体誰なのかいくら考えても埒が明かなそうなので思い切って聞くことにした。物腰の柔らかさから女性だとは思うけど……
「……誰だと思いますか?」
西洋甲冑で全身を金属板で覆っている。目の前の女性は人喰い迷宮に入る前だというのに几帳面に髪の毛まで覆っているので表情もまったく見えていないけど恐らく女性はムッとしているみたいだ。となるとやっぱり俺の知り合いであることには間違いなさそうだ。いや、誰だ?
この人物は身長はそこまで高くない。恐らく平均的な女性の身長だ。爪先から腰、腹部から胸部、そして最後に頭部まで観察したがカッコいい鎧を着ていること以外の情報は得られなかった。肌どころか髪の毛の一本すら露出していない。
つまり、彼女の外見からは絶対に目ぼしい情報が手に入らないことを鎧の女性は理解していてわざと聞いてきたということだ。少なくとも彼女はとても意地悪な性格をしているようだ。それだけは俺の頭でも分かった。
太陽が当たらないように日陰で休んでいるはずなのに白銀の西洋甲冑は光り輝いている。まるで何も分かっていない俺のことを嘲笑しているみたいだ。彼女との無言の時間が気まずい。こっちからは女性の表情どころか、瞳すら見えていないので彼女が何を考えているのかもわからない。まるで全身を当たっていないはずの太陽の光でじりじりと焼かれている気分だ。
だけど、分からないものはしょうがない。いくら頭を捻っても候補が多くて見当がつかない。だから、俺は当てずっぽうで知っている女性の名前を、パッと頭に浮かんできた女性の名前を口に出した。
「レ、レインちゃん?」
「……最低ですよ、特に女性の名前を間違えるのは。もし間違えられたのが私じゃなかったらショックで一週間は動けなくなっていたところです」
そう言うとカチャカチャと鎧が擦れ合う音を響かせて、彼女はフルフェイスで自身の正体を覆い隠していた鎧の頭部を慣れた手付きで脱ぎ捨てた。鉄のベールに包まれていた女性の顔が見えたその瞬間――
「アリアさん⁉」
「はい、アリアさんです」
叫ぶように俺は彼女の名前を呼んでいた。白銀の鎧を脱ぐとそこには金髪碧眼の美女がいたのだ。その美女は金糸のように美しい髪の毛を上手くまとめて、湖のように優しい瞳でこちらを不満げに見つめてくる。
絶対の絶対に見間違うことはないぐらいアリアさんだった。アリアさんは身長が高いというイメージがあったから鎧女性のことをアリアさんではないだろうと無意識のうちに決めつけてしまっていた。
時折感じるすべてを包み込む母性にも似た彼女の優しさのせいで、俺の目に映るアリアさんの姿が実際の身長よりも大きく見えていたのかもしれない……
「ご、ごめんなさい!」
「いえ、私も意地悪が過ぎましたね。お互い水に流しましょう」
「そう言っていただけるとありがたいです。……それよりも何ですか? アリアさんのその……カッコいい恰好は……」
頭を下げた状態から再び、彼女の姿をじっくりと観察する。全身を隙間なく覆い隠す金属製の装甲はどこかに趣向を凝らした様子はない。至ってシンプルなデザインだ。彼女の鎧にはただ人体の防御力を高めるだけの用途しかないみたいだ。
だけど、アリアさんの今の姿をカッコいいと素直に思ってしまうのは無骨な鎧という道具に男心がくすぐられてしまうからだろうか。まるで修学旅行のお見上げの定番として知られる龍が剣に巻き付いているキーホルダーのようだ。
「ジン君も見て分かる通りただの鎧ですよ?」
「いや、そうじゃなくてですね。俺が言いたいのはなんでアリアさんが鎧なんて着込んでいるんですかってことです」
「え、ジン君にはイナミ村で言ったじゃないですか今回は私も鎧をしっかりと着こんで行くって」
「え、あ、あれって本当だったんですか?」
「はい。私はジン君と同じ第二陣に配属されました。よろしくお願いします」
「あ、よろしくお願いします。…………もしかしてアリアさんって滅茶苦茶強かったりしますか? それこそリーネたちみたいな魔法が使えたり……」
「いえ、使えません」
「……そうなんですね。ヒビキみたいな神具や呪具とかだったり?」
「お、ジン君もこちらに馴染んできましたね。……ですが、これは正真正銘のただの鎧です。魔法のような摩訶不思議な力は宿っていないですよ」
「……なら、まだ脱いでいてもいいんじゃないですか? 重いでしょう? 本当にアリアさんが俺と同じで第二陣に配属されているならまだ迷宮に入るまで二時間ほど猶予がありますよ?」
「そうですね。ジン君の言う通りです。私も久しぶりだったのでテンションが上がってしまって……つい浮足立ってしまいました……」
「……可愛い」
恥ずかしさのせいか頬を赤くして、手をもじもじとさせているアリアさんを見てうっかりと口が動いてしまった。口走ってしまったのだ。
「ん? ジン君。今、何かいいましたか?」
よかった。ヤバいと思って咄嗟に口を両手で塞いでしまったがアリアさんには聞こえていないみたいだ。誤魔化せる。少女漫画に出て来る美男子にしか許されないぐらい気持ち悪いセリフを口にした失態をまだ誤魔化せる。
「えッ、いや、えー、わ、忘れてください。何も言ってないです」
「フフ、ジン君。相手を褒める言葉は何度言ってもいいんですよ? 可愛いと言われて嬉しくない女性はいませんよ?」
「……聞こえているじゃないですか」
ダメだ。完全にアリアさんの手のひらの上で転がされている。必死になって誤魔化していたのがバカみたいじゃないか……
俺がそんなことを考えているとアリアさんは上品に笑って――
「あ、そうだ。第二陣を仕切っているウルージさんがもう一度、今回の迷宮攻略について全員に与えた役割を頭に入れておけと言っていました。ですから、ジン君も荷物の整理をするついでに考えておいてください。ウルージさんは外見に反してとても心配症ですので何度も事前に確認しないと気が済まないんでしょうね。……あ、それとさっきのことはレインにだけは報告しておきます」
「え、それは……勘弁して下さいよ」
というかむしろレインちゃんにだけは報告しないで欲しいんですけど。最近、やっと少しだけ心の距離が縮まったのにこんなこと知られては失望されてしまう。それに役割をもう一度確認しておけと言われても、俺たちに与えられた仕事はどれも簡単にできるはずなんですけど。俺にいたってはただの照明係だし。
「フフ、もちろんこれも冗談ですよ」
「……もしかしてアリアさんって普段の生活で溜まった鬱憤を俺で晴らしてるだけなんじゃないですか?」
「フフ、ごめんなさい。ジン君の反応があまりに素直で可愛かったもので……つい揶揄い過ぎましたね。私は天幕に戻ってもう少しだけ休んでいます。何か困ったことがあったらいつでも私のところに来て下さい」
そう言うとアリアさんは甲冑の頭を脇に抱えて、一足先に天幕のある方向へとカチャカチャと音を立てて戻ってしまった。
「……はぁ。俺ってそんなに揶揄いやすいのかな? 現世では誰にもそんなこと言われたことなかったけど……」
アリアさんの後姿が見えなくなるまで見送ってから俺は彼女の優しそうで品のある笑顔を思い出していた。あれはまさに悪魔のような天使の笑顔ってやつだ。一目見ただけで俺の胸中に存在していた怒りという感情が霧散してしまった。
これはアリアさんが他者との距離感を計るのが上手いのも関係しているのだろう。実際、弟分として気に入ってもらっていると思えば全然気にならない程度のものばかりだしな。
まあ、ただ一つ言わせてもらうとすれば男は可愛いって言われるよりもカッコイイって言われたほうが嬉しいってことぐらいだろうか。そんなことを考えながら俺は階段の上に絨毯みたいに広げた荷物を一つ、一つ、鑑定するかのように手に取りながらポーチの中にしまっていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
アリアさん声を掛けられてから時間は過ぎて、第一陣に選ばれた皆が各自の準備を終わらせて迷宮の入口の前に集まっていた。俺も彼らの雄姿を見届けるために入口から少し離れた場所で待機していた。
第一陣に選ばれたのは武術や魔法、戦闘に自信がある面々が揃っているので俺がわざわざ心配する必要はないだろうが、ここで見送りに参加しないのは人情を欠く行為だと思ったので一応顔ぐらいは出さないとな……
「さぁ! オマエたち! 亡き同胞の手向けのために、略奪の限りを尽くせ! ドワーフどもがたんまりと溜め込んだ金銀財宝まるまる全部、オレたちのもんだ!」
大きな口を開けた人喰い迷宮の入口に立ち、自信満々とそんなことを叫んだのはロバーツさんだ。眼帯をつけて、渋い色合いのサッシュが風に靡いて揺れている。エルフの里でヒュドラ討伐に参加した時から気付いていたが彼は海賊たちの士気を高めるのがとても上手い。
まるで俺の考えを証明するみたいに他の海賊たちが上げた大地を揺らすほどの雄叫びが聞こえてきた。吼えるように人喰い迷宮の攻略を開始することを宣言したロバーツさんに呼応するかのような雄叫びだった。
「略奪って、もっと他にいいようがあっただろ」
「いや、何も間違ってないだろ? オレたちがしようとしていることは墓荒らしみたいなもんだ。海賊って生き物はどれだけドワーフたちに喧嘩を売るつもりなんだって話だよな……」
「……カツキかよ。何の用だ?」
「おい、おい、なんだよ。その反応は? ジンが辛気臭い顔をしてたから励まそうと声を掛けたんだぜ? オレだってもう行かないといけないのに」
「あー、そうか。カツキも第一陣に選ばれたのか……」
カツキも迷宮内部を探索するための準備を終えているようでヒュドラ討伐の時と同じ薙刀を手に持っていた。
「なぁ、みんな武器を持っているみたいだけど迷宮内部で役に立つのか?」
「うん、オレだって知らないよ? でも聞いたことがある話だと石像が急に動き出して襲われたとか、突然壁が迫ってきて潰されかけただの、天井から雨のように弓矢が降り注いできただの、嘘みたいな法螺吹き話を昔酒場で聞いたことがあるな。まあ、魔剣の内部では何が起きても不思議じゃない。だから、冷静さを保つことが最も重要だって話だよ。……それに使い慣れた得物があった方が気持ちが落ち着くだろ? ジンだってそんなこと言う割にはちゃっかりと武器は忘れずに腰に差してるじゃん。ヒビキさんから貰ったってやつをさ……」
「……まあ、そうだよな。俺も人のこと言えないからな」
そう言って俺は腰に付けていた鷹獅子の爪痕に、いや、もう長いから黒爪でいいや。俺は腰に付けていた黒爪にそっと触れる。ヒビキが俺に買ってくれた黒爪という剣は現世では絶対に身に付けることのないはずだ。人の命を奪うことができるズシリとした重さを感じることはなかったはずだ。
だけど、今ではこの重さが自分自身を守ることができる安心に変ってしまったんだから俺の内面も順調に海賊へと近づいているのかもしれない。まあ、できれば認めたくはないけど……
「おーい、カツキ何やってんだよ。さっさと来いよ!」
「おー、分かった。……聞いた通りだジン。班員に呼ばれたからオレもそろそろ行かないといけないんだ。それとオレと話すよりもジンはさっさとヘルガに謝った方がいい。こういうのは長引けば長引くほど面倒くさいことになるってエルフの里で学んだだろ? それじゃあ、もうオレは行くぜ。またな」
「……あ、ちょっと待ってくれ」
「あ? 何だよ。時間はあんまりないんだぞ? 今ならまだ間に合うからジンはヘルガを見つけてとっとと『ごめんなさい』って頭下げてこいよ」
「いや、それはもちろんすぐに行くけどさ。……あー、俺がカツキに話しておきたいのはトール君についてだよ……」
「トール? また何かちょっかいかけたのか?」
「いや、そういうのじゃなくて。……もう一回だけトール君と話をする機会を設けてくれないか?」
「……いいのか? こっちとしてもジンとトールが仲良くしてくれるのは嬉しいけどよ……たぶんだが、ジンとトールの根っこの相性はあんまり良くない、むしろ悪いと思うぞ? トールをジンに紹介しておいてなんだけどな、オレはもう次の機会なんてないだろうって考えていた……」
「ああ、それは俺も十分理解しているよ。……だけどよ。やっぱり現世からこっちに来たって共通点があるんだ。それをお互い知ってるのに世間話すらできない関係値なんてなんだか寂しいじゃん。確かに俺とトール君の性格は合わないとは思うけど、同姓で歳が近くて……若くして死んだって経験をしてるんだ。仲良くはなれなくても顔を合わせたら近況を教え合うような間柄ではいたいよ。……それにもともとカツキが最初に頼んできたんじゃねぇか。トール君と仲良くして欲しいってさ。なら、もう一回ぐらいチャンスをくれてもいいと思わないか? 次でダメだったらそのときはきっぱり諦めるよ」
「……そうか。いや、そうだったな。……よし、任せとけ! 無事に禊木町に帰れたらオレの知り合いの店で食事の席を設けてやるよ! 他にオレからトールに伝えといた方がいいことはあるか?」
「特にない……いや、ならこの前のことを謝りたがっていると伝えておいてくれないか? そっちの方が印象がいいし」
「ああ、確かに任された。人付き合いなんてもともとダメでなんぼだ。ならせめて当たって砕けたいよな!」
「いや正直、砕けたくはないけどな。……俺もカツキのことを見習ってみようと思ってな。まだ何もできない、まったく力になれない俺でもいつかカツキみたいにみんなから頼られる存在になってみたいんだ。……そして悔しいことに能力が足りない俺が今すぐできることって言ったら顔を覚えてもらうことぐらいだからな。まずはそこから頑張ってみることにしたんだ」
少しだけ気恥しいと思うが俺はカツキの目を見て決意を表明した。ずっと考えていたことをようやく形にできた気がする。微力だけど俺はリーネたちの力になりたい。そして俺が出会った人物の中で誰が頼りになるかと自問自答した結果、頭によぎったのは目の前にいる彼の存在だ。
彼は俺だけじゃなくて周囲の人々からとても信用されて頼りにされている。俺にとっても兄貴分的な存在だ。それにカツキのコミュニケーション能力の高さは手本としては申し分ない。
「お、なんだ? 嬉しいことを言ってくれるな。ついにオレも誰かの目標になるときがきたのか。……ならせっかくだし、一つだけアドバイスをしようか。時間がないから手短になるけどどな。……人脈にはそこまでの価値はないけど心で繋がった縁ってヤツはいつか必ずジンのことを救ってくれる。そこに自力で気付けた時点でやっぱりジンは頭が悪くないんだと思う。目標を立ててやるべきこととできることがきちんと客観的に見えているんだよ。だから、自分を卑下することを止めろ。自分を過小評価している人間に人を動かす、人を引っ張っていく力がない。ジンに一番必要なのは自分を肯定する勇気だとオレは思うぞ?」
「……自分を肯定する勇気?」
「そうだ。言ったら悪いがジンはいつも心のどこか高望みをしていると感じるんだ。なんでも自分一人でできるようにならないと満足できないんじゃないか?」
「いや、そんなこと……」
図星だった。いや、だって俺よりも全てにおいて優れている兄貴に追い付くためには、周りを認めさせるためには俺が兄貴を上回らないといけないと思っていたからだ。だから、一人で――
「本当か? 少なくともオレが見てきたジンってやつはそんな男だったぞ? 他人の印象ばかり気にしているせいか自分のことはよく客観視できてるくせに自分の能力以上の結果をいつも求めてる。まるで万能になりたがってるようなやつだった。でもよ、万能って必要なわけじゃないんだぞ? どこまでスゴイ人でも一人でできることは限界があるからな。他人を信じて任せる力、それが人を率いるリーダーになるために必要な素養の一つだと思うぞ。他人を信じるためにはまず自分を肯定しないといけないんだ。それができないと一人で抱え込んで潰れてしまうぞ?」
「……いや、俺は別にリーダーになりたいわけじゃないんだけど……」
「あれ、そうだっけ? まあ、どっちでもいいだろ。重要なことは伝えたつもりだ。ジンならきっと理解できるだろ? ……まあ、オレが時間取りすぎるのもあれだしな」
カツキはそう言うと俺と距離を詰めながら流れるように肩を組んできた。
「ヘルガと仲直りするなら今が声を掛けるチャンスだと思うぞ?」
「え、な、何で?」
「おい、おい。気が付いてないのかよ? さっきから人混みに紛れてチラチラとジンのことを見ているだろ? ほら、あそこら辺から。たぶんジンと話をしたくて機会を伺っているんじゃないか?」
カツキが視線を向ける先を目で追うとちょっと離れた場所に立っていたヘルガと目が合った。視線が交わったことを頭で理解するとほぼ同時にお互いすぐに視線を逸らした。なぜか気まずくなったからだ。居心地が悪い。
「ハハハ、これが青春ってやつか。間地かで見てると苦いコーヒーが欲しくなるぐらい甘いな。そして同時に腹立たしくもある」
「いや、でもさ……」
「……あー、じれったい。ほら、こういう時に女から謝ってくるのを持つような情けない男になるな! お姫様のご機嫌取りが男の仕事だ! さっさと行ってこい!」
バンッと背中をカツキに思いっ切り叩かれた。背中を叩かれた痛みと衝撃のせいで咳き込みそうになってしまった。たぶん今、学生服を脱いだら真っ赤な紅葉のような痕が背中に刻まれていることだろう。
俺は何をするんだという意思を込めて恨めしそうにカツキを睨んだが、当の本人はどこ吹く風といった具合に、飄々とした態度で迷宮の入口の前にいたグループに合流しに行った。わざわざ叩く必要はなかっただろとは思うが気合が入った。というかやっぱりカツキも力は強いんだな。
そんなことを考えながら、たった一人で残された俺は覚悟を決めて反対側にいるヘルガの方向へと歩を進めた。
「よ、よう。ヘルガ」
「……フン、何よ」
しまった。緊張のせいか少しだけ声が裏返ってしまった。だけど、ヘルガは気にした様子もなく素っ気ない返事を返してきた。
「いや、さっきのことで話が……あれ、何かお前ボロボロじゃないか?」
「う、うるさいわね! ちょっと失敗しただけよ!」
「あー、まだ魔法で空を飛べないんだっけ? あれ? でも、さっきホヴズたちみたいに飛べてなかったか?」
「短時間しか飛べないのよ。空中でバランスを取るのが難しくて。……それよりもアンタ、ワタシに謝りに来たんじゃないの?」
「そうだけどさ……いや、待て。何でヘルガが知ってんだ?」
「あ、いや、盗み聞きしてたわけじゃないわよ。ただ偶然聞こえて来ただけよ。あんなところで話してるアンタたちが悪いんだからね!」
「そこまで必死に弁解しなくても……まあ、いいや。昼間の馬車の件で謝りにきたんだけど……謝罪を受け入れてくれないか?」
「フン、嫌よ。許さないわ。ちゃんと怖かったし」
そう言うとヘルガは腕を組んで不機嫌そうに顔を逸らした。
「う、それは……ご、ごめん……あの時は調子に乗りすぎた。何でもするから許してくれないか?」
「そうね。どうしても許して欲しいんだったら今度、蕎麦でも奢りなさい!」
「はぁ? そ、蕎麦って……」
「そうよ、悪い⁉ あ、もちろんだけどヒビキが祭りの日にもってきたあの蕎麦よ! そうじゃなければ許さないわ!」
俺の想像の斜め上を行くヘルガの発言に驚いてしまったが、彼女の今までの言動を思い直してみれば内容以外そこまでおかしなことではないな。
これは素直じゃない彼女が俺を許すために示してくれた妥協点だ。
あの時ヒビキが持ってきた蕎麦は名のある店舗から特別に用意してもらったと言っていたのでかなりいい値段するとは思うけど彼女はそんなこと気にした様子もない。きっと丸々一ヶ月ほど屋敷に引きこもっていたせいで通貨の概念ってやつがピンときていないのだろう。感覚的にまだ美味しい食べ物というのは基本的に値段が高いということを理解できていないのだと思う。
それに何より面白いのは夏祭りの日にヒビキから蕎麦の感想を求められたときには「ふ、普通よ」と言っていたはずだが、今の彼女から察するにやっぱりあの蕎麦は美味しかったみたいだ。子供のように無駄に強がっていたようだ。
そう考えると妹みたいな可愛げがある。まあ、現世にも妹なんていなかったんだけどな。いるのは俺よりも遥かに優秀で仏頂面の兄貴だけだ。
「ハ、ハハ、ハハハハハ……あー、わかった。帰ったら絶対に奢るよ。……これでトール君の件を含めて二つも予定ができてしまったな」
「ちょっと、なに笑ってるのよ! アンタはワタシの寛大な慈悲に感謝するべきじゃないの!」
「お二人とも楽しそうですね……何かいいことでもあったんですか?」
「いや、なんでもないよ。レインちゃん」
笑っている俺のことが気に入らないのか噛み付くように文句を口にしているヘルガからゆっくりとこちらに歩いてきていたレインちゃんに視線を移動させる。
「それに俺よりもレインちゃんの方が急ぎの用事があるって顔をしているけど? 何かあったの?」
「あ、はい。実はですね……リーネに『ロバーツのところはロバーツで、私たちのところは私たちで固まって動いた方がやりやすいと思うの。だから、レイン。悪いけどヘルガを探してきてくれないかしら?』とお願いされたので」
「あー、なるほど。もうみんな行くのか……」
俺が仲が良いメンバーの殆どは第一陣になったみたいだ。まあ、それは仕方がない。グリフォンの巣の時も、ヒュドラ討伐の時も何となく思ってはいたが俺の周りにいる奴らは優秀な人たちが固まっているみたいだ。いや、優秀な人たちの中に俺が紛れ込んでしまっていると表現した方がいいな。
火の魔法が使えて戦力的には申し分ないリーネ。危険な場面に慣れていて地面を叩き割るほどの怪力の持ち主であるシュテン。キョンシーであるレインちゃん。目の前で不機嫌な顔をしているヘルガもエルフの血の影響か魔法が三つも使える。
それに身体能力にも人間と比べると遥かに高いみたいだ。五感も鋭い。狩りを生業にしている種族なだけあるだろう。最後に残ったヒビキに至ってはヒュドラ戦での活躍を知っているものからすればわざわざ口にする必要もないだろう。言わずもがなってやつだ。
唯一心配なのはレインちゃんが性格的にこういった荒事には向いてないって感じるけどキョンシーに、いや、ユキに変った彼女の青白い肌はナイフですら通さないほどの硬度らしい。嘘か誠かは知らないが……
「あのー、お兄さん。どうかしましたか? さっきから私の顔をジッと見つめて……もしかして何かついていますか?」
「うん? ああ、ごめん。何でもない。…………あ、そうだ。もしかしてだけどもうアリアさんから聞いた? いや、何も聞いてないなら別にいいんだけどさ」
「アリアさんからですか? いえ、私はなにも聞いていませんけど……」
「ならよかった。何でもないから気にしないで――って痛!」
「いつまでワタシを無視して話してるのよ!」
レインちゃんと話していたらヘルガに左耳をギュッと引っ張られた。耳って突然引っ張られると地味に痛いものなんだな。
「おい、人の耳をいきなり引っ張ったらいけないってカーリやホヴズから習わなかったのかよ?」
「フン、知らないわよ! それよりもジン。アンタ蕎麦の件はしっかりと覚えておきなさいよ! ほら、行くわよレイン」
「あ、え、えっと、どうしよう。……ではお兄さん。後でしっかりとアリアさんに話を聞いておきます」
「いや、それはできれば聞かないで欲しいかも……」
石畳を踏み鳴らしているヘルガと深々と何度もこちらに頭を下げるレインちゃんが二人で迷宮の入口に向かって歩いていくのを俺は黙って見送った。すると――
「さぁ、あなたたち! ロバーツだけに美味しいところは持っていかせないわ! 私の後に続きなさい! 人喰い迷宮は必ず私たちの手で攻略するわよ!」
引き締まっていて威厳がある声が遠くの方から聞こえてきた。リーネの声だ。彼女はこの場にいる全員の視線を集めるように愛用のサーベルを太陽に捧げるみたいに高らかと掲げて、人喰い迷宮を攻略すると宣言していた。
「……やっぱりリーネもリーネでスゴイんだよな」
海賊たちの魂からの雄叫びを一身に受けても一切気圧されることなく、それどころか真っ向から対抗するかのように堂々とした態度で士気を高める彼女の姿に俺は羨望すら覚えた。俺よりも一回り以上小さな身体のはずなのに今はとてもデカく見える。これが天性のカリスマというやつなのだろう。
これがロバーツさんならば納得もできた。屈強な体格に、映画に登場する海賊そのままの出で立ちに、獣人という他の人にはないオリジナリティもある。だけど、リーネは魔法が使えるだけのただの少女だ。父親が名のある海賊であることを除けば条件は殆ど俺と同じはずだ。
なのになんで俺とは違って圧倒的な存在感を放てているのだろう。というか他人を惹き付けるカリスマの正体とは一体何なんだ? 彼女のことを見ているといつかその答えが理解できるだろうか?
そんなことを考えながらジッと観察するようにリーネのことを見つめていると、俺の視線に気が付いた彼女がこちらに向かって手を振ってきた。
ここで手を振り返すのが恥ずかしいと感じてしまうのが俺のダメな部分なんだろうなと自覚しつつも、どうしても羞恥心を捨てることができずに俺は顔よりも少し下辺りまで手を挙げるという微妙な感じになってしまった。
リーネは一瞬だけ呆れた表情を浮かべたがすぐに切り替え、迷宮の内部に姿を消した。そしてそんな彼女の背中を追うようにヒビキとシュテンの二人が、遅れて合流したヘルガとレインちゃんと共に迷宮に足を踏み入れた。
他にもリーネの船の乗組員たちが我先にと彼女の後を追って迷宮に雪崩れ込んでいった。俺も一緒に汗を流したことがある、顔を知っているやつらだらけなので絵面的には面白いことになっているけど、あいつらの気持ちはわかる。
俺だって本当はついていきたけど今回は最初からランプ係という役割が与えられている。無責任に仕事を放棄するわけにはいかない。だから――
「……あの調子だったらまだまだ時間がかかりそうだし、俺ももうちょっとだけ休んでようかな……」
さっと目を逸らしながら俺はテントの方向へと帰るために歩を進めた。第一陣からは三十分ごとに誰かが外にいる俺たちに無事だと伝える定期連絡が来るらしい。定期連絡という名の合図が来てから俺たちも迷宮内部に突入する手筈だ。
というかあいつらのことだしどうせ無事に帰ってくるだろう。第二陣に配属されたんだから計画通りに迷宮探索が進めば俺もいつか危険な迷宮内部に足を踏み入れないといけないんだ。時間の問題だ。ならそれまで腹ごしらえでもしていた方が有意義に過ごせるだろう。
俺はそんな呑気なことを考えながらテントで座っていた真面目そうな男に話し掛けて、暇な空き時間を潰していたが――いつまで経ってもリーネたち、第一陣から合図がくることがなかった。
それどころか迷宮に挑んでいった五十人近くいたはずの先遣隊が誰一人として迷宮の入口から外に出て来ることがなかった。最初の方は「おいおい、迷宮の内が居心地良すぎて忘れちまったんじゃねぇか?」と言ってみんなは茶化すように笑えていたが三十分、一時間と時間が過ぎていくうちに深刻な状況なのだと馬鹿でも分かるほど空気が重たくなった。
第一陣に配属されたヤツらの安否だけが気になる。彼らは本当に人喰い迷宮に食べられてしまったのではいかという噂と不安が俺たちの間で広がっていき、身動きが取れないまま二時間が経過した。




