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第六十四話 『綿菓子』

 屋敷で一人。ワタシは妖しい月の光に魅せられていた。自室の窓を完全に閉め切っていても祭囃子が聞こえてくる。まったく、耳が良すぎるのも困ったのね。


「……はぁ」


 思わず溜息が零れた。ワタシは窓の傍に腰掛けながら一人で窓の外を眺めていた。月が、星が、夜空が、葉っぱに遮られることなくいつでも見れるのはこの街の良い点だと思う。だけど、今日は街の主張が激しい。


 夜の静けさを掻き消すみたいに柔らかに揺れ動く提灯の明かりは夏祭りの醍醐味だとワタシに教えてくれたのは確かリーネだったかしら?


 提灯の明かりは夏祭りと呼ばれる一大イベントに参加しているニンゲンたちの気持ちを代弁しているかのように楽しそうで、ワタシはその明かりを見ているだけでだんだんと気分が沈んでいく。なのに今も目を離せないのは本当は夏祭りに参加したかったのだというワタシの未練がましい思いのせいだ。


 ジン、リーネ、レイン、アリア、ヒビキ、シュテン。あの六人のことが頭によぎる。ワタシの家族ではなく仲間になってくれたみんなはそれぞれ手段は違うがそれぞれで夏祭りに来ないかと誘ってくれた。


 それを断ったのはワタシ自身なのにやっぱり後悔している。本心では行ってみたかった。だってとっても楽しそうなんだもん。


 リーネやから聞いた祭りを飾り付ける美味しそうな屋台の話や、アリアが言っていたセイイチロウのファッションショーもレインの言っていた花火ってヤツも、シュテンが祭りの間にし出回っていないお酒の話も、ヒビキの行きつけの絶品の立ち食いソバ屋が屋台を出すという話も、全部とっても面白そうだった。


 それにジンも何をしていたかはよく分からないけど一生懸命に頑張っていた。朝早くに出かけて、夜になるぐらいまで毎日のように頑張っていたから夏祭りに誘われた時は素直に嬉しかったし、前に話してくれたウツシヨって場所の発明品らしいから見てみたい気持ちも確かにあった。だけどやっぱり怖い。ニンゲンたちのあの視線がどうしようもなく怖い。


 今思えば海賊たちはもうワタシたちエルフを見慣れているからあんな視線を送ってこなかったのだ。初めての経験だ。あの集団で囲われて晒上げられるような、間違いを突き付けられているかのような錯覚を覚える不愉快な視線で見られることがどうしようもなく怖くて、恐ろしくて、だからみんなの誘いを断ってしまった。


 ワタシのことで迷惑を掛けたくなくて、できるだけみんなには前向きに夏祭りを楽しんで来て欲しくて強がってみたけどやっぱりほんの少しだけ寂しいわね。


 ワタシの耳はどんな小さな音にも反応する。だから屋敷の中にいると誰かの気配を感じて安心できた。はっきりと何を話しているかは理解できないが自室で読み書きの練習がてら本を読んでいると屋敷の中で楽しそうな話声が聞こえてきて、ワタシは我慢できずにこの部屋を出てみんなが話している輪に混ざりに行く。それがワタシにとっての日常だった。


 だけど今は黙っていると虫の音が聞こえてきそうなほど静かだ。一人っきりで過ごしていたあの水場を思い出す。疲れたときや、辛いときは涙を見せたくなくてよくあそこに逃げていた。誰もいない屋敷ではみんなの気配を感じないせいで余計なことばかり考えてしまう。


 暇だし、寂しいからみんな早く帰ってこないかしら?


 いえ、これもただの我が儘よね。子供じゃないんだし大人しくまってましょうか。そんなことを思いながら祭囃子を少しでも近くに感じるために耳を澄ますと


 ――誰かがいる。


 誰もいないはずの屋敷の中でニンゲンの気配を感じた。ワタシはピクピクと耳を動かして捉えた気配を逃がさないことに集中した。誰かが足音を殺しながら迷いなくこちらに歩いてきている。屋敷の戸締りはアリアが気を付けているはずだから、もしかして泥棒っていうヤツ? それとも人攫い?


 そういえば祭りに行く前のリーネがワタシに『あなたは目立つんだから、周りには気を付けなさいよ。エルフという種族を一目見たくておかしなことを考える奴らもいるんだから』と言っていたのを思い出した。これってもしかして……


 万が一にもワタシがただのニンゲンに負けることはないだろうが、用心のためにナイフと弓を手に取った。こうしている間にも足音が立てないようにそっと歩いてワタシの部屋まで近づいてくる。なんでワタシの部屋が分かるのかしら?


 事前に相当な準備をしている可能性に備えてワタシはあらかじめ弓を曲げて矢に風の精の加護を纏わせる。敵を迎撃するために今できる万全を期したワタシは呼吸を整えて足音の主がドアの前に来るのを待つ。そいつは一歩、一歩、確実にワタシの部屋に近づいてきてドアの前で歩を止めた。


 そしてトン、トン、トンとドアを叩く音がして――


「ヘルガ、起きているか?」


「え、ジン?」


 聞き覚えのある声がドアの向こうから聞こえてきた。完全に敵がいると決めつけていたワタシは構えていた弓を落としてしまうほど驚いてしまった。



 ※ ※ ※ ※  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「え、今の何の音だ?」


「気にしないで何でもないわ! あ、入っていいわよ!」


 ヘルガが起きているかを確認するためにドアをノックすると返事と共に何かが硬い物体が床に落ちる音が返ってきた。あいつは部屋で何をして……いや、気にするだけ無駄だな。というかまだ寝ていないのなら話は早い。俺はヘルガに許可を貰ったのを確認してから彼女の自室のドアを開けた。


「……よ、ヘルガ。様子見がてら一旦戻ってきたぞ。あー、弓のメンテナンスでもしてたのか? それなら明かり付けないと、消したままだと目が悪くなるぞ?」


「余計なお世話よ! エルフは目が悪くならないのよ。それよりもアンタが手に持ってるのは何?」


「うん? ああ、これは――」


「まあ、何でもいいけどね。それよりもアンタなんで帰って来たのよ! ワタシの分も楽しんで来なさいって朝言ったわよね!」


「おお、話の途中なのに……」


 一人っきりになって寂しがっているかと思ったがいつも通りのヘルガで安心した。というかアイドルはトイレになんていかないみたいなノリで話してたけど暗い中細かい作業をしてると普通に考えて目は悪くなるだろ。いや、待て。魔法なんてものが存在してるんだから本当にエルフは目が悪くならない可能性もあるのか。


 そんなふざけたことを真面目に考えるよりも今は約束破った言い訳、いや、ヘルガを祭りへ連れ出す誘い文句を考えたほうがいいな。


「あ、あのさ。その……」


「何?」


「あー、えっと、やっぱり」


「だから何?」


 ヤバい、今ヤバいほど緊張している。人生で最も緊張していると言っても過言ではない。今までは綿菓子機を作ることができた喜びと勢いで誘っていたが、ニコさんと話して冷静になってしまった俺では上手く言葉を紡げない。これじゃあまるでデートの誘いみたいじゃないか。


「これから花火があるらしいけど、一緒に見に行かないか?」


 意識的に呼吸を整えてやっと口を開いた。時間的には一瞬でそこまで経っていないはずだが体感では一時間は過ぎたんじゃないのかと疲労感がある。だけど勇気を振り絞って出したセリフだとはヘルガにも伝わったようだ。彼女は何度かパチパチと瞬きした後、まるで何かを思案するかのようにそっぽを向いてしまった。視線を逸らされたのでヘルガが嬉しいのか怒っているのかすらもう俺には分からない。


「……ワタシのことは気にしないでいいって言ったじゃない。ワタシは一人でも大丈夫よ。だからアンタも楽しんで――」


「ヘルガがいた方が楽しいって思ったから誘いに来たんだ」


「ッ!」


 やっぱり彼女も一人っきりで部屋にいるのは寂しかったのだろう。その証拠にヘルガの少しだけ尖がった耳がピコピコと動いている。


「やっぱり嫌だったか?」


「嫌、じゃないけど。怖いわ」


「そうか、どうしてもダメか?」


「……ごめんなさい。何度も断って――」


「いや、いや、もともと『ダメかな?』とは思ってたんだよ。俺も人の視線が苦手だったからどうしようもないって知ってるし。だから、色々買い込んできたんだ」


「え、買い込んで来たって?」


 そう言うと俺は帰り道に屋台で買ってきた多くの食べ物の数々をヘルガに渡した。美味しそうな匂いがこちらまで漂ってきた。


「腹が減っているだろうって思ってさ! それにヘルガも夏祭り自体には興味があったんだろ? あ、ほら、これなんかたこ焼きって名前じゃなくてクラーケン焼きなんだってさ。面白くてつい買ったけどこれ美味しいのか? いや、それ以前に食えるのか?」


 自分で自分が買ってきた食べ物の山を見てセンスを疑ってしまった。ロバーツさんたちが黄泉の国への航海中にまたクラーケン襲われたらしい。だけど返り討ちにして捥いだクラーケンの一足がたこ焼きとしてどこの屋台にも出回っていたのでヘルガへの土産としてかなりの数買ってしまったが安かったし大丈夫だろう。


 まあ、値段よりも二人で食べきれるかの問題になったんだけどな……


「確かに美味しそうだけど……アンタはいいの? アンタもワタシと同じでこの祭りは初めての参加だってリーネたちが言ってたけど」


「いいよ。また次の夏祭りに参加すればいいだけだ。それに俺の分もリーネたちが楽しんでくれてるだろうしな」


「あら? 私たちは仲間外れなの?」


 俺とヘルガ以外屋敷には誰もいないはずなのに背後からいきなり声が聞こえて来た。俺が声に釣られるように振り返るとリーネとアリアさん、レインちゃんがドアの前に立っていた。


「え、リーネ? なんでここに?」


「……そんなの決まってるじゃない。考えることは一緒だったってことよ!」


「私たちもジン君と同じように色々と買って来たんです」


「お兄さんも一緒に五人で女子会をしましょう!」


「いや、それは気まずいな」


 三人も俺と同じようにヘルガを心配して様子を見に来たみたいだ。朱に交われば赤くなるって言うけど俺もいつの間にか彼ら、彼女らの影響を受けて行動が似てきているのかもしれない。


 というか女子会に参加しても空気を壊さないのは吹奏楽部に所属している男子みたいなタイプであって俺なんかが参加しても気まずくなるだけだよレインちゃん。


「俺やっぱり戻ろうかな……」


「いいじゃない! 親睦会ってことで!」


「ならボクたちも入れてもらえますか?」


 突然ガタンと音が聞こえて窓が開き、生暖かい風が室内に押し寄せてきた。カランコロンと子気味良い音を響かせて窓から不法侵入してきたのはヒビキだ。


「どこから入って来てんだよヒビキ。いや、それよりも何もってんだ?」


「これは出前です。ボクが良く行く立ち食い蕎麦の店に頼んで持ち帰りを許可してもらったんですよ。前に話した時に食べたがっているのを思い出しましてね。ジン君もどうですか? 絶品ですよ?」


 ヒビキは高級感が漂う重箱を片手に窓まで跳んでここまで来たみたいだ。想像するとスゴイ間抜けな絵面だけど体面はそこそこ気にしているヒビキのことだから人に見られないほどの速さで屋敷まで帰って来たんだろうなというのは分かる。


「ヒビキ、あなたまるで私たちが屋敷に戻るの知っていたみたいな口振りね」


「屋敷に戻っている最中のジン君をたまたま見つけましてね、もしかしてと思って来たのですが……仲間外れにならなくて良かったです」


「しないわよ。……ただこうなったらシュテンも呼べばよかったわね」


「リーネ、”ボクたち”と言ったでしょう?」


「え?」


 ヒビキはそう言うと窓の外を指さした。ヒビキが忍び込んで来た窓は庭が見える方角だ。俺たちはベランダに移動し、身を乗り出して外を見ると布が被せてある物体の横で黒い影が僅かに動いた。シュテンだ。


「おーい、ジン! これ壊れてんじゃねぇのか?」


「シュテン!」


「お兄さん、ずっと気になってはいたんですが布が被せてあるあれって何なんですか?」


「……たぶん、あれがニコさんが言ってた綿菓子機の試作機だ。シュテン、俺がそっちに行くから下手に触らないでくれ! お前が触ったら本当に壊れる!」


「ならお前が早く下りて来いよ! こいつの使い方はなんだ?」


「わ、分かったから叩くなって!」


 ヤバい。早く行かないとシュテンが試作機をバシバシと乱暴に扱っている。というかもう叩いている。ただでさえ故障が多いデリケートなヤツなんだ。シュテンの、いや、鬼の膂力に耐えれるような設計ではない。


「……もうこうなったら庭で食べるか? ピクニックみたいに」


「それいいじゃない! 早速だけど準備しましょうか!」


「なら、地面に敷くものを用意しないとですね。レイン悪いけど手伝ってくれませんか?」


「はい、アリアさん。私でよければ手伝います」


「……」


 目まぐるしく変わり続ける状況に頭がついていけなくなったのかヘルガは戸惑うみたいにキョロキョロと視線を彷徨わせている。俺はそんな彼女に何て言葉を掛ければいいのか分からずに悩んでいると――


「ほら、何やってるの。行くわよヘルガ!」


「ッ、ええ!」


 見ていられなくなったリーネが先にヘルガを導くように声を掛けた。


「……やっぱりリーネはスゴイな」


 俺が初めてリーネに出会った時と同じだ。誰かの背中を押す言葉を誰よりも先に投げ掛けてくれる。それがどれだけありがたいことか俺は知っているから彼女のことを本当に凄いと思う。経験の差か、生来の気質かは分からないが俺には決してリーネみたいに上手に相手を励ますことはできないだろう。


「俺もシュテンに壊される前に早く行かないとな」


 そう思い俺はベランダからドアを出てシュテンのもとへ行こうとした瞬間――


「あ、花火が上がった」


「え、嘘! もう上がったの⁉」


「……ここからでは少々見えにくいですね」


 遠くの方からヒュー、ヒューと音が聞こえてバンと心地良い音が響いた。火薬の匂いがこっちまで届いてきそうだった。正直に言うと屋敷からは花火は見えにくかった。だけど「たまやー」と叫ぶリーネや初めて見る花火に魅入られているヘルガを見るとそれで良かった気がする。


 いや、リーネやヘルガの他にもアリアさんやレインちゃん、ヒビキにシュテン、みんなで屋敷からは見えにくい花火を見ている。そのことの方が一人で夏祭りを楽しんでいた時よりも俺にとっては価値がある。まあ、要するに胸にぽっかりと空いた穴が何かで埋められたみたいに充実しているということだ。


 ただカツキには悪いことをしたな。『花火を楽しみにな!』とわざわざ言ってくれたのに俺の視力では花火の薄っすらとした輪郭をギリギリ把握できる程度だ。つまりいまいちよく見えない。カツキが勧めてくれたんだんだからきっと夏の夜空に艶やかな化粧を施しているあの花火はもっと近くで見た方が楽しめたのだろう。


 打ち上げの際の音は僅かに聞こえて、花火が咲き誇る瞬間に腹の底から揺らすほどの臨場感はない。だから、現世でテレビ映像を見るのと状況はほどんど変わらないはずなのに今までで一番綺麗に思えるのはなぜだろうか?


「おーい、ジン! まだか?」


「……お前、情緒がないな」


「あ、そんなもんじゃ腹は膨れねぇだろ? オレがここまで運んでやったんだからそのワタガシってヤツを喰わせろよ」


「あ! それってニコのやってた屋台の出し物よね! 私も食べたい!」


「ニコさんのところでは綿菓子機がタイミング悪く故障していて食べられなかったですからね。実は私も食べたことがなくてですね。お兄さんが綿菓子機を作っていると耳にして楽しみにしてたんです」


「……花より団子ってやつですね」


「まったくもってその通りだよ。まさか教科書に書かれてた例文以外でそのことわざを使う日が来るとは思わなかったけどな」


 花火はまだ続々と打ち上がっているのに女性陣は我先にと中庭に向かって歩き始めていた。それにヒビキとヘルガに至ってはベランダから中庭に飛び降りたし、腕白が過ぎるだろ!


「ジンー、早く!」


「……ああ、もう分かった。今すぐに行くから壊すなよ!」


 まあ、どうでもいいか。遠くの花火よりも今はこいつらと一緒にいるこの時間を大切にしたい。そんなことを考えて俺はリーネたちの後を追うように屋敷の階段から中庭に向かうことにした。


 その後は花火が終わるまで宴と同じように準備に費やした。花火すべて上がり終わった後もヒビキの絶品蕎麦を食べたり、クラーケン焼きを食べたり、ニコさんから貰ったザラメをリーネの魔法で溶かしてシュテンに綿菓子機を回転させて人数分の綿菓子を作ったりと色々なことをした。


 全員が持って来た食べ物を平らげ、騒ぎ疲れて、すべてを楽しみ終わった頃には祭囃子はもう聞こえてこなかった。こうして俺の忙しくて、短い夏はあっという間に過ぎていった。


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