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第七話 『賽は投げられた』


 正直な感想を言うとなめていた。


 三途の川で見たあの眼鏡の汚れのような船着き場やこの船から判断して、街と言ってもせいぜい中世ぐらいの文明レベルだと想像していた。だが目の前の街並みはそれ以上だった。


 着船して初めて見た街の景色は教科書で何度も見たことがある江戸時代と明治時代を無理に混ぜ合わせたようなちぐはぐな印象を受けるが、街灯も石橋も煉瓦造りの建物もある。軽く舗装された大通りには人力車や馬車が通り、そこを歩く人々の服装はお洒落な着物や紳士服。髪や目や肌の色にいたっては赤、青、黄に緑や黒。現世の東京を歩いていても目にすることができないような人々が自由に行き来していた。


 そんな景色を眺めている俺の後ろでヒビキを含めた船員たちは着港するやいなや自分の仕事に取り掛かっていた。


 瓶がたくさん入った木箱、清潔な布、動物の毛皮などを次々に運び出していく。その中でも特に重そうな荷物は男たちが「せーのっ!」と力強い掛け声を合わせ、筋肉に物を言わせて引っ張っている。

 

 力作業か…当たり前だが確かにこうしてみるとみんな身体付きが逞しい。


 よくあんな重そうな荷物を持てるなと感心していたがこんなことをしている時間はない。一刻も早くリーネルに会って仲間にはなれないと伝えなければならない。


 助けてもらっておいて申し訳ないと思っているが、俺はこの船を降りて帰る方法はないか探すことにした。


 なので甲板で作業中の男たちを避けながらリーネルを見つけるために探索していた。最初はヒビキに案内をお願いしようと頭を下げたが、返事が返ってこなかったので顔を上げるともういなかった。ヒビキは音も立てずにその場を去っていた。俺を一人残して……


 そういうわけで一人でキョロキョロと辺りを忙しなく見渡していたが目的の人物を見つけた。リーネルとアリアさんはご貴族様のような服装をした男と話していた。俺はリーネルたちに声を掛けようとしたが三人は真剣な顔をして何かを話し込んでいる様子だった。


 なので部外者の俺が三人を邪魔したら悪いと彼女たちの話が終わるまで待つことにした。手持無沙汰になった俺は肩身が狭い思いをしながら手擦りに体重を乗せて寄りかかり、誰とも視線が合わないようにもう一度街の方を眺めることにした。街は活気に溢れていて、時代劇のセットの中に紛れ込んでしまったかのようだ。江戸時代にしては進みすぎていて、明治時代にしては遅れている。この街を見ているとそんな気持ち悪い違和感が胸に広がる。


 いや、もっとも違和感がすごいのは街並みでも服装でもない。


 そこらを当然のように歩いている人々にだ。髪色は全体的に黒髪が多いが瞳の色が紫や緑となぜかカラフルだが、本当にすごいのはミレンのような朱色の肌をしている人も珍しくもないことだ。アイツの言葉を借りるなら鬼というべきなのか…


 そんな奴らが当たり前のように街の風景に溶け込んでいた。鬼たちがいつの時代かもわからない頓珍漢な服装の人々の中で暮らしている様子が、この場において異物とは彼らでなくお前だと言われているようで落ち着かない。


「おーい。お前、そこのお前だ。ジンってったよな少し手貸してくれ!」


 そんな街を興味本位で眺めていると後ろから大きな声で名前を呼ばれた。


 大声を間地かで浴びせられ身体が反射的にビクッとなってしまった。錆びてしまったのかと疑わしいほど動いてくれない。首から上だけを恐る恐る動かして、背後を振り向くとそこには黒い鬼がいた。


 太陽の光すら飲み込む深海のように黒い肌に灰をかぶったような髪色の鬼だ。腕は丸太のように太く、胸筋なんかは皮膚が張り裂けて中身の筋肉が飛び出してきそうなほど膨らんでいる。そんな筋骨隆々な大男が俺の背後に立っていた。白っぽい髪色のせいで老けて見えたが、声はうちの父よりもだいぶ若い。


 実年齢を真剣に考察すると彼はおじさんと呼ばれるぐらいの年齢に片足が突っ込んだ程度だろう。たぶん三十五、六歳だな。


「なんでみんな俺の名前を当たり前のように知っているんだ? まだ一日も経っていないはずなのに……」


「アリアのやつから聞いたんだよ。何かダメだったか?」


 俺の個人情報の流出はどうやらアリアさん経由で行われていたようだ。


 やっと謎が一つ解けて安心した。みんながみんな当たり前みたいな顔で名前を呼んでくるから実は少し怖かったのだ。俺がほっと安堵のため息をつくと目の前の鬼は訳が分からないといった表情で角の付け根あたりをぼりぼりと爪でかいたが、すぐに切り替えて――

 

「まあ、そんなことはいい。こっちの荷を下ろすのを手伝ってくれよ、どうせ暇なんだろ」


「……いや、俺仕事なんてしたことないし、邪魔になるだけですよ」


「知ってるよ。お前の手はまだ労働をしらねぇガキの手だ」


 さっきまで角をかいていた指だけでくいっと手招きし、彼は作業中の男たちの群れに紛れていく。『リーネルに用事が…』と言おうとしたが口に出すのは止めておいた。ここまで世話になっておいて何も返さないでお世話になりましたは誠意に欠ける行為に思えてしまったからだ。そこまでのクズにはなりたくない。


「あ、ちょ、待って……」


 足を一歩前に動かした。最後に港にいる三人の方へチラッと盗み見るような視線を向けたが話し合いが終わる気配はない。


 リーネルには先に伝えておきたかったが仕方がない。約束通りリーネルに言うのは明日の朝でもいいかと結論付けて彼の後姿を急いで追いかけた。



 ※※  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 

 「はぁ……ッ…終わった!」


 ドスンと木箱を置いた空虚で重い音が港に静かに響いた。

 木箱を捨てるような勢いで地面に置き、汗だくのまま木箱の上にもたれ掛かる。


 気が付けばもう日が暮れていた。

 空を見上げるともう一番星ぐらいは見えるころだろう。


 なぜこんなことになったのかは考えるまでもない。あの人でなしの鬼のせいだ。いやまあ本当に人ではなく鬼なのだが、ここでは種族的なものではなく言葉通りの意味であの鬼のせいだ。


 手伝うとは言ったがここまでとは思わなかった。

  

 まだ名前すら知らない鬼の後をついていくと男たちの集団と合流した。何をすればいいのか分からないまま突っ立っていると急に何かの毛皮を持たされて「じゃあ、頼んだ」と無責任に放り出された。


 その後のことはしばらく思い出したくない。


 まあ取りあえず甲板や港に荷物を持って行ったのだが「そこじゃない」「場所が違う」「あっちだよ、それ」とあっちこっちを堂々巡りに遭い、叱られ、怒られを繰り返してやっと解放されたのが現状だ。あの男に言いたいことがたくさんある。

 

 というかこき使いすぎじゃないか?


 未成年を過酷な労働現場に放り込むな。何をしてほしいのか指示を明確にしろ。


 どこかネットで見かけたことのあるような愚痴をバイトすらしたことがない俺が心の底から実感する日が来るなんてまだまだ先のことだと思っていた。


 いや、こんなことをしている場合じゃないんだ。俺は。


 そろそろ木箱から立たないとトン等にヤバい。なにがヤバいってこのままでは身体から体重という概念が消えてスライムになってしまう。 


 もう半分ぐらい液体になったんじゃないかというほど緩んだ身体に鞭を打ち、両足に体重という存在を思い出させた。なんとか無事に起き上がるとこうなった元凶に終わったと報告しに行くために船に戻る。


 眼鏡についた汗という名の水滴を制服で拭いながら、何度も荷物を運び出すために通った安定感のある橋を渡る。その橋は木製だが俺が斧を使っても壊すことができないと感じさせるほど丈夫だった。


 船の甲板で高くそびえるマストに見下されながら、報告するために彼の姿を探していると――


「あーくっそ!!」


 甲板に響いたそんな悔しそうな声に自然と引き寄せられた。


 そこに彼がいた。というか悔しそうな声を出していた張本人が彼だった。注連縄のようなものを腰に巻き、絵具の原色に近い黒の肌に白髪ではなく灰を被ったかのような髪色をした鬼が天を仰いで泣くほど落ち込んでいた。


 そんな男の対面に座っていた二人組は『じゃあな、おっさん』と俺の横を酒を抱えて、高笑いしながら通り過ぎて行った。


 なにをしてるんだという好奇心と大丈夫かという少しの心配を胸の内に秘めて、近づいて手元を覗き込むとサイコロと茶碗があった。


「ここで六さえでれば勝ってたのに、なんでこねぇかな……」 


 こいつチンチロをしていやがった。

 俺に働かせておいて自分は賭け事をして遊んでいやがった。


 俺が背後から失望の眼差しを向けていることにようやく気づいたのか、俺と真っ正面から向き合うように器用に座り直した。


「おう、遅かったじゃねぇか……そういやぁ名乗ってなかったよな、オレはシュテンだ。まあ、気安くやっていこうや」


 名乗ると同時に緩慢な動作で手元にあった酒を一気に飲み干した。


 ずっと酒を飲んでいたのか結構距離はあるはずなのに吐いた息からは微かに酒の匂いがする。いや嘘をついただいぶ酒臭い。琥珀色の瞳も朧気でだいぶ酔いが回っているのがわかる。

 

「そういやぁ、さっきアリアが来てたぞ、なんだっけなぁ……あーそうだ。診察室を使えってよ、寝床はまだ決めてなかっただろ」


「あ、それはありがとうございます」


「構わねぇよべつに、お前はちゃんと働いたんだ。その分の報酬だとでも思えばいいんだよ……まあここだけの話情けねぇことだが二人ほど怪我をしちまってよ。お前がいてくれて助かったぜ、ジン」


「……そうですか」


「いや、敬語はいらねぇって。もう仲間だろ。あとは……ほら、お前は他にはなんか聞きてぇことはないのかよ? まだギリギリ酔う前だからないまなら何でも答えてやれるぞ?」


 いや、正直かなり酔ってると思うが、というかまだ仲間でもないが……もういちいちツッコミをすることすらも面倒くさい。それにこの際だ、彼の厚意に甘えて聞きたいことはすべて聞いておこう。


「シュテンさん、本当に現世に帰る方法はないんですか?」


「だから敬語はいらねぇって、そのままだと質問には答えてやらねぇぞ」


「……わかったよ。シュテン」


「よし、それでいい。……ッえーと、なんだ。現世に行く方法だっけか? 一応ないわけじゃ――」


「あるのか!!」


「……おいおい、落ち着けよ。それとあんま大きな声をだすな、頭に響く」


「あ、ご、ごめん」


 予想外なシュテンの返答に自分でも驚くほど大きな声がでた。シュテンは本当に頭が痛いのか、さっきまで気持ちよさそうに酔っていたのにいまは少し苛立つ表情を浮かべ、頭痛を誤魔化すようにこめかみを押さえていた。素直に悪いことをしてしまったと反省している。


「まあいい、こっから港を真直ぐ進むと役所があるんだが、そこの役所で申請すれば金をくれる。その金を閻魔様のところまで持ってくと現世に帰れるはずだ。簡単だろ、リーネに頼べば紹介状を書いてくれるはずだ。そうすればもっと早く現世に帰れる」


「そんなことでいいのか?」


「そんなことでいいんだよ。あーほら、あれだ、地獄の沙汰も金次第ってやつだ。まあ帰れるといっても現世に生まれ直す転生ってやつだがな」


「……転生ってやつか」


 転生ってそれだとダメだ。生まれ直すんじゃなくて、生き返るんじゃないとダメなんだ。それだと意味がなくなってしまう。


「いや、シュテン。それ以外の方法はないのか? 転生じゃあ意味がないんだ。他に手段があるなら何でもい――」


「ねぇよ。諦めろ。これ以外の方法なんかねぇんだ。ガキの頃から地獄で生きてきたオレが言うんだから間違いないはずだ。閻魔様んところで許可がない限り現世には帰れねぇよ。それに転生ってヤツ以外の方法をオレは聞いたこともねぇ。まあ、それでも他の方法を探したいっていうならオレはもう止めはしないけどなぁ?」


「……そうかないのか」


「……残念だって面じゃねぇな? 本当に現世に帰りたかったのかお前?」


 シュテンの琥珀色の瞳がじっとこちらを観察していた。酔っているくせに無駄に綺麗なその瞳が俺が誰にも言ったことがない腹の底まで見透かしてくるみたいで気味が悪い。会話の一つ一つがババ抜きしてる感覚で神経を使う。もうさっさと切り上げてしまいたい。


「……あともう一つだけいいか? リーネルはなんで俺を仲間なんかに誘ったんだ、こんだけ人数がいるなら俺なんかいなくても大丈夫だろ?」


「あ、知らねぇよ。オレは何も聞いてねえ、アイツが勝手に決めたことだろ。つーか、リーネからは直接聞かなかったのかよ。もしかして見惚れて聞き逃したなんて言わないよな?」


「はぁ! 違う……と思う」


 シュテンの揶揄うような口調にカッとなってしまった。恥ずかしい。感情に突き動かされるなんて思春期かよと自分でも思ったが、そういえば思春期だった。女性とあまり縁がなかったせいか、他人に見惚れてるなんてと言われると身体が反射的に否定しまう。


「大丈夫だ、その反応だけで充分わかった。…まあこれはオレの考えだが、ジン、お前があいつの親父と同じことをしたからだと思うぜ? だから仲間に誘ったんだろ」


「それって『海賊』って呼ばれてた……」


「ん、知ってんのか。なら話は早え、リーネの親父はお前と同じで現世(うつしよ)からこっちに来た口なんだがよ。あいつ今よりもっと鬼が狂暴だったときの三途の川で河童みてえに泳いで逃げたんだよ、バカみたいだろ?あ、ちなみにそのとき渡し守だったのはこのオレだ」


 そこまで語ると酒瓶をもう一本開けた。瓶の蓋なんて取らず引き千切るようにだ。そんな所作に鬼の力の一端を垣間見た気がしたが、その表情はどこか懐かしむように寂しそうで楽しそうと矛盾した感情が降り積もってできたもので、年を取らないとできない表情をした彼の話に俺はいつの間にか耳を傾けていた。可笑しなものだ。さっきまでは早く切り上げたいと思っていたはずなのに……


「お前が三途の川に飛び降りた姿がリーネに聞かせたあいつの話を思い出させて懐かしくなったんだろうな、だからあいつに似たバカを見つけて嬉しくなって誘ったんだ。たぶんだがな……」


「……そんな理由かよ」


 どんな理由でもいいと思っていたのにがっかりしている自分に驚いた。こっちでも俺は誰かと比べられる運命なのかと。


「どんな理由でもいいじゃねえか、お前らしく生きれば同じことだ………なあ、ところでよ。俺には聞かないのか?」


 シュテンの雰囲気が変わった。さっきまで居酒屋にいるおっさんみたいな話しかけやすい雰囲気があったが、唐突にこちらを試すような視線を向けてきた。『聞かないのか』って何のことだろう? 俺にはもう聞きたいことなどない。強いて言えばリーネルの親父の話をもう少し聞いてみたいぐらいだ。


「あー、くっそ。面倒くせぇ。なんで船に乗ってんのか聞いて回ってんだろ! ヒビキから聞いたぞ」


「そのことか……」


「そのことだよ、ヒビキから見たお前は『普通の青年でしたよ。ただ人の視線に異様なまでに敏感で、そのくせこんな状況にもすぐに馴染めるぐらいには鈍感な心を持っている』奴だってよ。概ねオレも同じだ」


「……鈍感ぐらいじゃないと向こうじゃ生きていけなかったんだよ」


「そんなこと知らねぇよ。ただよ……なあ、ジン。お前、自分に自信がないんだろう。だから他人の意見を聞いて安心したがってんだ、それとも怖いのか何かを決めることじたいが。間違ってるならそれでいい。だがよ、もしまだ悩んでいることがあるならここで全部ぶちまけてしまえ。ここにはもうオレしかいない。他の誰にも聞かれることはない。だから、その面倒くさい心の内を曝け出せよ。うじうじと湿っぽいヤツが近くにいるだけでオレの気分まで下がっちまうからな」


 随分な言い草だ。こんな短時間の付き合いで人のことをすべて分かったかのような物言いだ。それに何が酷いって、一部を除き当たっていることだ。俺は別に鈍感というわけじゃない。


 だから誤魔化してみてもダメだと分かる。シュテンの瞳から『本音で話せ』という強いメッセージが伝わってくる。リーネルもそうだったが本気で生きてる奴の目はどこまでも強く輝いている。そんな瞳を見るとどういうわけかこっちの心まで揺れ動く。瘡蓋みたいに痒くなってしまうのだ。だから本音を話してしまう。


「………ああ、そうだよ。俺は自分で何かを選んだことがない。だから怖いんだよ、自分で何かを選ぶのがとても怖いんだ。なんでみんなはそんな簡単に決めれるのか俺にはわからないんだ」


 ずっとそうだった。文句を言いながらも俺がやってきたのは兄貴の後追いだった。後追いでしかなかった。高校も中学も自分で決めたわけじゃない。両親(ふたり)の意見をすべて受け入れていただけだ。それは兄貴と比べられてしまうと解っていたが、楽だったんだ。失敗しても俺のせいではないと自分に言い聞かせることができるから。……だから、怖い。何かを自分で選ぶという行為が怖いのだ。


「なんであんたはこの船に乗ってるのか、一から十まで理由を教えてくれよ。俺は誰かにあってると言ってもらわないと一歩も前に進めないんだよ」


 兄貴も葦原も日向ですら自分のしたいこと、なりたいものが見えていて俺は置いて行かれたままだった。三人のそういうところを俺は心の底から尊敬していて同じぐらい大っ嫌いだった。死んではじめて自分のとても、とても醜い内面と向き合えた気がする。そうだ、俺はみんなが自由勝手に頑張る姿を間近で見ていてずっと羨ましかったんだ。


 しばらく沈黙が続いた。シュテンも様子を伺っているのか何も言ってこない。


『どうせなら飛び込んでみたらどうですか?三途の川ではそうしたでしょう』『それはやめた方がいいと思います』『もしかしてまだ進路のことを気にしてるの』『自分に自信がないんだろ』『まだ考えてんのかよ、飯の時ぐらい忘れろよまじめだな』


 そんな言葉が頭の中でぐるぐると回る。回り続ける。


 人生のレールを外れるのは怖い。外れた人は元のレールには戻れないことを俺はもう知ってしまっているから。だから、進路は慎重に慎重に選んでみたかった。だけどいつも時間が待ってくれない。進学や就職なんて無数に分かれたレールがあったはずなのに重要な選択肢には時間制限がついてくる。


 思い切って線路を切り替える度胸などなく、かといって目指しているゴールも特にないので親に言われるがままに決めてしまう。もし俺に夢があったならどれほど良かっただろう。夢を叶えるために現実とだって戦えるのに。俺はいつも戦場にすら立てていないんだ。周りの期待に応えるためだけに努力してその実なにも目標などない。俺だけがいつも中途半端なままだった。


「こんなとき、何て声を掛ければいいかわからねぇが、そうだな……オレ自身尊敬されるような生き方はしてねぇから大したことは言えないが、ただついていきたい奴がいた。それだけだ」


 シュテンは照れくさそうに海の方を向いて、サイコロを片手に遊び始めた。真っ黒な肌が分かりにくいが少し赤くなっている。


 だがそれよりもシュテンから『ついていきたい奴』と聞いてなぜか俺の頭にリーネルの姿が浮かんだ。いや、心では理解している。俺は彼女に惹かれているんだ。それこそ行き先が地獄であってもついていきたいと思うほどに……


「説教臭いことはしたくなかったんだがなぁ、いいかオレは酒を賭けて負けたばかりだが後悔してるわけじゃねぇ。いや待て違うな。後悔はしてるが……あー、まあなんだ。何が言いたいのかって言うとだな。賽を投げるのはテメェでやれっていうことだ。今のお前にはそのチャンスがあるだろうが」


「……もう死んでんのにかよ?」


「ああ、そうだ。死んでからでも遅くねぇ。すべてお前次第だ。それに……自分で決めたの方が面白れぇだろ?」


 さっきまでの照れ顔を隠すように真っ白な歯を見せて笑う男はボリボリと首を掻き、「酔いがさめた」と立ち上がった。立ち上がると椅子代わりに座っていた木箱を軽々と担ぎ上げ、チンチロの台にしていた樽を端に寄せた。


 樽の上にあった茶碗を見てようやく手の中のサイコロの存在を思い出したのか、茶碗を目掛けて三つのサイコロを無造作に投げた。その時投げたサイコロの音がやけに耳に残った。



 ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 鳥が鳴く前の寝静まっている街の港で海賊たちが出航の準備をしている。

 俺が運び出した積み荷よりも多い量を「せーのっ!」と力強い声を掛けて滑車で引き上げ、堅木の棒を使い、様々な趣向を凝らして運搬していた。


 その中でもリーネルは昨日と同じように船首にいた。小さな顔に対して大きな海賊帽が目立つ少女は腕を組んでアリアさんと話していたが、俺を見つけると少し嬉しそうな顔で笑った。


「来たのね、よく眠れた?」


「ああ、おかげさまでな」


 リーネルと俺は初めてここで会った時と全くこの前と同じ位置にいた。さっきまでリーネルの横に立っていたはずのアリアさんは俺たちの邪魔にならないようにとそそくさと階段を下りてしまった。船首に残されたのは二人だけで……


「それと昨日の件なんだけど……」


「うん、それで……どうするの?」


 気まずい! めっちゃ気まずい!!


 だってギャラリーが多すぎる。ヒビキは船の後方から楽しそうに刀を手入れし、レインちゃんはあたふたと事の成り行きを見守っているし、アリアさんにいたっては階段のすぐそばから覗き込んでいる。特に問題なのはシュテンだ。アイツは瓢箪を片手にニタニタと茶化すような笑みを浮かべこちらを見ている。本当に引っぱたきたくなる。


「「………」」


 何と話していいか分からず緊張のせいで耳を触るともう完全に塞がったピアス穴のことを思い出した。確か日向のくだらない提案で渋々三人で開けることになったが家族には誰にも伝えていなかった。バレたら怒られると解っていたからだ。だけどあの時は手っ取り早く大人に近づきたくて日向のお兄ちゃんに頼んでピアスの開け方を教えてもらったんだ。あの日と同じ背徳感をなぜか今味わっている。 


「ああ、なんだ。俺は昔からこういうのが苦手なんだけどさ……」


 昔から人の視線は怖かった。俺を見ているあの目に嗤われている気がして、勝手に自分のことが嫌いになってしまうから。だから人の視線が怖かった。でもなぜかこいつらの視線は怖くない。

 

「いろいろ自分で考えてみたんだ。本当は帰る方法を見つけるためにこの船を降りようとしていたし。でも、シュテンから転生だけしか帰る手段がないって教えてもらったりしてさ……それじゃ意味ないし」


 頭ではもう答えは決まっていた。そのはずなのにうまくいかない。自分の口から出るセリフは冗長で無駄が多い、言い訳だらけだ。それでもリーネルはただ黙って次の言葉を待っていてくれる。


「これから何をすればいいかも、実はよくわかってなくて。でも……ただお前たちみたいになりたいって思ったんだ。そしたらこんな俺なんかでも胸を張って生きれるかもって思えたから。……だからリーネル。俺をこの船に乗せてくれないか? お前たちの仲間になってみたいんだ」


 平坂仁は決意を口にした。


 この決断がたとえ間違っていても構わない。


 リーネルについていきたいと、死んでから、いやこの世に生まれてはじめて自分で選んだのだから。

 

「そうなのね…………うん、いいわ。自分で決めたみたいだし、仲間にしてあげる。これからよろしくね!」


「ああ! これからよろしく頼む。リーネル」


「……それだと嫌よ。よろしくしてあげない。……リーネよ。私の仲間になったからにはそう呼びなさい」 


「……ああ、これからよろしく。リーネ」


「ええ、よろしくね。ジン!」


 俯いていた顔を上げて真正面からリーネと顔を見合わせる。だが俺は胸の奥底から込み上げてくる喜びと興奮を堰き止めるので精一杯だった。


「さあ、みんな! 新たな仲間も加わったことだし、錨を上げて! 出航するわよ!」


 リーネは平静を保つために呼吸を落ち着かせている俺の横に立ち、はじける笑顔でそう告げた。燦爛と輝いている太陽が昨日と同じように彼女の行く道を明るく照らしている。


 地獄を地獄とも思わせないほどの彼女の魅力に、あの笑顔に俺は惹き付けられていたのだ。彼らの仲間になりたい、彼女の横に並んでいたい、とそう自分の意志で決めたその瞬間からきっと俺の、平坂仁の冒険は始まったのだ。


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