航海日誌 『グリフォンの肉はそこまで……』
ヒュドラ討伐前夜に催された宴で俺はノギさん一派のグループで酒を飲みながら普通に話をしていた。
「何で俺ってヤバイみたいな噂があるんですか? ただの凡人で新入りですよ? というか何処の誰が流してるですかー?」
「そんなもん面白れぇからだろ。噂話が好きなのは女も男も変わらねぇよ。それによー、シュテンに噛み付いていた狂犬だって印象があったからよ。普通の感性ならありえねーだろ。あんな怖え、筋肉ダルマに食ってかかるなんてよ?」
「それになんか表情が暗そうだったし、絡みずらそうだったしな」
「見下してるてっか、てめぇらなんか相手にしてられねーって感じがあったよな」
「いや、あの時感じが悪かったのは人といるだけで心の中のゲージが減るからですよ。分かりませんか? ストレスっていうんですか? それがが勝手に溜まるんっすよ。この里は相部屋じゃないから助かっていますけど誰かと一緒にいると安心できないんですよ。だから俺は普通の凡人ですよ」
「ハハハッ、お前みてぇな凡人がいるかよ! グリフォンの背に跨ったのは本当の話じゃねぇか!?」
「……いや、それはただ一生懸命だっただけですよ。あんまり覚えてないし。別にスゴいわけじゃないです」
「ま、面だけみたらおめぇは普通のガキだしな! 噂は噂ってこった」
「いや、グリフォンを真っ二つにしたって聞いたら確かに見劣りするけどよ。その状況から生き延びただけでもスゲー自慢話になると思うぜ?」
「それもそうだな! ハハハハッ!」
ちなみに同じ焚火を囲っているノギさん一派は左から俺の噂話を『ハハハッ』と豪快に笑っているのがシミズさんだ。そしてそれにツッコミを入れている冷静そうな顔をしている男がモリさんだ。最後に何かのたれがかかった肉を美味しそうに頬張っている男がサカイさんだ。
「すいません、サカイさん。その肉って何ですか?」
「うん。ああ、これはグリフォンの肉だよ。ジンの小僧も食ってみるか?」
「グリフォンの肉!?」
俺は脳から生まれた驚愕を脊髄を経由せずに口にした。俺を死の一歩手前ませ追い詰めた現状最大の恐怖の象徴であるグリフォンを食べるという発想自体がなかった。
「……それって美味しんですか?」
「あ? だから食ってみろって? ほら!?」
サカイさんに差し出された焼き鳥のように串が刺されている分厚い肉塊がグリフォンのものだと聞かされただけで美味しそうっていう感想よりも大丈夫だろうかと不安の方が先も生まれてしまう。
味が気になるがく食いたいとは思わない。たぶんだが紫色の威圧感が漏れ出しているせいだ。あれって毒とか入ってないよな……
「なんだよ、ジンの小僧。食わねぇのかよ」
「ハハハッ、殺されるかけてビビってるんじゃないのか?」
「いや、ビビッてないですよ。食べます。食べればいいんでしょう!」
「……あんまし無理はするなよ」
俺が思っている以上にノギさんに注がれた酒が回っているのかもしれない。口が軽くなっているし、思考もぼやけている。俺はサカイさんがくれた肉の塊を奪い取るように貰うと大きく開けた口へとゆっくりと近づける。
「……ッ」
多少の嫌悪感に近い何かのせいで顎の下辺りがピクピクと引っ張られるように痙攣する。匂いは良いはずなのに不思議と食欲がまったく湧かない。遥か彼方まで見通すような猛禽類の目が脳裏を過った。
「…いただきます!」
四人の視線に見守られながら覚悟を決める。拒否感は拭いきれなかったが、肉塊を口の中に押し込むみたいに腕を顔に勢い良く近づける。
「……ぅ……っ…ぐ…」
口の中いっぱいにたれの味が広がる。グリフォンの肉は軽く火で炙っている香ばしさを感じた。だけど、濃いたれの風味だけでは隠せない臭みがある。アンモニアという表現が近いかもしれない。そんな臭みが鼻まで抜ける。
美味しくはないし、むしろ不味いとさえ感じている。
それにグリフォンの肉には脂身が全然ない。パサパサとした赤身の肉はそれだけでも好みが別れると思う。
「どうだ? 不味いだろ?」
「……ッ…だいぶ、癖がありますね」
「ハハハッ、正直に不味いって言えよ。それを美味いって口にしたのはエドワード船長ぐらいだってよ。好物だって噂もあるぐらいだ。オレは嘘だと思うがな。まともな神経のやつなら口にするのも躊躇うぐれぇだぞ」
「それはお前が嫌いなだけだろ。……慣れたら、我慢すれば食えるぐらいにはなる」
「それって、滅茶苦茶マズいってことじゃないか!」
「まあまあ、いいじゃねえか。これも洗礼だ。そんなことよりも飲もうぜ、ジン。まだまだ宴はこれからだろ!!」
ノギさんはそう言うと俺の肩を組みながら丸太のようなジョッキに酒を注いできた。まあ、そうだよな。楽しまないと損だよな。というかノギさんたちもかなり酒が入っているはずなのに、全然酔ってないな……
海賊ってやっぱり酒に強いんだなと思いながら俺はノギさんに注がれた酒を一気に飲んだ。出会ったばかりのこの人たちと酒を交わす最後のチャンスかもしれないんだからと慣れない酒を一気に飲んだ弊害で俺は翌日、ヒュドラ討伐作戦に少しだけ寝坊することになったの言うまでもないことだろう。
こんな感じで夜はさらに更けていった。アルコールの匂いで目が回るほど飲んだ忘れられない夜になった。




