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航海日誌 『洗濯』


「災難でしたね、お兄さん」


「……本当にね」


「同情はしよう。ほら、服を脱げ。洗濯してやる」


 俺は上裸のままホヴズに貸してもらった服をカーリさんに渡した。ヒュドラ討伐の時に頭から泥に突き刺さり、泥塗れになった制服を見兼ねたホヴズが純粋な優しさで服を貸してくれたのにまさかゲロで汚されるなんて思わなかった。


 悪酔いしたノギさんのゲロで汚れてしまった左肩から袖の部分を包むように畳んだ服をカーリは霊樹でできた樹の器に投げ捨てた。そして――


「おお、スゲエ」


「……魔法ってやっぱり便利ですね。かなり欲しいです」


 カーリが手を翳すと表面張力のギリギリをせめるほど水を張った樹器がぐるぐると回転し始めた。そのままカーリによって操られている水は絞られた雑巾のように形を変え、回転が速くなり、パンと弾けた。


「……ほら、終わったぞ」


 僅か数十秒で洗濯が終わってしまった。これはレインちゃんが欲しがる気持ちも分かる。これを見てしまうと主婦の皆さんは一家に一台絶対にエルフという種族が欲しくなるだろう。だってこれじゃあ、彼女たちは洗濯機の上位互換だ。時短どころか革命だ。


 カーリから俺に手渡されたホヴズの服はフワフワとした手触りで、思い切って嗅いでみると身体を内側から癒すような、穢れた心が清浄されるような香りがした。なぜかリラックスする。さっきまでノギさんの吐いた胃液が付着して、鼻が曲がるほど饐えた臭いを漂わせていた服とは思えない。


「心なしかフワフワとしていますね。とても手触りがいいです。それに洗剤を利用していないのになぜか檜みたいな香りがするし。ズルいです。少しでいいので私たちの苦労も味わってください!」


「テレビ、冷蔵庫、エルフが黄泉の国での三種の神器だろ。歴史が変わるぞ」


「……貴様らが何を言っているのか分からないが、褒められているのだろう。我らエルフには当たり前が過ぎて、素直に喜べないがな」


 冷たくそう言い放ったカーリさんを無視して俺は彼女の耳を観察する。声や顔ではなく、耳だ。彼女の柳葉のように細長く、綺麗な耳に視線を向けるとピョコピョコと少しだけ動いている。ヘルガを観察していて気が付いたことだが、エルフという種族は心が勝手に生み出した感情を表現するように耳が動いてしまっている。まるで犬の尻尾のようで分かりやすい。


 それを指摘するとたぶん怒られるだろうからわざわざ口にはしないけどな……


「あ、そうだった。カーリ、ヘルガを見なかったか? 話があると言われてたんだ」


「……ヘルガならヨルズのところで四大精霊様に加護を授かっている。我らエルフは魔法を使えるようになると貴様らで言う儀式をするのだ」


「それを今受けているんですか?」


「……ああ、精霊様の加護を得ることができたのだ。他にも何かの拍子にということがあるかもしれないからな。ヨルズが喜んでいたからしばらくは、嫌、最低でも風の精の加護が自由に扱えるまでは帰してくれないだろう」


「そうなんだ。なら、またでいいか。今すぐにってわけでもないし」


「……そうか」


 カーリは納得するように一度頷くと同時に口を閉ざしてしまった。ヘルガの奴は何だかんだで言って義理人情に厚い面があるから出航の時に顔ぐらい出すだろうし、その時に話を聞けばいいか。というか自分から話があるって言っておいて別に用事を作るなよ。まあ、別にいいけどさ……


「……ジン。貴様に一つだけ聞いておきたい」


「なんですか、急に改まって」


 俺がそんなことを考えているとカーリが真剣な表情で、声で話し掛けてきた。


「……貴様は、お前はなんで、そこまでヘルガのことを気に掛けてくれるのだ? 貴様は、何も関係がないはずなのにどうしてだ?」


「え、そこまで、いや、もしかして気持ち悪かったですか?」


「茶化すな」


「茶化すなって、そう言われてもですね。たぶん俺の対応は普通ですよ?」


「……普通?」


「だって自分と似ているところがあったらそれがどこの誰であっても『お、こいつ!』って反応になりますし、話し掛けますよね? 俺はこっちに来てエルフって種族を初めて見ましたけどそれだけですよ。だから、俺は特別なことなんて何もありませんし、していません」


「……そうか。そうだな」


 カーリから少しだけ覇気がなくなったのが俺にも分かった。ヒュドラ討伐時に泥にまみれた制服や、その余韻の影響でゲロにまみれた服を洗濯してくれたからカーリの質問にはなるべく俺なりに真剣な答えを出してみたのだが違ったみたいだ。俺が不用意な発言をして彼女を傷つけてしまったわけではなさそうだし、こうなった原因が分からない。そんなことを考えていると――


「……ヘルガのことを頼むぞ」


「……はい?」


「……いや、何でもない。忘れてくれ」


 カーリの声が小さすぎて聞き取れなかった。いや、言い直してくれるだけで十分……いや、カーリ本人が『いや、何でもない。忘れてくれ』と言ったのだこれ以上は藪蛇をつつくだけだ。彼女とは今。少しだけ気まずい雰囲気になっている。レインちゃんはニコニコと優しく微笑んでいるだけで何も教えてくれない。

 

 まあ、余計なことをするといつも自分にとって悪い結果を招くんだから黙っていよう。沈黙は金雄弁は銀ということわざを考えた先人はさすがだな。他にも言わぬが花、口は災いのもと、言わぬは言うに勝るというぐわいに同じ意味のことわざが多くある。沈黙から得られるモノを先人たちはしっかりと学んでいるだ。


 まあ、こんな具合に俺はヒュドラ討伐作戦の後、成功の余韻に浸る間もなくこんなことをしていたのだ。


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