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第六十ニ話 『夏祭り』


 人間とは不思議なもので一度忙しいと感じればいくらあっても時間が足りず、暇だと思っていた日々は瞬く間に過ぎていった。


 ここ数日間、いや、二週間近くはトーマスさんとニコさんとしか話していない気がする。まあ、みんなと同じ屋根の下で生活を共にしている以上そんなはずがないんだけどな。そう思ってしまうぐらい濃密な日々だったのだ。


 というかこの二人の会話に脳の容量を裂きすぎてて他の会話を覚えていられないのだ。だけどみんなのことを軽視していたわけじゃないと弁明しておきたい。トーマスさんの指示通りに俺は縄の魔法を使いながら、ニコさんに聞かれた内容に答えるというマルチタスクと夏の暑さのせいで脳が沸騰するかと思った。


 リーネの屋敷ではただ寝て、起きる、寝て、起きるを繰り返すだけしかできなかった。朝ごはんだけが楽しみだった記憶がある。そんなまるで疲れたサラリーマンみたいな生活を送っていた。


 まあでも、欲しい()()が手に入ったし終わり良ければ総て良しってやつだ。完成のためにかなりの経費が掛かったがそこは約束通りヘンリーさんが払ってくれた。ただ一つ条件を付けれたが気にするほどのことではなかった。


 色々細かく言われたが要約すると「夏祭りを盛り上げるために屋台を出店させてくれ」というものだった。俺は別にヘルガを見返す、そして元気づけるためにこれを作っただけだ。なので詳しいことは俺ではなくてニコさんに任せることにした。


 完成した試作機は俺が貰う予定だからニコさんのもとには完成品が一つしかない。二週間という短い期間ではギリギリ二つしか作ることができなかったのでヘンリーさんが上手くやって話題になっても、きっと数はそこまで捌けないだろう。


 そんな目が回るほど忙しかった俺も夏祭り当日にはなんやかんやで暇になった。この一日だけだけど……


 ニコさんはあれを完成させると同時に十分に達成感を得られたのか「……しばらくは満足です」と頬を上気させて言っていた。いや、しばらくって付けられると怖いな。でもトーマスさんよりかは遥かにましか。


 俺はこれからもトーマスさんに「魔法を見せて欲しいですぞ! これも人類の進化のためなのです!」と後を付け回されるのだと思うと今から気が重くなってきた。はっきりと言ってしまえば最悪だ。何が最悪ってもうモノマネができるほどトーマスさんの解像度、つまり理解度が上がっていることだ。あの時トーマスさんの誘いを断れと言ってくれたリーネの言い分を聞けばよかった。


 ……いや、もうこれ以上考えるのはやめよう。後悔先に立たずってやつだ。もっと楽しいことを、今日の夏祭りのことを考えよう。


 予定通りヘルガへのサプライズも用意できたし後は彼女を誘えばいいだけど。この時の俺はヘルガは当たり前のように夏祭りに行くのだと決めつけていた。だから、朝食の席で断られるなんて思っていなかった……


「俺は行くけど、ヘルガは本当に行かないのか?」


「……うん、夏祭りってやつは楽しみだけど今回は見送ることにするわ。ジンも頑張って準備してたのにワタシにすべての注目が集まりのは可哀想でしょ! それにこっちで暮らしていればまたチャンスはあるからね」


「……そうか、なら行って来る」


「それでいいのよ。ワタシの分まで楽しんできなさい!」


 玄関前まで俺を見送ってくれたヘルガはバシッと軽く背中を叩いて送り出してくれた。もうみんな夏祭りに行ってしまったからか屋敷にはヘルガ以外の気配がない。ただでさえこの広い屋敷と住んでいる人数が釣り合っていないから日頃から広く静かな印象はあった。だけど、今はそれに加えて少しだけ寂しくも感じる。


 俺のそんな考えを肯定するかのように最後に見たヘルガの顔は少しだけ寂しそうに見えた。一瞬だけ残ろうかとも思ったがここでその選択肢を選ぶ度胸はないし、ヘルガの気遣いを無駄にして気まずくなるだけだろう。そう自分を納得させて俺は夏祭りへと出かけた。



 ※ ※ ※ ※  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「……困ったぞ。一人でどうしようか」


 周りのみんなはワイワイと楽しそうな表情を浮かべている。普段は内包しているエネルギーを思う存分解放しているかのように元気で生き生きとした雰囲気で禊木町が染め上げられている。


 楽しそうな人々に充てられてこっちまでエネルギーが貰えるようなこの空気感は嫌いではない。今も昼間だと言うのに可愛らしい着物を着た集団とすれ違った。いや、我ながら目の付け所がオッサン臭いと感じるが、俺は日常では見かけない景色が新鮮で良いと言いたかったのだ。


 そう思いながら俺は改めて普段とは違う街並みへ目を向ける。いや、徐々に祭りの準備が進んでいたせいで祭りと書かれた提灯などが蜘蛛の巣みたいに張り巡らされているのは知っていたが、これのおかげで本当に祭りなんだなって実感が生まれている。


 いつもはあれで節度をわきまえて商売していたのだろう、大路には露店、屋台が犇めき合っている。いや、屋台だけではない人が馬車すらも通れないほど溢れているのだ。


 子供も、大人も、自分の年齢を忘れて楽しんでいる。屋台に立つ人たちも懐が潤ってホクホク顔だ。それにさっきから煙が目に沁みる。火事かと疑うぐらいの煙が至る所から出ているせいで若干だけど空気が悪い。というか屋台のレパートリーが意外と少なくて焼き鳥屋の屋台が多すぎるのだ。


 立ち食いそばが祭りの屋台にあるなんて初めて見たぞ。ネタがないのかと思っていたがこれも文化の違いかもしれない。いや、困ってなかったらヘンリーさんが俺なんかを頼ることなんてなかっただろうから本当に出店のレパートリーが現世と比べて少ないんだろうな……


「まあ、一人なのは仕方がないし。食い倒れるか」


 ヘルガと『ニコの工房』がやっている屋台に向かうと勝手に決めていたせいでリーネたちの誘いを断ったのが痛かったな。今思えばヘルガが断るのが分かっていたから誘ってくれたのか。今からでも合流できないかな。


 まあ、会えなくても一日食べて歩いても大丈夫なぐらいのお金が手元にある。あらかじめ下ろしておいた。アリアさんの『祭り当日の銀行はいけないと考えた方がいいですよ』というアドバイスを聞いていてよかった。俺がそんな詰まらないことを考えていると――


「ッ! あ、だ、大丈夫ですか?」


「ぁ、ご、ごめんなさい」


 よそ見をしていたせいで正面から人とぶつかってしまった。咄嗟に掏りを警戒してレインちゃんがプレゼントされたポーチに手を当ててしまったが財布は無事なようで、本当にただの事故だと分かった。


 俺とぶつかった男は、いや濃緑色の髪の少年はちょうど俺の三分の二ほどの身長で屋台を見ながら歩いていた俺は少年の背丈が小さくて見えなかったみたいだ。


 少年の泥棒が頭に被っているような色をした唐草模様の風呂敷から重そうな本が何冊もドサッという音を立てて地面に落ちた。俺と衝突した拍子に風呂敷が解けてしまったようだ。


「本?」


「ぁ、今日が祭りって知らなくて……ッごめんなさい!」


「あ、おい! これ、忘れてるぞ!」


 俺は『ここ最近の街の雰囲気は祭り一色に染まっていたはずなのに知らないなんてことあるのか?』と思ったが少年は本を拾い上げるとすぐさま消えるように群集の中へと走っていった。俺は足元に残された一冊の本を拾い上げた。というかよくそんな量の本を持って走れるな……


「何だったんだ?」


「…ッ……お、ジンじゃねぇか! 久しぶりだな!」

 

「うん? お、カツキ! 戻ってたのかよ」


 少年の姿が飲み込まれた群集の方を見ていたが背後から懐かしい声が聞こえてすぐさま視線を声の主に移動させた。


「ああ、昨日な。でも祭りが終わったらすぐにまた出ることになる思う。ちょっとうちの新入りがやらかしたみたいでな」


「そうなのか大変だな?」


「……おい、なに他人事だって面してんだよ。今度の航海はジンもオレたちと合同だろうが。ちゃんと準備はしてるのか?」


「ああ、そっか。……それよりもカツキ、何か急いぎのようでもあるのか?」


 そう言って俺はどこか疲れているカツキのことをまじまじと見る。カツキの額には軽く汗が流れているし、忙しなく動かして周囲の人たちを見ている。まるで落とし物でもしてしまったかのように落ち着きがない。


「……ああ、さっき弟を見かけてな。急いで追いかけたんだけど見失ったみたいだ」


「弟? なんで弟? 家に帰れば会えるだろ?」


「ああ、言ってなかったけな。勝手に商人から海賊になったことを知られてな、今オレは実家から勘当されているんだよ。そして弟は本の虫で滅多に部屋から出てこないんだ。偶然見つけたから声をかけようとしたんだけど……もしかしたら見間違えだったかもな」


「そうなのかそれは災難だな。……うん、本の虫?」


 俺はカツキのプライベートに勝手に踏み込んでしまって悪いことをしたと思ったが、彼が口にした情報から弟に該当する人物が一人だけいたことを思いだした。先ほどの少年だ。あの少年は唐草模様の風呂敷から大量の本を落としていた。


「……なあ、カツキの弟って濃緑色の髪に、丸眼鏡をしたこれぐらいの背丈の少年のことか?」


「ああ! そうだけど、知ってるのか?」


「さっきぶつかって一冊本を忘れていったんだよ。向こうの方に行ったから追いかけたら見つかるかもしれないぞ」


「そうか。ジン、ありがとうな」


「……後、この本は弟さんに返しておいてくれ。落とし物なんてどこに届ければいいのか分からん」


「ああ!」


 カツキは俺の持っていた本を受け取ると少年が消えた方へと走って行った。だが彼は最後に一度こっちを振り向いて「本当にありがとな! あ、花火を楽しみにな!」と言い残して人の波に飲まれて消えた。


 去り際までイケメンはイケメンだなと僻みのような感情が一瞬だけ生まれたがカツキだもんなと思うとすぐに無くなってしまった。というかこんなに人がたくさんいるのにカツキの弟に会うなんてなスゴイ偶然だな。


「……花火か」


 そういえば夜になると花火が上がると誰かに聞いたな。あれ、誰だったけな? それに『楽しみにな!』と言った彼の真意は分からないけど俺も花火には興味がある。あ、そうだ。夕方ごろにでもニコさんの工房にあの試作機を受け取りにいかないと。


 ……ヤバいな一人でも意外と予定がいっぱいあるぞ。まあでも、今は腹を満たすことに集中しよう。朝を少なくしたからもうお腹が空いている。空腹感と煙に紛れて漂ってくる良い匂いのせいででお腹と背中がくっつきそうだ。


「さてと食いつくすぞ! まずは焼き鳥からか? でも、味が濃いのは最後の方が……え、とうもろこしあるじゃん! って高!」


 とうもろこし焼きという屋台を発見し、急いで向かうと一円、現世の値段で換算すれば一万円のとうもろこしが売られていた。店主は「最近、奪衣婆さんがこの植物のタネを下ろしてくれたんですよ。数がないものでどうしてもお値段は高く設定せざるを得なくてですねー」としたり顔で語っていたがとうもろこしに一万円を払うバカは現世じゃいないだろう。俺以外は……


 いや、違うのだ。値段以上に懐かしさのあまり買ってしまっただけだ。醤油でこんがりと焼いたとうもろこしの香りが現世を思い出させてくれたから買っただけだ。でもほら、食べてみると甘じょっぱい焼きとうもろこし一本に一万円は妥当な気が……そんなわけがないな。ただのぼったくりだ。


 明日からはもっと冷静にお金を使わないとな。――あ、イカ焼きだ。


 ダメだ理性が食欲に負けてしまっている。思考というフェーズを挟まずに欲望だけで行動を決めている。というか最近疲れることばかりだったので美味しいものを食べて忘れることにしよう。そうしよう。今俺がそう決めた。


 まあ、そんなわけで今日だけは考える作業をすべて後回しにして、取り敢えず俺はこの祭りを大いに楽しむことにした。明日から着々と貯金すれば大丈夫だから。絶対に明日から頑張って貯金するぞ! 


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