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第六十九話 『人喰い迷宮』


 長時間同じ姿勢だとやっぱり尻が痛くなるな。次からはクッションか何かを持ってくることにしよう。そう思いながら俺はガタガタ、ガタガタと激しく揺れる馬車の荷台の上に座っていた。荷物の中に紛れて身体を折り畳んでいると人間としての尊厳が徐々に減っていきそうになるんだよな。


 まあ、海賊たちの中で比較的に小柄で皆と比べると軽量という理由で俺は荷台に乗せてもらっているんだ。荷物の見張り番、荷役ってやつだ。坂道を歩いている人もいので同じ姿勢でいることぐらい我慢しないといけないんだよな。でも――


「馬車ってやっぱり遅いんだよなぁ……」


「馬車なんてこんなもんだろ? 景色でも見て楽しめよ」


「いや、その唯一の楽しみであるはずの景色がさっきからまったく変わらないから文句を言ってるんだけど。というかこれデジャブってヤツだよな。前にも同じような会話しなかったか?」


「あれ? そうだっけな? まあ、なんでもいいや」


 カツキと初めて会った時に似たようなことは喋っていた気がする。というか男二人が肩を寄せ合いながら懐かしそうな雰囲気を漂わせ、昔の話をするだけでなんでここまで爺臭くなるんだろう?


 いや、これはただの被害妄想だな。誰もそこまで気に留めていない。ここまで気にしているのは当事者だけだ。それに客観的に見ると俺たちの姿はグリフォンの巣に行った時と何も変わっていない。


 もちろんカツキとの関係値や俺個人の経験など目に見えない部分は変化しているし、それにあの時とは明確な違いが一つだけある。


「…………これが馬車なのね」


「あれ、なんだよ。ヘルガ、お前もしかして怖がってんのか?」


「うん、ちょっとだけ……」


「……え、えらく素直だな? いつもなら突っかかってくるのに」


 ガタガタと馬車が小石を踏んで上下に揺れる度に視界の端でヘルガがビクビクと震えているのが見えていた。さっきまで『ワタシも乗ってみたい!』とみんなに向かって意気揚々と告げていたのが嘘のようだ。というかエルフたちがしている魔法で風に乗って移動方法のほうが馬車よりも数倍怖いと思うんだけど……


「な、何よ悪い? こんなの、森だと役に立たないから乗る機会もなかったのよ」


「あー、そもそもエルフの里には馬がいなかったからな」


「でも、ヘルガはさっきレインちゃんと一緒に馬とじゃれ合っていなかったか? 慣れていないと俺みたいに嫌われると思うけど」


「はぁ! アンタ知らないの? エルフはすべての生き物に好かれるのよ。……ただ、ずっと眺めているだけだったからこんなに近くで触れ合えるのがとても新鮮だっただけよ」


「そいつは良かったな。まあ、俺も馬が近くにいる生活はまだ慣れていないんだけどな。……それとエルフって動物に好かれるって本当なのか? 俺は馬にくしゃみをかけられてるのにズルいな」


「いや、オレは聞いたことないな。だけど、確かにユニコーンに好かれて角を与えられる種族にはどうやっても敵わないだろうな」」


 俺はともかくカツキが知らないってことはヘルガの言っていたことは信じない方がよさそうだな。こっちでの常識をまだ勉強中なのにヘルガだのヒビキだのが冗談半分で歪めてくるせいでもう良く分からない。不確定な情報をさも確定している情報かのように伝えるのはやめて欲しい。


 まあ、ヘルガはエルフの里で生まれ育ったから黄泉の国での常識がないがまだ理解できるが、ヒビキにいたっては面白がってわざと俺の常識を歪ませようとしている節がある。絶対に許してはならない。いつか仕返しをしてあの貼り付けたような笑顔を崩してやりたい。


 ……あと、どうでもいいが動物に好かれる人と好かれない人の違いは何なんだろう?


 俺は言うまでもなく後者だ。その証拠に結構な頻度で日向の家の犬に吠えられて、葦原が餌を上げていた野良猫に引っかかれていたから滅茶苦茶羨ましい。


「あ、そうだ。お前の顔を見たら言おうとしていたんだけど昨日のあれには驚かされたぞ。いい意味で!」


「ジンがうちの花火をよく見えなかったって言ってたからな。ただ意趣返しのつもりでわざと黙っていんだけど。ジンたちがそんなに驚いてくれるんなら黙っておいて正解だったな……」


「クソ、イケメンめ。ドッキリはドッキリでもあれじゃあ怒れないじゃないか……」


 やけにカツキの押しが強かった理由が理解できた。たくさんの魔光石が海の底で淡い緑色の炎が揺らいでいるかのような美しい風景は一見の価値ありってやつだ。お腹が膨れなかったはずなのに満足度が高い。むしろ夕餉前で空腹感があったことも考えると食事よりも満足度が高かいのかもしれない……


 日本には花より団子という有名なことわざがある。これは花を愛でることよりも団子を食べることを尊ぶような趣のない人間を非難する場合に使うのだ。ならば、どうやら俺は実利よりも風流を大切にできる人間だったみたいだ。


「ハハハ、うちの花火はあんなもんじゃないぞ。来年はオレが絶対に二人に間地かで花火を見せてやる。特等席でな!」


「あんまり根に持たないでくれよ。……まあ、特等席であんな綺麗な花火を見れるなら楽しみにしとくよ。なぁ、ヘルガ?」


「ちょ、ちょっと、今話し掛けないで。そんな余裕がないの……」


 さっきから黙っているヘルガに会話を振ったら予想外の反応が返ってきた。馬車の揺れを本当に怖がっているようだった。彼女は荷台の隅っこの方に座り、荷台の端の部分をしっかりと掴んで涙をこらえている。これ以上、ヘルガを揶揄うのはやめた方がよさそうだな。


 ……でも、何故だろう。


 いつも勝気な性格のヘルガがここまで弱っているのは珍しい。そして、そんな余裕がなさそうな彼女の表情を見ていると俺の胸の内側がゾワゾワとしてきた。引っ掻きまわしくなるような痒さが広がっていく。特殊な感情が芽生えそうだ。


 俺はその動物の本能的な何かを抑えられなくなってしまった。……まあ、簡単に言えば自分の欲に負けて乗っている荷台を思いっ切り揺らしてみてしまった。


「キャッ! っちょ、ジン! ぁ、アンタ、何してんのよ!」


「いや、珍しいものが見れたなってさ」


 ニヤリと笑みを浮かべて彼女のことを見る。この優越感や征服感にもっとも近い感情はいじめっ子の精神とでも表現すればいいのだろうか?


 ダメなことは頭で理解しているがただヘルガの困った顔が見たくなってしまった。彼女の反応が気になってちょっかいをかけてみたくなった。


「こっのッ、いい加減にしなさいよ、ジン!」


「うおっ!」


 だけど、流石にやりすぎたみたいだ。堪忍袋の緒が切れたのかヘルガはいきなり魔法で風を纏って空に逃げてしまった。魔法で生み出した風圧で俺の身体は荷台がから転落しそうになった。眼前には車輪が迫っていたのでかなり危なかった。もう少しで髪の毛が車輪に巻き込まれるところだった……


「おい、二人とも。荷台の上でイチャイチャするな! ただでさえ道が悪いっていうのにあんたらが暴れると荷物が傾くし、馬が不安になってしまうだろ!」


「あ、ごめん」


「……フン」


 倒れかけた荷物を支えながらカツキは叱ってくれた。直接注意されるのは小学生の先生にされて以来だけど、今のは完全に俺が悪いから謝るしかできない。何も言えない。ただヘルガを揶揄いすぎてしまった。


 そんなヘルガも不機嫌そうに顔を顰めたまま――


「ワタシ、もうこのまま行くから……」


 とだけ言い残してどこかに行ってしまった。風に乗って去っていくヘルガの姿を俺は仰向けのままただ見送るしかできなかった。もう彼女は俺の声が届かないほど遠くに消えてしまった。


「……ジン、流石にやりすぎたぜ。後ででもいいから謝っとけよ」


「……ああ、そうするよ」


 俺は上体を荷台の中に引き戻しながら冷たい目で見てくるカツキにそう返した。青々しい空が見たくて地面に寝そべるように空を見上げてみたが灰色の雲に覆われていて空には青色一つない。


 そのせいでこれから向かう人喰い迷宮への不安が募った。その不安を誤魔化すために一眠りしてやろうとギュッと瞼を閉じて逃げるように頭を休める。ついで、というわけではないがヘルガへどうやって謝ろうかを考えながら……


 これは余談になるが。途中、乗っている荷台の車輪がデカい石を踏んで上下に激しく揺れたせいで俺は後頭部を強く強打した。人喰い迷宮に到着する前に、こんなになさけないことで負傷したのは俺だけだった。




 ※※  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 目的地までは特に大きなトラブルが発生することもなく、馬車を走らせることができた。進んでいくほど道がどんどん細くなっていて苦労した。途中で荷台を引いている馬のために俺たちは四回ほど休憩を挟みながら十時間ほどかけて長い、長い旅を終えた。


 なんとか森を抜けると開けた場所に出た。そこには誰かの手が加わった人工物、いや、街並みの痕跡があった。恐らくここの街並みはもともと昨日見た古代ドワーフの遺跡みたいな建物が何個も何個も連結したみたいな街並みだったのだろう。ぱっと見、四階、五階建ての建物まである。


 もしかしたらここは古代ドワーフたちの超高度文明によって建てられた街だったのかもしれないな……


 というか朝日が昇るよりも少し前に出発したはずなのにもう太陽が沈み始めている。太陽の傾き加減から体感的にはもう三時ぐらいだ。当初の到着予定所間よりも少しだけ遅れている。


 俺たちがそこに到着するのと同時に遅れた時間を取り戻すかのように迷宮探索への準備を着々と進めていた。ここは石のレンガや木材の柱は風化で朽ち果ててしまって廃退してしまったギリシャのような場所だ。


 周辺の建物は素手で触れただけで崩れそうなほどボロボロだ。建物の内部も自然光が射し込むだけで暗い。カツキからここは後で自分たちの目で調査したいからなるべく建物を壊さないように廃墟は利用しないでテントを立てろと言われているが気を付けていても壊してしまいそうだ。


「おーい、シュテン。テントの設営するから反対側持ってくれよ」


「ぁ? 見たらわかるだろ。こっちも、こっちで忙しいんだよ。他当たってくれ」


「考えても見てくれ。俺が一人でやると最低でも三十分はかかる作業だ。だけど、二人でやったら二倍速く終わるんだぞ?」


「知るか!」


 そう言うとシュテンは地団駄を踏むように大地を強く揺らして歩き去ってしまった。ポツンと取り残されたのは鉄の骨組みと奇妙な緑色に染められた布地を持った俺だけだった……


 さてと、とても面倒くさいことになった。テントなんて一人で組み立てた経験はない。強いて言うなら運動会の会場の設営を手伝ったぐらいだ。だけど、自分の仕事として任された以上は何とかしないといけない。俺は布地の毛皮みたいな感触を両手でしっかりと味わいながら――


「はぁー。一人でやってみるか……できるかな?」


「そんなに困ってるなら手伝ってあげましょうか?」


 俺がそんな泣き言を吐いたとほぼ同時に後ろから声を掛けられた。振り返るとそこには大きめの海賊帽子を被って、赤い瞳で俺のことを射抜くように見つめているリーネの姿があった。


「おー、リーネか。俺としては嬉しいし、かなり助かるけど……いいのか? 詳しくは知らないけど。リーネには船長としてやるべきことがあるんじゃないのか?」


「私の仕事は船上にいた乗組員たちをここまで安全に届けた時点でほとんど終わっているわ。船長の主な仕事なんて方針を明確にして、乗組員の不満が出ないようにするだけよ。それ以外の仕事は、私よりも優秀な人間に丸投げしているわ」


「それでいいのかよ? ……というかそれってアリアさんにリーネの負担が偏っているだけじゃないか?」


「いいのよ。アリアはそれで納得してくれてるんだから……それに、金勘定は心の底から信用している相手じゃないとトラブルのもとよ。私は信用してアリアに仕事を任せてるの。無理に言うなら、信用できる人物を見つけて、任せるまでが私の仕事ね。……船長っていうのは結局、船長の役割だけができればいいのよ。リーダーが、何でもできる必要なんてないんだし……」


「言っていることは正しいけど。さっきの話を聞いた後だと体のいい言い訳のように聞こえてしまうな……」


「もう、なんだっていいじゃない! それよりも……ほら、私がこっちを持ってあげるから、ジンは向こう側を持ちなさい! いい? 今は目の前の仕事だけに集中するの、そうじゃないと怪我するわよ?」


「はい、はい。船長」


「はいは一回よ」


 俺はリーネの指示を受けて鉄の骨組みを持ち上げた。四本の足を慎重に立たせて、風で吹き飛ばないように木の杭を地面に打ちつける。


 ゴンッ、ゴンッ、と力いっぱい木の杭を打ちつける。荒れ放題の芝生を踏み鳴らして地面を露出させてから木の杭を打ち付ける。ここは迷宮内部の地図が通り雨で濡れないように保存するための場所だとは聞いている。なので、できるだけ雨漏りがないようにしっかりとテントを作らないといけない。


 まあ、二人でテントを立てるだけなら簡単な話だ。むしろちょっとだけ楽しいとも感じている。まあ、撤収作業のことを考えるとどうしても気が重くなってしまうんだけどな……


 俺はそんなことを考えていると杭を打ち終わった。なので首なかけていたタオルで汗を拭いながらリーネの方の進捗を確かめるように立ち上がると――


「それにしても壮観ね。いや、雄大って言ったほうがいいかしら?」


 リーネはとっくにテントの設営作業を終えて俺の方向を、いや、俺よりもさらに奥にある人喰い迷宮を見ていた。


「……なあ、本当(マジ)であそこに行くのか?」


「うん、いまさらどうしたのよ。ジンだってその覚悟を決めてきたんでしょう?」


「いや、そうだけどさ。目の前にしたら……やっぱりさ……」


「不安なの?」


「……ああ、そうだな。不安だよ。今からあそこに入るんだからな……」


 そう吐き捨てて俺はリーネと同じように、この崩壊したような建物の中で唯一無事な人喰い迷宮へと目を馳せる。着船時、熱く胸を叩いていた心臓が嘘だったのではないかと思うほどに目の前の人喰い迷宮は近くでみると迫力満点だった。流れている血が、汗が、凍ってしまいそうだ。


 ほとんど垂直に近い絶壁が生い茂る木々を押し退けて人喰い迷宮は存在していた。空に向かってまっすぐと伸びている黒々とした箱のような建造物だ。荒々しい剥き出しの岩肌と職人によって磨き抜かれたような大理石ような遺跡の外壁のコントラストが際立っている。巨大なダムを見ているようでゾクゾクとした寒気が止まってくれない。


 遺跡の外壁は直接この手で触れてみた感じツルツルとしていたので大理石だと俺は思っていたが、ヒビキの言い分では大理石とは似て非なる物質、古代ドワーフが建築に用いているのは未知の岩石らしい。


 その他にも特徴的な黒色の列柱が等間隔で並んでいる。


 精巧な模様が刻まれている黒色の列柱は上部から下部にいくほど細くなっている。とても奇妙な造りだった。窓一つない。監獄の入口を思わせるほど物々しい。


「というか人喰い迷宮って……もともと何のために建てられたんだろうな……」


「さぁ? 人喰いなんて物騒な渾名がついているんだから誰かのお墓だったんじゃない? もしくは宗教的に意味がある施設、生贄を捧げていた祭壇とかね……」

 

「……リーネ、あんまり物騒なことを言うなよ。周囲の建物を見てみろ。四階建て、五階建て、あの人喰い迷宮にいたっては十階建てなんて優に越えている。ここまで立派な建物ばかりあるんだから古代ドワーフたちが暮らしていた集落かなんかだったんじゃないか?」


「それはどうかしらね……」


 そう言うとリーネは床を舗装していた白い石を爪で強く引っ掻いた。


「ジン、床を見なさい。これは全部石膏よ」


「石膏? それって美術室とかにある像の素材だよな?」


「美術室っていうのはピンと来ないけど。像ってことはたぶん合っているわね。ここら一帯の道は石や大理石じゃなくて石膏が用いられているのよ」


「……いや、石膏だからなんなんだよ。石膏って確かセメントにも混ぜられている鉱物のことだったよな? ならこれぐらい普通だろ?」


「呆れたわ。ジンって無駄な知識はたくさん持ってるくせに、頭の回転は鈍いのね。……ほら、よく見なさい。削れているでしょう?」


 リーネは燃えるような赤い瞳を動かして引っ掻いた石畳の方を見ろと伝えてきた。俺はリーネの指示に従って彼女の足元に視線を向ける。すると白色の石は削れていた。浅い跡が残っていたのだ。


「見ての通り石膏って爪よりも柔らかい素材なのよ。こんな場所で生活していたら歩いているだけで床が擦り減ってしまうでしょう? だから、私はここで古代ドワーフたちが生活を営んでいたとは思えないのよ」


「それに城壁のような囲いがありませんしね。ボクはそっちの方が気掛かりです」


「ええ、それも理由の一つね」


 流れるようにヒビキが俺たちの会話に参加してきた。カランコロンと下駄を鳴らして、二本差しの刀を見せつけるかのように歩いてきた。今まで彼がどこで何をしていたのかは気になるがそれよりも……


「囲い?」


「はい。ドワーフと人間がいれば文明ができるといいますが。ドワーフは街を外敵の攻撃から守るための四方を防御壁で囲むんですよ。砦は彼らの代表的な建築物です。それがないこの場からは古代ドワーフたちが生活していた気配を微塵も感じません」


「たまには趣向を変えてみたってことじゃないか?」


「これは彼らの、古代ドワーフたちの流儀ってやつです。陳腐な表現をすると伝統や文化と言い換えていいです。もともとモグラみたいに穴倉で生活していた種族なので窮屈な街が好きなんですよ、きっと」


「もうそんなことを言ったらダメよ。……ジンが思っている以上にこっちの大陸は危険なのよ。外壁で囲わないとケルベロスやグリフォンがやすやすと街の中にまで侵入してきちゃうわ」


「ケルベロス⁉」


「ええ、そうよ。ケルベロス。ヤツはこの大陸のどこにだって現れる、神出鬼没ぶりが厄介な獣よ。その上執念深くて一度目を付けた獲物は絶対に逃がさないって有名なのよ」


 ケルベロスって確か三つの頭がある犬の怪物だったよな。地獄の番犬とか呼ばれている。地獄、地獄か。ケルベロスが大陸中を徘徊しているのならこっちもあっちも地獄なことには変わりがないんだな……


「……」


「……ジン君、そこまで不安にならなくても大丈夫ですよ。ケルベロスは大陸の西側で発見されたという情報を手に入れています。ボクたちが今いる人喰い迷宮は大陸の東側なのでそこまで心配しなくてもいいんです。ヘンリー商会の情報網は偉大ですよね。それにその気になればボク一人いれば撃退はできます。……それよりもボクたちは目の前の魔剣に集中するべきだと思いますよ。ただ勘になりますがこちらを相手取る方が骨が折れそうです」


「……まあ、そうだよな」


 俺は溜息を吐くようにそう呟いた。ヒビキの言う通りだ。問題は目の前に聳え立つこの人喰い迷宮、古代ドワーフが創り出したとされる魔剣が生きているということだ。魔剣としての役割がまだ生きているらしいのだ。正直、俺の理解がまだ追い付いていない。俺に魔剣についての知識がないからだ。


 俺は遠くでバカ騒ぎしているロバーツさんのことを恨めしそうに見つめる。彼の腰にぶら下げている色鮮やかなサッシュが揺れていた。


 ロバーツさんたち一行がもともと発見していた古代ドワーフの遺跡、昨日のアストゥロは調査した結果、”死んでいた”ことがわかった。そのことを近隣の諸国に無償で情報を提供したところこの人喰い迷宮の存在を嗅ぎつけたらしい。彼は獣人らしく鼻が利くみたいだ。余計なことにも……


「覚悟を決めないといけませんよ。第一陣は準備が終わり次第すぐに迷宮の内部の調査を始めるんですから」


「あー、そうだな。ヒビキとリーネ、二人は第一陣だったな。俺は二陣に配置されたからなまだ時間があるけど……」


「一番槍の名誉をボクは誰にも譲るつもりはありませんからね。今回はですけど」


「あら、ヒビキったらまだヒュドラ討伐の時のころを根に持っているの?」


「はい。前回は不覚を取ってしまいましたが今回は抜かりありません。戦いの火蓋を切るのはボクの役目です。負けませんよ、リーネ」


「別に競ってないわよ。それに戦いが起こるかなんてわからないでしょう? 人喰い迷宮の内部になにがあるのかも把握していないんだから……」


 リーネとロバーツさん、二人の船の乗組員を合計すると三百弱ほどの人数いるらしい。それを四つのグループに分けて迷宮の調査を行う予定だ。


第一陣に選ばれた五十人が危険がないかを確かめて、第二陣に選ばれた百名は第一陣の合図があった後に遺跡の地面に杭を打ち付けながら探索を開始。第三陣に選ばれた百名は俺が魔法で作り出した縄を利用して迷わないように迷宮内部のマッピングをする。そして第四陣に選ばれた百五十人は技術班だ。測量、試掘など遺跡調査の本職に治療もしてくれるエキスパートたちだ。


 どういう理由があるかはわからないが俺はそんな危険な迷宮探索グループの第二陣に配属されてしまった。何が起こるのかわからない人喰い迷宮の内部を調査するのだから、一番最初に足を踏み入れたグループが最も危険に決まっている。エキスパートたちの集まりである第四陣は無理でも、できれば第三陣に入りたかった。というか俺の魔法は縄を生み出せるんだから第三陣が適切だろ!


 まあ、若くて技術のない俺が力作業がメインの第二陣に配属される理由には納得してしまったからこれ以上は何も言えない。むしろ縄は有り余っているみたいだしな。


 俺は長々と続く階段に従うように顔を動かす。


 幅は広く、靴で擦れてすべすべになっている石段を見上げていくと巨大な門壁に辿り着いた。大きな口を広げて、俺たちを待ちかまえるように建っている堂々とした入口だ。そして同時にこの人喰い迷宮の唯一の入口でもある。


 今から三十分もしないうちにあそこに行くのだ。ロバーツさんが貰ってきた記録ではあそこは数多くの行方不明者を出している。


 そんな不気味な人喰い迷宮に俺たちは挑むのだ。人喰い迷宮。最初に耳にした時はどんな恐ろしい所かと頭の中で想像していたが直接その目で見てみると俺の想像以上だった。確かにその呼び名に相応しい雰囲気がある。


 薄暗い迷宮の入り口を睨み付けるように見続ける。窓一つないせいで迷宮の内部には自然光が入らない造りになっているはずだが、魔光石が松明のように照らしているおかげでかろうじて見えている。唯一の開口部である入口からでは迷宮内部の全貌が確認できないから俺はここまで不安に感じているのだろう。


 見つめているだけで背中に寒気が走ってしまった。人喰い迷宮は俺たちの生きた血肉を求めるように今か、今か、と舌なめずりをしているように俺には見えた。確証なんて持っていない。ただ、そんな予感がするのだ。

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