第六十八話 『星の海』
あれからシュテンとヒビキ、アリアさんからの指示を受けて荷下ろしなど着船時に生じるタスクを消化して過ごしていた。
もう重い荷物を持って船を降りるこの作業もかなり慣れたもので、もし引越しのバイトをしろと今言われたら即戦力になれると思う。いや、さすがに調子に乗ったな。ゴリゴリの筋肉に囲まれた環境で作業しているのにそんな自信はない。
だけど、鏡の前で腕を曲げたら力こぶがはっきりと分かるぐらいには……いや、話を戻そう。俺たちはロバーツさんたちが夕食の準備をしてくれている間、約束通りカツキに案内してもらって遺跡の内部を見学していた。
「おー、なんかヒンヤリとしてるな」
「あ、気のせいじゃねぇか? それよりも腹減ったなぁ」
「……少しは我慢しなさいよ」
「まあ、いいじゃないですか? 明日の夜には迷宮の前に移動して疲れているでしょうし、オレたちもまだまだ元気があるうちに騒ぎましょう!」
カツキは魔光石の入ったランプを片手に遺跡の内部を先導してくれている。先頭の灯りを頼りにして俺たちは壁伝いにし、遺跡の内部をゆっくり移動していた。
遺跡の内部は海が近いせいかヒンヤリとしていて、足元から冷たい空気が這い寄ってくるのを感じる。だけど心臓からドキドキとした熱が全身を支配している。たぶん立ち入り禁止という看板が立っている場所にバレないように侵入しているみたいな背徳感が勝っているからだ。
古代のドワーフたちの営みが行われていた場所を土足で踏み入っていると考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、ここまでボロボロになっているとそんな気持ちよりもゲームのダンジョンにいるかのような妄想が捗ってワクワクしてしまうのだ。現世で培った少年心が掻き立てられてしまう。
……あ、さっき聞いた話だけどこの古代ドワーフの遺跡はアストゥロと呼ばれているらしい。いや、分類されていると言った方がいいのだろうか?
アストゥロはレナトゥス大陸全域で見ると結構そこら辺にあるらしい。夜空に輝く星々のように散らばっているアストゥロだが、ここまで状態が良いまま発見された久しぶりだということでロバーツさんたちが掘り起こして調査しようとしたようだが、海水に侵されてほとんど調査ができなかったみたいだ。
天井や側面に絵描かれた壁画には古代ドワーフたちの営みを表しているらしいけど俺には何を伝えたいのか良く分からない。そもそも古代ドワーフたちの文献がもうほとんど残っていないみたいだ。だからこそ、壁画から読み取ろうと調査を始めたみたいだけど、海水に沈んでいる部分も多くあるのでカツキたちが連れて来た専門家たちが言いには望み薄らしい。
びっしりと全体を埋め尽くすほど描かれている緻密な壁画は未来の誰かに何かを伝えたくて残したはずだ。それが現代を生きる誰にも理解されないなんて酷く悲しい出来事だ。もし俺だったら何を思うんだろうか……
「ねぇ、ジン。この絵って何を伝えたいのかしら?」
「知らないよ。俺なんかの頭で分かったら苦労しないだろ」
興味深そうに壁画を見ているヘルガが急に背後から声を掛けて来た。俺の考えていることを見事に言い当てられたのかと思ってちょっとだけ驚いてしまった。
「それもそうね。にしてもニンゲンもドワーフも面白いことを考えるわね。ワタシたちエルフにはない発想だわ」
「エルフと比べると人間もドワーフも短命らしいからな。エルフっていう種族は後世に何かを残したいって思想自体が薄いのかもしれないな」
「ん? ワタシにはあるわよ。森に帰ったら『藤の花』のお菓子が美味しかったとか、夏祭りでアンタたちが持って帰ってくれた食べ物が美味しかったとか」
「食べ物の話ばっかじゃん。というかヘルガが知らないだけであるのかもしれないぞ? 本当にエルフの里にはそういうのがなかったのか?」
「嫌ね。ワタシが知らないことなんてないわよ。うーん、そうね……あ! 歌はどう? ワタシたちには精霊様に捧げる歌があったわ!」
「歌か。確かにそれも当てはまるのかもな。……あの、あとその魔法、眩しんだけど。出力とか落とせたりしない?」
フワフワと風に揺られる綿毛のようにヘルガの周囲を不規則に動く光の球体がさっきから眩しくてしかたがなかった。
ヘルガは俺の指摘に対して少しだけ不満げな顔をしたがあんまり気にした様子もなく明かりの出力を落としてくれた。ヘルガの魔法を久しぶりに見たが火を起こさなくても、明かりを出せるなんて便利なものだ。
「……ジン」
「うん? 何だよ、カツキ」
ヘルガの興味が俺から再び壁画へと移った瞬間を見計らってどこか神妙な顔をしたカツキが話し掛けてきた。
「あー、なんだ。さっきは悪かったな」
「さっき? 俺ってカツキに何かされたっけ?」
「いや、オレにじゃなくてだな。トールの件だ。嫌なことを言われてただろ? 止めれなくて悪かったな」
「あぁ、さっきのあれか。いや、慣れてるから全然大丈夫だよ。ただ、ちょっと久しぶりで驚いただけだ。……それにしてもカツキって意外と律儀なんだな。お前はまったく悪くないだろ?」
「茶化すなよ。……まあ、なんだ。トールの先輩として、ジンの友人として謝らせてくれ。さっきはすまなかったな。もし次があれば任せろ」
「次なんてない方がいいんだけど」
「ハハハ、それは違いないな」
やっと笑ってくれたな。そう思いながらも俺は別のことを考えていた。トールの言っていたことは驚いて、動揺してしまったけどもうあんまり気にしてない。これは初めて遺跡の内部に入ることができたというテンションの高揚とは無関係なことだ。
トールに関しては初対面でガツガツと踏み込んでくると思ったが、それぐらいだ。もうそれぐらいの感想を抱く程度しか気にしていない。というかそもそもの話、トール君以上に色々と言って来るヤツは現世にも大勢いた。進学校だったこともあり競争が滅茶苦茶激しかったからな。
何かにつけて話し掛けてきて無駄に嫌味たらしいヤツ、毎回勝負を挑んでくるくせに負けると途端に不機嫌になってくるヤツ、雰囲気がずっとネチネチとしているヤツもいたな。あれ可笑しいぞ? 今思い返してみればクラスメイトとはあまり良い関係を築けてはいような気がしてきたな……
まあ、現世での俺は別に優等生ぶっていたつもりはないけど内申点が欲しくて先生の前では大人しくはしていたからな。一部のやつらには俺のことが気に食わない優等生にでも見えたのだろう。それにその中には兄貴が飛び抜けていたせいで受けたやっかみもあったはずだ。
アイツらは手の届かない相手には喧嘩を売らない、ギリギリ勝てそうな相手にこそ喧嘩を売るのだ。下を見て安心したいのだ。そんな思考をすぐに察して、共感すらできるしまう俺はお世辞にも良い性格とは言えない。むしろ悪い。
あー、つまり長々と何が言いたいかっていうとトールぐらいのことは言われ慣れている。昔の、現世にいた頃の俺だったら笑顔で『あー、ハイハイ。そうなんだねー』と軽く受け流せていたはずだ。ただ最近はリーネたちみたいに真っ直ぐないい奴らに囲まれる環境にいたせいで心が油断していたんだ。いい奴らといると自分もいい奴だって勘違いしそうになる。そして面倒くさいことに一番好きな自分はそんな奴らと一緒にいる時の自分なんだから困ったものだ。
「思い返してみれば俺って出会いに恵まれてたんだな……」
「いきなり何の話だよ?」
「いや、リーネたちが俺の人脈づくりのためにいっぱい紹介してくれたんだけど。癖は強かったが、みんな人当たりが良い人だったなって」
「おいおい、トールを見た後にそんなこと言われたら嫌味にしか聞こえねぇよ。まあ、アイツは悪いヤツじゃないいだただいつも余裕がないだけなんだよ。皮肉屋なとこは変わらないけどさ……」
「今ので余計に関わり方が分からなくなったろ。俺のことが嫌いって言われた方がまだありがたいね」
「ハハハ、冗談だよ、冗談。それにしても人脈づくりか。これはアドレスじゃなくて、ただの経験談として聞き流して欲しいんだけどさ。人脈にそこまでの価値はないぞ。リーネル船長は人に愛される才能があるから誤解しちまってるんだな。まあ、それすらも愛嬌か……」
「……意外だな」
「え、何がだよ?」
「いや、カツキは顔が広いからさ。『いいなそれ、人脈はいずれ役に立つ』とでも言うと思ってた」
「あー、オレのはただ顔が広いだけだよ。リーネル船長とは明確に違うよ。まあ実際、社長の下で見習い商人をしていた頃は人脈がいずれオレの力になるとか勘違いしていたけどな……」
「……何かあったのか?」
「あ、いや、重い話じゃないぞ。オレがただ未熟なだけで、考えが足りない子供だっただけで当たり前の話だったんだ。オレが商人を辞めて海賊になると決めてからさ、今まで頑張って築いてきた交流が減ったんだ。商人だった頃は結構上手くやれててさ、オレのことを気に入ってくれて毎日のように顔を合わせてた人たちだっていた」
「……いなくなったのか?」
「あー、そうだよ。滅茶苦茶減ったぞ。まあ、今でも顔を合わせると世間話ぐらいわするけどさ。人脈なんて、人なんて立場が変わるごとに価値が変わるんだ。もちろんオレの価値もな。そこまで頑張るようなことじゃないぞ、いつかいらないと思っていても勝手にできてるものだからな。あ、いや、ジンのやっていたことが意味のないことなんて言わないけどさ。……減って、減って、それまでの頑張りが無価値になったって落ち込みはしたたけど、最後にはオレのことを損得勘定抜きで思ってくれる人だけが残ったんだから気にするほどのことじゃなかったよ。オレはそんな金じゃ買えない関係を大切にするって決めたよ。ジンもそうしとけ」
「……ああ。いいな、それ。俺もそうしたかったよ」
「……そうか。なんだか説教臭くなっちまったな。そもそも今のジンには必要性が薄いだろう。ジンって自分から誰かの上に立ちたいって思うタイプじゃなさそうだしな」
「おい、それもなんか失礼だろ」
「ハハハ、気に障ったか? なら悪かったな」
「いや、その通りすぎて何も言えないだけだよ、謝られたら惨めになるだろうが」
金じゃ買えない関係を大切にか、その言葉を聞いて俺が真っ先に連想したのは家族や日向、葦原だ。頭によぎった瞬間、なんでだとも考えたが確かに全員が金では買えない関係性だ。そして同時にもう会えない相手だからだろうな……
まあ、たぶんカツキにそんな意図はない。きっとリーネたち、今の関係をもっと大切にしろと伝えたかったのだろう。でも、現世に残してきたみんなのことを思うとほんの少し、ほんの少しだけ寂し――
「ねぇ、こっち、スゴイわよ! ジンも早く来なさい!」
前方からリーネの声が聞こえて来た。彼女のテンションが高いせいか、俺が遺跡の内部にいるせいか分からないが声が反響している。ボロボロと天井から石粒とか落ちてきそうで怖いから止めて欲しい。
だけど、いつもは結構冷静に物事を判断できる彼女が年相応の少女のように声を抑えれらない何かがあったということだ。答えはなんだとカツキの方に視線を向けるが、当の本人は『その反応を期待せていた』と言わんばかりに顔をニヤケさせていた。ドッキリが成功して気持ちよさそうだ。
当てにならないという感情を初めてカツキに抱いたかもしれない。
「ほら、早く行けよ。船長命令だろ?」
「え、そんな重いの? まあ、行くけどさ」
どうやら自分の目で見ないと答えは教えてくれないようだ。遺跡の中は広々としていて居心地は悪くなかったんだけどな。そんなことを考えながら俺は手に持っているランプで足元を照らしながら移動し始めた。随分と先にいったな、アイツら。もっとゆっくり壁画を見ればいいのに。
そんなことを考えながら俺は壁に手を当てて――瞬間、何者かに見られている感覚を壁の方向から感じて視線をゆっくりと頭上にあげた。もちろん誰もいない、いるわけがない。だけど、しっかりと目が合った。壁画だ。
俺が恐る恐る視線を上げた先にあったのは何の変哲もない壁画だった。これは古代ドワーフの戦士と魚だろうか?
俺の身体を中心として左側に描かれているのは人間を上からギュッと圧縮したかのような小さい体躯で、鎧を身に纏っている。両手には持っている武器は何という名称だっただろうか、まるで槍と斧が合体したかの……そうだ、確かハルバードとかいう名称だっだはずだ。重々しいその武器を手にしたドワーフたちが群を成して戦いを挑んでいる。
それはいい。古代ドワーフの営みとして壁画に壮絶な争いを残すのはそうおかしな話でもないだろう。だが問題は右側だ。俺の身体を中心として右側に描かれているのは魚の”怪物”だった。怪物としか表現できない大きさだった。いや、俺も描かれた鱗を見て魚と呼んだが、俺の知識にないだけで本当はまったく別の生物かもしれない。まあ、そっちの方が確率が高そうだな……
魚の怪物の絵はとにかく不気味だった。その怪物は海を持ち上げ、渦を巻き上げ、古代ドワーフごと陸をすべて飲み込むように迫って来ていた。半身は海に浸かっているので全長は不明だが巨大なことだけは理解した。不思議なもので魚の怪物をジッと眺めていると蛇や竜にも見えてきた。
いや、そんなことはどうでもいい。最も特徴的なのはその巨大な瞳だった。俺が恐怖を感じているのはその巨大な瞳のせいだった。真っ黒に塗り潰されていて死んだ魚のように生気を感じ取れない。
美術の教科書に出て来るような写実的な絵ではない。俺でも頑張れば描けそうなぐらい下手な絵だ。ただペンキで黒い丸を書いているだけなのに――ずっと見ていると背中に寒気が走り、不安になる。そんな恨みと妄執が込められた壁画だった。
「何やってんのよ、速く来なさい!」
「……ああ、直ぐに行く」
俺はヘルガの鈴を転がすような声で正気を取り戻した。なぜだかは分からないがずっと見惚れてしまっていた。いや、見惚れていたなんて表現は似合わないな。さっきまでの俺はまるで何かに取り付かれたかのようだった。少しでも視線を外したら壁画に描かれた魚の怪物に襲われてしまうんじゃないかという恐怖のせいで身体が強張って動けなかったのだ。
「薄気味悪いな……」
そう呟いて俺はその場を去ってリーネたちのもとへ合流することに決めた。気が付けばカツキの気配はなかった。たぶん俺たちに遠慮して来た道を引き返していたのだろう。本当に気が遣えるヤツだ。
だから、俺が背後から粘つくような視線を感じるのはきっと気のせいだ。気のせいだ、気のせいだ、と頭の中で言い聞かせながらも背後を振り向くことだけはしなかった。俺はランプで照らした道の上を逃げるように去った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
遺跡を抜けると同時に、全身が潮風に包まれた。
さっきまで呼吸が乱れて、息が吸えなくなるようなの恐怖と闘っていた俺のことを月明りが優しく迎えてくれた。遺跡の内部はランプしか頼りにできなかったので壁画の恐怖と、何も見えないような暗闇から解放された安心感が全身を支配していた。全身から力が抜けていくのを感じる。
「はぁ、はぁ……」
「ちょっと遅いじゃない、アンタ、どうしたの?」
「……いや、何でもない。それよりも――」
俺はヘルガの姿を確認するように視線を上げると同時に言葉が詰まった。『何で呼んだんだ』と言葉を紡ぐことができなかった。喉が振るわせて、声を生み出すよりも先に目に飛び込んで来た情報が処理できなかったからだ。
だって、俺の目の前に広がる海があまりに綺麗に光っていたから……
「なんだ、これ?」
階段が、遺跡の外に続く階段が海に沈んでいる。ここから先には俺たちが歩けるような道がない。それだけだったら俺は何も思わなかっただろう。
「魔光石よ」
「魔光石? それって……」
俺はそっと左手に持っていたランプに視線を向ける。いや、比べるまでもなく眼前に広がる冷たい光ではない、もっと温かみのある光だ。
「あれ? 聞いたことがない? 魔光石は水に触れると光り方が変わるのよ」
「嫌、さすがに聞いたことがあるけどさ……」
氷柱や、タケノコみたいに地面から魔光石が生えている所をシュティレ大森林で何度も見た。
「……ここら一帯の魔素が濃いというのも関係ありませんが、古代ドワーフは洞窟内で松明などの火を用いることを極端に嫌っていたらしいです。だから、アストゥロには壁画を利用して後世に痕跡を残すという役割の他に、予備の魔光石を貯える倉庫のような役割があったのかもしれませんね」
「あら、ヒビキ。詳しいのね」
「はい、そうですね。もうかなり昔のことになりますが。一時期ボクはどうしても魔剣が欲しくて古代ドワーフについて調べましたから」
二人の会話を聞き流しながら俺は魔鉱石に見惚れていた。さっきまでとは違い文字通りの意味でだ。ヒビキの言う通りここが古代ドワーフが魔光石を貯える倉庫のような役割があったとしても、海の底に忘れ去られてしまっては意味がない。
意味がないと頭では理解できているはずなのに感動が理性を否定してくる。海の底で淡い緑色の炎が揺らいでいるかのような眼前の美しい風景を前にして、俺は意味がないなんて言いたくはなかった。
「スゴイ、綺麗だな」
「……ええ、そうね。”人喰い迷宮”攻略の前にとってもいいサプライズを受け取ったわね」
リーネの口から零れるような発言を俺は無言で肯定する。カツキが夕食の前に『遺跡に興味はないか?』と何度も、何度もしつこく聞いてきたので不思議だなと思っていたんだ。
「……カツキに、してやられたな」
彼のイケメンな顔には似合わないニヤケた笑顔が脳裏によぎる。ああ、アイツにしてやられたよ。掌に上だった。お前の思い通りに感動させられたよ。夏祭りの時に『楽しみにしてろ』と言っていた花火が見なかった俺に対するカツキなりの腹いせのつもりかもしれないな……
だから、黙って浸るとしよう。俺は天に散りばめられた星々のように輝く流麗な海をただ黙って眺めていた。




